08 来訪者
ガロシュ族が春営地から夏営地へ移動して間もない初夏。
北の方角から最低1万人は下らないだろう大集団が、大きな荷馬車や家畜を引き連れ、蟻の大群のような長蛇の列を形成しながら営地へと押し寄せてきた。
「そこで止まれっ!」
その大集団を最初に見つけたガロシュ族の戦士が警告を発したが、大集団は一向に歩みを止めようとはしなかった。
然もありなん。
定めとはそれを定めた者の意であり、その実効力は力による強制である。
実行力の伴わない強制に従う者はおらず、逆に力で強制されれば従わざるを得ない。
自然界における動物の縄張り争いであろうと、遊牧民同士の放牧地争いであろうと、南北の民の支配地争いであろうと、定めを押し付けるのは力の強い側である。
大集団接近の第一報が届けられたガロシュ族では、族長のロジオンが直ぐさま大戦士2人と中魔導師3人、戦士4,000名に緊急招集を掛け、自ら指揮して対応に赴いた。
1万人程度の部族ならば、この戦力で充分な抑止力になる。
遊牧民の男には戦える者が多く、1万人の部族ならば戦士2,000人弱が所属し、中魔導師も1人くらいは所属していると見なして良い。
対してロジオンが動員した戦力は戦士が2倍、中魔導師が3倍であり、先方が戦士以外の者達を戦闘に参加させたとしても敗北は無い。
ガロシュ族の戦士は全員が騎乗しているので、3格の中位風精霊が放つ風を背に受けながら草原を駆けて騎射を行えば、犠牲が少ないままに勝利できるだろう。
それに接近してくる大集団は南下しており、北民との戦いで疲弊しているはずだ。
もちろん相手を甘く見ているわけではない。
相手に大魔導師が所属している極小の可能性を排除し切れないため、ガロシュ族は族長のロジオンと弟の大戦士バザロフを同じ戦場に立たせてはいない。
今回マカール・バザロフは部族戦士の半数と共に営地へ残っており、仮に相手に大魔導師が含まれていてロジオンが戦死するような事態に陥れば、バザロフが族長代行としてより良い条件での降伏や逃亡を行う手筈になっている。
「まずは恫喝だ。なるべく派手にやって力を見せつけろ」
「了解した」
ドゥムジが右手を払って僅かな風を作ると、右手側に風精霊がふわりと舞い降りた。彼女は長い緑髪をゆらゆらと風に靡かせ、ドゥムジの表情を穏やかに眺める。
待機状態の風精霊を前に、ドゥムジは周囲のマナを右手で軽く握り、それを大空に撒き放って見せた。
『天風』
風精霊は軽く頷き、細い両腕を大きく広げる。
その刹那、彼女の両手から緑の滝が、天に向かって勢い良く吹き上がった。
天地を入れ替えながら天に伸びていく緑光の河は、よく見ればその一つ一つが緑の小鳥で構成されており、滝の流れは小鳥たちの飛翔であった。
緑のマナが数多の点となって大気中に煌めきを放ち、ガロシュ族の夏営地に接近していた他部族の大集団は数多の鳥の洪水を目にして、自ずとその足を停止させた。
だが、彼らの足が止まっただけで目的が達成されたわけでは無い。族長の依頼は恫喝である。ドゥムジがマナを掴んだ右手を静かに下ろすと、その意志を介した風精霊も両細腕を勢い良く叩き付けるように振り下ろした。
『塵旋風』
天へ駆け上がっていた鳥たちが翼を広げて角度を変え、大きく弧を描きながら大地へと落ち始めた。
そんな緑の光が進む大地の表面を、いつの間にか茶の光が広く覆っていた。
天の緑光は、地の茶光を巻き込むように地表上を駆け抜け、二種類の光は重なりながら1万の集団の周囲をグルグルと回り始めた。
人工的に作り出された螺旋風の威力は竜巻には弱く、つむじ風と称すべきだろう。大量の塵を巻き込んでいることから、塵旋風がより正しいのかもしれない。
緑の小鳥たちは、茶の塵芥と共に飛び交いながら土風の壁を生み出し、接近していた集団を広範囲に覆った。
『暗闇』
集団を覆い尽くす壁の茶緑の光が、次第に黒く変わり始めた。
緑の小鳥たちが次々と深緑に染まり、塵芥が黒ずんでいく。
つむじ風が淀みを内包し、立ち竦んでいた彼らが耐え切れずにしゃがみ込む。そんな彼らの姿も、次第に黒く染まる壁に隠されて見えなくなっていった。
既にこの草原は、ガロシュ族に既知の牧地では無く、三色のマナが乱舞する死の舞踏場であった。
シャンデリアではなく天空のマナが周囲を照らし、直下では3属性の乙女たちが美しく舞っている。
音楽隊は小鳥たちの生み出す風の音と、吹き荒れながら擦れ合う土塊の衝突音と、それを吸い込んで不協和音を撒き散らす暗闇の深淵であった。
「イナンナ、今の魔法がチーズ作りの応用術だ」
「ええっ!?」
ドゥムジは馬に同乗しているイナンナに馬上で講義を行い始めた。
女が戦場に出ないのは常識だが、大婆は戦場に立つ事もあるので、掟によって厳しく戒められているわけでは無い。
これは極めて有為な課外授業であると同時に、闇属性を引き上げる絶好の機会だ。
留意すべきは身の安全だが、相手に上位精霊との契約者が居ない事は、北民を蹴散らして荷を奪っていない事から推察できる。
そのためドゥムジは安全だと考えた上で、後学のためにイナンナを連れて来る事にした。
今回の動員には、イナンナと同じように戦場での経験を積むために、若手の戦士や魔導師も多く加わっている。
族長自身も、彼らに対する勝利自体は殆ど確信しているのだ。
「進行方向のマナを順番に変化させていく事で、精霊の力が進みやすい流れを作り、少ない魔力で大きな効果を生み出す。さらに螺旋を作って周囲のマナを引き寄せ、効果を永続させる。ほら、バターミルクをかき混ぜていた時と同じだろう?」
「言われてみると、そうかもしれないですけど」
「大切なのは、必ず同じ術者の魔力で行う事。でなければ魔法が相互に干渉し合って、制御から外れてしまう。逆に同一の魔力同士なら、こういう細かな調整も出来る」
ドゥムジは両手を胸元まで上げ、それを僅かに狭めた。
すると三色の壁が十数秒間、1万の集団にじわじわと狭まった。
族長に指示された恫喝には充分だろう。
ドゥムジは不意に素早く手を振り、それまで生み出していた壁を一瞬で霧散させた。
「このくらいで良いだろう。次は交渉か?」
「そうだ。筆頭大戦士ブラーハ。俺が交渉を行う間、代わりに全部隊を統括しろ」
「指揮を預かる」
「大戦士コルトバとシュメール中魔導師、中戦士2人は俺に同行しろ」
「了解。イナンナは大婆の所に居てくれ」
「分かりました」
ドゥムジはイナンナを馬から降ろして大婆の元へ向かわせ、自らは族長と共に約1万の集団へ向けて駆け始めた。
するとドゥムジたち5人の接近を見た相手の集団の先頭集団が、一斉に立ち上がって武器を構えた。
先に充分威嚇したとは言え、これ以上の不用意な接近は危険だ。
半ばの距離で一旦止まったロジオンがドゥムジに命じ、風魔法の音声拡大によって警告を放った。
『俺はガロシュ族の族長ロジオン。ここはガロシュ族伝来の土地だ。お前たちから代表者を5名出せ。さもなくば戦闘となる』
最初の威圧が効いたらしく、彼らの代表者はロジオンの指示通りに出てきた。
その中心に立っている若者は族長だろうか。ここには居ないが、ロジオンの弟であるバザロフと同じくらいの年齢に見える。
その男の他には戦士3人と、魔導師1人が出てきた。
戦士達は立ち振る舞いや隙の無さから、熟練の腕前である事が窺えた。
ロジオンと共に前へ出た大戦士コルトバならば負けないだろうが、残る中戦士2名と戦えばどちらが勝つのか、容易には判断が付かない。
魔導師は力を見せつけたドゥムジに警戒しつつも、恐怖まではしていない。
魔導師の力を見るには、まず外見が重要だ。
精霊と契約を交わすには、身体の魔力が成熟しきる前で無ければならない。契約に支障のない年齢は16歳くらいまでで、数え年で17歳以上になると身体の魔力が成熟してしまい、精霊と魔力を混ぜられず契約が成立しなくなる。
逆に魔力の成熟までに契約が叶えば、魔力成熟後には年齢が停滞する。
つまり10代後半の魔導師がいれば、年齢が停滞している契約魔導師の可能性が高いのだ。そして彼は、まさに10代後半の外見年齢だった。
次に、魔導師への扱いが年齢に見合う物であるのかを見る。
今回の場合は、10代後半の魔導師が代表者の一人に選ばれている。
老齢の魔導師ならば学があるために、代表者の一人に選ばれる可能性もある。
しかし10代後半で精霊と未契約の魔導師ならば、当人が族長でも無い限り代表者の一人に選ばれるはずが無い。
従って彼は、精霊契約者だと見なして間違いないだろう。
その上で力を見せつけたドゥムジに対する恐れが無いならば、余程肝が据わっているか、少なくとも1属性は3格級の力を持っている事になる。
正面に出てきた5人は、ドゥムジ達に向かい合うように30歩手前まで接近し、馬を止めて名乗りを上げた。
「俺はソレンギ族の族長ランベルトだ。率いているのはソレンギ族と、移動している間に勝手に合流してきた連中だ」
「そうか。お前達がこの地を通過するというならば、早々に通過しろ。我らの家畜に食ませる牧草を減らされては敵わん」
ロジオンは最初にきっぱりと言い切った。
1万人以上の集団を維持できる家畜に牧草を食い荒らされれば、3万人で営地を移動しているガロシュ族の計画が大きく狂う。
そもそも牧草が不足して、1万6,000人もの従属民を粗食が可能な山羊などと共に四季の営地へ残し、さらに農耕までさせているのだ。
侵入者達には早々に出て行って貰わなければ、彼らに代わってガロシュ族1万人の家畜たちが飢えることになる。
だがソレンギ族の族長は、ロジオンの要求に首を縦には振らなかった。
「いや、我々は北民どもに追われ、行く宛てが無い。そこで交渉がある」
「交渉だと?」
それが予想できたからこそ、ガロシュ族は最初に力を見せつけたのだ。
切羽詰まっている彼らは、ガロシュ族が弱者であれば武力に訴えただろう。そうしなければ彼らの家畜が飢えて死に、その次は彼らが飢えて死ぬのだ。
そんな生きるための行動は、人の善悪以前に自然の摂理である。
だがそうなる前にガロシュ族が圧倒的な力を見せつける事で、彼らの武力行使を未然に防ぐ事になる。
彼らが自然の摂理に基づいて死に抗うのなら、戦いによるほぼ確実な死を連想させることで、彼らの行動を掣肘する。それは無益な争いで死ぬ事を避けられる観点から、彼らにとっても望ましい事のはずであった。
但し現状では、単に戦っても勝てない事を見せつけたに過ぎず、それで彼らが立ち去るかどうかは別の問題である。
「ガロシュ族は、かなりの力を持つ部族とお見受けする。そこへ我らも合流させて貰いたい」
「その要求の見返りは何だ?」
「我らを丸ごと取り込める。我らには連戦を生き抜いた屈強な戦士も居れば、精霊契約者もいる。民も家畜も、長路を耐え抜いた素晴らしい者達ばかりだ」
精霊契約者という言葉に、ロジオンは即答を控えた。
大婆、ベナテク老、そしてドゥムジ。
精霊契約者にどれだけの価値があるのか。部族に責任を持つ族長であればこそ、ロジオンはそれを人よりも深く理解していた。
そしてどれだけ得がたい存在であるのか。大婆は80年前、ベナテク老は50年前、ドゥムジはつい最近である。ガロシュ族にとって中魔導師は、およそ40年に1人という逸材なのだ。
そんな精霊契約者が、この場で新たに手に入る。
ロジオンは当初の予定を軌道修正し始めた。
「中魔導師は魅力的だな。2格か?」
「いや、3格だ」
「…………属性は?」
「土だ」
「俺たちガロシュ族は、1世代の間に1万人から5万人近くにまで急拡大した。そのうち半分が戦士や民で、残りが従属民となっている。全員を受け入れても、半分が従属民になる。嫌なら受け入れは出来ん」
「受け入れた者の中に、大戦士や中魔導師となっている者はいるか?」
「ここに居る大戦士コルトバとシュメール中魔導師は、二人とも余所から受け入れた男たちだ」
「ならば問題ない。その条件に応じよう」
ドゥムジは交渉の間、ずっと無言を貫いていた。
土の精霊は、建物の建設から武器作成まで、幅広く活躍できる優れた属性だ。しかも3格となれば、部族の可能性は大きく広がる。
だがロジオンの将来への投資が、現在のガロシュ族を苦しめる事になるのでは無いかと言う危惧は、拭い去れなかった。