2皿目 山菜各種
春すぎにある長い連休の最終日のこと。連休だからといって「呑ん処」は閉まるわけがなく、むしろこの時期のほうが繁盛したりすることもしばしば。
「おーい、おっさんー。やってるかー?」
ガラリと引き戸が開く。そこにいたのは1人の男だった。
「おう、藍斗。また来たのか」
「まあな。今日も持ち込みいいか? 土産だぞ土産」
この店では食材の持ち込みは可である。持ち込み以外の食材費と手間賃を払ってくれれば遼平が調理をしてくれる。
「なに持ってきたんだ?」
「山菜」
「え、なんて?」
「山菜。取ってきた」
彼はそう言いながら持ってきたバックパックに手を突っ込むと、粗雑にビニル袋を引っ張り出した。透明なビニル袋の表面にはくすんだ緑や茶色やらの中身の色が写映っている。
「これはまた……どっか行ってきたのか?」
「山だろ、そりゃ」
アホか。と、言わんばかりの表情。
「いや、たしかにそれに違いはないんだけどよ。どこの山にとかあるだろ。ほら」
「そこらへん」
「大雑把だなあ。おい」
藍斗からビニル袋を差し出され、遼平はそれを受け取る。革手袋をして中身を弄りながら感心の声やら驚きの声やら出していた。
「いつも通り、俺の分は適当で、残りは他のお客さんに土産のお裾分けってことでお願いね」
「はいはい了解。いつもありがとうな」
さてはて、この藍斗には、他の客とは違う1つの特徴があった。
もちろん、大雑把だとかそういうわけではない。
とりあえず、その特徴の前に1つだけ確認しておきたい。この店「呑ん処」はなんの店なのかを。
言わずもがな、居酒屋である。
「わかってると思うけど、酒は絶対に出さないからな」
「わかってるし、いらないし、飲めないし」
決して「飲めない」というのはすぐに酔ったするから酒がダメとか、そういうわけでない。決して。
そうではなく「飲んではいけない」のだ、法律的に。
そう、藍斗は正真正銘の未成年。17歳の高校生。
これこそ、他の客とは違う特徴である。
「しっかしまあ、こんだけの量採れたのはすごいと思うけど、こんな多種多様な山菜となると1ヶ所じゃ無理だろ?」
「ああ、いろんなとこ行ってきた。連休をフル活用してあっちやこっちやに。だから言ったろ? そこらへんって」
たしかに、そこらへんだろう。まあ、それでも大雑把なのには違いないのだが。
「ワラビにゼンマイ、コゴミにフキ。山ウド、タラの芽。アイコもあるじゃねえか。ちゃんと手袋したか?」
「もちろん、アイコを素手で触るほどバカじゃねえ」
「それからなんだ、青ミズ、赤ミズ。ヨモギとイタドリ」
「最後の2つは割と近所で採ってきた。イタドリなんかは特にそこらへんに生えてるし。なんなら追加探してこようか?」
「いやいやいやいや、十分。十分だから大丈夫だぞ」
しれっと更に増やそうとしてきた藍斗に遼平が焦って止める。冗談かと思えるような言い回しだったが、口調が割とガチだった。
「毒草は……ないようだな」
「そりゃあな。自分で食う分もあるんだし、なにより飲食店に毒物持ち込むとか常識的にアウトだからな。山菜は似てるの多いからちゃんと知識はつけてから行ってる。俺だってこの店に出禁食らうのは嫌だし」
まあ、持ち込み食材で毒物持ち込もうものならたしかに一発出禁だろう。普通に。
「しかし、これだけあればいろいろ作れるぞ。天ぷらにおひたし、それから焼いて炒め物にしたり、そのままサラダなんてのも。ご飯と一緒に炊いて炊き込みご飯なんてのも。そんな感じでいいか?」
「任せる。おっさんの料理ならハズレはないだろうから」
謎の信用。苦笑する遼平。
しかしまあ、任せると言われても少し困りそうな気はするが、それでも遼平は了解した。
まあ、「任せる」っていう注文なのだろうから。きっと。
とりあえず、店先に貼る紙。「山菜あり〼 数量限定」と。
「そういえばよ、藍斗は山菜とかを自分で調理したりしないのか?」
「山菜はなあ、扱いが難しいやつとかあるし。魚だったら3枚に卸して薄造りにして醤油でいけば大体のやつはうまく食えるけどさ、山菜はそうはいかないし、なによりアイコみたいなやつもいるからあんまり自分で調理したいとは思わない」
「珍しくもっともらしい理由だな。っと。はい、まずはアイコのおひたし。お通しの代わりだ」
色だけ青々しい、しょぼくれた菜が乗った皿。
「毎度ながらに思うが、アイコは面倒くさいな」
「まあ、トゲ取りに熱湯かけなきゃだし。仕方ないよね。そんじゃ、いただきます」
藍斗は手を合わせてそう言う。
なにもかけていない、そのままのおひたしをちょっとだけ口に運ぶ。
「うん、やっぱりわざわざアイコは採りに行って正解だった。あ、おっさん。醤油頂戴」
「はいよ」
そう言われて遼平は醤油の入った小瓶をコトリと置く。
「アイコは苦味も癖もないから、醤油でいくと旨いんだよな」
満足げに貪る藍斗を見て遼平は次の料理に取り掛かる。
山ウド、コゴミ、タラの芽。それからヨモギや水の葉っぱあたりをササッと洗ってキッチンペーパーで水気をきる。
あらかじめ準備しておいた衣をつけて、高温にした油の中に入れる。
パチパチパチと気持ちのいい音を立てて油の中が騒がしくなる。
しばらく待っているといい色になって浮いてきたので網のついたバットの上に取る。
静かになった油に次を入れる。色が変わるまでまた待つ。
少し大きめの皿に紙を敷いて、その上にさっき揚げた山菜たちを並べる。小さめの鉢には冷蔵庫から取り出した天つゆを入れる。
「はい、山菜天ぷら盛り合わせ。小皿と天つゆも置いておくから塩なり天つゆなり自由に」
「ありがとう」
3枚の皿が藍斗の前に置かれる。キラキラとした眼差しが切り裂くような勢いで天ぷらに向けられる。
「本当にお前って揚げ物好きだよなあ」
「そりゃまあ濃いし旨いし、旨いし」
「旨いって2回言ってるぞ」
苦笑いでそうツッコむと「わざとだから」と藍斗も笑う。
笑ってそのまま遼平は次の料理に取り掛かる。
「そういえば、明日は来れるのか?」
「なんでさ? おっさん」
疑問符を頭に浮かべてそう言うと「お前わかってるだろ?」と呆れた様子で言った。
「ワラビばっかりは今日のものにはならないからさ。こいつばっかりはアク抜きしないわけには行かないだろう?」
「あー、そっか。なら明日も来るよ」
どうやら忘れていた様子の藍斗だった。
「さて、そろそろ炊き上がるころだな」
「炊飯器?」
「ああ、いろんな山菜があったから、せっかくだしと思――」
ピーと、ちょうど都合よく炊飯器から電子音が鳴る。
「ちょうどだな。よし、ちょっと待ってろよ」
遼平は藍斗に背を向けると、茶碗を片手に炊飯器に向かう。
炊飯器が開かれると、香ばしい匂いがフワッと広がる。
「おお、この匂いってもしかして!」
「ほらよ、炊き込みご飯だ。出汁と醤油とみりんと入れて、あとは貰った山菜から使えそうなやつと、それから人参とキノコとタケノコ入れて炊き込んだ」
茶碗に山盛りに盛られた炊き込みご飯。藍斗の前に置かれる。
更に横には青々しい皿も1皿。
「それから、生食出いけるやつとか湯に通すだけのやつとかで作ったサラダ。ドレッシングはあんまり邪魔しないように薄めに作ったビネガードレッシング。合うかはすまんが試してないからわからないけど」
「おお、なんかすげえ。いろいろ乗ってる。ああ、それからおっさん、料理はこんなもんでいいよ。結構腹も膨れてきたし」
さっきの天ぷらが想像以上に重かったのか、藍斗はそう言っていた。
「え、そうなのか? よもぎ餅あたり作ろうと思ってたんだが」
「なにを言っているんだ。俺はまだ食べられるぞ。甘味は別腹だ」
突然キリッとしたドヤ顔に変わり、カッコつけてそう言っていた。
言われた遼平は「女子かよ……」というつぶやきは、苦い顔を更に苦くしていた。
「そういえばさ、藍斗はキノコは採りに行かないのか?」
「キノコ? 無理無理。まだ無理だって」
手の平を横にブンブンと振って、若干風が起こる。
「たしかにキノコは今勉強中だけどさあ。山菜以上に似てるの多いし、触っただけでアウトなキノコとかもあるから迂闊に手を出せないんだよ。釣りとかならだいたい大丈夫だからいいんだけどさあ。山菜でも結構勉強したんだぞ?」
「たしかにそうだな。まあ、お前が勉強してくれたおかげで俺や他のお客さんだってこうやって山菜の恩恵を受けられるんだけどよ。なんなら山菜の仕入れは任せたいくらいだよ」
「そう言ってもらえるなら嬉しいな。まあ、俺としてはバイトとして雇ってくれる方が嬉しいんだけど」
「それは前々から断ってるだろ? 諦めろ」
そっけなく遼平は言った。「冗談じゃないんだけどなー」と、藍斗はふてくされる。
「お邪魔しまーす。あ、やっぱり藍斗くんだったんだ。久しぶりだね」
「水鳥さん、お久しぶりです」
「今日は藍斗の採ってきてくれた山菜があるからね。店先の紙見ただろ?」
常連客、水鳥だった。引き戸を閉じて、中には行ってくる。
「わあっ! いろいろあるんですねー。これはなんなんだろう……」
「なんか、連休潰して採ってきてくれたみたい――って聞いてないか」
まだ調理していない山菜たちを見て、水鳥はなにやらブツブツ言っていた。
よっぽど集中しているようで、遼平の声は届いていない。
「しかし、山菜かあ。……なあ藍斗」
「なんだよ、おっさん」
「今度、一緒に山に行くか?」
それは、話の脈絡的に「山菜一緒に採りに行かないか?」ということだろう。
「いいけど、なに? おっさんがその場で調理してくれるとか?」
「その通りだが? あと、ある程度のキノコなら判別つくから」
「え、マジで?」
驚いた様子の藍斗。遼平はなにも言わずにコクリと真顔で頷いた。
「その日は店を休みにしなきゃだけど、まあ、前々から休みって書いときゃなんとかなるだろ」
「もしかしたら、行きたいって人が出るかもね。今そこにいるように」
藍斗が横目で見た。それに気づいた遼平もそっちを見る。
「はっ、うぇっ!? えっ、と。その、よろしければ私も一緒に行きたいかなーって思ったり思わなかっりその……」
今の話を興味津々に聞いていた、水鳥だった。
「いいんじゃないかな。なんなら参加自由にしちまってさ」
「簡単に言ってるれるなあ。まあ、それも楽しそうだけど」
「じゃあ、宣伝の紙みたいなので作っとくね」
ルーズリーフと筆箱を取りして、なにやら必死に字とか絵とかを書いている。
そんな様子に、遼平は1つの疑問を持った。
「お前さ、休みに出かけたり、こんな店来たりしてるけどよ、彼女作ったりしないのか?」
遼平の思う男子高校生っていうのは、彼女づくりに全力を注いでいるような、そんなイメージがあったのだが。
この藍斗からは、そんな必死さが感じられないというか、色気よりも食い気に全力を入れているというか。
(けどまあ、よく考えてみたら俺も高校のときは料理ばっかりしてた気もする。)
恋愛とは関わり合いのなかった(と自称する)遼平は、自身の高校時代を思い出しながらそう言っていた。
もちろん、自称のみで、実際はというと無自覚なだけでだったり。
(今考えてみたら、色沙汰とは全く関わり合いのない青春だった気がする。)
とまあ、そう思ってしまうほどには。
ついでにその会話を聞いていた水鳥はと言うと、
(そういえば、高校のときは周りの男子がなかなかにぎゃあぎゃあ騒いでいたなあとか思ったり思わなかったり。でもまあ、興味なかったから私は色沙汰ないなあ。友達ならあったりするんだけど。)
と、そんなことを考えたり。とにかく2人とも色沙汰とは関わり合いのない生活だったらしい(真偽の程は疑わしい)。
そんな中、うーん。と、藍斗が首をひねりながら考えていた。
「彼女作る作らないっていうか、もういるし」
真顔で放たれたその言葉に、ザザッとそれまでの明るめの空気が引き下がった。
気温が心なしか、下がった気もする。もちろん錯覚。
ただ、ただひたすらの沈黙が流れる。遼平も、水鳥も。ただ唖然として、なにも言えなかった。
2人とも、彼氏彼女いない歴=年齢の、成人済み男女。
ようは、恋愛歴について、高校生の藍斗に負けたということになる。
遼平に至っては倍ほどの年数を生きているというのに。
さてはて遼平が藪をつついて出したのは、蛇かそれとも、
――リア充か。