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己の姿を確認してから小一時間ほど、空は現状の確認を何度も行っていた。
分かった事と言えば
・空はエルフのような少女である。
・ここは全くしらない土地である。
そのたった2点であった。
「俺は樫林空…俺はおっさん…ガキなんかじゃない…ましてや女なわけがねえ…」
何度も確認した事実から目をそむけるべく本来の己の在り方を連呼しているが、言葉にする度に己の声の可愛さに打ちひしがれる。
空がいつまでも現実逃避してはいけないと気を取り直すのはさらに一時間後の事だった。
「っだあああああ!いつまでウジウジしてやがる俺!全然俺らしくねえぞコラ!」
気合いを入れ己に一喝し、思考を現実に無理やり戻す。
「取り合えず女の身体になってるけどちゃんと動けるよな…」
そして、身体が思いどおり動くかをひとまず確認する事にした。
段位を取るためにかじった事のある格闘技の型や、毎日やっているラジオ体操などのなじみのある動きで身体が自由に動く事を確認し終わる。
「最初は違和感あったけど全然普通に動くな…」
筋肉、骨格が全く違う為まともな動きができるかすら不安だったのだが思った以上に普通に身体が動く事に驚く空。
「あとは…なんか腰についてたんだよな…」
身体の動きを確認している最中、腰のあたりに何か括りつけられている事に気付いたのだった。
「皮袋と…単語帳?」
そこにあったのは動物の皮で作られた小物が入りそうな袋と、紙ではなく、何か動物の素材で作った単語帳のようなものであった。
袋の中は開いてみたが小さい水晶のようなものが一つ入っているだけだった。
そして単語帳のようなものを開こうとした時、ガサガサと音を立て森の方の草木が大きく揺れ動いた。
(獣か!?)
すると、そこから大きな人影が現れた。
「なんだい…なんか綺麗なとこに出たねぇ…」
(人だ!けど…これはヤバい!)
空は人との遭遇に一瞬希望を見出したが、現れた姿の異様さに絶望を覚えた。
それは中世風の甲冑を纏った2m程の巨漢であった。
手には小剣を持っており、背中には大剣を背負って武装している。
さらに、甲冑の合間からは緑色の筋骨隆々な腕やふとももが見えており強そうな人外である事が分かった。
(オイオイ…俺がエルフならあいつはまるでオークみてえじゃねえか…)
エルフにオーク、そのシチュエーションで空はさらに絶望的な想像が頭を過る。
それは、空がファンタジー検定を勉強中に"たまたま"ネットで分からない単語を調べた時に"たまたま"行きついたアダルトサイトにあった。
『オーク×エルフコレクション』と言うタイトルのイラスト集であった。
"たまたま"みつけたそれを"好奇心"で空は観覧している。
『亜人種の中でも女の生まれないオークは他種族を捕まえて孕ませる事で繁殖している。そんなオークを討伐する為に気高いエルフの女騎士達が立ち上がった!しかし!無慈悲にもオーク達の凶刃に破れるエルフの女騎士達、その先に待つのは絶望と…そして快楽の地獄であった!』
と言うストーリーがまず最初に書かれており、その先に進むととても表現できないようなエログロのイラストが掲載されていた。
(いやいやいやいやいやいやいやいや…あれはそう言う都合のいいファンタジーだし創作だしそれにこの人だってちょっと肌が緑色だけど普通の人間かも知れないし…武装してるのは森の中で危ないからだろうし…とりあえず話をしてみて…)
とりあえず恐る恐る声をかけて見ることにした。
「こ、こんにちは…」
声をかけられ巨漢は空に気付いた様子で甲冑のヘルメットをカタカタ揺らし声をかけてきた空に応えた。
「ん?」
『オーックックック!こんなところにエルフのメスとは運がいいでゲス…巣に持ち帰ってブゲッ』
と言ってから自分の後頭部をパシリと叩き
「やめないかい!」
と怒鳴る。
見る人が見ればその仕草は後頭部でアテレコをした何かを叩いて注意していると分かっただろう。
だが空の目には先ほどのセリフのせいで『こいつはついてるぜぇ』と後頭部を叩いて喜びを表現する小悪党の仕草に映った。
「ひぃぃぃぃ犯されるぅぅぅぅ!?」
思わず腰を抜かしその場にへたり込む空。
空は本来、強い人間であった。
それなりに荒事に巻き込まれた事も、喧嘩をした事もあるし、現代日本で暮らしながら命の危険に晒されるような経験もある。
だから、刃物を持った人間と対峙したとしても恐怖しながらも戦う事はできたであろう。
そう、本来の空であれば。
だが今は少女の体であり、さらには女性として、犯され凌辱されるかもしれないと言う危機に面している。
それは空にとって想像もした事が無い恐怖、死角からの強打のようなクリティカルな恐怖。
故に腰を抜かすこともやむなしであった。
へたりこんだ空に巨漢は近づき手を伸ばす。
(もう駄目だ…男として…こんな屈辱的な目に会うぐらいならいっそ死んでしまいたい…)
捕まえるぐらいならもう片手に持っている剣で貫いてくれ…そう思った空は
「どうせなら…殺せ…」と口にだしていた。
すると巨漢は申し訳なさそうに手を引っ込めて、さらに剣を鞘に納めるて
「すまないね、怖がらせちまったかい?」
と優しげに声をかけてきた。
凛とした女性の声で。
先ほどの下衆なセリフとのギャップに混乱する空。
「ったく…こいつの悪ふざけのせいで怖がらせちまったねえ」
そう言って巨漢は甲冑の後頭部にへばりついてる何かをつかんで空の前に持ってきた。
それは、目を回している体長10センチ程の、羽のついた小さな少女であった。
「さっきの悪党みたいなセリフはアタシの後ろでこいつが言ってただけさ、アタシは別にアンタを取って食ったりはしないよ」
そこでようやく空は、全てを理解した。
そして、目の前の巨漢はへたりこんだ空に親切で手を差し伸べてくれているのだと気付いた。
(少しばかりビビりすぎたな…普通に良い人そうだ…)
恐怖状態から立ち直った空は思わず見せた醜態に顔を赤らめながら自力で立ち上がり、巨漢に謝った。
「あー悪い…こっちこそビビりすぎちまってたな」
親切心で声を掛けてくれた人にあのリアクションはちょっとなと反省する空だった。
巨人はラケル、小人はリリスと言って冒険者のパーティだと言う。
仲間の一人が森の奥に一人で行ってしまったから探しに来たとの事だった。
その途中、開けた空間に出たと思ったら空に恐る恐る声をかけられ、リリスが悪ふざけで空を驚かせてしまったと言う事だ。
「それで、アンタはなんでこんな森の奥に一人で居たんだい?」
そして空に対して当然の疑問を投げかけてくるラケル。
「それが何にも分かんねえんだよ…気づいたらこんなとこで寝ててな…」
「なにそれー?記憶喪失ってやつ?ウケルー」
「コラ!リリス!茶化すんじゃないよ。本当にそうだとしたら困ったもんだねえ」
「いや…記憶はちゃんとあるぞ、あるはずだ…俺は樫林空って言う建築会社に勤めてるサラリーマンでな…」
「カシバヤシソラ、名前はソラかい?ケンチクガイシャってのは聞いた事ない場所だね…サラリーマンってのも分からないね…それがあんたのジョブなのかい?」
「いや職業って言えば職業なんだけど…まあとにかく俺は働くおじさんだったんだよ」
「おじさん?こんなカワイイのに?マジウケルー!ゲラゲラゲラゲラ」
「いや本当はおっさんなんだけど気がついてたらこうなってたんだよ…」
現状を説明しようにもありのままを話した所で全く話が通じて居なかった。
「どうも記憶が無いどころか混乱してるみたいだね…仲間を見つけたら戻ってくるからそしたらアタシらと一緒に街へ行こうか、そこで少し落ち着いてから話をしようか、ソラ」
ラケルがそう提案する。
街に行く事自体はソラにとってもありがたい提案だったので了承し、ラケルとリリスの仲間を探しを手伝わせてくれと提案した。
「手伝ってくれるのはありがたいね、探してるのは…えーと…まあ見た目はヒト種の小さい女の子さ。名前はルビィ」
「ルビィな、それで外見的特徴は?」
「人間年齢だと10歳ぐらいの女の子で赤いボサボサの髪をしてるねえ…まあこんな森の中で他の迷子とかいる訳ないけどね」
「そりゃそうだよー!ルビィが森の方にふらふら歩いていかなきゃ誰もこんな森入んないって!」
「こんな森こんな森って、この森がどうかしたのか?普通の森じゃねえか」
ソラはふと疑問に思い質問した。
「ああ、いわくつきって言うかね…何も無いんだよ、この森は」
ラケルが言うには、この森は特殊な森で、草木は何年も姿を変えず成長も枯れもしない、動物や虫等の生物はいない、使える素材も無い、危険も無ければ得られる物も全く無い不毛地帯、ここだけ時間が止まったような事から【時無し森】と呼ばれる場所だと言う事だ。
「しかも街道からは遠く…どの国へ行くにしても通る必要も無いから道を作る必要も無いしなーんにもないはずの森なのさ」
不思議な森もあるもんだなと流しかけたがあり得ない事をさらっと言われている事にソラは気づいた。
「草木が成長も枯れもしないって…なんだよそりゃ!?ありえねえだろ!」
「さー?神話時代の魔法かなんかじゃないのー?」
事も無さげに言われるがソラにはさらに疑問が生まれた。
「魔法って…そんなもんあるわけ…」
そう言おうとして、ソラは今まで考えもしなかった事に漸く気付いた。
「てか、お前小さくねえか!?」
「む、失礼なー!リリスはね!フェアリーの中じゃ大きいほうなんだからね!マジムカツク!」
「フェアリーって…」
その瞬間、ソラの中に現れた疑問が爆発的に膨れ上がった。
そもそも、何故自分が少女なのかで思考が止まっていたが、目の前に居る二人もソラの知る常識から大きく逸脱していた。
ソラにとって、緑色の肌の人間や10センチサイズの人間なんて世に溢れるファンタジー系の物語の中だけの存在だった。
(ファンタジー検定の勉強中に寝ちまったみたいだしこれは夢かも知れない…と思いたいけど)
夢ならば全て納得なのだが、どう考えても覚醒している自意識により夢であると言う希望は粉砕されている。
ならば今の現実は一体何なのか。
ファンタジー検定のテキストの上で寝たせいでテキストの中に入った?
それとも元々金髪のエルフ少女だった俺が本当に記憶喪失になった?
それなら樫林空としての記憶は一体なんなのか…胡蝶の夢のようにこの少女の見た夢が樫林空だったのか…
頭の中がぐるぐる回るような感覚に陥る。現実と言う物が全く分からない。
「我思う、故に我有り…だ。」
取り合えず、今こうしている自分は現実である。
ソラはそう結論付け、目の前に緑色の人間やフェアリーが居て魔法が常識として扱われている。
その世界にいる自分が存在する。
その現実を潔く認めることにした。
「どうしたんだい?急に考え混んで」
自分の思考に入りこんでしまっていた為会話の途中だと言う事を忘れてしまっていたソラに心配そうに声をかけるラケル。
「ああ…いや大丈夫だ、本当に記憶が混乱してるのかもしれない。」
「そうかい、迷子探しはこっちでやるからアンタは少しここで休んでなよ」
「いや、大丈夫だ。問題無い。」
ラケルの気遣いに感謝しながらも首を振る。
「そう…問題無い…」
ソラの言葉に乗っかるように森の中からか細い声がした。
「やっほー…」
森の草むらから人影が現れる。
赤毛のボサボサの髪、どことなくねむそうな青い瞳、白いファー付きのコートのような服装の少女だった。
「「ルビィ!」」
どうやらこの少女がラケルとリリスが探していた仲間のようだ。
「…見つけた…」
そう言ってルビィはソラに歩み寄る。
「それはこっちのセリフだし!アリエナイ!」
「全くだよ、どうして森の中に一人で入って行っちまったのさ」
仲間の問いかけにルビィはソラを指さし応える。
「この子を…探しにきた…」
「俺を…?なんで?」
「………さあ?」
自分で探しに来たと言っておいて不思議そうなルビィ、ソラはそんな少女にあっけにとられた。
「あー済まないねぇ…この子はちょっと変わっててね…時々自分でもわからないような行動をとるんだ」
「世話が焼けるよねー、ワケワカンナーイ」
どうやら、いつもの事らしい。
「まあ、この子は巫女って言う特殊なクラスだからね…神託みたいなもんだと言われてるよ」
「…そう、だいたいそんな感じ…?」
ラケルの言葉をピースサインを作って肯定するルビィ。
ソラは、ルビィの事を不思議ちゃんなのかなと思っておくことにした。
「まあなんだ…仲間が見つかって良かったな」
「ああ、それじゃあアタシらと一緒に街へ行こうか」
「そうだな…」
そして、とりあえず街へ行くことにした。