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6皿目 手巻き寿司

「海苔よーし、酢飯よーし、具材よーし」


「ノリノリだな。そんなに楽しみだったのか?」


「まあね、こんなことすることがまずないから新鮮でさ」


 食材たちを前にしてそんなことを言っている藍斗。「まっ、おひとりさまでやってる姿とか悲しくない?」と、自嘲ぎみ。


 他の客はまだいない。むしろいてもらっては困る。


 店先には暖簾はかかっていないし、赤提灯だってついてない。


「それにしても珍しいね。おっさんが俺に手伝いを頼むなんて」


「これが1人や2人分だったら別に1人でやるんだが、まあ、これだけの量の酢飯を1人でって方がアレだろ? お前を手伝いに選んだ理由はアレだ、言い出しっぺの法則」


「まあ、この量だからな。たしかにそれもそうか、そうだな。うん」


 その会話に、さっきまで続いていた「かき混ぜるだけ」という重労働を思い出し、未だにジンジンとした痛みの引かない自身の二の腕に手を当てる。


 いったいどれだけの酢飯を作ったのか。それが何合なのか、何人前なのかは藍斗には知る由もなかったが、ものすごく多かったことはたしかであった。






 数日前のこと。開店間もなく、男2人の会話から始まった。


「ねえねえおっさん、最近暑いと思わない?」


「たしかにまあ、暑いな。夏だし。だからクーラー入れてるんだろ?」


「そういうことじゃなくてさあ、ほら、雰囲気的なさあ……」


 末尾につれ、だんだんとデクレッシェンドのかかっていく声量に、最後の方は遼平に届いていたか疑わしい。


 たぶん聞こえていなかったのだろう「なに言ってんだ」というような呆れた顔の遼平。


「遼平さん! 流しそうめん!」


「ん? ああ、わかった」


 まさか本当に通るのか。と、藍斗は驚き半分、嬉しさ半分の心持ちだった。


 藍斗は席に座ったまま。けれど、ウズウズしているのが丸わかりで「ソーメン! ソーメン!」なんか言いながら、まるで子供のように待っていた。






「………………」


「どうした?」


 流れてくるそうめんに、まさか水流に箸さえつけずにスルーしていた。そうめんが藍斗の前を7、8度通ったくらいのとき、流石に気になった遼平がそう聞いていた。


 顔はどんより暗い。さっきまでの子供のような待ちはどこへ行ったのか。


 言われて箸を初めて水流につけ、流れてきたそうめんを掬い取った。

 左手に持っていた容器、中には黒色しためんつゆの入った、背丈の低いコップ状の容器の中に箸を入れた。


 そうめんをめんつゆにくぐらせ、つるつるつるっと啜った。


 けれども藍斗の顔は依然として暗いままで、むしろさっきよりも青みが増しているような気がしないでもなくて。


「次……入れるぞ?」


 遼平が恐る恐るそう聞きながら、そうめんを少量流し込む。


 水流に流されたそうめんは、呆然としていた藍斗の前を通って流れていった。




 そして数秒後、そうめんが()()、藍斗の前に流れてきた。


 遼平が新しいのを入れたわけではない。またもスルーされたそうめんはそのまま横へ流れていき、くるっと90度、方向転換。藍斗から見て奥向きに流れ、方向転換して――


 またも、藍斗の前へと流れてくる。


 2人しかおらず、誰も口を開かない、開こうとしない店内はもちろん静かで、そのためか、ウィィィンというモーター音がやけに際立って聞こえる。


 さっきは見逃してもらった――というか無視されたそうめんだったが、今度は黙ったままの藍斗に掬われる。さっきと同じようにめんつゆにつけて、つるつるつるっと啜る。


「それじゃあ次、入れ――」


「違くてっ! こうじゃなくってさっ!」


 ガタンッと立ち上がり、若干叫び気味の声。呆気にとられた遼平と、怒りとか落胆とか、今の感情の表し方に困りきっている藍斗。


「いろいろ聞きたいんだけど、まずこれなに!?」


 青色と白色の、プラスチック感満載の見た目をした機械。長方形の辺をなぞるように窪んでいる溝には、さっきまでそうめんを流していた水流がぐるぐると流れている。


 それを指さしながら、藍斗が大きな声でそう言っていた。


「ん? それはアレだ。流しそうめん機。1人用」


 大きな声には全く臆さず、平然とした声でそう答えていた。


「なんで流しそうめん()なんだよ! 流しそうめんっていったらほら、竹を半分に割って、節を抜いて……」


「ああ、なるほど。ああいうのをイメージしてたのか。アニメとかでよくあるやつ。無理だぞ。考えろよ、店の広さ」


「ごもっともで。だからできるのか!? ってビックリしたんだよ」


 大きくため息をついて、藍斗は席に座る。


「で、それじゃあ食べないのか? そうめん」


「いや、食べる。ちゃんと流してくれよな」


 流すんだ、ちゃんと。と思いながら、流しそうめん機にそうめんを流す遼平だった。






「なあ、おっさん。なにかしたい。みんなでできるようなこと」


「春に行ったろう? 山に山菜とかキノコとか」


「いや、たしかに行ったけど。行ったけどさあ、ほら? あのときは春じゃったじゃん? いま夏じゃん? なにかしたいじゃん?」


「それに3の倍数月は菓子デーあるし」


「たしかにそうなんだけどさあ」


 お前は常になにかしら騒いでないと落ち着かないのか。と、遼平が洗い物をしながら呟く。


「うーん、おっさーん。なにかいい案なーい?」


「俺に聞くなよ……お前が勝手にやりたいんだろうが」


 ぶっきらぼうにそう言うが、逆に「そう言っても結局は手伝ってくれるあたりツンデレだよね」と藍斗がからかう。


「やるなら盛大に、普段やれないようなことしたいよねー。普段やれないようなこと……」


 なにかブツブツ言いながら藍斗は指を1つ2つと折っていった。


 7つ目の指を折ったところで、バッと勢いよく顔が上がる。


「おっさん、手巻き寿司パーティしよっ!」


 かくして、手巻き寿司パーティが開かれることとなったのである。






「お邪魔しま――わあっ、すごい!」


「え、水鳥なになに?」


「ちょっと早く入ってよ、私らに見えないじゃない」


 6時過ぎ、とりあえず3名来店。


 水鳥と、残り2人は藍斗も遼平も、見覚えのない女性客。


「あ、遼平さん、連れてきちゃいました」


「連れてこられましたー! へへへー」


「ちょっとひたき、アナタまさか集合前に酒呑んでないでしょうね?」


「呑んでない呑んでない。缶ビールを1本、こうクイッと煽いだだけだから」


「呑んでんじゃん!」



 水鳥の後ろにいた2人はそうやって言い合いをしている。


「ああ、えと、紹介しますね」


 水鳥が遼平と藍斗に向かってそう言う。


「今酒の入ってる方が鶲で、入ってないほうが亜美つぐみです」


「前に言ってた同僚さんでいいのかな?」


「お、はい。そうです」


 以前、遼平がこの手巻き寿司パーティーのことを水鳥に話したとき「同僚の子も連れてきていいですか?」と言っていた。2人とも独り身らしく、パーティーすることも滅多にないらしかった。


 そしてその同僚2人はと言うと「あんたすぐに酔うんだから呑んでくるなって言ったでしょ?」「いいじゃん別に1本くらい。あとで呑むんだからさー」「あとで呑むんだから我慢しなさいよそこは」などと未だに口論を続けている。


「仲……いいんだな」


「えっと……止めてきます」


 水鳥が2人の間に入って、そこで口論は一旦止まる。


「2人とも、今日はご飯食べに来たんだからね。お客さんは他にもいるんだからケンカはやめなさいよ」


「まあ、とりあえずこっちにおいで」


 3人のやり取りに、少し子供っぽさを感じて小さく笑う。そんな遼平が先導しながら、案内する。


「さすがにカウンターだと手巻き寿司パーティーするには狭すぎるなーってことで」


「俺の案で、おっさんに奥の部屋開けて貰った」


 女性陣3人は「奥の部屋?」と詰まるが、水鳥だけはすぐに理解する。


「遼平さん、解体部屋の呼び方統一しません?」


「うーん、俺は別に不便してないんだが、やっぱり混乱するもんなのか」


 常連と非常連とで完全に話についていけているか否かが別れたが、水鳥の「解体部屋」という言葉に2人の血の気が一瞬引いた。


「あ、ああ、解体部屋ってのはおっきい魚とか捌いたりするから私が勝手に呼んでるだけで……」


「他にも長期の熟成とか発酵とか必要な料理のときに使ったりしてる」


 別に人とかは解体しないから安心して。と、藍斗が付け足すが、多分それは必要ない付け足しだったと思う。冗談で言っていてもタチが悪い。


「ほら、好きに食べてきな。足りなくなったら適宜追加するから安心して」


 大きな机の上には酢飯の入った桶、刺し身が盛り合わせられた大皿、ツナサラダやらコーンサラダやら。

 様々な具材が乗っていて、そしてなにより目を引いたのが、これでもかというほどに山積みになった海苔だった。






「手巻き寿司ってどうやるんでしたっけ?」


 水鳥は海苔と杓文字を持ったところで固まる。よく考えたら久しくやっていない。


「まあ、特にやり方とかないけど、酢飯を真ん中かそれより四隅のうちの1つに偏るように乗せてその上に具材。向かい合ってる角を酢飯につけるようにして巻くって感じかな」


 あと、酢飯が多すぎると巻けなくて海苔が破れる。相変わらず遼平の説明は淡々と行われる。


 やり方を把握したからか、そこからは早くて3人は各々好きなように食べていた。


 ところで客の中で動いていないのは1人。なぜか藍斗はまだ食べようとしない。言い出しっぺなのに。


「食べないのか?」


「うーん、なんかあそこに1人入っていくのは若干気が引けるっつーか、男1人は辛いってか」


 苦笑いの模様。まあ、遼平もわからなくもなかったので苦笑いが伝染うつる。


「まあ、あともう少しすりゃ男性客も来るだろうし、それよりかお前、今日は彼女呼んでるんだろ?」


「ああ、だから今はあいつ待ちなんだよ。果穂がいりゃあまだ入りやすいっつーか」


 余ったキュウリをポリポリと齧りながら藍斗はそう言っていた。






 1時間もする頃には結構人が集まってきていた。最初の3人はカウンターの方に来て休憩、藍斗や果穂、それ以外にもあとから来た客らが今は食べている。


「ああ、また破れた」


「だから藍斗くんは酢飯入れすぎなんだって。もっと少なめで作らないと」


「遼平さん、ビール!」


「こっちは日本酒ー!」


 なんだかすごく賑やかになっている。休憩組も休憩組でなにやら話し込んでいるようで、


「で、鶲ったらあの先輩にさー」


「ちょっと亜美! 言わないでってば」


 ビールと日本酒を持って、遼平は早々に奥へと向かった。この手の話はするのはもちろん、ただ聞くのも苦手だった。


「はい、ビールと日本酒、お待ち」


「ありがとうね、んっごくっごくっ」


 男性客はビールを受け取るや否やジョッキの半分を一気に飲み干す。

 頼むから急性アルコール中毒で倒れないでほしい。


「うーん、俺もちょっとだけ食べていこうかな」


「お、どうしたの? おっさんが珍しい」


「いや、まあな」


 こういった場で基本的には料理を食べない遼平だったが、その虚ろな目はカウンター席の方を向いて語る。


「向こうの方から、すごい不穏な会話が……」


「なるほどね、把握」


 不穏な会話――すなわち恋バナ。

 客の中でたまに酒が入ったときに開始する人たちがいるが、そのときの遼平は極力それらに関わらずに巻き込まれないようにして逃げる。

 そうしてでもなお巻き込まれたのなら、それはもう覚悟するしかないが。


「たしかに戻りたくないわな」


「痴話喧嘩を繰り広げられる方がよっぽどマシだわ」


 2人の間でなにか共通するものがあったらしい。互いの顔を見合わせ、小さく息を漏らす。


「じゃ、俺は全部乗せ目指すか」


「いや、無理だろ。量的に。また巻けなくなって海苔が破れるぞ?」


「酢飯の量を減らせばワンチャン……ないか」


「ないな。具材だけでも破れる」







 その頃一方で不穏な会話はというと、


「ところでさ、水鳥はどうなのよ?」


「え、私? あ、えと、その」


「店主さんなんでしょ?」


「ふええええええっ!? なんで、なんで!?」


 酒のせいか。いや、どう考えても会話のせいだろう。真っ赤も真っ赤、赤面を極め尽くしたかのような水鳥の顔。


「いや、バレバレでしょ。毎日通ってるわけだし、なにより話してるときの水鳥嬉しそうだし」


「そーそー、亜美の言うとーり」


「鶲は少し酔いを覚ましなさい。今のあなたの酔い方酷いわよ?」


 ぷくーっと、頬を膨らませて「まだまだ呑めますう」と鶲が拗ねる。


「バレバレ……そんなに?」


「うん。結構だったよ。もしかしたら本人にもバレてる? って思うくらい」


「バレてるの!?」


 恥じらいと照れと悲壮とが混じったような複雑な表情をしていた。


「うーん、バレてるかどうかは、私にはわからんな……」


 正直、あの店主も相当に鈍そうだったし。鶲はジョッキに入ったビールを煽る。


 胸の奥がカーッと温まってくるような感じがして、とても気持ちがいい。


「すみません、ビールおわかり!」


 店主の方を向いて言ってみると、なぜか顔が引きつっているような気がした。

 私も酔ってきているのだろうか? 亜実はそんなことを考えていた。

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