26 弟子入り希望
イナンナは3人兄妹の真ん中で、上には2歳年上の兄ウトゥ、下には2歳年下の妹イシュタルが居る。
もちろん魔導大家の家長ともなれば、家や血筋を絶やさないために側女との間にも私生児をもうけている。
だが幸いにも正妻は3回の出産で命を落とす事無く、正妻の子供達もエリドゥ家を継承するに相応しい魔法の才覚を示したため、正式にエリドゥと名乗れる兄妹は今のところ3人だけである。
末娘のイシュタルは顔の造形が愛らしく整い、精霊に匹敵する美しい髪質や、きめ細かな肌を備えた極上の美少女だ。
加えて僅か9歳で、火と水の魔法を人並みの威力で放つ事が出来た。
現在はさらに力を伸ばして火3、水3、風1、土2、光1、闇1の属性値を持っており、ドゥムジが知るガロシュ族の魔導師では一番の天才だ。
天は一人の人間に対して、容姿と魔法という二つの才能を同時に与える事があるらしい。
但しそんなイシュタルであっても、人格という三つ目の才能までは流石に与えられなかった。
生まれつき人格を備えている者など居ないから、当たり前だろうか。
両親から魔導師として期待されない姉と、大いに期待される妹とが比較されながら育てられれば、姉妹仲が健全に育とうはずも無い。
しかし魔導師として生きるなら、結果を求められるのは必然だ。
戦場で魔力が足りずに敵を防げず、味方を斬り殺された場合、遺族に「頑張ったから仕方がないよね。結果より努力だよ」と言って貰えるだろうか。
水魔法の力が足りず、水を必要量出せずに移動で人馬を死なせたら。
光魔法の力が足りず、味方の負傷を治せなければ。
闇魔法の力が足りず、魔物を察知できなかったら。
そんな事は采配する指揮官たちの問題で、個人の責任に期すべきでは無いと主張する者も居るだろう。
だが、だからこそ責任を負う指揮官たちは、弱い魔導師など不要だと言うのだ。
家柄に相応しい才能が無いなら、魔導大家の名を名乗るなと。割り当てられるなら、質の良い魔導師を寄越してくれと。
誰も、魔導師の子供100人を一定水準まで引き上げる義務など負わない。
例え50人を脱落させたとしても、残る50人をより良い魔導師に引き上げた方が、後の子孫や部族のためになる。
そのように比較して優れた魔導師を優遇し、劣った魔導師を淘汰するのは、過酷な世界で生き残るために必要な行為だった。
妹は魔導師として劣る姉を見下し、姉は大人達の扱いからそれを否定できず、妹はますます増長する。
それでも周囲は、誰も止めようとはしない。
これは誰が悪いのか。全ては魔導師として劣るイナンナが悪いのだと、世間全体から見なされる。
そのように育った結果、イナンナがドゥムジに自己申告をしたわけでは無いが、会話の端々に見受けられる印象では、姉妹仲は既に破綻して久しいようだった。
イナンナの属性値が再逆転したからといって、破綻した関係までは修復しない。
姉の師匠であるドゥムジに対しては、部族の大魔導師という事もあって天才児のイシュタルと言えどもおかしな態度は取らない。だがどこかで心の線引きはしているらしく、これまでは一定の距離を踏み越えてくる事も無かった。
そのため弟子入りを希望されたドゥムジの驚愕は、とても大きなものだった。見下していた不仲な姉と一緒に学びたいなど、一体何の冗談であるのかと。
イナンナも衝撃のあまり、叱られた猫のように目を大きく見開いて驚いている。
そんな二人を置き去りに、ナンナルがイシュタルへ否を告げた。
「イシュタル。お前にはアッカド中魔導師への弟子入りの話をしただろう」
「シュメール大魔導師は5体もの精霊と同時に契約しておられ、お姉様の属性値も凄く上がりました。わたくしもシュメール大魔導師に教えて頂きたいですわ!」
「黙りなさい。シュメール大魔導師には、ガロシュ族の大魔導師としてのお役目がある。優秀だからと言って弟子入り希望者が沢山集まれば、お役目が果たせなくなる。うちだけが二人もお願いするわけには行かない。諦めなさい」
どこにも角が立たないよう、ナンナルが上手く理由を説明していく。
流石に大家の家長だけあって、本音と建て前の使い分けが上手い。
しかし相手は子供であって、そんな理屈は通用しなかった。
「絶対にイヤです。お姉様ばかりズルいですわ。それにアッカド大魔導師は、既に58歳じゃないですか。わたくしもシュメール大魔導師が良いです」
「魔導師が弟子入りするのに、師匠の年齢は関係ないだろう」
「大いに関係があります。独身男性に弟子入りするのはダメです。お父様より年上の人に弟子入りするのは嫌ですっ」
「お前は、そう言う話を誰から教わるんだね?」
自分の娘にすら押され気味のナンナルは、女性との口論に弱いようである。
そんな父親の不利を見たイナンナが、要求を断固拒否すべく口論に参戦していった。
「師匠は、新たな弟子をお取りになられる予定はありません!」
「お姉様は11歳の時に、あたしが9歳の時とほとんど同じ属性値だったじゃない。あたしならもっと高くなれるわ」
「お父様が2人もお願いするのは駄目だと仰られたでしょう。シュメール大魔導師の所にはもう私がいるから、イシュタルはアッカド中魔導師の所へ行きなさい」
「イヤよ。あたしと代わってよ!」
「そんなこと出来るはずないじゃない!」
どうやら代われという言葉が、イナンナの逆鱗に触れたらしい。
普段はドゥムジの前で懐いた家猫のようになっているイナンナが、まるで野良猫のように威嚇の呻り声を上げ始めた。
ゴロゴロと甘えていた家猫が、他所の猫と威嚇し合うという衝撃的な光景に、ドゥムジは半ば呆然とした。
本来であれば師匠であるドゥムジが仲裁すべきなのだろうが、ここは姉妹の実家で両親も揃っている。
止めるべきか否か。
だが魔法を使うなと警告を発せば、ドゥムジがイナンナを信頼していないように思わせてしまうかも知れない。
結局ドゥムジは、二人の母親であるニンガルへ目線を送って促すに留めた。
「イシュタル。ちょっと向こうでお話しましょうね」
「あ、痛い痛い、お母様、行くから耳を引っ張らないで…………」
応接間から猫が一匹、市場へ売りに出される仔牛のようにズルズルと引き摺られていった。
とりあえずの嵐が去り、一応の静けさが戻る。
どうやらイナンナを別居させた理由の一つには、姉妹の不仲もあったらしい。
「騒がしい娘たちで申し訳ない」
「子供から教師として評価されるのは、嬉しい事です」
この問題の本質が解決されたわけでは無い。
イシュタルは、アッカド中魔導師の年齢にも言及していた。
魔導師の娘が親族では無い独身男性の元へ弟子入りするのは、イシュタルが指摘するように、半ばくらい嫁入り前の顔合わせ的な意味がある。
父親より年上の58歳独身男性に、そう言った意味も含めて弟子入りするのは嫌だろう。
しかもアッカド中魔導師は土属性値11で、3格精霊と契約しているために年齢の停滞が121年間もある。10年や20年間だけ我慢すれば良いというわけには行かない。
もしもイシュタルがこのまま不満を抱えてアッカド中魔導師に弟子入りした場合、将来は姉を見下していた性格が、さらに悪い風に成長していくかも知れない。
そして仮にドゥムジがこの時代に来ていなければ、イナンナ自身がアッカド大魔導師の所へ弟子入りして歪んでいた可能性もある。
魔導師の家系には血統を子孫へ繋ぐという生き方があり、イナンナやイシュタルを有力魔導師の元へ送り込むのは、魔導大家としての典型的な生き方だ。
魔物などが徘徊する過酷な自然環境で、家畜を守りながら生き抜くために身に付けた魔力を守り子孫へ受け継いでいくのは、生存して子孫を残す生物としては全く正しい。
なるべく多くの有力者と繋がって家や自分と家族の身を守ろうと言うのも、いわば当然の行為だ。
エリドゥ家が潰れた時に何ら責任を負わない者がどのような言葉を並べ立てたところで、それらは全て第三者の無責任な美辞麗句だ。
ドゥムジが現状に異を唱えるには、今この場でイシュタルの弟子入り希望を受け入れるほか無い。
建前の弟子入りに関しては、実は何人か弟子を受け入れようと思っていたが最初は知っている娘の方が良いとか、直訴したのはイシュタルが最初だったなどと、イシュタルに限って受け入れる理由を用意できる。
しかしエリドゥ家の本音は、アッカド中魔導師と婚姻による縁を繋ぐ事であろうため、ドゥムジが阻止するなら、代わってそれ以上の利を示さなければならない。
唯一にして最大の利は、上位精霊と契約した大魔導師に恩を売れる事だろう。
2人も送り込めば確実を期せるため、大婆はそれを認めるはずだ。
他の魔導師家からエリドゥ家ばかりがズルいと思われようが、望んだのがドゥムジの側であれば文句は付けられない。
もちろん提案を聞いた側の氷精霊は、凍て付く波動を放ってくるだろうが。
だがそれも、姉妹仲が良好だったらという条件付きだ。
ここまで不仲だと、二人を同時に受け入れるのは難しい。
家中で四六時中キャットファイトを繰り広げられるかと思うと目眩がするし、氷精霊の干渉まで倍加すると思えば背筋が寒くなる。
結局ドゥムジは、イシュタルの件に関してはこのまま見送る事にした。
「私は教師としては、まだまだ経験不足。逆にイナンナから教わる事もあります。ご指摘の通り役目もありますし、残念ながらイシュタルの期待には添えそうにありません」
「どうぞお気になさらず。イナンナを見て頂いているだけで充分ですよ」
辞退したドゥムジに対し、氷精霊は凍て付く波動の代わりに笑みを浮かべた。
あとはイシュタルが諦めてくれる事を祈るしか無い。
そう言う性格では無さそうだったが。
「ところで先触れの使者から耳にしたのですが、シュメール大魔導師は水精霊を探しに行かれるとか?」
「そうです。身体の魔力が成熟すれば、精霊と魔力を交わせなくなりますので」
「大魔導師が水属性と契約すれば、全属性での契約が叶いますね。そのように沢山の精霊と契約するには、何かコツなどがあるのですか?」
「身体の魔力が成熟し切る前に属性値4を越えて、それでもなお精霊と契約できなければ、その地には相応の精霊が居ないと判断できます。ならば別の地へ行く。それを繰り返せば、同じ土地に留まるよりは契約の可能性が高まります」
「確かに道理ですね」
ドゥムジはこの世界で広く知られているとおりの事を口にした。
各地を回れば、それだけ沢山の精霊と巡り会う機会が生まれる。しかし危険も多く、行ったは良いが帰って来なかったと言う事も往々にしてある。
顔見知りの友好部族同士なら情報漏れを気にするだろうが、営地を一切接していない他の遊牧民など何の脅威も無い。
精霊契約をして回れるほどの属性値を持つ魔導師なら、どうせ見逃しても他の部族が持っていくだけだと考えて、攫ってしまうわけだ。
そのため魔導師が部族を離れるのは、かなり危険な行為である。
「イナンナも連れて行かれるのは、修行の一環ですか?」
「ええ。精霊契約の場に連れて行けば、将来自分が契約する時に役立つでしょう。飛竜で直接現地まで飛びますから、他の部族へは一切立ち寄りません。上位火精霊もいますし、契約精霊の護衛も付けますから、道中は安全です」
「…………なるほど。よろしくお願いします」
氷精霊から辛うじて承諾を貰い、ドゥムジはイナンナと共に水精霊を探しに行く事となった。




























