17話・そこは怒っていいところだぞ
「ユーリ、気分はどうだ?」
「フィー。どうしてここに?」
「覚えてないのか? おまえが森の中を闇雲に歩き回っていて、俺の顔を見た途端に倒れたから何事かと思った」
気がつけば私のまえにフィーがいた。鼻先が馴染みある木の芳香を拾う。私はいつの間にか彼の住むツリーハウスにまで来ていたようだ。ここまで来た記憶がないほど、私は追い詰められていたらしい。それほどまでにアントンの仕出かしたことは、私の中で大きかったということだ。
「ごめんなさい。迷惑をかけたようね」
「何かあったのか? よほど追い詰められていたようだけど」
私の前に温められたカップが差し出された。
「俺でよければ幼馴染のよしみで聞くよ」
「ありがとう。フィー」
カップの中の甘い香りに誘われて口付ければ、中身はホットミルクで蜂蜜が入っていた。彼の温かな気遣いが感じられて嬉しかった。
「実はね、夫のアントンが駆け落ちしたの。浮気していたのよ」
「はあ? 駆け落ち? 誰と」
フィーが信じられないって顔をする。
「侍女とよ。彼女は私が一番、気を許していた相手だけに信じられなかったけど……。盲点だったわ。彼の浮気相手が使用人だったなんてね」
笑いしか出なかった。フィーは私を痛ましそうに見つめている。彼の目線を避けるように俯いたら恨み言が口をついて出た。
「仕事が忙しいなんて言いながら、宮殿に泊まりこんで彼女と一緒にいたのよ。二人とも上手く隠してきたものね。まさか近衛総隊長さまとそのお側つきの侍女がいい仲だなんて誰も疑わないものね。私って間抜けだったわ」
そうとも知らずに、私は彼女を夫のもとにせっせと通わせていた。宮殿に泊まりこんでまで仕事をしている彼に、身の回りの世話をする者がいないと不便だろうと、余計な気を回したのは私だった。
可愛い盛りのノアは、私が自分から離れることを嫌がっていたし、夫の世話を信用しているアンナにならと任せたのが悪かった。ふたりに裏切られるだなんて考えてもみなかった。
「私って馬鹿ね。ふたりを浮気に追いやったのは私じゃない」
二人がくっ付くきっかけを自分が作ってしまった。落ち込む私の手に大きな手が被さってきた。
「そんなに自分を責めるなよ。おまえが悪いわけじゃない。おまえが優しい事をいいことに、非道なことを仕出かしたのはあいつらだ」
「フィー」
「おまえは全然悪くない。アントンの馬鹿野郎は何をやっているんだか。ノアとおまえを置いて他の女と出て行くなんて、正気の沙汰じゃない」
フィーは私の為に、憤りを隠さなかった。
「ありがとう。フィー」
「そこは怒っていいところだぞ。ユーリ。あいつはおまえに離婚話を持ちかけてきていたし、上手く行けば、おまえを屋敷から追い出してあの女と再婚する気でいたのかもしれない。恐らく相手の女に何か言われて絆されたみたいだけど、その上、駆け落ちだなんて馬鹿にしている」
残されるおまえらのことをあいつは何も考えていないんだ。と、フィーは私達の為に怒ってくれた。それが嬉しかった。
夫に離縁されるだけでも、既婚女性には不評がついて回る。その上、駆け落ちされただなんて知れたなら、私はよほど魅力のない女性だったとして失笑を買うだろう。それは仕方ないとしても、ノアにはこのことをどう伝えたら良いのかと思った。
ノアは父親が大好きなのだ。その父が自分達を置いて他の女性と駆け落ちしただなんてなんと彼に伝えればいい? 答えが分からなかった。
「どうしよう。これからどうしたらいいの? ノアはきっと悲しむわ」
「大丈夫だ。今頃きっと将軍のもとへ連絡が行っているはず。将軍がなんとかしてくれる」
「お義父さまに? そうね。そうよね」
気持ちが急く中、フィーが落ち着けと手を握り締めてきた。アントンが仕出かしたのだ。その父親である舅のもとに執事が知らせを送らない訳がない。しばらくして気持ちが落ち着いて来ると、今度は屋敷にいるノアの事が心配になってきた。
「私、帰るわ。今までありがとう。フィー」
「遅いから送ってくよ」
フィーは立ち上がる私に手を貸してくれた。