13 火の契約
焼け付くような真夏の炎天下。
肌にべた付く汗を払おうと、風と水の魔法を発する。
しかし周囲に満ち溢れる火のマナが次々と水のマナに混ざり合い、生み出した霧雨が温風と化して空しく吹き抜けていった。
「暑いな」
「この暑さは、明らかにおかしいです」
イナンナが指摘したとおり、未だ早朝であるにもかかわらず、既に昨日の真昼の暑さを越えている。
充分な睡眠によって回復したはずの体力が、ここに居るだけでどんどん削られていく。
火属性10以上のドゥムジであればまだ耐えられるが、火属性3しか無いイナンナではすぐにでも倒れかねない。荷を運ぶ馬も、移動どころでは無いだろう。
「風、光、闇の3精霊を付けるから、木陰で馬と一緒に休んでいろ」
「師匠はどうするんですか?」
「……この状況を活かして、火精霊と契約しようと思う」
「契約ですかっ、火精霊が師匠に呼び掛けて来たのですか!?」
「これから呼び掛ける。良いから少し休んでいろ」
「契約、見たかったです」
イナンナは肩を落とし、馬を牽きながら渋々と闇精霊の作り出した陰に入った。彼女の後ろからは緑の風が吹き、白い光が人馬の身体を包んで体力を回復させる。
ドゥムジはイナンナが陰に入ったところで闇精霊の力で外界への視界を覆い、風精霊の力で音声も遮った上で、土精霊を喚び出した。
「…………昨日集めた精霊石を出してくれ」
ドゥムジの言葉を受けた土精霊の足下が、茶色に輝き始める。
やがて赤く巨大な輝石が十数個、小粒の輝石も数十個が地中から這い出るように姿を現わした。
堆く積み上げられるそれら輝石の山は、まるで大地に敷かれた炎の絨毯だった。火のマナを発していないにも拘わらず、内包している巨大な力が自然と溢れ出し、炎が地を這いずっているかのような揺らぎを起こしている。
これほどの輝石の山が、噴火前のレバン大山にごろごろと転がっているはずは無い。そして土の精霊にもこれらを生み出す力が無い以上、事態の首謀者は時の精霊しかあり得ない。
時の精霊。
竜人王が歴史を改変しようと召喚した新属性だったが、それを用いたところで、存在しなかったはずの時間軸Aの竜人王が存在する枝分かれの時間軸Bにしか転移できない。
時間軸Aがあったからこそ時間転移が適う竜人王が誕生したのであり、時間軸A自体を改変することは、時間軸Aの存在である竜人王には不可能だ。
そして現在は時間軸Bに存在するドゥムジだが、彼もこの世界からさらに改変を望めば、さらに支流の時間軸Cへ、そしてDへと流されていくだけだ。その時間軸で発生した問題は解決できず、自己を逃がす緊急避難にしかならない。
竜人王と戦闘を行った時間軸Aの、戦闘後に戻る事は叶うだろう。だがドゥムジはあの世界に戻らないと決め、時間軸Bに在ることを選択した。
よって時の精霊は、これまで一切使わずに来た。
「まさか、500年後のレバン大山から火のマナを集めるとはな。川の遡流が出来ないように、同時間軸から過去へそのまま遡る事は出来ない。だが上流から下流へ干渉する事は出来る。おかげで時間軸Cへは流れなかった」
土精霊には、無断の行為に荷担した事を悪びれる素振りなど皆無だった。
それどころかドゥムジが喜ぶ事を信じて疑わないような笑みを浮かべ、火属性の輝石の山を差し出してくる。
確かに輝石の山と周囲に満ちる火のマナには喜びがある。
これほどの契約状況が整うなど、千年後では竜人王が用意していた魔方陣くらいでしか見たことが無い。これらを用いれば、イナンナですら2格の火精霊との契約が適うだろう。
ただし契約精霊が自己判断で契約者の本心を叶えようとする行為に関しては、改めて背筋が凍る思いをした。
文字も言葉も使わない精霊に対しては、契約者が本心で願うしか無い。
今回ドゥムジは、土精霊に火の輝石を集めてくれるように依頼した。そして時の精霊の手伝いは、ドゥムジに何ら害を与えるものではなかった。
このような条件が重なった時、思いがけない事態が発生する。
であれば、精霊達に厳しい束縛や条件付けをすべきだろうか。
だが仮に精霊の自己判断に基づく行動を禁じた場合、ドゥムジが気付いていない敵の攻撃から身を守る術を失う。あるいはもっと単純に、野営では常に自分が不寝番を続けなければならなくなる。
そもそも契約精霊を否定する事は、精霊と混ざった自身の魔力も否定する行為だ。その否定の度合いによって、自らの魔力を大きく損ねる事になる。
それらを避けたければ、今後指示を出す際に、より一層の注意を払うしかない。
「では魔方陣を描くか」
心の折り合いが付けられたため、否定の意志は表裏共に発せられなかった。
土精霊が頷き、足下に茶色い光の円陣を生み出す。
魔方陣の構造は螺旋迷宮だ。
輝石でマナを引き寄せる流れの道筋を作り、属性マナを魔方陣の中心へ引き込むように触媒という贄を配置していく形で作る。
属性に満たされた地で魔方陣を描く事により、属性マナを引き寄せて、精霊召喚が出来る極地に近い空間を作り出す事が出来るのだ。契約は契約者の属性魔力を使うが、魔方陣の属性マナはその力を補う事が出来る。
どれだけの属性マナを引き寄せられるのかは、螺旋の緻密さで変わる。ただし今回描いた魔方陣の荒さは、山積みとなった火の輝石が全て補ってくれる。
ドゥムジは魔方陣の各構成を思い浮かべられる限り土魔法で再現し、地面へ慎重に刻んでいった。円陣の中心が盛り上がり、周囲から巻き込んだ火のマナが魔方陣の中央に浮かび上がるような形を作り出す。
「魔方陣に据える触媒は無い。だが周囲にこれだけ火のマナが満ちていれば、火の輝石で通り道を作るだけで、巨大な火のマナが流れ込むはずだ」
魔方陣を用いる最大の危険は、自分の属性値まで螺旋迷宮に流れて吸われてしまうので、精霊との契約に失敗すれば、自分の属性魔力を失ってしまう事。
成功すれば精霊という形で大きくなって返ってくるが、失敗すれば事象に注ぎ込むだけで終わってしまう。
属性魔力を失えば、そこから魔力が成熟するまで再修行を行っても、属性値はせいぜい下位精霊を操れる程度にしか回復しない。
ドゥムジは魔方陣の理論を理解しているものの、千年後の複雑な螺旋構造を自分自身で再現できるかと問われれば不可能だ。
ある程度の魔方陣は作れるだろうが、属性値10を14にするほどの効果は期待できない。どんなに頑張っても、実力相応の精霊と契約できる極地を作り出せれば良い方だろう。
よって本来であれば、魔方陣を用いる契約は賭けの要素が大きかったのだが、現状であれば結果は言うまでも無い。
火の輝石を配置する度に、巨大な水場に溝を繋げたかのように周囲のマナが溝へと流れ込んでいく。
赤光の輝きは魔方陣の中央に溜まり、光量を増しながら、輝きを赤から白へと変色させていった。
ドゥムジは崩れた防波堤を補修するように魔方陣の綻びを修復し、淀みの無い流れを形成する。同時に自身の魔力を流すことで、魔方陣に溜まる魔力の塊を自分が精霊に捧げる対価として良く馴染ませた。
魔方陣の中核部では高密度の熱気が渦巻き、球体状となって回転しながら、臨界寸前の魔力エネルギーをなんとか発散させようと藻掻いている。
ドゥムジはこの瞬間が、契約するのに最良のタイミングだと判断した。魔方陣の中心に向かい、自らの魔力に言霊を乗せて召喚契約の言葉を発する。
『火の精霊よ、我との契約に応じよ』
白い球体の中から、透き通ったルビーのように真っ赤な両眼が見えた。
次いで透き通るように白い肌が浮かび、獲物の動きを眺める猫科の動物のように、興味深げに覗き込む相貌が現われた。
耳の上は若干尖っており、薄紅色の長髪は炎が揺らめくように靡く。実際に彼女の長髪が踊る度に、火のマナが周囲を揺らいでいる。
風の精霊が着ているような古風な祭司服とは異なり、髪よりは若干明るいピンク色のワンピースは、火のマナで形作られていながらも、胸元や裾の部分には白いフリルで細かな縁取りが為されている。
そして巨大な羽衣を背中に纏い、両腕から身体の前に掛け流し、その両端を足下付近まで垂れ流していた。
手の裾は大きく広がっており、右手側には明るい鷹が1羽乗っている。
一見すると遊牧民掛かりに用いる熊鷹に見間違うが、瞳が真っ赤で、羽ばたく度に火羽が周囲を舞っていた。
巨大な羽衣は動かしていないが、あれが振われた時の力は、中位精霊たちが引き起こす現象を大きく凌駕するだろう。
彼女は、紛れもなく火の上位精霊であった。
おそらくは4格。時の精霊ほど化け物じみた力は有していないが、それは比較対象がおかしいだけで、火精霊と風精霊を比べれば、炎海で突風を丸呑みできる力が有るだろう。
小鳥と熊鷹を争わせれば、一体どちらが強いのかと問うようなものだ。端から勝負にならない。
ドゥムジは無言で火精霊に近付き、現状を面白がるような瞳に臆すること無く右手を伸ばし、彼女の左手に触れ合って自らの身体に引き寄せた。
その刹那、互いの魔力が混じり合う。
両眼が大きく開かれ、内心までも覗き込むかのような相貌が浮かぶ。
いや、実際に覗き込んだのだろう。
そして火精霊に一体どのような基準があったのか。
消えた笑みの代わりに真面目な、あるいは酷く真摯な顔色が一瞬だけ浮かび、直ぐに炎の揺らぎと共に姿ごと消えて、ドゥムジの身体へ入り込んでいった。
今回の契約によって、ドゥムジの契約精霊は6体となった。
既存の契約精霊の性格を例えるなら、風精霊が素直な鳩、土精霊が奔放な兎、光精霊が柔軟な驢馬、闇精霊が従順な狐。と言う風に、どれも表面と内面が乖離した思考を有している。
時精霊の深淵は魔力を混ぜてすら計り難いが、今回加わった火精霊の本質は、無垢な虎だろう。その制御に費やす労は、中位精霊までの猫などとは比較にならないに違いない。
「…………もう上位精霊との契約は御免だ」
自然に溢れた嘆息と共に、土属性の魔力を放つ。
すると無用の長物と化した魔方陣に茶色の光が輝き、螺旋構造の溝を埋めるように均しながら、山間部の大地の表面へとその姿を戻していった。
更に一息、火属性の魔力を放つ。
今度は魔方陣に引き込まれて半減した周囲の火のマナが僅かに揺らめき、大気へ溶けるように残らず消えていった。
まるで山間の早朝のように冷えた自然の空気が流れ込んでくる。
「寒くなってきたな」
先程までとの温度差は、一体どのくらいだろうか。
肌寒さを感じたのはドゥムジだけではなかったらしく、闇精霊の遮光カーテンが掻き消えた後、姿を現わしたイナンナの表情は驚愕に染まっていた。




























