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5皿目 カンパチの刺身

「おっさん、持ち込み頼むー」


 ガラガラと引き戸が開いた。「おっさん」という言い回しと声から、入ってきたのは藍斗のようだということを遼平は認識する。

 ゴロゴロゴロと車輪の回る音。台車が入ってきたようだった。


「なんだ? またどこかって来たのか?」


 遼平は入口の方をちらりとも見ずにそう言う。


 藍斗が持ち込みをするのは、たいていはどこか遠出して食材を持ち帰ってきたとき。

 それがあってか、藍斗は持ち込み食材のことを「土産」とよく言う。


 だから、今回の土産はなんだろうな? なんて遼平が思いながら藍斗の方を見てみると――遼平は絶句した。


 というのも、遼平は入口に立っているのは(もちろん立っているだけでなく座っていたりするのも含めて)藍斗だけしかいないと思っていた。そうでなくても水鳥だったり、はたまた玲子だったり(それはそれで困る)、とにかく見知った人だと思っていた。

 しかしまあ、ここまでくどく説明するからには、お察しのようにもちろんそうなのであって、


「あ、あ、あ。あの、初め……まし……て」


 というわけで。そういうわけである。






「それじゃ、とりあえず紹介するな。今俺の後ろにいる女子が果穂で、カウンターの奥にいるのがおっさんだ」


「お前なあ、他人を紹介するにしてももう少しマジメにやらないか? 特に俺の紹介とか名前すら言われてないし。あ、俺は遼平、呼び方は……まあ、好きに呼んでくれて構わない。藍斗みたくおっさんでも構わないし……うん」


 語尾に連れて若干弱くなっていた。本意ではないらしい。


「それでもって、果穂ちゃん……でいいのか? 果穂ちゃんは例のアレか?」


 遼平は小指をピンと立ててそう聞いた。「例のアレ?」とキョトンとしている果穂をよそになんなのか把握している藍斗は答える。


「ああ、その通りだ」


 そう言って果穂の肩を掴み、ぐいっと近くまで抱き寄せて。


「果穂は俺の彼女だ」






 ぽぽぽぽぽぽっと、顔が真っ赤に染まる。


「ちょちょちょちょちょちょっ! 藍斗くん! なに言って」


「ん? なんか言っちゃダメなこと言ったか?」


「言ったよ! なんで付き合ってること言うの! ばれちゃうじゃない」


「なにも心配するこたねーだろ。ここは学校じゃねえんだし、そもそも今更隠したってだろ。付き合ってることだって学校でもほぼほぼバレてるだろ」


「バレてるの!?」


 なにやら痴話喧嘩が始まったようだった。遼平は1人取り残されて呆然とする。


「あー、えっと。そろそろいいか?」


 痺れを切らせた遼平が笑って言う。ただ、口の端は若干無理に引かれているようだった。

 それはただ待ってるだけが我慢ならなくなったのか、それとも痴話喧嘩を見ていて複雑な気持ちになったからか。


「ああ、悪い悪い。今日の土産はこいつだ」


 カウンターに青色の箱が置かれる。ロックが外されて蓋が起こされる。


 それから台車の上に乗ったままの白い発泡スチロール。こちらも開けられる。


「ほんっと、毎度毎度思うんだが、お前どこ行ってるの?」


「海だろ、そりゃ」


「いや確かにそうだろうが、って山菜の時にも同じようなくだりになった気がするんだが、気のせいか?」


「気のせいだろ。きっと」


 気のせいではない。


「まあそれはいいとして、どこの海とかあるだろ? 大雑把にだって太平洋側とか日本海側とか、瀬戸内海だとか。それにどこの県に行ったとか」


「適当に。瀬戸内は行ってないけど日本海と太平洋とは両方。本気出したのは日本海側。今回のメイン狙い」


「メインって……ああ、カンパチか。ったく、なんでもってこんなの取りに行ったのか」


 発泡スチロールのその中身、青い背中に白い腹。黄色い線の走る体。カンパチ。


「食いたかったから」


 だろうな。と、苦笑の遼平。


 どうやら日本海側にいる知り合いから「カンパチが来たぞ、釣りに来ないか?」という連絡を受けたらしい。それで急いで支度して、釣りに出かけた……ということらしい。


「ちっとばかし小ぶりだが、いけるか?」


「小ぶりっつっても元々カンパチはでかいから小ぶりっつってもはまあまあなサイズだぞ。てか釣ってきたやつでこの時期なら大きい方な気もするが」


 氷まみれの発泡スチロールの中にいるカンパチはそれでも85cmほどはありそうだった。


「で、1人でこれだけを食べるのはさすがに無理があるから彼女を連れてきてってとこか? でもこんな量、2人でだって無理があ――」


「いや、ハズレだ。もとよりカンパチは半分土産のつもりで釣ってきたしな」


 ニヤリと笑って声を遮るように被せた。なにに対してのはずれなのかキョトンとしている遼平をよそに藍斗は果穂に手でジェスチャーを送った。


「あ、あの。これも調理……お願いできますか?」


 トンッと、軽やかな音でまたもクーラーボックスが置かれる。


「鯵か。こりゃ果穂ちゃんが釣ったのかい?」


 中には鯵が数尾横たわっていた。コクリと頷く様子を見る限り、遼平の言う通りで間違いないらしい。


「行ったことないっていうから、じゃあ一緒に行くか? って誘って。で、最終日の予定だった今日に拾って釣り堀行ってきた」


「へー。で、今に至ると。そう言いたいわけだな?」


 腕を組みながら聞いていた遼平が真顔のままで藍斗を見つめて約5秒。


「悪かったな、藍斗ってこういうやつなんだ。本人に悪気がないのが1番タチが悪いってのは重々承知しているんだが、なんでかこいつって、こうなんだよ」


「いえいえ、その遼……平さんは悪くないですし、その……私もその点は承知してますので」


「いや待て、おっさんも果穂もなに俺抜きで完結してるのさ。それもなんか俺めちゃくちゃ関係ありそうな議題だし」


 1人取り残されてそう声を荒らげる藍斗だが、2人はその言葉にさえ「はあ……」と嘆息を漏らす。


「お前なあ、この子彼女なんだろ? 少しは考えてあげろよ」


「なにをさ」


 そうやらマジのほうで気づいていないということが確定したところで遼平がさっきよりも深くため息。


「彼女をなんでまたよりによって居酒屋こんなところに連れてくるかなあ。他にもいろいろあっただろう? イタリアンとかフレンチとか」


「ここなら全部食えるぞ。イタリアンもフレンチも、中華も和食も民族料理も」


 いやまあたしかにそうなのだが、そういう意味じゃないだろう。と遼平は頭を抱える。


「あのな、藍斗。雰囲気って知ってるか?」


「おう、知ってるぞ」


 自信満々の声でそう返される。本人はそれはもう溢れんばかりの自信を持って言っているのだろうが、遼平や果穂からしてみれば、どこからその自信が沸いてくるんだと聞きたくなる。


「遼平さん、もう大丈夫ですよ。その……割り切ってますから」


「そうか。まあ、頑張りな」


 要約すると「もう手遅れなんです」というその言葉通りに、彼女の表情もどことなく疲れていた。


「よっしゃあ、それなら今日は果穂ちゃんの料理は全力で頑張っちゃおうかな!」


「ええっ? そ、そんな、いいですよ」


「いやいや、ちょっと待てよ。俺のもちゃんとやるき出してやってくれよな?」


「お前がもう少し反省したらな」


「反省ってなにをだよ。てかどちらにせよ贔屓はよくないぞ!」


「わーってるよ。冗談だっつーの、冗談」


 ほら、魚こっちによこしな。と、遼平が魚をもってカウンターの奥へと向かっていった。


 カンパチはさらに奥へと持っていかれた。






「お、やっぱり奥の部屋?」


「まあ、カンパチなんかのでかいやつはあの細いところじゃなかなか厳しいところがあるからな」


 遼平がパチンと照明をつける。その先には奥の部屋――あまり使われてない部屋があった。とはいえそこは倉庫になってるわけでもなく、ただ広さだけのある部屋は生活感が全くない割にきれいに掃除されている。


「だから、ここで捌く」


 部屋には大きめの机が1つ、大きめのシンクが1つ、大きめの棚が1つ。

 それ以外には特になにもは見当たらない。


「ここは?」


「ああ、果穂ちゃんは初めてだから知らないか」


「そもそも常連でもこの部屋、知ってる人結構限られるがな」


 藍斗がそう付け足す。


「ここは今回のカンパチみたいにデカい魚を持ち込みで持ってこられたり、他にも長期間適温で保っておかないといけない料理とかの予約の時に使う部屋で、特に名前は決めてない」


「奥の部屋だったり、作業部屋だったり、呼び方は三者三様。俺は奥の部屋って呼ぶことが多いがな」


 さて。と、遼平が押してきた台車のその上にある発泡スチロール、中からカンパチを取り出して机の上に置く。


「さて、捌くか」


 棚からいろいろと道具を出してきて遼平が捌き始める。


 包丁をまず尾の方へあてがう。付け根の方から頭の方へと体に沿うようにしてそぎ取るようにしてして鱗を剥がす。


 背びれや胸びれの脇、尾びれの付け根も丁寧にとっておく。


 頭を左、背を手前になるようにカンパチを置き、腹びれの右付け根から包丁で切り込みを入れる。

 刃が内臓に届かない程度に切り込みを入れ、そこから胸びれの右を通って頭頂部へ。

 背骨と直角に包丁を当て、切断。


 包丁は刺したままでひっくり返し、腹が手前に来るようにして先程同様切り込みを入れる。


 ここまで入れるともう別れているので、頭部を胴体から外す。


 包丁を逆刃に持ち、腹から肛門まで切り開く。はらわたは取り出す。


 背骨のところにある血合いの膜に切り開いたら腹の中をきれいに洗う。ササラと呼ばれる竹を束ねた洗浄器具を使う。


「こんなもんかな」


 血も落とせていよいよカンパチの色がハッキリと見えてきた。

 水気は拭き取っておく。


 腹の身を軽く持ち上げながら、尻びれに沿って尾の付け根辺りまで浅く切り込みを入れる。

 切り込みを入れたらそこから刃先を入れ、中骨の上を滑らせるように動かして背骨に刃先が当たるまで切り込む。


 カンパチを返し、背中側を背びれに沿うように浅く尾から首元まで切り込みを入れる。

 切り込みをつけたところに刃を刺し、またも中骨の上を滑らせるように何度か刃先を進め、背骨まで切り込む。


 尾の付け近くに刃先を尾の方に向けて差し込み、身を骨からそぐように切り離す。

 尾の付け根の身を軽く左手で持ち上げながら、身と背骨の間に刃を入れ、包丁を水平に持ち、背骨の上に沿って刃を進め、身と骨を切り離していく。


 腹骨と背骨の接合部は刃先の角度を腹側から背に向けるような感じにして切り離していく。これで片面がおろせる。

 そして、反対側も同様におろす。


 再度包丁を逆刃に持ち、血合い骨と腹骨との接合部を切り離しておく。

 腹骨に沿って薄く包丁を入れて、腹骨をそぎ落とす。


 血合い骨が腹身の方に残るように骨に沿って背身と腹身に切り分ける。

 続いて腹身に残った血合い骨と血合いをそぎ落とす。


 最後に尾の付け根の皮を少し剥がしてその皮の端をつまむ。

 そのまま引っ張るようにしてできた隙間に包丁を入れ、刃先の平らな面がまな板と平行になるイメージで少しずつ小刻みに刃先を動かして皮を引く。これで柵ができた。


「2人とも向こう戻ってて。俺もちょっとしたらすぐに向こう行くから」


 遼平がそう告げる。要するにもうできるということだった。


 2人がカウンターで待っていると奥の方から遼平が出てきた。


「はいよ、カンパチの刺身だ。大根でケンを作ろうか迷ったが、そこは割愛とさせてくれ」


 鮮度が落ちるとマズいからな。と、それにはちゃんと藍斗も理解があるようで、


「ああ、別に気にしてないから大丈夫」


 箸を片手にそう言っていた。


 皿の上には白っぽいようなピンクっぽいようなきれいな身が並んでいた。

 それが2人の前に置かれると、遼平がその横に小皿を2枚置く。1枚は自分の前に、もう1枚は果穂の前にと藍斗が置き直すと、自分の方に適量醤油を注ぎ、果穂の方にも醤油の瓶をを渡す。


「さて、どんなもんかな」


 藍斗は箸でそれを1枚つまみ上げ、醤油につける。

 刺身の表面の半分ほどが茶色くなったところで口の中へ放り込む。


「やっぱりカンパチは身が締まってていいな」


「美味しい……私カンパチなんて初めて食べた」


「そう言ってもらえるなら、釣ってきた甲斐もあったな」


「じゃ、お2人さんはそれ食べといてね。俺は向こうに残してきたやつを処理してくるから。そんでもって果穂ちゃんの鯵や残りの魚はその後に捌くから、食いながら待っててくれ」


 遼平が再度カンパチの元へと向かおうとしたその時、


「あっ、ちょっと待ってくんない?」


「なんだ?」


 藍斗が遼平のことを引き止めた。いったい何事かと2人から藍斗のことを見る。


「ご飯、よそってくれない?」


 その注文に、期待はずれのような拍子抜けしたような心持ちで遼平は「了解」と言った。


 遼平は、少し笑っている。

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