21 お買い物
昨年秋、交易都市ウルクはガロシュ族の手によって、建国より千年を誇った政治体制に終止符が打たれた。
旧体制の終焉は、新体制の始まりでもある。
豊かな都市と周辺地域を残らず手にしたガロシュ族は、それらを自分好みの色に染め上げるべく、都市内外を日々忙しく行き交っていた。
ウルク制圧時に6万人だったガロシュ族は、制圧後に旧来の土地への残留を望んだ1万人と別れ、その後は各地の従属民を新たに3万人ほど傘下に迎え入れて、最終的に8万人となった。
その8万人をガロシュ族は5集団に分け、族長と大戦士4人が1集団16,000名ずつ管理することにした。
もっとも基本的には従来の大集団12,000名に従属民4,000人を足しただけで、戦士の数などは変えていない。
ロジオンが都市ウルクを治め、近郊に大集団1つが暮らし、残る3集団は各地の農耕民を支配下に組み込んで統治を始めている。
ガロシュ族が支配する北民は、都市の3万と各地の7万で計10万人。南部遊牧民と北部農耕民の文化が混ざった結果、摩擦も起きている。
各地に散った3集団4万8,000名は、まだ順調な滑り出しだと言える。
彼らは中戦士集団ごとに各地の村々を押さえ、既得権益者を殺して財産を接収する一方で、農耕民に対する税と労役は一切変えなかった。
これは元々ウルク王国から農奴に等しい扱いを受けていた農耕民に、それ以上を課す必要が無かったからだが、待遇が変わらなかった農耕民は殆ど反発しなかった。
新たな支配者たちは、占領時に得られた財貨を懐に仕舞い、以降の農耕民からの収益は都市ウルクと折半し、広大な大地に生い茂る牧草を家畜へ存分に食ませ、魔物を蹴散らし、新天地での牧畜生活を謳歌している。
何しろ灌漑済みの農耕地と、広大な牧草地を手に入れ、四季ごとの営地移動から解放されたのだ。従来の遊牧生活は定住の牧畜生活へと移行し、彼らはさらなる豊かさを求めて羊舎を始めとした様々な物を建て始めている。
また大集団に追加された従属民4,000名を各地に定住させた事で、管理要員が不足するといった事も起こっていない。
出だしで躓いたのは、都市ウルクと近郊に来たガロシュ族だ。
かつてのガロシュ族にとって、財産とは家畜の数であった。
南民の男が将来何になりたいかと問われれば、大抵の者は戦士だと答える。
戦士となって自分のゲルを持ち、妻と子供を養い、従僕民を従え、数百頭の羊を飼い、一人前の男と認められる。そして家長である戦士長の父に従い、兄弟と共に戦士長が従える小集団を形成する。
いずれは世代交代によって戦士長となるだろう。そして戦士長たち20人ほどを束ねる中戦士の揮下に加わり、互いに協力体制を敷いて中集団を形成する。
体格と武芸に恵まれ、機会も訪れたならば、中戦士を目指す。そして中戦士たち20名を束ねる大戦士の揮下に集い、営地を移動する大集団を形成する。
中戦士同士で婚姻を結び、同じ中戦士の中でも頭一つ飛び出れば、子供や孫は大戦士を目指せるだろう。そして子孫らが、広い草原を駆けて行くのだ。
少年たちはそんな夢を見て生涯を走り抜け、やがて充足感に包まれながら草原の土へと還っていく。
「遊牧民の男とは、斯くあるべし」
「然り、然り!」
「羊を飼わぬ軟弱者など、遊牧民の風上にも置けぬわ」
都市に来た彼らの考え方は、概ねこの様なものであった。
そのため半数が都市近郊で羊を飼いながら暮らしている。
また都市内に住む者の半数も、7つの街道と繋がる7つの大門付近に暮らし、大門を常時開け放って、毎朝羊を放牧に連れ出している。
彼ら視点では商人などは風下に置かれるらしく、都市で商売に従事する者の殆どが従属民と北民奴隷であった。
しかし租税の概念が無かったガロシュ族にとって、それは最良の形であったのかもしれない。
ガロシュ族では地位に応じた俸給が支払われず、各自は自活しながら地位と権限に見合った責務を果たさなければならない。
戦争で貢献すればそれに応じて分け前も与えられるが、平時の戦士は家族や従属民を従えて羊を飼い、魔導師は魔法を使って対価を得ながら暮らす。
そのように俸給を支払っていなければ、税の徴収も不可能だ。
もちろんガロシュ族は、これからも地税や羊売買で税を取る気など無い。
だが都市の管理補修や治安維持にはそれなりの人員が必要で、それが例え人件費の掛からない北民奴隷であっても、彼らの生活費まではゼロにならない。
どこからか金を調達して賃金を支払う体制を構築しなければ、都市運営はいずれ立ち行かなくなる。
そんな都市運営の財源には、同じ都市内で利益を享受している者達から徴収するのが順当だろう。それならば理屈も通り、説明もし易い。
であれば、先に文句を言わない従属民と北民奴隷を商業活動に従事させ、最適な税率を試行錯誤しながら定めていく形は、反発が少なくてむしろ好都合だ。
ドゥムジは立派な建造物が整然と軒を連ねる交易都市ウルクの商店街を巡りながら、大婆とベナテク老が苦心している都市運営に肩を竦めた。
「都市で商売をした方が、楽だし儲かるけどな」
「そうなんですか?」
散策のお供は、イナンナと二人乗りしてきた馬だけだ。
ドゥムジは部族の大魔導師として仕方がなく旧ウルク王家の紋章が掘られた4頭立ての馬車2台や、北民奴隷の専用御者を所有しているが、買い物にそれらを伴いたいと思った事は一度も無い。
「羊飼いは、放牧や出産に膨大な手間暇を費やす。それでようやく手にした羊肉や羊毛を取扱店に卸し、僅かな貨幣を得る。だが肉屋は、羊肉を仕入れ、切り分けて売るだけだ。どっちが楽だと思う」
「お店はそんなに簡単ですか?」
「遊牧民に比べて、肉屋は楽だし儲かるぞ。しかも雇用費が無料の北民奴隷を労働に使えて、店が潰れないよう税金の調整までしてくれる。今この都市に店を構えれば、楽をして確実に大儲けだ」
「でも商売をしようと思っても、読み書きやお金の計算が出来る人は、そんなに多くは居ませんよ?」
南部遊牧民は切り耳と3進法を使い、399までなら誰でも数えられる。
これは概ね300頭までの羊管理を行う戦士の家にとって必須技能であり、これを習得すれば羊の個体管理にも困らなくなる。
112番は片足が悪いから売らずに毛を刈ろうとか、240番は暮れに病気になったから食べるのは止そうとか、注意すべき羊が全員で共有できる。
399番目の羊耳は可哀想な事になるが、そこまでの数を飼う者はいない。そして番号に空きが出れば、次に生まれる羊をあてれば良いのだ。
時々何かにぶつかって耳が取れてしまう羊も居るが、無料で誰でも簡単に付けられる目印に勝るものは無く、この知識は南民全体に広まっている。
だが3進法で羊の数は数えられても、10進法で二桁以上の足し算や引き算が出来る者はとても少ない。
例えば銀貨1枚と銅貨100枚は等価だが、もしも銅貨32枚の買い物に銀貨1枚を出されたなら、一般的な南民はおつり68枚という計算が出来ないのだ。
彼らは頭を抱えながら最初に銀貨1枚と銅貨100枚を交換し、その100枚の山から32枚を引き抜いて残りを返す。
銅貨100枚が無ければそれを模した石などを使うが、あまりにも計算に時間が掛かり過ぎて今度は客が頭を抱える羽目に陥る。
さらに読み書きに関しては、産まれた子供に名前を付けた父親本人が、魔導師にその字を教えて貰うといった有様だ。
何種類かの羊の状態を台帳に記す事は出来るものの、それは文字と言うより記号の認識に近く、使用文字の体系そのものは理解出来ていない。
「確かに読み書きや計算が出来なければ、商売は苦痛だろうな。これからのガロシュ族には学校教育も必要だと思うが、それは大婆やベナテク老の課題だな」
難題を察したドゥムジは、大婆たちに丸投げをした。
そもそも南民には、教師に俸給を払う制度すら確立されていないのだ。
教えられる能力がある者は自分の子供に教え、請われれば対価を得て他人の子供を教える事もある。
イナンナのように両親やドゥムジ、離宮の家令長や侍女長など読み書きや計算の教師に困らない子供は稀だ。
子供達は各地にある川や井戸のおかげで長距離の水運びこそしなくて済むようになったが、家畜の夜番をして、放牧に連れ出す生活に大きな変わりは無い。
その社会体制を転換させるとすれば、生半可な労では済まないだろう。
「大婆やベナテク老にそんなことが言えるのは、師匠と族長だけですね」
「いや、これは適材適所だぞ」
「適材適所ですか?」
「大婆やベナテク老は、ガロシュ族にずっと貢献してきた。そうだよな?」
「はい。二人ともお爺さま……先代族長が産まれる前から、ずっと中魔導師として働いてきたそうです」
イナンナの母親は現族長ロジオンの姉で、姉弟の父は先代族長にあたる。
先代族長の妻はベナテク老の娘で、先々代族長の妻は大婆の娘だ。
ベナテク老も大婆も、公私に渡ってガロシュ族へ多大な貢献を為してきた。
「そんな沢山の苦労を引き受けてきた大婆やベナテク老の依頼であれば、それが得をするようには見えなくても、皆が納得して従ってくれる」
付け加えるなら、イナンナの父方を4代遡ると大婆に行き着く。イナンナは大婆の本家の娘にして、族長家の血も引く生粋のお嬢様だ。
大婆やベナテク老は、子孫の娘を新たな精霊契約者であるドゥムジの元へも送り込み、今もこうやってガロシュ族に様々な貢献を続けている。
「でも師匠が飛竜を従えて都市ウルクを陥落したから、部族は広い土地を手に入れて、人も家畜も飢えずに暮らせるようになりました。それに族長と二人で各部族と友好を結んで、3万人以上の従属民も連れて来ました」
「積み重ねた年月の分だけ、信頼も積み重なるからなぁ。でも一緒に暮らしているイナンナとの信頼関係は深くなったかな。ありがとう」
ドゥムジはそっと右手を伸ばし、優しく頭を撫でた。
上向いた頬が、わずかに上気し彩る。
期待の兄と妹に挟まれた彼女は、あまり褒められる事に慣れていない。
だが素直ゆえに、照れつつも自ら顔を背けるようなことは無かった。
ただそこに在って、瞳の奥で続きを期待する。
「……せっかく商店街に来たのだから、何か買ってやろう」
ドゥムジは逃げ出した。
12歳とはいえ、女は侮れない生き物である。
「この前、弟子入り1周年だと言って銀羽の首飾りを頂きましたよ。2ヵ月遅れでしたけど」
「…………お土産感覚で良いぞ」
「それでしたら、香辛料はどうですか。実家で羊鍋を食べた時、南西国家群のスパイスが入っていて、美味しかったです」
「ああ、それは良いな。ちょっと覗いてみようか」
右手でイナンナの左手を引き、左手では馬の手綱を牽きながら、大通りの左右に建ち並ぶ露店や店先を眺め始めていく。
鍛冶屋、細工屋、木工屋、両替屋、代筆屋、修繕屋、蝋燭屋、油屋、靴屋……建物は整然と並ぶが、取り扱っている商品は雑然としている。
そして人通りもそれなりにある。
何しろ都市には、1万人のガロシュ族と3万人の北民奴隷が暮らしている。
彼らが生活するためには食糧や日用品が必要で、それらを都市内で得るには、商店などで買い物をするしかない。
ドゥムジ達が都市ウルクへ侵攻した時に、偶然居合わせた他都市の北民商人や北民旅行者は悲劇だっただろう。
解放した北民は50歳以上の男女だけで、残る北民は居住地に係わらず全て奴隷化した。
北部農耕民と南部遊牧民、そして南西国家民にはそれぞれ顔の造形や肌の色などに特徴があり、純血ならどの民族なのかは簡単に見分けが付く。
頭の片隅でそんなことを考えつつも大通りの両側を注視しながら歩き続けると、やがて目的の店に辿り着いた。
道理で見つからないはずである。
香辛料は専門店ではなく、肉屋の片隅に置かれていた。
「店主、香辛料を売ってくれ」
ドゥムジが呼び掛けると、南民の男が不機嫌そうに顔を見せた。
ウルクで店を構えている者は、大半が従属民だ。
かつて北民に故郷を追い出され、各部族の従属民として辛酸を嘗めた彼らは、北民奴隷を使いながら各店舗を管理する立場となり、平時には奴隷へ当たり散らして気を大きくしている者も多い。
彼は大声で叫ぶ。
「うちは肉3ポンド以上と一緒でなければ売ら…………大魔導師様、香辛料は如何ほど御入り用でしょうかっ!?」
疑わしげな目を向けられた肉屋の主人は、目を据わらせて直立を保つ。
各部族から彼らを招いた際、ガロシュ族の力を示す意味も込め、周囲の魔物達に契約精霊を嗾け、羊を追いかける狼の群れの如く千切っては投げて来た。
そのためドゥムジを前にした従属民は、牧羊犬を前にした羊の態度を取る。
「今何か言わなかったか?」
「いいえ、何も申し上げておりません。香辛料は如何ほど御入り用でしょうか!」
「……2本売ってくれ」
「畏まりました。金貨1枚でございます」
価格は概ね相場通りであった。
ドゥムジは首を傾げつつも金貨を支払い、恭しく差し出された香辛料の瓶を2本受け取る。
「邪魔したな」
「本日は御足労、有り難うございました!」
買い物を終えたドゥムジが馬の荷袋に瓶を仕舞い、イナンナの手を引いて肉屋から離れていくと、主人からは安堵の溜息が漏れてきた。
主人は聞こえないように吐いたつもりだろうが、風精霊はどんなに小さな空気の振動だろうと、容易く拾って届けてくれる。
「師匠、どうしますか?」
「まずは市場調査だ。他の商品がどう売られているのか、少し調べるぞ」




























