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12皿目 銀杏

「じゃあねぇ、(りょー)さぁん、ひっく」


「帰り道には気を付けてくださいね。それじゃあまた来てください。お気をつけて」


 完全に酔い潰れてフラリフラリと千鳥足。最後の客が帰って行った。ちょうど、閉店時間の少し前。


 赤提灯電気を消して暖簾をおろす。いわゆる閉店準備。


 このタイミングで無理に押しかけようとする客は俗に迷惑な客と言われたりする。

 というのも閉店時間はたいていの店では客の退出時間のことを指すというのに「まだ閉店時間が来ていない」という理由で無理に入店してくる。するとどうだろうか?


 スーパーなんかの購買目的の店なら(迷惑なのには変わりないけれど)いざ知らず、飲食店の場合はオーダーを受けてから料理を作って、客がそれを食べて。とまあ、余裕で閉店時間なんて超えられる(飲食店のラストオーダーが閉店より十分に早いのはこの対策)。


 暗くて、電信柱の電灯だけではまだぼんやりとした夜道の中、1つの人影が遼平の目に入る。


「あのう、その、遼平さん……」


 口を開いたかと思うと、人影はしどろもどろというような、はっきりしない口調でそう言っていた。

 近づいてくるに連れて人影の姿はハッキリしてきた。人影は男性だった。


 わざわざ先のような話をしたのもこの客が来るからであって。


「ああ、待ってたよ。入りな」


 ただ、それは無理に押しかけた場合であり、もちろんながら、きちんとした連絡をあらかじめ取っておいた場合は別であって。


 てなわけで本日の「呑ん処」は営業延長だったりする。


 暖簾もない、赤提灯もない。ただ1人のための、営業延長。






「銀杏? そういえばもうそんな季節ですね」


「ああ、ちょうど仕入れたから。食べるか?」


「食べます」


 カウンター席に座って男性客は迷いなくそう言った。遼平はというと棚から銀杏の入ったビニル袋を持って男性の対面へと歩いてきていた。


「それにしても、銀杏かあ。もうすっかり秋ですね」


「たしかに、そうだな」


「忙しさですっかり忘れてましたよ……あはは……」


 力ない笑いが男性客から漏れてくる。


「また、忙しくなりそうなのか?」


「そうなんですよっ! もう、遼平さん聞いてくださいってば」


 まるで、遼平からその話題をふっかけてくれるのを待っていたかのような食いつきっぷりだった。若干気圧される。


「あのクソドSマネージャーってば、ただでさえ私のスケジュールギッチギチだってのに、てかマネージャーの方が私よりもそのこと把握してるくせに、まだまだ行けるとか根性論とかでバンバン仕事詰め込んでくるんですよ!? そのくせ仕事で時間ない、疲れてるで私が部屋の掃除をちょーっと怠ってただけで掃除しろーって怒ってくる潔癖症なんすよ、マジで少しくらい休みくれーって感じですよ」


 ブツブツブツブツと愚痴が漏れてくる。どうやら相当に溜まっているようだった。

 そんな男性に、遼平は優しく問いかける――かと思いきや、白けた目で見つめながら、なにも言わずに見ていた。


「そのくせして料理は自炊しろだのなんだの。こっちは時間ないんだって――」


「でも、好きなんでしょ?」


 濁流のごとく流れる愚痴が、たったひとこと遼平の言葉でせき止められる。


「………………」


 さっきまで不満たらたら暗い顔だったのが一変、とても明るい顔になった。


「ちょっ、遼平さん聞いてくださいよ。英莉ったらホントにかわいいんです。マジです。マジ」


 なにが始まるかと思えば、愚痴の次は惚気の嵐だった。


「この間ね、料理作ったら食べたんですよ、俺が作ったやつですよ? 初めてだったんですよ? 疲れてたの全部吹っ飛びました。それから――」


「あーあーあーあーあー、で、瑞希くんは銀杏どれくらい食べるのかな?」


 強引に話を断ち切り、そう続けた。男性客の名前は瑞希、先にある通り英莉というマネージャーがいる。


「あ、えっと……たくさんじゃだめですか?」


「ふふふ……全然いいよ、ただまあ食べ過ぎはよくないから程々な量にしておきなよ」


 案外単純な回答で、遼平はついつい笑ってしまった。






「じゃ、準備するからそれまでの間なにかつまむものいる?」


「うーん、なにがありますか?」


「そうだねえ、今日のお通しで作ったやつがちょっとだけ残ってるけどそれでいいかい?」


「うん、全然大丈夫」


 その返答を聞いて、遼平は冷蔵庫からボウルを取り出し、中身を小鉢に分ける。


「ほら、ぬた」


「…………ぬた」


 差し出された小鉢を受け取りながらそう答える。「なんだ、知らないのか?」と遼平が言う。


 袋から銀杏を取り出して、パチンパチンと殻を割る。


「ぬたっていうのはぬた和えの略で、ぬたなますとも言ったりする。酢味噌でネギとかワケギとかの野菜類、タコやイカやバカ貝っつー貝とかの魚介類、ワカメとかの海藻類を和えたやつのことを言う」


「へえ、そんなのあるんですね。初めて知りましたよ」


「そっか、最近の若いのはあんまりぬたを知らないんだな」


 そういえば藍斗に初めて出したときも水鳥ちゃんに初めて出したときも「なにこれ?」と聞かれたな。と、遼平は内心思い出した。


「他にもぬたって名前のものは案外あって、たとえば高知県には伝統的なタレの1種として存在していて、葉にんにくを刻んで白味噌に柚子酢、砂糖と混ぜたものなんだが、ブリにつけて食べるらしい。残念ながら俺はまだ食べたことがない」


 袋から結構出したので、割れていないまだまだ銀杏はまだまだ残っている。パチンパチンとまた1つまた1つ割る。


「へえ、でもやっぱり酢味噌ってところは似てるんですね」


 箸を持って少しつまんで食べていた。割と酢味噌。


「それがな、俺が知る限り1つだけ意味がわからないのがあるんだよ」


 遼平が言うには、「なんでこれをぬたって呼ぶの?」と思ってしまうようなものらしい。


「ほ、ほほう。してそれはどんなものなんでしょうか?」


 割と興味を持った瑞希は神妙な顔で聞き返す。


「それがな………………瑞希くんは、ずんだって知ってるか?」


「は…………えっと、ずんだ餅とかのずんだですか?」


「そうそう、枝豆とかそら豆とかで作った緑色のアレだ」


 ちなみにずんだ餅は……というかずんだ自体東北地方の郷土料理。豊作祈願で食べられたりする。


「……まさか、ずんだのことを」


「そう。ずんだのことをぬたって呼ぶらしい」


 嘘じゃん、と。


 それが嘘じゃないんだよな、と。


 とりあえず、仕様もないぬた話はこれにて終わった。

 ついでに並行して行われてた銀杏の殻割りも終盤に差し掛かっていた。






「割るんですね。殻って」


「ああ、まあ、割るってかひびを入れる程度だが、じゃないと後々剥きにくいし、入れないとなかなか爆ぜてくれないからな。爆ぜるときと爆ぜない時とあるが」


「爆発するんだ……」


 遼平曰く、爆ぜてくれたほうが個人的には剥きやすい、だそう。


 ちなみに、と。殻にきつね色の焦げ目がついてきたくらいがいい頃合いだと遼平がつけたす。


 取り出した分を全部割り終わると、フライパンの上にコロコロコロと入れる。上には飛び出し防止で網を乗せている。


 そうして火にかけて、これまたコロコロコロと炒る。


 炒る、炒る、炒る。ただひたすら炒る。

 コロコロコロとフライパンの上をひたすら転がり動き踊り続ける銀杏の音が虚しく響く。


「なんか、話題ないんですか?」


「そうだねえ、なんかないかって聞かれたら思いつかないもんだねえ」


 先に痺れを切らせたのは瑞希だった。しかしそうは聞いたものの遼平からは思ったような話題が得られず、また聞いたということは、


「仕方ないですね。それじゃあここは私が1つ話題を提供して……」


 長い沈黙、その末に遼平は半目で言った。


「ないんだな、話題」


「サーセンッした。調子乗りました」


 自分も話題を持っていないということと、ほぼ同義である。


 そんなこんなしているうちにポンッ、パンッと銀杏が爆ぜる。殻は程よくきつね色。


 こうして銀杏が炒り終わる。






「くうううううっ! やっぱり日本酒はいいですね! こう、きゅううってなる感じが堪らないのなんの」


「好きだねえ。しかしまあ、悪酔いするなよ?」


「大丈夫ですよ。さっきぬた食べたじゃないですか」


 ぬたしか食べていないから言っているんだ。遼平はため息を吐き出した代わりに不安を吸い込む。


「しかし、やっぱり銀杏は美味ですね。ほろ苦いのがなんとも言えない……塩をちょぴっとつけて食べるとなお旨い」


「まあ、食べ過ぎ厳禁だがな」


 ひびの少し入った殻に、そのひびの両端から力をかけると、あるタイミングでペキッと割れる。中からは茶色の中身が出てくる。ただまあこのままではまだ食べられない。

 その茶色の中身から薄皮を剥いてやると、今度こそ食べるべきもの、黄緑か黄色か、その中間くらいの色をした小さな中身が現れる。


 こいつを皿の端に盛られた粗塩をつけて口に放り込む。


 時間も時間でさすがに小腹が空いていたのか、遼平はさっきのタイミングで自分の分も一緒に炒っていた。

 それぞれの皿には、だいたい10個ほどずつ乗っている。いや、いた。


 今では瑞希の皿の銀杏はもうすでに半分以上が殻だけになっている。遼平は今で2個目。


 ペキッ、ペキッ。割れる音が続く。


「そういや、今更話題が出てきたんだが」


「今更ですか」


「話すのやめておこ――」


「話してください話題提供してください是非に」


「お、おう。それは別に構わないんだが、食い気味だな」


 まさかここまでの反応をされると思っていなかったのか、若干のけぞった遼平は要望通り話題を切り出す。


「聞いたぞ。仕事、また忙しくなりそうなんだってな」


「うっ……よりによって仕事の話とは。まあ瑛莉のせいってのもあるんですけど」


「瑞希くん、人気俳優だもんな。仕方ねえよ」


 人気俳優。現在の瑞希が社会において持っている肩書きはそれだった。


 整った顔立ち、それでいながらどこか女性を思わせるような美しさ。

 低くのびのあるテノールボイスから、少年、あるいは女性とも取れそうな高く快活な声。

 様々な役をこなせる万能性から現在人気沸騰中、俗にいう「時の人」だった。


 おかげさまで仕事が舞い込む舞い込むてんてこ舞いだそうだ。


「なんで私なんかが人気なんだろう……」


 なお、本人は人気ということは自覚している(というか自覚させられた)が、理由までは自覚していなかった。


 ペキッと、殻を割って中身を取り出す。薄皮を剥いて塩をつけて。


 口の中に入れてしばらく咀嚼して、それから酒を呑んだら勝手に喉へと流れ込んだ。


 次を食べようと手を伸ばす。1つをとると、殻。


 1つ、また1つ、と。3つ目もまた殻。

 4つ5つ6つ7つ目。あげく最後の1つも殻だった。


「ねえ、遼平さんおかわりってまだあ――」


「だめだ。銀杏は食べ過ぎると中毒起こすからな」


 むう。と、頬を膨らせて抗議するが遼平には全く効かない。






「ねえ、遼平さんは好きな人とかいないの?」


「なんだ? 唐突に」


 双方銀杏がなくなって殻の乗った皿だけが目の前に残された状態。恋バナ(遼平の苦手な話)を切り出した瑞希だった。

 呂律こそしっかりと回っているものの、顔は真っ赤だし、しっかりと酔っていた。


「でー? いるの? いないの?」


 完全に酔っているときのノリだった。


 遼平は知っていた。経験値は豊富だった。

 こういう場合、肯定を返すとその追及は留まることを忘れてマシンガンのように降り注ぎ始める。

 だからといって否定を返せば、


「いや、いないな」


「うっそだあっ! 絶対いるってー」


 とまあ、案の定信じてもらえない。もはや親しみなれた定型文のようなやり取りに、遼平の顔に一瞬悟りが宿る。


「いないから、ホントに」


「うー、それじゃあ逆に遼平さんを好いてる人はいないのか?」


「だから、そんなことはな――」


 い、と。そう言いたかった。しかしそれが叶う前に思考停止がかかる。


 少し待て、と。もう少し考えてみろ、と。


 本当に好かれていないのか、と。


 よく、よく考えてみたらいるじゃないか、と。


 最低3人は、もしかすると聞き間違いかもしれないが(というか聞き間違いあるいはなにかの間違いだと願っているが)さらにもう1人、いるではないか、と。


 その事実が遼平を、遼平が行おうとした「い」の発音を阻害した。


 そして、中途半端に終わってしまったことが案の定災いして、


「ああああああっ! 答えられないんだー! いるんだね? いるんだね?」


「イナイヨーイナイヨー、コンナオッサンニソンナヒトイルワケナイジャンヤダナー」


 とまあ、酔っぱらいの火にアルコールを注いでしまったようで。


 その火が消えるまで結構かかった。

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