◇ララの失恋~今年の聖夜はツリーハウスで~
「ノア。お帰りなさい」
「ただ今帰りました。お母さま。ララ」
「おにいさま。はつこいってなあに?」
寄宿学校が冬休みに入り、屋敷に帰ってきたノアは、一面雪景色に染まった屋敷を前に、母親と出迎えに出た妹から、いきなり投げつけられた言葉を前に固まった。
「ララ。何を言い出すの? まずはお兄さまにお帰りなさいでしょう?」
「あ。ごめんなさい。おにいさま、おかえりなさい」
「ノア。寒かったでしょう。さあ、中に入って」
母ユリカの言葉で屋敷の中へと入ると、談話室は暖炉の温もりに包まれていた。
「今夜はあなたの好きなビーフシチューを用意させているわ。楽しみにしていてね」
「本当? 嬉しいな」
「おにいさま。わたしね、クッキーやいたの。あとでたべてね」
「後でなの? 僕は今たべたいな」
「じゃあ。いま、しょくどうからもってくるね」
ノアの最愛の妹ラウラは、彼が8歳の時に産まれた。もうじき8歳になる。父親譲りの赤味かかった髪に、焦げ茶色した瞳をくるくると輝かせて、談話室を飛び出して行く。それを見送りノアは聞いた。
「お母さま。ララの言っていた初恋って?」
ノアは16歳。ラウラは8歳。自分から見ればまだまだ幼い妹。恋愛なんてまだ早いと思うノアに、ユリカは苦笑しながら告げた。
「あの子、昨日グリシナ殿下のお茶会に招かれて喜んで出かけて行ったのよ。その時に何か聞いてきたのかも知れないわね。参加していた子は、殿下と同い年の子ばかりと聞いているから」
女の子は意外と早熟なのよ。と言う母に、ノアは戸惑いを隠せなかった。グリシナ殿下は、この国の第二王女で現在14歳。母親は側妃でユリカの実姉。その縁でノアやラウラは幼い頃から、側妃の娘である二人の王女殿下の遊び相手として、後宮へ招かれることが多かった。
ノアは年の近い第一王女マグノリアと、読書の話しで盛り上がることが多く、主に第二王女と接していたのはラウラの方。グリシナ殿下の方がラウラよりも6歳年上なので、遊び相手と言うよりは、遊んでもらっていたと言うのが正しいかも知れない。
「おにいさま。おまたせしました」
ラウラが、トレイに乗せたクッキーを運んできた。後ろにはさりげなく侍女が付き添っている。恐らくラウラが自分で運びたいと言いだして、侍女が手元の怪しいラウラを補佐しているのだろう。
この屋敷内では、ノアを始め、ラウラがやりたいと行ったことを頭ごなしに止める大人はいない。女主人であるユリカは、子供が興味を覚えたことは、何でも危ないと取り上げるのではなく、まずは本人に経験させてみるという方針を掲げているからだ。
それでも本人一人では手に負えないときには、誰かしら大人が付き添い手伝うようにしていた。
「ウサギさん、クッキーよ。どうぞ、めしあがれ」
「へぇ。これをララが? 上手く焼けているね。うん。美味しい」
「そうでしょう。ラウラね、おにいさまのためになんかいも、れんしゅうしたもの」
ラウラは、ノアの前にウサギの顔したクッキーを乗せたお皿を自慢げに差し出すと、三人がけのソファーに腰掛けているノアの隣に座ってきた。ユリカが向かい側の一人掛けのソファーに腰を下ろすと、侍女がお茶を入れ始めた。
「さっきのはつこいって何のこと? ララ」
「グリシナでんかのはつこいのひとが、おにいさまだってきいたの」
妹の手作りクッキーを頬張っていたノアは、にこにこと笑いかけてきたラウラに向かって、吹き出しそうになり、慌ててそれを飲み込み喉に詰まらせた。
「大丈夫? ノア」
「だ、大丈夫……」
咽せるノアの様子に、思わず席を立ち上がり掛けたユリカだったが、ノアに平気だと手で制されて再びソファーに座り直した。
「それは秘密の話だと、グリシナ殿下から言われなかったかしら? ララ」
「あ。いけない。いっちゃった……」
ユリカは軽くラウラを睨む。ラウラは慌てて口を押さえた。妹を溺愛しているノアにとっては、その仕草さえ愛らしくて、何でも許してしまいそうになるが、それはグリシナ殿下にとっては、秘密にしておきたいことだったらしい。
母の様子から、すでに側妃殿下から、何かしら話を聞いていたのかも知れないが、ノアは知らなかったことにした方が良さそうだと察した。
「じゃあ、僕は……、いや、お母さまと僕はその話は、聞かなかったことにするね」
ノアは苦笑した。ノアにとってグリシナ殿下は、マグノリア殿下同様に、従妹で幼馴染みという感覚でしかなかった。特別な感情を抱いたことがなかったので、そのような対象に思われていたとは心外だった。
「はつこいって、なあに?」
「初めての恋ってことだよ」
「おにいさまも、はつこいした?」
妹の質問に真面目に答えると、思わぬ質問がきてノアは目を泳がせた。
「それは……」
「ララ。そう言うお話は、人によっては話したくないこともあるの。お兄さまだってなかなか言えないこともあるのよ」
「ララには、いえないこと?」
ユリカが窘めようとすると、ララが上目遣いでノアを見てくる。ノアは参ったなと頭を掻いた。
「ああ。わかった。リーさまね?」
「あ。うん……」
ラウラの言うリーさまとは、ノアの許婚のオリガの愛称だ。彼女は辺境伯令嬢で、ノアが学園を卒業する二年後に婚姻する運びになっていた。政略結婚相手の彼女とは、初対面から気があった。お互い異性の中では、一番大切な相手だと認識している。
彼女と会えるのは年に何回かだけども、会えば会うほど彼女の良さが知れて、別れるのが寂しく思われるほど心惹かれている。これが後にもっと特別な感情へと変化するのは当然な気がしていた。
「やはりね。ララはね、てんしさまよ」
「天使さま?」
8歳の妹は夢見がちだ。恋愛なんてまだまだ先のことらしい。天使さまだなんて空想上のものを言い出したのだから。ララは可愛いなと見つめていたら、母親のユリカの言葉で忘れていたことを思い出した。
「ああ。二年前のシルヴィオくんだったかしら? 確か旅行の途中でお友達に置いて行かれたとかと言っていた彼ね」
「そうそう。てんしさまなの」
「彼は銀髪に紫がかった青い目をした、美人さんだったものね」
「はじめてみたときね、おむねがドキンとしたの」
「あらあら。ララはおませさんね」
「ララの初恋って、えっ? シルヴィオくんなの?」
ユリカは微笑み、ララは照れくさそうな顔をする。それを見て、ノアは頭を金槌で殴られたような衝撃が走った。それと同時にあることを思い出した。
昨年のクリスマスにも、ラウラはツリーハウスに行きたがった。そして何かを待っているような素振りを見せつつも、一晩明けると気が済んだような顔をしていたのだ。
翌朝、枕元に置いてあったプレゼントを見て喜んでいたものだから、てっきりサンタクロースに会えるのを楽しみにしていたのかと思い込んでいた。でも、違っていたようだ。きっとラウラはサンタクロースではなく、天使さまの訪れを待ち詫びていたのだ。
「ララ。残念だけど彼は……」
「わかっているの。てんしさまとは、すむせかいがちがうもの。もう、あえないって」
ノアは、あの彼に危険なものを感じていた。影の者のような独特な雰囲気が感じられて、そのような相手にララを近づけさせたくはない。残酷だけど彼のことは、忘れた方が良いと言おうとした時だった。先にラウラに言われてしまった。
「グリシナさまもいっていた。はつこいはみのらないって」
そう言うラウラは一瞬、大人のような表情を見せたかと思うと、すぐに普段のあどけない顔に戻った。
「てんしさまは、とおいおくににいるのだもの。めったにこちらがわには、くることないよね? ララはね、こころのなかでおもっているだけでいいの」
「ララ……」
思いがけない妹の告白に、ノアは何も言えなくなった。ラウラは、シルヴィオを天使さまと揶揄しているが、もしかしたら本当は、異国の訳あり貴族子息だと分かっているのかも知れない。
「ララ。今年もクリスマスに、あのツリーハウスに行こうか?」
「おにいさま?」
「また、一緒に星の数を数えて過ごそうよ」
「うん。ありがとう、おにいさま。だーいすき」
ラウラがしがみついて着たので、ノアは抱き返した。まだまだ何も知らない子供だと思っていたのに、ラウラも少しずつ成長してきているのだ。
──はじめてみたときね、おむねがドキンとしたの。
先ほどラウラが言っていた感情に、ノアも覚えがあった。そして当時は、子供である自分が悔しかった。早く大人になりたくて仕方なかった。
──初恋は実らない。
その通りなのかも知れない。ラウラの頭を撫でていると、向かい側の席で、継母のユリカがあの日のように優しく微笑んでいた。
──あなたがノアくん? わたしはユリカ。あなたのおかあさんになるわ。よろしくね。
当時のノアは6歳。異性として生まれて初めて意識したのは、継母となるユリカだった。しかし、彼女の一言で淡く芽生えかけたその想いはすぐに霧散した。意識したと同時に失恋したのだ。
母親になる女性に一目惚れをして、その日のうちに失恋しただなんて、今となれば恥ずかしい思い出だ。このことは誰にも話せずにいる。信頼している義父のフィオンにも言えない秘密だ。この先、きっと明かすことはないだろう。
でも、失恋経験者として、初恋に破れた妹を甘やかすことぐらいは許して欲しい。今年もツリーハウスでラウラと二人、そこにネグロ三世も交えて、楽しい聖夜を過ごそうと、ノアは早くも頭の中で計画を立て始めた。
妹ラウラの初恋相手については、あらすじにヒントがあります。
※次の作品は「世にも稀なヒロイン病になってしまいました。処方箋は真実の愛って嘘でしょう?!」を投稿予定です。こちらもどうぞ宜しくお願い致します。




