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千の彼方  作者: 赤野用介@転生陰陽師7巻12/15発売
第一巻

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12/62

12 温泉地と夢

 懇々と湧き出るレバン大山の温泉。

 それは6大属性が一つ、火属性マナが作り出した生命の源。

 身を浸せば、大量の火属性マナが全身に流れ込んできて体中を温めてくれる。


 日が沈んだ温泉の水面を仄かに照らすのは、光精霊の白いマナの光。照らし出しているのは、重厚感溢れる岩湯と、もくもくと立ち上がる白い湯気。

 光精霊の生み出す輝きは、土精霊の土壁と闇精霊の黒きベールにて幾重にも覆われ、外の魔物にまでは届かない。遮断された外部では、湯の音すらも届かない山林の静寂が広がっている。


 闇夜は人の視界が到底及ばない、魔物たちの闊歩する世界だ。

 魔物への警戒を風精霊に任せたドゥムジは、土と闇の精霊に守られた細やかな世界の片隅に自分たちと馬や荷を隠し、この時代に来て初めて温泉にその身を委ねる事にした。


「はぁ……良い湯だ。贅沢を言うなら、冬の方がなお良いけどな」

「師匠、熱すぎますよぉ」


 温泉内から、ドゥムジとは別の声が上がった。

 ドゥムジはそちらをなるべく見ないようにしながら、あくまで師匠としてのアドバイスを行う。


「それなら、火魔法で周囲の火のマナ自体を掻き消すか、水魔法で水のマナを増やす。あるいは風魔法で火のマナを上空へ追い散らすか、土魔法で源泉の流れてくる口を狭くする。どれが良いか考えて、自分で試してみるんだ」

「はい」


 イナンナは本当に熱かったらしく、両腕輪の土属性を使い、源泉が流れてくる入り口を完全に塞いだ。

 仮に火の魔法で掻き消そうとしても、彼女の魔法の力では湧き出てくる火のマナの方が多かっただろう。同様に水の魔法で釣り合いを取ろうとしても、焼け石に水だったはずだ。

 風は小鳥を使えば効果があったかも知れないが、温泉に入っているドゥムジやイナンナを巻き込まずに作業を行うのはとても難しい。よってこの問題の正解は、土魔法を使って入り口を塞ぐ事だった。

 源泉は別湯へ流れ込むのを止め、溢れた分は全て下流へと下っていく。

 温泉内には、再びの静寂が訪れた。


 沈黙は金なりと言うが、それも時によりけりである。非常に気まずいのだが、この状況を気にしているのは現時点ではドゥムジだけだ。

 いや、彼の記憶によれば入浴を提案した時にイナンナの頬は上気していたような気がしたが、ドゥムジ自身がイナンナとは別々に入るものだと思い込んで気にした素振りを一切見せなかったため、その間に彼女が落ち着いてしまったらしい。


 そもそも南部遊牧民の水浴びとは、一人で行うものでは無い。

 もし一人で河に入れば、溺れた時に助ける者が居ないだけではなく、肉食動物や魔物に対する警戒の目が行き届かなくなり、人数による襲撃の抑止も行えなくなる。また狙われた際の、多人数による襲われる対象の分散も出来なくなる。

 ワニなどの犠牲になる者は後を絶たず、一人で水に入ってはいけないと言う事は、南民の常識である。

 むろん本来ならば男女別々に入るのだが、このように魔物が徘徊する危険地帯で二人しか居なければ、選択の余地など無かった。

 従ってイナンナが南民の常識に基づきドゥムジと一緒に温泉へ入ってしまったため、このような現状に至るわけだ。


 ドゥムジは、今更別々に入っても安全だから大丈夫だなどとは言わなかった。

 既に温泉に入ってきた段階でそう言う事を言えば、自分と一緒に入るのが嫌なのだなどと思わせて、その拒否反応によってイナンナを傷つけてしまう。

 あるいは勘違いによって、ふしだらな行動で恥をかいたと思わせてしまう。

 よって紳士である彼は、瞬時にこれらの言い訳を考えて混浴を肯定した。

 今後裁判の際には、以上の点を十分に考慮した判決を願いたい。とりわけ氷の精霊が原告として現われた際には、是非とも優秀な弁護人を付けて貰いたいと切に願った。


「火属性がまだ低くて辛かったか。だけど温泉で火のマナを身体に取り込んだから、火の属性魔力はそれなりに上がったと思うぞ」

「えっ、本当ですか?」


 沈黙を破った色気の無い声に、イナンナが喜色を露わにした。


「火属性が上がるなら、もう少し頑張ってみます」

「いや、無理はするな。短距離を速く走るより、目標に到達する方が大事だからな。今の属性値はいくつだ?」

「火3、水3、風3、土2、光2、闇2です」


 ドゥムジが4月にこの時代へ流れ着いて、イナンナを教え始めてから約4ヵ月。

 彼女の力は、既に2歳年上の兄の属性値「火3、水3、風2、土1、光1、闇2」に半数の属性で並び、残り半数の属性では上回っている。

 兄も火の契約者である大婆や、水の契約者であるベナテク老の血を引く者として両属性の才能は高いが、同じ条件のイナンナが千年後の教育方法で育っている以上、それらでも追い抜くのは時間の問題だった。


「属性魔力が毎月10から20上がるとして、残り4年で合計600から1100。到達可能な属性値は7から10で、一部の属性は3格に届くかもしれないと言ったところか」

「それは本当ですか?」

「風属性は確実だろう。何しろ俺が一番得意な属性だから、3格まで教えるのには自信がある。火と水は、俺自身が契約者ではないから、絶対とまでは言い切れないが、今ここで目先の1や2を上げるより、4年で1000上げた方が良い」

「それなら、毎日温泉に入って1000上げます」

「一度目ほどの経験は得られない。しかもここは遠すぎる…………いや、待てよ?」


 ドゥムジは、周囲に溢れかえる火のマナを眺めながら、この地が契約に最適な場所なのではないかと考えた。

 千年後。火のマナが空前絶後の大噴火という強大な力に変換され、残らず使い果たされたこの地は、火属性の精霊契約に適した場所では無くなっていた。

 だが懇々と湧き出る温泉のように、火のマナが周囲に満ち溢れている現時点ならば、火属性の契約魔方陣を据える適地であるかもしれない。

 噴火中の火山ほどでは無いが、これほどに火のマナで満ち溢れているならば、魔方陣を使えば中位以上の火精霊が喚べる環境になっている。


(仮に召喚するなら、あとは何が必要だ。魔方陣を描くのは俺自身で行うとして、周囲のマナを魔方陣の中に引き込むための、火の輝石が必要か?)


 ドゥムジが僅かに魔力を発すると、岩場の上に茶色い光が集まり、土精霊が姿を現わした。


「こちらの守りは風と闇に任せるから、代わりに周囲の大地に転がっている火の輝石を集めてくれるか?」


 土精霊は長い耳を僅かに下げ、儚い笑みを浮かべる。


「いや、契約精霊が増えても俺は俺だろう」

「師匠、どういう事ですか?」

「精霊契約をすると、契約者と精霊の魔力が混ざる。土精霊は、俺が最初に契約した精霊だ。その後に光、闇、風の精霊たちと契約してどんどん魔力が変わっていった。土精霊は、多重契約をあまり好まないようだ」

「そんな事、始めて聞きました。でも確かに大婆もベナテク老も、契約精霊は一つです」

「ああ。最初の精霊だけは、自分の予想より少し上の契約を交わせることがある。俺は土属性が2格だろうと思っていたが、3格の彼女が現われた。だから逆に考えれば、多重契約は単独契約ほどには好まれないのだろう」

「その後に他の精霊と契約したら、どうなるんですか?」

「いや、俺の土属性は全部土精霊と混ざるから、契約精霊が増えても割り当てが減るわけじゃ無い。それに契約精霊を増やして年齢停滞が長引けば、その分だけ現世での経験も増やせるぞ?」


 最後の一言を土精霊に伝えると、土精霊は無表情のまま消えていった。


「なんだか急に冷えてきたな」

「師匠、割り当ての問題じゃ無いと思います」

「…………その分だけ長く一緒に居られるぞ。とでも言うべきだったか?」

「知りません」


 土精霊を思いやるイナンナは、良い精霊使いになるだろうか。

 しかし精霊に共感してその衝動に引き摺られる事は、好ましい結果のみを生むわけではない。

 例えば闇精霊に飲まれた魔導師たちは精神を病み、光精霊に共感し過ぎた魔導師は治癒に入れ込んで心を壊した。

 火精霊の力で敵味方問わず焼き尽くした者も居れば、水精霊の力で竜人支配下の町を丸ごと沈めた者、風精霊で同様に切り刻んだ者、土精霊の力でまとめて生き埋めにした者も居た。

 特に魔方陣を用いた契約者は、分不相応な契約によって絶大な力を得る。であれば一層の自制が必要だ。


「そろそろ上がるか。身体の水気は水魔法で消すか風魔法で払って、火魔法で暖める感じだ。調整が難しかったら、ちゃんと布で拭け。風邪は引くなよ」

「はい。分かりました」


 イナンナは少しだけ名残惜しそうにしていた。

 おそらく火属性が上がるという温泉でもう少し粘りたかったのだろう。だが彼女の一人で入水してはいけないという常識が、それを押し留めたようだ。

 ドゥムジは先に温泉から上がり、魔法で水滴を払ってから服を着込んで寝床へと赴いた。何よりも紳士である彼は、その場に留まることを由とはしなかったのだ。

 イナンナを置き去りにした形だが、それなりの力を込めた小鳥を一羽貸し出している彼女は、風魔法に関しては充分な力を扱える。身体の水滴を飛ばすくらいは、充分に出来るだろう。


 温泉で暖まった彼が寝床に付くと、すぐに睡魔が訪れた。

 そしてその夜、ドゥムジは不思議な夢を見た。






 白い渦の中心で、飛竜を模した白銀の竪琴を静かに奏でる紫髪の女が見えた。

 穏やかな旋律が響き渡る空間の端では、見慣れた土精霊が両手を組み、微笑みながら立っている。

 紫の彼女は、ただ一人微笑む観客の前で、どこか遠い虚空の彼方を見つめながら静かに、そして丁寧に虚空へ奏で続けた。

 葬送曲を彷彿とさせる悲しみを含んだ音色が、幾重にも波紋を生み出しながら、ゆっくりと空間の渦巻きに加わり、螺旋の輝きを次第に濃く、大きく広げていく。


 彼女の背後に発生している白い渦巻きの奥で、渦の水面とも鏡面とも取れる世界の裏側に映る若木がどんどん大きくなり、やがて巨木の青葉を一杯に生い茂らせた。木の葉は白い輝きを放ちながら、ゆらゆらと揺れ動く。

 木の葉の揺れが大きくなって行くに連れ、鏡面世界に薄い線が何本も走り、世界の境界がひび割れ始めた。

 ひび割れた世界の狭間からは、赤い光の連なりが僅かな隙間から這い出すように、煉獄の洪水となって溢れ出してくる。

 こちらの世界が、次第に赤く染まっていく。青く澄んだ空が、焦げ付くような赤い空に変わる。大地が熱を発し、焼けた岩からは白い煙が立ち上っていた。


 世界を焦がしていた紫の彼女は、それらの景色を一通り眺めた後、やがて満足したように観客に向かって一つ頷くと、紫の光と化して消えていった。


 先程まで空間に渦巻いていた輝きが残らず消え失せ、流れていた旋律が全く聞こえなくなった。

 ただ一人残された土精霊の足下には、無数の巨大な火の輝石が転がっていた。

 そして周囲の空間には、まるで火山の大噴火が起きた直後であるかのような、途方もない数の強大な火のマナがひしめき合っていた。

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