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千の彼方  作者: 赤野用介
第一巻
2/62

02 初遭遇

 南部遊牧民にとってヌーの群れは、家畜に与える牧草を食い荒らす「害獣」だ。

 羊から糧を得て、羊毛で作った衣服を纏い、フェルトでゲル(移動式住宅)の壁を覆う遊牧民にとって、衣食住の全てを担う羊の頭数を抑制させられるヌーの群れは、自分たちの生活を脅かす憎い獣である。


 ただし百害あるヌーの群れであっても、一利が無い訳ではない。

 南民は放牧に際して、騎馬で先行して魔物の有無を調べる先駆けの戦士、羊や山羊を先導する先導者、群れから逸れない様に見守る後追者の3人組で、最大二百頭を超える家畜の群れを一斉に動かす。

 だが肉食獣や魔物は、必ずしも前方のみから現れるわけでは無い。

 仮に飛竜が空から襲い掛かってきた場合、放牧に出た集団はどうなるのか。

 羊の群れは容易く四散し、人間も羊と言う財産を失って飢えてしまう。

 しかしヌーの群れが周囲にあれば、それらは人間が守る集団よりも襲い易い獲物として、羊に代わって魔物や肉食獣に襲われる保険となってくれる。

 よってヌーの群れは、人や家畜を守る「益獣」の側面も併せ持っている。


 遊牧民の祖先たちの多くは、ヌーの群れに対する利害の折衷案として、全体数を減らした上で、牧地へ侵入してくる群れのみを叩き出すという棲み分けを実現していた。

 獰猛な肉食獣、河川に身を潜める鰐や地を這う大蛇、空から襲いかかる猛禽類、そして大地に蔓延る魔物たちまで、草原の捕食者は多岐に渡る。

 人から駆逐されるのを避けられたとはいえ、極めて過酷な環境に置かれたヌーたちが子孫を残すために身に付けた術は、やはり天敵に食べ尽くされないほどに大きな群れを形成するという事だった。

 群れ群れ群れ、群れ群れ群れ。

 遊牧民が太い槍を投げつけて数頭のヌーを貫く間に、ヌーの大群は足の遅い仲間を見捨てながら、次々と草原を駆け抜けていく。


「「いぇあぁ、うおおっ!」」


 数百人はいるであろう遊牧民の戦士たちが、追い散らしたヌーの後姿に向かって、一斉に槍を掲げながら雄叫びを上げていた。


 そんな彼らの一部が、いつの間にかドゥムジを取り囲むように、ゆっくりと広がりながら近付いて来る。

 ドゥムジは彼らに向き直ると、密かに自らへ風と土の守りの魔法を掛けた。

 かつて自然と調和する営みを続けていた南民の祖先たちは、精霊契約者の質や量において如何ほどであったのか。

 仮に優秀な魔導師の遺伝子を掛け合わせ、育成方法を昇華させた後世と比べてなお優れているようであれば、味方を失った現在のドゥムジは、狼に囲まれた羊と同様の末路を辿る。


 だが千年の壁の最たるは、700年前に発明された召喚魔法陣の有無であろう。

 魔方陣が無い場合、例えば火の精霊を召喚するためには火山などの極地へ赴かなければならないが、遊牧民にそれは不可能だ。

 また召喚時に輝石を用いて属性値を嵩上げする事も出来ず、同じ実力でも契約できる精霊には相当の差があったはずである。


「俺はガロシュ族の族長ロジオン。お前はどこの部族の者だ?」


 ドゥムジの耳には、千年前の男の言葉が明確に届いた。

 それは時の精霊と魔力が混ざった事により、時代差による言語の齟齬を無意識に解消してくれているのか。それとも時の精霊が存在していた時代の知識を、ドゥムジが共有しているのか。

 どのような理由にしろ、前例のない時精霊と契約したドゥムジには、事象の想像は出来ても、確信にまでは至らない。判明しているのは、相手の言葉が分かるのは時精霊の力だと言う事だけだ。

 しかし、言葉が通じる事さえ分かれば充分だ。今は細かい理屈よりも、目前に迫っている危機に対処しなければならない。

 ガロシュ族と名乗った彼らは、既に包囲網を完成させているのだ。


「俺はドゥムジ・シュメール。どこの部族と言われても……すまないが分からない。父は行方知れずで母も死んだ。俺自身は、北民に征服された土地から流れてきた」


 これの話は全て事実で、ドゥムジは祖先が属していた部族が解散したとは聞いていないものの、それがどのような部族名だったのかは聞き及んでいない。

 父は従軍して行方不明になっており、同じく母も子供たちと引き離されるように戦場へ出されて戦死している。


「仲間はどこにいる」

「俺一人で来た」

「年はいくつだ?」

「15歳」


 ドゥムジは契約に最良とされる数え年の16歳よりも1年早く、風・土・光・闇の4属性で精霊契約を行った。

 その理由は、4格上位精霊と契約の可能性があるのは火と水属性の2つだけだと言われたからだ。

 6属性値を同時に上げるよりも、2属性に集中した方がずっと効率が良い。


 もし契約できたならば飛竜を用いた敵輸送隊への焼き討ちや、友軍への水の補給などで最前線の戦闘からは外れるため、ドゥムジも北民の皮算用を受け入れた。

 そんなドゥムジまで特攻隊に加えられたのは、それだけ状況が切羽詰っていたからだ。


「馬はどうした。それに防具は立派だが、武器は何処にある?」


 ドゥムジは飛竜隊の標準装備であった革鎧一式を身に付けている。

 これらはフンババという強大な魔物の皮を加工して作られているが、魔物の種類まで知らずとも、素材や縫製には一見の価値があったようだ。

 フンババは頭部に野牛の角を生やし、ハゲタカのように鋭い爪と尾の尖端に猛毒を持ち、体長4mというサイほどに巨体な獅子の姿だ。

 体重は獅子の10倍。それでいて時速百キロで大地を駆け抜け、全身で敵を薙ぎ払い、口から炎と毒を吹き出し、水属性で洪水まで喚び出す化け物だ。

 各属性値は異様に高く、成獣で概ね火・土・闇の3属性が3格並みの力、水と風が2格並みの力に育つ。その脅威は3格級中位竜に匹敵し、4属性の3格契約者であるドゥムジでも、フンババを狩りに行けば五分五分で逆に狩られる相手だ。

 そんなフンババの革は、対火・対水・対風・耐刃・対異常に総じて優れ、皮本来の防御力と相まって最高級の防具に変わる。

 また生物の皮を活かして作られているため、光属性の魔法で革の補修も出来る。


 一方武器は、十数分前までは両腕に嵌めていた腕輪で補っていた。

 こちらは一見普通の腕輪に見えるが、その内側には大きな真銀を三つずつ埋め込んでいる。

 真銀は軽くて鋼よりも固く、同量の宝石よりも遙かに高価だが、その真価は大量の属性マナを込められる事にある。

 ドゥムジは大聖堂の中庭に飛び降りてから竜人王との戦闘までの間、この腕輪を補助出力に用いて実力以上の魔法を行使していた。

 しかし腕輪に込めていたマナは既に使い切り、単なる装飾品と化している。

 そしてこれら二点が、この地に放り出された際にドゥムジが持ち込めた装備品の全てだった。


「ここまでは歩いてきた。武器は無いが、代わりに精霊魔法が使える」


 先程来、ドゥムジを包囲しているガロシュ族の戦士達が威圧を放っている。

 果たして彼らの目に、15歳のドゥムジはどのように映っているのだろうか。

 確かに怪しいだろうが、ここまで警戒する理由はこの地が彼らの支配する牧地だからだろう。

 南民は部族ごとに牧地を定め、その範囲内で春・夏・秋に応じた数十種類の牧草を求めて移動し、冬には営地で秋までに肥えさせた家畜に残る牧草や乾草を与える工夫を行いながら暮らしている。

 ここは彼らの土地であり、祖先が周囲から守り抜いた大切な財産だ。他部族に無断で入り込まれてはならないし、入られたならば易々とは帰せない。


 今の彼らは、侵入者に与えるべき処罰を検討している裁判官に等しい。

 だがドゥムジとて、こんな状況で弁護人も無く、一方的に不利な判決を下されて受け入れるような気は無い。


「精霊魔法か。使って見せろ」


 ドゥムジの狙い通り、ガロシュ族の族長は精霊魔法の行使を求めた。

 これは精霊魔法の行使によってドゥムジの力、ひいてはガロシュ族の判決に対する抵抗力を調べ、その強弱次第で扱いを定める気なのだろう。

 ここで魔法の力が弱ければ、ここまで来た方法を力尽くで吐かされ、その後は良くて彼らの領域から叩き出される。悪ければ斬り捨てられ、狼の餌にされる。


 だがドゥムジが相当の力を示せば、この裁判の判決は間違いなく変わる。

 中魔導師は、千年後でも万に一人。まして魔方陣が存在しないこの時代に、複数属性での精霊契約者などそう何人も居ないだろう。

 そんな希少価値を示せば、殺すのが惜しくなる。

 あるいは力を見せれば、単純に殺す際の反撃を恐れて攻撃を躊躇う。


「分かった。ヌーの群れに魔法を使う」

「馬鹿を言うな。あいつらはあんなに遠くまで……」

『疾風、土砂、呪詛』


 意を決したドゥムジは、身体から3属性の魔力を同時に解き放った。

 魔力が周囲に漂う無数のマナへ伝わり、波紋が広がるように空間へ広がっていく。

 最初の変化は、ドゥムジの左手側へと現われた。

 緑光のマナが集い、十代後半ほどの外見の少女となって世界へ顕現した。

 光と共に現われた彼女は、神殿の祭司であるかのように真っ白なローブを纏い、左肩には淡い薄緑色の小鳥が1羽乗っている。

 緑光の一部は腰よりも長い緑髪へと変わり、先端が力を帯びて、ふわふわと風になびいている。


「3格の契約精霊だとっ!?」


 小鳥は彼女の左肩だけでは無く、右の手の甲にも乗っていた。

 それどころか、先程まで居なかったはずの彼女の周囲にまで次々と現われ、周囲を吹き荒れるように飛び回り始めた。


「族長!」

「全員、こいつから離れろっ!」

「躱さなくても問題ない。風は得意だ」


 ドゥムジの言葉に微笑んだ緑髪の少女は、ヌーの群れに向かって静かに右手を伸ばした。

 すると彼女の指先に向かって、周囲の小鳥たちが一斉に飛び立ち始めた。

 羽ばたきに代わって、凄まじい轟音が周囲へと吹き荒れる。

 緑光に輝く小鳥たちは群がって空に巨大な滝を作り出し、暴風を撒き散らしながらヌーの群れへ向かって一直線に突き進み、その間にも秒単位で数を倍化させ、滝の幅を広げていく。

 拡大を続ける空の洪水の一部が地面を抉り、地上の土砂を捲り上げ、空高く舞い上げていった。


 小鳥たちに捲り上げられた土砂の中心では、いつの間にか現われた茶髪の少女が、流れに乗りながらクルクルと楽しげに舞っていた。


「土属性まで3格の契約者なのか!?」

「土は少しだけ苦手だ」


 新たに現われた茶髪の少女は、長髪を一束に編んで左から前へ垂らしている。

 茶髪の彼女は小鳥たちの風に乗せられて空を流れながら、天に向かって両手を広げ、天上から鎚でも振るうかのように、土属性の魔力の波動を、舞い上がった土砂へと叩き付けた。

 その魔力に中てられたマナが砂塵に注がれて無数の長針へ、土塊に注がれて鋭い短槍へと次々に姿形を変えていく。

 やがて槍雨と化した空の凶器は、薄緑色の小鳥たちの狂気と共に、ヌーの後背へと飛び込んでいった。

 薄緑の小鳥たちは相手をどこまでも追いかける疾風で、数多の長針と短槍は殺意を持った横殴りの豪雨だった。


 そんな虐殺の雨がヌーの群れに追いつくやに思われた刹那、今度は美しく長い黒髪の少女が、突き進む兇刃の中心で黒光を放ちながら現われた。

 彼女の黒眼が爛々と輝きを放ち、口元は三日月の微笑みを作り出す。


「3属性もの3格精霊と同時契約など…………馬鹿な」


 精霊魔法の威力は、契約精霊が顕現するか否かには左右されない。

 よって精霊が姿を見せる行為は、威力の面からは明らかに無駄であるどころか、場合によっては相手に実力を教えてしまう愚行だとも言える。

 精霊は2格の中位ならば10歳未満、3格の中位ならば10代後半、4格の上位ならば20代後半と言った風に外見年齢が変わるため、姿を見られるだけで大まかな力を知られてしまうのだ。

 それでもドゥムジが契約精霊を見せたのは、自分を包囲するガロシュ族の男たちに、容易な相手ではないという力を示す意図があってのことだ。


 そしてドゥムジの思惑通りになったと言うべきだろうか。

 精霊を次々と顕現させていく間に、戦士たちの視線は羊を監視する牧羊犬から、牧羊犬に怯える羊の視線へと変化していった。

 これは千年前の魔導師の水準が低いのか、あるいはガロシュ族の水準が低いのか。いずれにせよ、狼の餌になる未来は避けられそうだった。


 3体目の精霊である黒髪の少女が、兇刃の中心で軽く両手を交差させる。

 すると無数の長針と短槍が一斉に黒光りし、一瞬の間を置いてそれらの先端が、小鳥たちの鋭利な嘴と共にヌーの群れへと突き刺さっていった。

 何体ものヌーが、短槍で貫かれた身体から血を吹き出しながら崩れ落ちていく。

 数十のヌーが、長針を突き立てられた傷口から黒い光を注がれて倒れていく。

 荒ぶる薄緑の小鳥たちは、ヌーの群れの中で暫く乱舞を続け、掠めたヌーの横腹や四肢の肉を抉り取り、赤い花々を咲き乱れさせ、やがて一斉に大空へと舞い上がっていった。

 ヌーの大群は数体の仲間の死体と、麻痺して倒れた数十体の仲間を残し、今度こそ地平線の彼方へと逃げ去っていった。


「指示通りに魔法を使った。ところで3属性の3格契約者とは、一体誰の事だ」


 惨状から振り返った戦士たちの視界には、4体目となる白髪の女が寄り添うように佇んでいる姿が映って見えた。

 白い少女は他の三精霊と違って特に何をするでも無く、アクアマリンのように澄んだ瞳で、異物を観察する無情な眼差しを、周囲の戦士たちへ向けていた。

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