09 幹部会議
族長のロジオンは、ソレンギ族と付き従って来た民をガロシュ族に受け入れた。
ドゥムジは数ヵ月の大混乱を予想したが、ガロシュ族は驚くべき手法でその問題を乗り切った。
ロジオンはソレンギ族の族長であったランベルト・ソレンギをガロシュ族の大戦士に任じ、彼自身が率いて来た1万2,000人を民と従属民とに分けさせ、そのまま全てを彼の配下としたのだ。
利点は様々にある。
旧来の繋がりがそのまま維持できるため、精強な集団を丸ごと取り込める点。
民から従属民に落ちる者が居ても、恨みを買うのはソレンギ自身である点。
不平不満や反抗を抑えるのは直接上に立つソレンギ族の戦士たちなので、ガロシュ族は矢面に立つことが無い点。
新集団を旧集団と分けることで、最初からガロシュ族と避難民との富の偏在が当たり前の状況を作り、新集団には当面の貧困を甘受させられる点。
欠点もいくつかある。
ガロシュ族内に、信用に値するのか分からない新興の大勢力が誕生する点。
身内で固めた新興勢力の内部へは、族長の目が充分に行き届かない点。
彼らが不満を持って事を起こしたら、甚大な被害が出る点。
北からの避難民を組み込むことに慣れたロジオンは、ドゥムジの危惧などお構いなしにソレンギ族へ土地の一部を与え、早々に四角形に点在していたガロシュ族の夏営地を五角形に再編した。
ガロシュ族が形成する五角形の一角は、今後大戦士ソレンギが受け持つ。
ロジオンはそうやって公平に徹して受け入れ条件を順守しつつ、最大の目的であった土属性で3格契約者のアッカド中魔導師を堂々と本陣へ引っ張っていった。
「シュメール中魔導師、これからよろしく頼む」
「こちらこそ、アッカド中魔導師。俺は土属性が一番苦手だ。光属性の治癒も行っているため、土系統に関してはお任せしたい」
「問題ない。土属性の魔法は複数の部族で、40年に渡って行使してきた……」
アッカド中魔導師が自ら語ったところによれば、彼はソレンギ族よりも北側の別部族出身者で、北民の侵略により部族が壊滅して逃れてきたらしい。
家族については語られなかったが、現在は独り身である。
中魔導師が独り身というのは、独立直後の若輩者を除けばまずあり得ない。
ドゥムジは事情を察し、それより先には踏み込まなかった。
こうしてソレンギ族は組み込まれたのだが、新集団を統制する大戦士ソレンギの手腕も、ロジオンに劣るものではなかった。
ソレンギは付いてきた部族以外の民を全員従属民とし、不満を言う者は何も持たせず草原に放り出すことで、中核であるソレンギ族の不満を最小限に抑え、新たな集団を順当に作り出した。
彼の指導力は、北民から逃げてガロシュ族へ入り込むまでに、ソレンギ族の犠牲を極力減らした事からも充分に窺える。
結果として大集団を維持し、従属民としてバラバラに組み込まれるのでは無く、組織と身分を保って新部族に加わった。北から逃げた遊牧民の中では、ソレンギ族は最良に近い結果を得られたと言って良い。
しかし、ガロシュ族に1万人以上の人員が加わった事に変わりは無く、家畜の頭数が膨れ上がり、従来の営地の牧草だけでは不足が現れ始めた。
牧草が生い茂る初夏は良いが、やがて牧草を得られない冬が来る。
冬に備えるためには、秋頃までに羊を充分に肥えさせなければならない。
ドゥムジは幹部会議において、近い将来の危機を訴える事にした。
なお出席者は、次の通りである。
族長 ロジオン・ガロシュ
大戦士 マカール・バザロフ (族長の弟)
大戦士 ダリミル・ブラーハ (筆頭大戦士)
大戦士 ラルス・コルトバ (他部族出身)
大戦士 ランベルト・ソレンギ(新参)
中魔導師 アリーサ・エリドゥ (火2格・大婆)
中魔導師 クリメント・ベナテク(水2格・老)
中魔導師 ドゥムジ・シュメール(4属性3格)
中魔導師 タンムーズ・アッカド(新参・土3格)
ガロシュ族の幹部は、族長1名、大戦士4名、中魔導師4名の合計9名となった。
「このままでは不味い」
「何が不味いのだ?」
「肥えない羊は冬を越せない。来年は家畜が減り、羊乳や様々な加工食品が得られなくなる。不足する糧を得るために短絡的に羊肉を貪り、さらに多くの羊が失われる。羊を失った遊牧民はどうなる」
「確かに多少の餓えは出るかもしれん。周辺の部族と領地争いを行い、家畜や領地を少し増やすことも視野に入れるべきだろうな」
ドゥムジの指摘を受けたロジオンは、他部族への攻撃を口にした。
それは千年後の未来から来たドゥムジにとって、想像外の発言だった。
現在南民は、北民に攻め込まれて南の端へ追いやられている最中だ。
であれば南民同士で協力し合い、北の脅威に立ち向かうべきだろう。
しかし周囲の大戦士や中魔導師たちは、誰もが部族間抗争で土地を得るのが当然という表情を浮かべていた。
現在の彼らにとっては北民の侵略も、南民同士の土地争いと大差が無いのかもしれない。
(このままでは、南民は残らず征服されるぞ)
固定観念を覆すのは、容易ではない。
北部農耕民は数百万人の国家を作れるが、南部遊牧民は数千から数万人の部族ごとに分かれて家畜に草を食ませる方が効率的だ。
この時代の遊牧民にとっては、数百万人規模の国家を成立させる事自体が不可解だ。まして数百万人規模の国々が数ヵ国で連携し、草原を求めもしないのに連合軍を送り込んでくるなど完全に理解不能なのだろう。
南民の各部族にどれだけ優れた戦士や魔導師が居ようとも、数百万人の国々と1万人の部族とで連戦すれば、勝ち残るのは数百万人の国々だ。
だがドゥムジにとっての既知は、彼らにとっての未知だった。
「抜本的な解決を提案したい」
「何だ?」
「以前、大婆とベナテク老が、城壁都市ウルクを攻めたと聞いた」
「その通りだ」
「であれば、過去にはウルクを落とす気があったのだろう。中位精霊の数も増えた事だし、改めて攻め入って、城壁都市ウルクをガロシュ族の営地の一つとし、周辺の肥沃な大地を丸ごと手に入れるのはどうだ?」
「あのウルクを手に入れるのか!?」
他部族では無く北民の土地を奪うという案ならば、検討の価値があるはずだ。
他部族に理解してもらって連帯するのは不可能でも、営地を得るという発想に基づいてガロシュ族だけで行うのならば、この幹部会議で同意が得られるだけで良い。
ドゥムジの提案に対して、最初に反応を示したのは新大戦士ソレンギだった。
「ウルクは都市人口5万人。さらに周囲の穀倉地帯には、2倍の人々が暮らすと聞く」
「穀倉地帯は、ガロシュ族の新たな営地に変わる。灌漑済みの肥沃な大地に、馬牽き小麦収穫機と製粉用の水車小屋が揃う農耕。そこへ我々の牧畜が合わされば、将来ガロシュ族が何十万人に増えようとも飢えることは無くなる」
ウルクは南民が周囲に暮らしている今でこそ最果ての辺境都市だが、その地理的な重要度は北民の南下と共に急上昇する。
精霊力に満ちた肥沃な大地の中央に座し、7つもの交易路が交差し、海に繋がる大河までも抱える南部の大要所。そこは遊牧民が全てウルク以南へ押し出された後に、侵攻拠点へと姿を変える。
北民の補給物資が陸路と海路で送り込まれ、南からの略奪品が運び込まれ、人と物とを南北へ繋ぐのだ。
南の地からどれだけ反抗しようとも、南北攻防の要に城塞都市ウルクが在る限り、南民は補給路を断たれて北へは進めない。
そして南北戦争が北民による南民の完全征服で幕を閉じた戦後、ウルクは交易拠点へと再び姿を変える。
「ウルクは南北の争いの大要所だ。北民の軍勢がこちらに辿り着く前にウルクを押さえておけば、南へ押し込められた何百万もの遊牧民は、ウルクという一大拠点を足がかりに、北の地へ自由に戻れるようにもなる」
ウルクは南民全体にとって放置できるような都市ではなく、攻め落とすならなるべく早い方が良いとの確信が、侵攻を説く声の語気をさらに強めた。
ドゥムジが周囲の幹部たちの表情を見渡すと、ガロシュ族から新たに加わったアッカド中魔導師が、攻略場の懸念を指摘した。
「俺たち3格級の土精霊契約者なら、どちらかが大門に取り付きさえすれば、扉を脆くして力尽くで突破出来る可能性はある。だが防壁上には弓や弩を構えた兵士、そしてバリスタなどが並んでいる。どうする気だ?」
「防壁上の敵が全て倒された状態ならば、問題ないか?」
「待て。建物の影から弩を射掛けられれば、戦士にも相当の死者が出る。単に門が開けば良いわけでは無い」
大門突入後の市街戦を想定したロジオンが、渋い表情を浮かべながらドゥムジに釘を刺した。
「北民は南民と違って人口に比して戦士が少ない。都市人口5万と周辺人口10万なら常備兵は3,000名程度だろう。一方ガロシュ族は、戦士5,000名と魔導師150名は動かせるだろう」
「草原のように馬が使えない攻城戦では、戦士の犠牲者が計り知れん」
「このままでは、2年後にはガロシュ族の餓死者がその何倍にもなるぞ」
「ではどうやって防壁上の敵を倒すのか言ってみろ」
ロジオンは大義の言い合いにうんざりして、具体的な計画を求めた。
それが見えなければ損得勘定など出来ないし、であれば結論も出せない。
この3ヵ月ほどでドゥムジが示した能力を加味するならば、風と土と闇を混ぜた複合魔法で防壁の上を一掃し、反撃を受けなくなってから接近して、大門を土精霊の力で崩す方法などが採りえる。
その欠点は、防壁の上に伏せられて頭上に盾でも構えられたなら、防壁の下から当てるのは難しいと言う事だ。増援が来るごとに魔法を撃っていれば、以前に大婆がされたように、南民を防壁上に立たせて戦意を削がれる可能性もある。
ドゥムジの力でも難しいのではないかと考えたロジオンであったが、提案者から提出された作戦は、そんな彼の予想の遙か斜め上をいった。
「俺が考えているのは、飛竜を従えて、それに乗って空から魔法攻撃の雨を降らせることだ」
「「「飛竜だと!?」」」
族長ロジオンを始めとした幹部達の声が幾重にも重なった。
だが、それもそのはずである。
飛竜は、首と尾が長いトカゲに大きな翼を生やしたような外見の竜だ。
もう少し詳細な説明をするならば、大型肉食恐竜であるアロサウルスの前脚を大きく発達させ、前後の爪を4本に増やし、口から火炎を吐けるように進化させ、尾には強烈な毒刺を持たせ、背中には大翼を生やして空を飛べるようにしたのが飛竜の外見である。
そのような化け物を造形した創造主とやらは、きっと悪魔に違いない。
並以上の成竜は平均全長8~12m、翼開張12~18mにもなり、あらゆる魔物の中でも飛びぬけて大きく、飛翔する魔物としては最大級の部類に入る。
その属性値は並みの飛竜でも「火4、風6、闇4」と、3属性で中位精霊級の力を持っており、魔法で太刀打ちしようにも1属性の中魔導師程度では、被害を出さずに撃退する事はまず不可能だ。
なお雄の方が雌よりも一回り程大きいが、最小サイズでも巨大なイリエワニよりなお大きく、そんな相手が空から遠距離攻撃を放ちながら襲ってくれば、家畜を食い散らかされている間に逃げるしか無い。
そんな飛竜に乗ると言い出した男の発言が、どれほど素っ頓狂なものであったのか、唖然とした幹部の顔を見渡せば一目瞭然であった。
但しドゥムジには勝算があった。
「そうだ。以前、俺の出身部族の中魔導師に乗せて貰ったことがある。騎乗には、風と闇の中位精霊と契約していることが最低条件だ」
「まさかお前は、飛竜に乗った事があるのかっ!?」
「ある。例えば馬の疾走時に、魔法の追い風を受けて大きく跳躍するだろう。飛竜の飛翔は、あの空への跳躍がどこまでも続くようなものだ。地から離れ、空へと迫り、やがて大地の小ささと、天空の大きさとを感じる」
ドゥムジは飛竜隊に入って以来、その光景を幾度も見ている。
飛竜は分不相応な人間が背中に乗ろうとすれば、全身を振って叩き落とそうとする。そして叩き落とした後には、首を伸ばして不埒な輩に食らい付く。
飛竜は乗り手を選ぶ事甚だしい生物であるが、恐れを知らない獰猛な性格と圧倒的な力、固い防御力、そして絶大な飛行能力故に戦場では非常に重宝された。
仮に羊が空を飛べても、戦場を見れば真っ先に逃げ出すだろう。百頭で群れて居ても、犬一匹を見れば全頭が逃げ出すような臆病者である。
山羊は好奇心旺盛なので、2回に1回は真っ直ぐ飛んでくれないに違いない。何しろ丘があれば丘に登り、その上に石があれば石の上に乗る変わり者である。
「飛竜は大翼と全身で風に乗り、微細な動きで進路を変える。だが風属性の力を発すれば、大海を泳ぐ魚が潮流すらも操るような動きで、大空を自由に飛び回れる。空の支配者を止めるなど、地の間借り人には不可能だ」
「飛竜に乗ったことがあるのは分かったが、それほどに称える飛竜を一体どうやって捕まえる?」
ロジオンの指摘は至極尤もだった。
ドゥムジが産まれた時代、契約候補者は既に契約済みの飛竜乗りに乗せられて、飛竜の巣へ直接連れて行かれた。
つまり飛竜乗りが居なければ、飛竜の巣までは自分で行かなければならない。
「巣がある場所は知っている。北のレバン大山が、飛竜の一大生息地だ。闇属性が3格あれば確実に飛竜と意志疎通できるし、風属性3格なら背に乗るのも支障ない。土属性3格で首根っこを掴んで、上下関係をハッキリさせて引っ張ってくる」
「どれくらいで帰ってくる?」
「夏の終わりから秋頃だろう。そういえばガロシュ族の秋営地は、どの辺りにあるんだ?」
「お前自身に危険は無いのか?」
「無い。並の力を持つ飛竜は火・風・闇の3属性が2格級だが、俺は4属性で3格の契約者だ。飛竜の地力と土属性とで殴り合っても、火炎と風精霊を争わせても、闇の束縛合戦でも負けはしない。それに、万が一の光属性もある」
ドゥムジが堂々と安全を宣言すると、族長の代わりに大婆が裁可を下した。
「ドゥムジ、あんたイナンナを連れて行きな」
「…………はっ?」