しあわせをください
直接表現はありませんが
性行為をしたという描写はあります。ご注意を。
「松井陽と、あたし」
青空、太陽、日向ぼっこ中の子猫、公園で遊ぶ子ども、美少女、暖炉。
まだまだ、たくさんある陽の嫌いなものの一部だ。彼は幸せそうなものを嫌う。暖かな優しさを嫌う。
だから、あたしのことは嫌いじゃないらしい。幸せそうでもないし、暖かくもない。・・・美少女でもないし。
「陽ちゃん」
「あー?何すか」
「そっち公園あるよ。ちびっこ多し。犬もいる」
あたしは、陽のことを「陽ちゃん」と呼ぶ。可愛いけど、可愛げのない陽へのささやかな嫌がらせ。本人は気づいてない。
陽は少し顔をしかめた後、何も言わずに右に曲がった。遠回りだけど、こっちの道に公園はない。
時々、心配になる。
何で、この子は幸せを遠ざけたがるの?自分が特別不幸なわけでもない。
なのに、極端に幸せを嫌って。こんなで生きていけるのかなあ、と思う。
今日は曇天。陽の好きな天気。雨も降るかもしれない。何で、何で?
「やっぱ、趣味悪ィね、ここ」
いつの間にかついたラブホの前で、立ち止まって、陽は言った。同感だ。酷いピンク。気持ち悪い。
「でも、ここが安いじゃん」
「まあな。入ろう」
あたしが松井陽と出会ったのは、5年前。中学校の入学式だった。
陽も今と少しは違ったけど、もっと違ったのはあたしだった。親の離婚が春休み中に決まって、酷く暗かったのだ。
俯いてるし、話さない。入学式から一週間も経たない内に、あたしは教室で浮いた。
同じ小学校だった子も「不幸アピールすんな」とか言いながら話しかけてこない。どうでもよかったけど。本当に、それは。
だけど、そんな中で初めてまともに話しかけてきたのは、陽だった。
「金崎さ、これいる?」
いちごの飴を手の内で転がしながら、笑顔で。あたしはびっくりしすぎて、泣いた。わーわー泣いたんじゃなくて、静かに。
いきなりぽろぽろ泣き出したあたしに、陽は少し驚いたみたいだったけど、飴を握らせて言った。
「これ甘くないから、美味いよ」
「甘く、ない、いちごの飴なん、かっ」
「美味いの」
否定的な意見を言おうとしたら、強い声で遮られる。あたしはそれ以上何も言えなかった。
「何で、あたしに」
ようやく止まった涙を拭いながら聞く。
「・・・幸せじゃないから」
「はあ?」
「金崎、今不幸せだろ?」
いつの間にか、教室にはあたしと陽しかいなかった。そういえば音楽だった。授業開始のチャイムが鳴る。
陽の整った顔が怖かった。人の真顔を怖いと思ったのは初めてだった。大きな瞳にじっと見つめられる。それから、キスされた。静かな口付けだった。まるで髪をかきあげるみたいな自然な行為のようだ。
「俺、金崎に一目惚れしちゃった」
性行為は嫌いだった。漫画のきらきらした世界と違って、ただ苦しいだけ。だから、陽は好きなのかもしれない。幸せさがないから、ぬくもりがないから。あたしが苦しがるから。
あの日、初めて話した日から気付いていた。陽はあたしのことは好きじゃない。
不幸で暗い、苦しがるあたしが好きなのだ。でも今は不幸ではない。暗くもないと思う。
陽があたしを捨てる日は近い。この行為に飽きたら、終わりだ。
「寝てんの?」
枕にうつ伏せるあたしの、髪の毛を弄りながら言った。
「・・・起きてる」
「疲れた?」
「当たり前じゃん・・・陽ちゃんと違って、あたしは痛いだけだもん」
「だね」
謝れなんて思わない。労わって欲しくもない。
でも、ほら、たまにだけど。
わけもなく優しく抱きしめて欲しくなるときがあるでしょう?頭をなでて欲しいとか。性行為なしで。そういった行為だけじゃない。公園で手を繋いでデートとかしたい。あ、猫だよ可愛いとか言いたい。好きだと言って欲しい。
たまにだから、忘れることにしてる。あたしは幸せじゃなくても不幸じゃないし弱くない。
「金崎」
「寝たいの、あたしは。もう寝よう、中途半端な時間寝たくない」
「かなざき」
「・・・・・・・・・・」
「・・・おやすみ」
どうしたら、この大好きな人と暖かくなれる?
夢を見た。優しい夢だけど、嘘ばっかりで。ああ、やっぱ夢なんだなあって自覚するのが寂しかった。
「美保子」
馬鹿じゃん、夢作った人。もうちょっとマシに作って欲しい。陽があたしを名前で呼ぶはずがない。
「美保子、好きだ」
ああ、馬鹿だな、ばかだなあ・・・。
「おい、」
「・・・陽?」
「早く起きろよ、出るぞ」
「陽、」
夢と現実の境目が分からない。重い頭を振るって、あたしは起き上がる。二時間ほど寝てた。
「服」
「俺が着せた。早く、延長料金は面倒」
ねえ、まだ夢なのかな。
だるい体。辺りは入るときと違って、暗くなってきた。陽の時間が近付いてくる。雨はあたしたちがホテルにいる間に降ったみたいで、地面が湿っていた。空にはもう雲はない。
「陽ちゃんさ、この後どうする?」
「お前さ」
「うん?」
「何で陽ちゃんって呼ぶの」
嫌がらせって言おうと思ったけど、陽の顔がやけに真剣で、何気なく聞いたわけじゃないって分かった。口篭ってしまう。
「さっき、寝起きに陽って言ってたじゃん」
「たまたまだよ」
「たまたま?お前俺と話すとき、陽ちゃんって呼ばなかったことなかったじゃん」
何をそんなに気にするんだろう。今日は少しおかしいみたいだ。
嫌がらせ以外にも、一つ理由はある。けど、言うつもりはない。
「帰る」
ずるいやり方だけど、あたしは陽と反対方向に歩き出した。途中から小走りになる。陽は来ない。所詮、そんなものなのだ、あたしたちは。
「金崎て、松井と付き合ってんの?」
「そうだけど」
「だよなあ、うーん」
あれから、陽と一度も話していない。というか陽は学校に来ていないのだ。
「・・・・なんで、いきなりそんなこと」
「いや、あのさぁ。えーと、こんなこというのもどうかと思うんだけど」
すこし言いづらそうに、そいつ、宮原は頭を掻いた。口をもごもごさせている。
あまりに言い出さないので、宮原を睨み付けた。そこでようやく、口を開く。
「松井さぁ、俺昨日見たの。俺ん家の近くで、なんか女子といたんだけど」
「ふうん」
「ふーんてお前。いいわけ?結構可愛い子だったけど」
「どうでもいいよ」
本当にどうでもいい。陽が可愛い子といたっていうのは少し吃驚だけど。
「・・・好きなんじゃ、ねえの?」
心配した声色。ああ、この人は優しい人なのかもしれないね。陽と違ってさ。
「好きなわけ、ないじゃん。松井なんてさ」
にっこりと笑って見せた。けど、宮原はあたしなんか見てなくて、その背後を見て顔を引き攣らしていた。あたしは振り返る。
「陽、ちゃん?」
「おはよう、金崎。久しぶりだね」
「陽ちゃん、違う、あたし」
「知ってたよ。お前が何となく付き合ってくれてることぐらい」
あたしが付き合ってあげてる?違うでしょ、陽が付き合ってくれてるんでしょ?なんでなんでなんで。違う、どうして、陽。
「松井、金崎は悪くねーだろ。お前昨日女と歩いてたじゃん」
「ああ、そうだな。じゃあ、別れようか」
「松井、」
あたしたちの雰囲気の異常さにか、周りがざわつく。泣きそう。陽は笑みを浮かべて、宮原は怒ってる。
「陽ちゃん」
何か言おうとしたけど涙が零れそうで名前を呼ぶしかできなかった。声、少し掠れたけど。陽ちゃん。
名前を呼んだ瞬間、陽は途端に笑うのを止めた。そしてあたしの腕を引っ張る。走り出す。背中で、あたしの名を呼ぶ宮原の声が聞こえた。
「陽ちゃん、痛いって」
「・・・・・・・・」
「陽ちゃ、陽!やめてよっ、ばか」
立ち止まったくせに、陽はずっとあたしの腕を掴んだままだった。しかも酷く強い力。
「陽・・・・?」
「なんで、俺は普通に付き合えない?」
「・・・あんたが普通じゃないから。気付かない?幸せを嫌う人間なんかいないんだよ、普通。ノーマル」
「普通、ね」
「あたし、嫌いだった。陽のそういうとこ。意味わかんなかった。あたしは幸せになりたかった」
陽は黙る。だから続けた。
「どうして不幸なものがいいの、どうして幸福が嫌なの、まじ意味わかんない」
「あたしは、それでも別れられなかった。わかる?あたしあんたのこと大好きなんだよ。あの中一の頃から。唯一、あたしに話しかけてくれたから。それがどれだけあたしの、もう・・・・いや」
「金崎」
「好きでした。ごめん、あたし陽ちゃんに言ったことなかったんだ」
「うん」
「陽、好き」
「・・・・俺も。ねえ、なんで俺が不幸を好いたか分かる?」
さんざん意味分からないと言ったのに、陽はそんなことを聞いてきた。分かってほしいってこと?
「俺ね。実はすっごい幸せ願望あんの」
「えぇ」
「なんだ、そのリアクション」
あ、なんか普通のカップルっぽくない?今の会話の仕方。
「幸せなん。俺いまめちゃくちゃ。金崎と付き合ってて」
「わあ、本当」
「どうした、その話し方。まあいいや。だからその幸せが薄れちゃうのがいやだった」
「うん」
「ですから、それで」
変なやつ。最低なやつ。馬鹿なやつ。でも、陽。あたし初めて陽が分かった気がする。
「だったら、そういう幸せなものよりさ、幸せになればいーんだよ」
「え」
「あたしが、幸せにします。貴方を」
プロポーズみたいだな。
プロポーズだよ。ねえ、昨日一緒にいた女って誰?
ああー・・・ベタで信じてもらえるか分かんないけど、妹なんです。
え、妹いたんだ!可愛いらしいね、宮原が言ってたよ。あ、宮原に謝んなきゃ。痴話げんか目の前でしてごめんなさいーって。
痴話げんかとか、ふふふ。
きもい笑い方。
うるさい、幸せな笑い方なんだよ!
ねえ、陽。今日は公園を通って歩こう。それで、どこか広場行きたいなあ。
ああ、いいな。その幸せ。