15皿目 ご飯(後編)
「納豆の力説、ありがうございました!」
なんだかんだで和やかな空気が流れていた店内。その空気を強制終了するように藍斗が次の紹介を始める。
「さあ、どんどんやっていきましょう! 続いてはこの店に通う頻度は月1程度、それもそのはず、わざわざ県外からこの店まで電車に乗ってきているんだから! 本人は必死にその事実を隠してはいるものの実はあの超鈍感なおっさんにさえ気づかれている! そんな結構健気な一面もあるけれど、シラフのときのあたりはキツイから気をつけろ! ツンデレ? なOL、日高 奈緒!」
「ちょっ、藍斗くんっ! なに言って……ってバレてるの!?」
「ああ、酔っ払ってるときにポロッと言ってたぞ。隠してるみたいだったから言わなかったが」
テンパって顔が真っ赤な奈緒。県外から来ていることを知ってはいたもののあえて言っていなかったという遼平のその気遣いが逆にダメージを与える。
藍斗は相変わらずの悪い顔。県外のことは水鳥も知っていて、ふーんとしか思っていなかったが、ピタリと、彼女の表情が固まる。
(あ……れ、よく考えたらそこまでするのって普通なの? わざわざ県外から……まさか……)
まさか、私やあの姉妹、母親と同様、遼平さんが目当てで通っているのではないだろうか? そんな思考がよぎった。
(だとすれば――まずい。それは、まずい)
彼女の焦燥は、まあ当然と言ってもいいだろう。
水鳥にとっては、つい最近に幼女と中学生とシングルマザーというライバルができたのだ。幼女はともかく、中学生とシングルマザーは脅威になりかねない。
これまでは遼平が(無自覚なだけで本当はモテていたんだろうが)モテたことはないと自分で言っていたから、明確な、ストレートなアプローチまで起こしてくる人はいなかったのだろう。
しかしここに来てそれが3人、ただでさえ焦っていたところに、更に1人、新たに増えたとすれば――この焦りは当然かもしれない。
それも、奈緒はOLだったり、健気だったり。水鳥のアイデンティティとモロ被りしている(水鳥は水鳥自身が健気であることを否定しているが毎日合うためだけに居酒屋に通っている時点で十分健気である)。
その上、ツンデレと来た。水鳥はいろんな意味で勝てるところが見当たらなかった。
「水鳥さん、水鳥さん」
水鳥の隣にそっと藍斗が近づいて小さく声をかける。3回目で水鳥が気づく。
「藍斗くん、どうしたの?」
「よく見て、彼女の左手薬指」
そう言われてジッと見つめてみると、水鳥の目に銀色の輪っかが映る。
「結婚指輪?」
「大正解。安心していいよ。奈緒さんは既婚者だから」
不敵な笑みは彼女に恥ずかしさを自覚させる。瞬く間に赤く染まった顔で「ちょっ、藍斗く、藍斗くんっ!」と言っていた。
「まるで世紀末みたいな顔してたからね。ちょっとだけ助言ってそんなことろかな?」
なんとか言い返してやろうとしたものの、水鳥には言い返す手段が見当たらなかった。あったとしても逆手に取られていただろうし。「こんの、気まぐれ坊主っ!」くらいは罵倒してやりたかったが、気恥ずかしさが勝って、というかそもそもそういうことを言うような正確じゃなくて諦めた。
そんな水鳥はさておいて、藍斗は問題なく司会を進める。
「さて、そんな奈緒さんはなにを推すのでしょうか?」
「私はね、この海苔の佃煮、ごはんで○よ!」
「待って待って待って、待って! そこまで絞る必要あるの? わざわざ商品名まで絞る必要あるの?」
「あるわよ。私はごはん○すよが好きなの。もちろん他の海苔の佃煮でも構わないっちゃ構わないんだけど、私はごは○ですよが好きなの。それだけは譲らないんだからっ!」
「そ、そうなんですか。へえ……」
奈緒の異様なご○んですよ愛に周りが若干引く。いや、若干ではなく割とマジで引く。
「海苔の風味を持ちながらにあの粘り気。ご飯に乗せてキラリと黒く光るあの色合い! もう、食欲をそそるの、遼平さん、あります?」
「あるぞ。いちおうな」
「あるんだ……」
呆れ気味の声だった。
「毎度のことながら大体のものあるよな、この店。なに、その冷蔵庫は4次元にでも繋がってるの?」
「なんの話ししてるんだよ。普通の冷蔵庫だぞ」
普通の冷蔵庫は中にたまたまフォアグラ入ってたりしない。藍斗は苦笑いながらにそう思う。
夏の時の話は水鳥から聞いていた(とはいえ本人も泥酔していてしっかりは覚えていないらしいが)。ちなみに藍斗は食べたことがないのでとても羨ましがっていた。
遼平はというと、炊飯器に近づいて蓋を開き、茶碗にご飯を盛る。冷蔵庫からごはんで○よを取り出すとスプーンで多めに1掬いして熱々のご飯の上に落とす。
出来上がったモノクロの一皿をキラキラとした眼差しで待つ奈緒の前に置いた。
「これよ、これなのよっ!」
もはや興奮し過ぎて今にも暴走しそうになっていた。目が血走っている。
「しかし、たしかにあの色合いを見るとなんとなく食べたくなるな……」
「久しく食べてないけど、たしかに食べたくなるというか……」
ギャラリーの方でもなかなかな反応が見られた。
「えっと、それでは海苔の佃煮のプレゼンは以上というこ――」
「ふぉひぃふぉふふふぁにふぁふぁひっ!」
口の中を一杯にしたまま喋る。なに言っているかわからない。
「聞き取れないし行儀も悪いので、飲み込んでから話してください」
「んごくっ。海苔の佃煮じゃないって言ってるでしょ! ごは○ですよ! そこは譲らないんだから。以上よ」
とてもこだわっている様子だった。ただ、これに藍斗の呆れが加速したのは言うまでもない。
「はい、えーというわけでごはん○すよでした。マジでなんだったんだこれ。気を取り直して次に行きましょう」
「おっしゃ、次は俺やな!」
貫くような男の声が勢いよく聞こえてくる。
「はい、そうです。3人目は大阪生まれ大阪育ち、けれども好物は下仁田ねぎだそうです! たこ焼きを焼く腕はおそらく今ここにいる中では1位でしょう。けれどもたこ焼きよりかはどっちかというとお好み焼きが好きだそうです。なんか俺達の知っている大阪育ちとは若干違う感じもしますが言葉遣いは完全に大阪弁です! 本人曰く河内? の方の出身らしいので言葉が荒いかもしれないらしいですが、そこはご了承くださいとのことです。坂本 虎徹!」
「だって鍋に入れたら旨いやん。下仁田ねぎ。群馬やけど」
たしかに出汁を吸って美味しいけれども、と周りの人たちは思った。大阪関係ないじゃん、と。
「そんでな、俺が勧めたいんな、猫まんまやっ。味噌汁かけただけやけど旨いぞ」
「え、それって犬まんまじゃないの? 猫まんまは鰹節を乗せて醤油をかけた――」
「それは鰹節ご飯やろ?」
ザワっと、どよめきが起こる。
「あー、いいか?」
口を開いたのは遼平だっだ。
「猫まんまも犬まんまも起源は一緒でな、昔に残飯を犬猫に与えていたときにご飯に味噌汁をかけて与えていた様子からその名がついたとされてる。主に西日本で猫まんま、東日本で犬まんまと呼ばれる傾向がある」
店内の人たちはその解説に「なるほど」と聞き入っている。
「それから、東日本では猫の好物が魚というところから鰹節ご飯を猫まんまと呼という話を聞いたことがある。猫に鰹節ということわざがあるくらいだからな」
「解説ありがとな、おっさん」
「あ……まあいいか」
解説はしないとさっき言ったのだが、今のが解説になっていたらしい、と遼平は思った。いやまあ、たしかに解説なのだろうが。
「それよりか、お前は実況なんだろ? しなくていいのかよ」
「おっと、忘れてた。それじゃあ虎徹さん、どうぞ」
「おう、任しとけ!」
虎徹は元気よく親指を立てて答える。
「えっとな、仕事で疲れてたときとかにコンビニでパック飯とインスタントの味噌汁と買ってな、家帰ってパック飯チンしてお湯沸かして味噌汁にジャーって入れて、そんでもってチンしたやつぶっこんで混ぜるだけ! めっちゃ楽やし、ズルズルズルーって食えるから疲れてても食いやすいし、なにより旨いし」
「ちょっと待ったああああああああああっ!」
怒号が響いた。
「え、なに? なんなの?」
そこにいた誰もがキョトンとした中、1人の男がビール片手に立ち上がっていた。
まだ顔は赤くなかった。
「混ぜご飯っつったらソースをかけたソースご飯だろっ!」
「はあああああああああああ? ソースとかゲロゲロなんですけどヤダー。混ぜご飯ならバターと醤油でバター醤油だろっ!」
「なに言ってんだよ、醤油のほうがゲロゲロなんですけど。ソースだっつーの」
「猫まん――鰹節ご飯。おいしい」
「カレーライスをかき混ぜたのも混ぜご飯? 俺あれ好きなんだけど」
「ちょっおまっ、はあああああっ!? カレー混ぜるとか邪道邪道っ!」
「カレーがありなら俺はシチューライスかなー」
「え、シチューライスって……えっ?」
店内は一気に騒然とした。藍斗はこれを止めるかと思いきやむしろ楽しんでいた。
「一気に出揃ったことだし、そろそろ大輝さんの腹も限界だろうし、次くらいで締め切ろうか」
そんなこんなで次の人を呼ぼうと思ったが、今ので一気に言ったからか、店内にいる人で「我こそは!」という人はいなかった。
「あれ、どうしようか。それじゃあ終わ――」
とまあ、こんなタイミングで見事に都合よくガラガラガラと扉が開く。
「お、葵さんに優奈さん。お揃いの様子で! ついでにちょうどいいタイミングで!」
「なんだ藍斗。お前またなんかやってるのかよ」
そう言われたというのになぜか誇らしげに笑って見せる藍斗。褒められたわけではないのに。
「そんなことより葵さん。葵さんは白ご飯に合うものはなんだと思いますか?」
「白ご飯に合うもの? 決まってるだろ」
まるで当然と言わんばかりの様子で葵は言う。
「白ご飯に合うのは白ご飯だろ」
急に、店内の空気が、温度が下がった。
そして、
「俺、勝てそうにありません」
「先輩、私も無理そうっす」
「白ご飯には勝てなかったよ……」
「なんと言っても一緒だからな」
「合わないわけがないんだなあ」
さっきまで混ぜご飯論争していた人たちが青菜に塩どころか更にドライヤーでも当てたかと思うくらいにしょげていた。それに便乗してか、ギャラリーでしかなかった人たちまでそのしょげに参加していた。
「あっ、私も白ご飯で白ご飯いけるよー! 白ご飯大好きっ!」
唐突にギャラリーの中から聞こえた声。そりゃあアンタはそうだろうと藍斗や遼平は目を細める。
場合によっちゃ1人で十数合は食い潰す、文字通りの穀潰し。麻衣。彼女の声。
「え、えっと。結局僕はなにを食べれば……」
てんやわんやの騒動に移り変わった中で、元凶、大輝がそう呟く。
「好きなの食べればいいんじゃないかな。ちなみに俺は漬物が好き」
半分くらい呆れきっている遼平は、そう言った。
「あ、じゃあ白ご飯と漬物で」
「あ、変わった漬物とかある? 例えばトマトとか」
「あるよ」
「あるんだ。あ、えっと、私はその、玉子焼きを……」
こうして、なんか変な感じで第4回居酒屋「呑ん処」ご飯の友・おかず最強決定戦は幕を閉じた。
最終結果は漬物2票、玉子焼き1票で漬物の優勝だった。
……マジでなんだったんだこれ。遼平の言葉だった。
「なあ、藍斗」
「どうしたのおっさん」
閉幕後、いつも通りの様子に戻った店内の中でおっさん――遼平はそう聞いた。
「いっつもお前がこの決定戦――というかこういうイベントやってくれるけどよ、お前はなにが好きなんだ? って思ってよ」
「ああ、俺の好きなもん? 特にこれといったものはないけどさ、敢えて言うならおっさんが作ってくれて、いろんな人がガヤガヤしてる中に自分も混ざって食べる飯なら旨いんじゃないかなって。こういうイベントやったらみんな元気になってくれるし楽しいし、一石二鳥? 的な」
「お前らしいっていうか。まあ、嬉しいこと言ってくれるな」
「まあ、1人で食う飯は、味があって無いようなもんだったし。なにより」
――俺はこの店の空気、好きだし。そんでもってこの空気を作ってるのは。
「おっさんの料理と人柄だろうなって」