バナナの皮の国
男の手から零れ落ちて、バナナの皮は命を得た。
べたべたのフローリングの床の上に落ちて、カーテンの隙間から漏れる太陽の光に晒されたバナナの皮は悶えるように動き出す。それは太陽の光に当たり続けると身体中に斑点が現れ始め、腐って死んでしまうことを本能的に知っていたからだ。
三本足に裂かれたバナナの皮は初めどう動くべきか分かっていなかった。立っては転び、立っては転びを繰り返す。それはまるで生まれたての小鹿のように震えたぎこちない動き方だった。
しかし、次第にバナナの皮はその身体に最も適した身体の動かし方を試行錯誤し、タコのように三本足をうねるように動かす身体の動かし方を会得した。
三本足で身体を持ち上げて立ち上がり、視点が上がることによってバナナの皮は自分だけではないより広い世界の存在を知ることが出来た。
そして、自己と他を区別するための意識を得たのだ。
目の前に広がる世界は一人暮らしの男が住むゴミ屋敷の小さなアパートであったが、バナナの皮にとっては太陽から隠れる場所が多くあるため生きるには適した世界だった。
バナナの皮は移動を始める。
太陽からの逃避行だ。
しかし、カーベッドの草原を横断し、積読された本の谷を進んでいるとバナナの皮の逃避行には早速終わりの気配が見え始めた。
谷の上空を耳障りな羽音をまき散らしながら飛び、バナナの皮を偵察するハエと積まれた本と本の隙間をカサカサと足音を立ててはい回り、こちらを狙うゴキブリが現れたのだ。
バナナの皮は彼らが自分の身体に僅かに残った果肉のカスを舐め、皮を喰らおうとしているのだと理解した。
だが、理解した所でどうすればいいのだろうか。
生まれ立てのバナナの皮に彼らから逃げるほどの足はなく、彼らと戦う手段もない。
それでもバナナの皮には逃走以外の選択肢はないが、逃げ切ることは出来ない。
バナナの皮の身体にハエが急降下して張り付き、振り払おうとすると一瞬で上空に逃げて行く。バナナの皮の状態を探り、疲弊させようとしているのだ。
何度もハエを追い払っていると、バナナの皮はハエを追い払う気力も失ってゆく。少し身体を舐められてようやく身体を震わせて追い払う。
そうなると、ゴキブリも観察を終えて、参戦してくる。
ゴキブリはハエのように疲弊させるようなことはしない。一気に襲い、一気に喰らう。食べ残しをハエが舐めとるのだ。
本の隙間から超速の突進によって、バナナの皮を押さえつけて口を大きく開ける。
ああ、ここまでだ。とバナナの皮は諦めて、目を瞑る。
しかし、幾ら経っても覚悟していた痛みは来ない。薄目を開けると、押さえつける力を失い痙攣しているゴキブリが見えた。背中にはつまようじが刺さっている。死にかけのゴキブリをバナナの皮は足を使って押しのける。
押しのけられ裏返ったゴキブリの腹に更に二本のつまようじが突き立てられる。
突き立てたのは三人のバナナの皮だ。二本の足で立ち、残った一本の足でつまようじを巻き付けるように持っている。
身体の動かし方は熟練していて、集団で狩りを行う技術はまだ生まれ立てのバナナの皮にはないものだった。
ゴキブリが倒れると、ハエは積読の谷の向こうに逃げていった。
三人のバナナの皮たちは新入りのバナナの皮が立つことに手を貸すと、彼らの住処である不用品の山のポテトチップスの袋の洞窟へ招待する。
幸いにも怪我はなく、襲われて疲弊したバナナの皮も次第に体力を回復し、三人だけではなく十数人も居たバナナの皮たちにこの世界を生き抜く方法を学び始める。
ハエやゴキブリから身も守る術。より素早く身体を動かす方法。つまようじを操る技術。円を囲んで話し合うための作法。自分を生み出したあの男に捕まるとゴミ箱という恐ろしい場所に連れていかれるということ。
バナナの皮たちは仲間で集まり、集団で身を守り、情報を教え合うことによって一人で生きるよりも長く生きることを可能にしていた。
すると、バナナ好きの男から生み出される生きたバナナの皮が増える。それは長く生き残ることを可能にしたバナナの皮たちが避けようがない自然の腐敗によって死んでいくよりも新たに仲間になるバナナの皮の方が多くなるということである。
必然、ポテトチップスの洞窟には入りきらなくなる。
円を囲んでバナナの皮たちは話し合う。そして、バナナの皮たちはポテトチップスの洞窟からより広く、太陽の光も避けられるベッドの下に移住することを決めた。
ベッドの下でも死者より加入者が多く、バナナの皮たちはその数を増やしていった。
すると、みんなで円を囲んで話し合うことは難しくなってくる。
バナナの皮たちは彼らの中から当時最も強く、理知的だったバナナの皮を選び出し、そのバナナの皮に王の称号を与え、全ての決定権を与えた。
王の称号を与えられたバナナの皮は話し合うよりも素早く、正確な決定を行った。
バナナの皮たちは一人に全てを預けることが不安だったが、上手くいっていたために自分たちの編み出したこの方法に満足していた。
時は流れ、王になったバナナの皮は身体中に斑点が現れて行き腐って死んだ。
王になったバナナの皮は死ぬ前に次の王に側近のバナナの皮を推薦した。他のバナナの皮たちも王の右腕として働いた実績もあり、王の次の理知的だったバナナの皮ならば大丈夫だろうと次の王にはその側近が選ばれた。
しかし、王の地位は代を経るごとに、推薦と話し合いが混同され始め、話し合いもせずに推薦だけで王が決められるようになっていった。
これは国民であったバナナの皮たちの安寧による思考の鈍化であり、怠慢であった。
すると、王に取り入り、気に入られる才能はあるものの王として必要な才能のないバナナの皮が王になることが増え始める。
そうなると大変だ。国民であるバナナの皮たちを守るために存在していた王が他のバナナの皮を支配し、強制労働させるための存在へと変わってしまったからだ。
当代の王であるバナナの皮は親しいバナナの皮に地位を与え、働くことを免除した。
対して、国民であるバナナの皮たちには本来ゴキブリやハエから国民を守るために存在していた軍隊を用いてベッドの下だけでは足りなくなった土地を拡張するために糸や布を用いて影のある土地を広げるための労働を強制した。
その労働は過酷を極めた。無理矢理に酷使されたバナナの皮たちの多くは太陽の光や過度の運動によって身体中に斑点が現れたり、糸を貼っている最中に足を切ってしまうバナナの皮もいた。
バナナの皮たちはようやく立ち上がり軍隊を倒し、王に反旗を翻す計画を立て始める。
奴隷根性の染み付いたバナナの皮たちの心に反逆の意志を植え付け、軍隊にばれないように一斉に反乱を起こす日付を決める。
そして、耐えに耐えた反逆の日が訪れる。
全ての決定権を王を持つことは間違っていたのだ。再び、私たちの決め事は私たちの話し合いで決めるようにしなければならないと叫んで軍隊を数の暴力で制圧し、王の元へ殴りこむ。
すぐに捕まった王とその親しく地位を与えられたバナナの皮たちは太陽の光の下でつまようじで三本足を固定される日炙りの刑に処された。
そして、バナナの皮たちは再び話し合いで決定する時代に舞い戻ったのだ。
なんという無駄な回り道だったのだろうか。なんという無駄な時代だったのだろうか。
いや、違う。今後の人口増加に耐えられる土地を手に入れた。失敗に対する教訓も手に入れた。そして、文化だって手に入れた。
まだ腐敗の根が深くない頃、働く必要のないバナナの皮たちによって多くの文化が生まれたのだ。
その中でも、美意識の文化は格別だ。
バナナの皮たちは腐ってゆく間際に身体に現れる斑点の数と形に美を見出したのだ。わざと太陽の光に当たり、斑点を身体に出そうとした若いバナナの皮も現れ、当時の王が禁止するほどだった。
その美意識や他の文化の多くは王制によって生まれ、王制の滅んだ後もバナナの皮たちの中に残るだろう。
だから、決して無駄な時代ではなかったのだ。
新しい体制になり、バナナの皮たちの決して再び王を生み出してはならないという決意は大変だとしても全ての決め事を話し合いによる全員一致で、それが不可能な場合は多数決で決めるシステムを作り出した。
そのシステムのおかげでその体制は王が支配していた頃の何倍も続き、繁栄した。
しかし、何事にも終わりは存在し、終わらないものは存在しないのだ。
バナナの皮の国に終焉をもたらしたのは、何時もの様にゴキブリやハエに襲われている所を助けられたバナナの皮であった。そのバナナの皮には少し他のバナナの皮とは違う所があった。そのバナナの皮は他のバナナの皮は三本足であるのと違い六本足だったのだ。
ただ、バナナ好きの男の手が滑って余計に裂いてしまっただけなのだがバナナの皮たちにそんなことを知る術はない。
六本足に裂けたバナナの皮は一本の足の太さが半分のため、人並みの力を出すことが出来なかった。
国民たちはそんなバナナの皮の不幸を嘆き、立ち上がり歩くことすら難しい非力なバナナの皮のために手厚い保護をしてあげたのだ。
ここまでは良かったのだ。不幸なバナナの皮を心優しき国民たちが救うここまでは。
しかし、ここより先はその優しさが向かうべき方向を見失い、バナナの皮の国の運命の歯車が少しずつ噛み合わせを乱していく。
六本足のバナナの皮の国の生活に慣れてきた頃、誰かがあのバナナの皮はやっぱり何て可哀そうなのだろうと嘆いた。そして、そのバナナの皮は六本足の痛みを理解しようと自らの身体も六つに引き裂いたのだ。
近くにいたバナナの皮たちはその異常な行動にまず嫌悪を示した。
可哀そうなことは分かるが、何もそこまですることはないではないかと。
しかし、それを見た僅かなバナナの皮たちはその痛ましい自己犠牲に恍惚とした感情を抱いたのだ。
そして、その僅かなバナナの皮たちも自らの身体を六つに裂いたのだ。
だが、その感情は最初に身体を六つに裂いたバナナの皮とは異なるものだった。酷く独りよがりで、どす黒いほどの自己中心な感情からの発露によって行われた行為だった。
勿論、ほとんどのバナナの皮たちは感情を慮る余裕もないほどその行為を拒絶した。そして、身体を六つに裂いたバナナの皮たちとは距離を置いて暮らすようになった。
拒絶を感じ取った六本足になったバナナの皮たちは無理矢理生まれつき六本足だったバナナの皮と最初に身体を裂いたバナナの皮を連れ去ってポテトチップスの洞窟に住み始めたのだ。
しかし、これだけでは終わらない。離れて暮らせば済む話なのだが、離れて暮らせば済む話ではないのだ。
なぜなら、六本足のバナナの皮たちはわざわざ山から下りてきて三本足のバナナの皮たちを口撃し始めたからだ。
三本足のバナナの皮たちは他者の痛みを理解し、共有しないろくでなし共だと言い、全員が身体を裂いて六本足になるべきだと言い始めたのだ。
それに恐怖した三本足のバナナの皮たちは更に警戒し、離れて暮らすようになった。だが、心の距離が離れるほどに六本足のバナナの皮たちの口撃は激しくなっていく。
遂には六本足に捕まると、身体を六つに裂かれるという噂が流れるほどになった。
それは噂でしかない。やったという証拠はない。しかし、やっていない証拠もないのだ。
もしかしたら、六本足たちは一人ぼっちの三本足のバナナの皮を捕まえては六本足に引き裂いているのかもしれない。もしかしたら、六本足たちは口撃だけで噂のような凶行はしていないのかもしれない。
しかし、口撃が勢いを増す度に噂は大きくなり、恐怖が三本足のバナナの皮たちを支配する。
そして、ある日それは弾けた。一人の三本足のバナナの皮がいなくなったのだ。
恐怖に駆られた三本足たちは六本足たちの仕業に違いないと考え、六本足をこの世界から消してしまわなければならないと六本足たちの根城のある不用品の山の洞窟に一気呵成に攻め込んだ。
身に覚えのない六本足たちは数で劣り、非力ながらも山にある隠し通路と本数では勝る六本の足を巧みに用いて、幾本ものつまようじを一度に持ち三本足たちを攪乱し戦う。
しかし、六本足たちは三本足の圧倒的な物量に押され、じりじりと後退していく。
三本足たちは勢いに乗って六本足の本拠地であるポテトチップスの袋の洞窟まで雪崩れ込む。
そこで三本足たちが見たものは、六本足の連れ去った生まれつき六本足だったバナナの皮と最初に身体を裂いたバナナの皮の明らかに六本足たちに殺された死体であった。
二人は自分の望むものはこんなことではないと逆らって殺されたのだ。
そんな二人のバナナの皮の死体を六本足たちはイコンとして保存していた。
雪崩れ込んだ三本足たちはその醜悪な光景に思考も動きも一瞬停止する。
その隙をついて六本足たちは二人の死体ごと三本足たちを不要品の山を支えていた支柱をずらし、山を崩落させることで生き埋めにした。三本足たちの全員が崩落の下敷きになって命を落とした。
六本足たちも巻き添えで生き埋めになったが、狂信者にとってそれは些細なことでしかない。
攻め手に加わらず、ベッドの下で三本足たちの帰りを待っているのはかつての強制労働によって腐りかけたり、身体の一部が無くなっているバナナの皮とまだ身体の動かし方になれていない新入りのバナナの皮であった。
彼らが幾ら待っても三本足たちは帰ってこない。
ゴキブリやハエたちは多くのバナナの皮が住んでいたためにベッドの下に近づかなかったが、こうなると話が別だ。近頃、バナナの皮を食べられていなかったうっぷんを晴らすように大群でベッドの下に集まり、まともに戦うことも逃げることも出来ないバナナの皮たちを喰らい尽くしたのだ。
そうして、バナナの皮の国は滅んだ。
その終わりの風景を見たのは六本足たちに捕まり、いなくなったと考えられていたバナナの皮だった。
その少し放浪癖のあるバナナの皮が旅からベッドの下の国に戻って来ると全てのバナナの皮が身体を齧られ、斑点だらけの真っ黒な死体に変わっていた。
生き残ったバナナの皮は点々と死体が続いている六本足たちの住んでいた不用品の山へと向かう。
崩落した不用品の山の隙間を駆けずり回って生き残ったバナナの皮を探すが、三本足も六本足も不用品に押しつぶされているか不用品に挟まれて太陽の光に晒されたり、ゴキブリやハエに食べられたりして全員が死んでしまった後だった。
生き残ったバナナの皮は滅んだ国を後にする。
その後、そのバナナの皮がどうなったのかは分からない。
一人で何処かで野垂れ死んでいるかもしれない。太陽に焼かれてしまって死んでしまっているかもしれない。ゴキブリやハエに食べられているかもしれない。男に見つかり、ゴミ箱に捨てられているかもしれない。
もしかしたら、再び国を作り始めているかもしれない。
ただ、それはまだ見ぬ未来の物語だ。




