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モソロプのショックからソラは中々冷めやらず、ホールの隅で一人チビチビと果実ジュースを飲んでいた。
オレンジのようにスッキリとした酸味と甘みのある炭酸ジュースだ。
清涼飲料水のようで懐かしい味で、先ほどの不可思議な味覚体験を上書きしてしまおうと言う作戦だ。
「くっそー…せめてバニラ風味さえ無ければ食えたもんなのに…。」
なんて呟きながら座り込み、ちびちびと飲み続ける。
コップが空になる頃、一人の女性がソラの隣に座り込む。
一瞬、仲間の誰かが来たのかと思ったが、思わぬ人物だったのでソラは驚いた。
「隣、よろしいかしら?」
優雅な仕草で、ソラの隣に腰を掛けたのは先ほどの美女エルフであった。
「お、は、はぃ。」
突然の美人からの接触に思わず声が上ずるソラ。
「ちゃんと挨拶をしてなかったわね、私はノルト。見ての通り、あなたと同じエルフね。」
「ソ、ソラです、よろしくお願いします。」
ウブな男子高生のように、ぎこちなくソラは挨拶を返した。
あまりにもな自分の反応に気づいたソラは少し恥ずかしいと思い、心の中で気合を入れる。
ソラとて男、美女に恥ずかしい所は見せたくないのだ。
「お友達は居ないのね?」
「はい、はぐれてしまいました。でも皆んな食事を楽しんでいると思いますよ。」
「そう、それは良かったわ。あなたはどうなの?」
「珍しい食べ物をいくらか頂きましたね、どれもとても美味しかったです。」
「そう、ありがとう…。」
ソラの感想に、微笑み返すノルト。
「ありがとうって、この料理はまさか…。」
「いいえ、私のお友達のお弟子さん達が作ったのよ。私がこの日の為にお願いしたの。」
「なるほど、それはそうですよね、こんなに大量の料理ですし…。」
「ええ、私は少しお邪魔してつまみ食いしただけなの。」
そう言ってノルトは悪戯っぽく笑った。
ソラは絶世の美女にそんな仕草をされて、ときめかない程朴念仁では無い。
それはもう、がっちりハートキャッチされていた。
「はは、お茶目な方ですね。」
なんて、普段のおっさん口調からかけ離れた話し方になりはじめる始末だ。
「ええ、こう見えておてんばなのよ?」
「とても見えませんね、こんな花のように、いや花よりも可憐なお嬢様が。」
「あらあら、お嬢様だなんて。」
そう言ってうふふと笑うノルト。
ソラはその笑みに、少し口角を上げたスマイルで返す。
洋画で渋めの俳優がそうするように。
しかし、ソラは気づいていない。
おっさんの姿であれば様になっていただろうその仕草は、エルフの美少女の姿のせいでちぐはぐだと言う事を。
「あなた、とても面白いのね。」
微笑むノルトに気を良くしたソラは、つい饒舌になってしまう。
暫く話し込んでいると、ふとノルトがソラに尋ねた。
「ところであなた、冒険者をやっているんですって?」
「まあ、一応そうなるんですかね。」
実質日雇労働者で、冒険なんてかっこいい事はしているつもりが無いため、ソラ少し小さな声で肯定した。
「こんなに可愛らしいのに、どうして冒険者になったのかしら?」
「可愛いって…ああそうか…。」
若干口説きモードに入ってたソラだが、ノルトの一言に我に帰る。
そうじゃん、俺女の子だから格好つけても何しても無駄じゃん。
ふいにそう悟り、先ほどまでの饒舌な自分を恥じていた。
「あら、どうしたの?何かまずい事を聞いちゃったかしら?」
ズーンとソラが急に落ち込んだので、心配した様子のノルト。
急に黙り込んだから心配されてしまったなと、ソラは気持ちを切り替える。
先ほどまでの胸に宿った情熱の炎は殆ど落ち着いていた。
「いえいえ、可愛いって言われ慣れてないもんで…冒険者やってる理由でしたっけ。大したもんじゃないですよ。」
心配そうなノルトに大した事無いと答える。
「そうなの、びっくりさせちゃったわね。それで、どうして冒険者を?」
金の為、と答えようと思ったが、本日はそれでは無いなとソラは言いかけた口を閉じる。
何の為に冒険者としてやる事を決意した?そんなものは決まっていた。
「なに、帰りたいんですよ…元いた、自分の場所にね。」
「帰りたい…?」
ノルトは不思議に思う。
冒険者になった動機としておかしいと思ったからでは無い。
ソラの、少女の瞳が遠くの、ここではない何処かを見つめて居たからだ。
思わず、ノルトは尋ねて居た。
「それは、今はもう無い所かしら?それとも戻らない過去かしら?」
口にして、少し踏み込み過ぎた事を聞いている事にノルトは気づいた。
怒らせちゃうかしら?そう心配そうにソラを見る。
しかし、ソラは微笑み答える。
「確かに、もう無くなっているかも知れない。もう戻れないかも知れない。でも、それでも諦めたく無い。やらなきゃならない事があるんでね。」
「そう…。あなたはきっと帰れるわ。」
ソラの瞳の奥に、確かな決意を見たノルト。
その決意がある限りきっとできる。
なんとなく、ノルトはそう感じた。
ソラは改めて決意を口にして思う。
この世界に来てもう数ヶ月は経っている。
仕事はもう無くなっているだろう。失踪となると、年齢的に社会復帰も厳しいかも知れない。
でも、迷惑を掛けた職場関係者には絶対に、菓子折りを持って頭を下げに行かねばならぬと。
それを、具体的にこの世界の人間に語っても分からないだろうから曖昧に話したが、思いの外優しく応援されてしまった。
下心が消えても、美人に応援されるとやる気は出てくるものだ。
「それじゃあ、あなたの旅を応援しているわ。良ければ冒険者を辞めて私の元で暮らさないかって誘おうと思ったのだけど、余計なお世話になる所だったわ。」
ノルトはそう言って腰を上げた。
「まあ、断ってただろうけどありがとうございます。お気持ちだけでも嬉しいです。でもどうして私を?」
どうして自分の元で暮らさないかと、見ず知らずの他人に言おうと思ったのか。
見た所どこぞのお嬢様だ、貴族の気まぐれか何かだろうか。
気になって思わず聞いてしまった。
「冒険者は女の子には厳しいと思ったの、あと同じエルフのよしみね。」
「そういえば俺…いや私もエルフだったっけ…。」
種族を意識した事は無いが、ソラの姿はまごう事なきエルフであった。今更ながら思い出す。
「それだけよ、それじゃあ、頑張ってね。」
そう言ってノルトは去って行った。
ソラは少しの間ノルトの背中を見送っていたが、直ぐに人混みに紛れて見えなくなってしまう。
少し残ったジュースをくぴりと飲み干し
「美女の元で生活かぁ…悪くなかったかもなぁ…。」
そう呟くのだった。




