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千の彼方  作者: 赤野用介@転生陰陽師7巻12/15発売
第一巻

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10/62

10 レバン大山へ

 ドゥムジが飛竜を捕まえに赴く案は、幹部会議であっさりと承認が得られた。


 成功すれば、ガロシュ族が抱えている食糧問題を根本的に解決できる。

 失敗すれば、ドゥムジの発言力を落として、他の幹部との釣り合いを取れる。

 どのみちドゥムジさえ無事に帰ってくれば、作戦の成否に関わらず人的物的損害など皆無に近いので、結局はどちらでも良いのだろう。

 但し大婆によって、イナンナを同行させるという条件が付けられた。そんなイナンナは、明らかにドゥムジとガロシュ族とを繋ぐ鎖である。


 鎖の先端の一方は、ドゥムジの首辺りで良心という名の首輪を掛けている。そしてもう一方は、ガロシュ族の大婆辺りがしっかりと握っている。しかもその鎖は細すぎて、無理に引っ張るとすぐに壊れそうだった。

 野外へ放つ牧羊犬に対しては、それなりの保険を掛けるらしい。


「気を付けて行ってくるのよ」

「はい、お母さま」


 出発前には、イナンナの家族がお見送りに来ていた。

 なおイナンナの父親であるナンナル氏は、氷の精霊のように冷たい瞳でドゥムジを眺め、言外に「君、分かっているね?」と問い質してきた。

 思いがけず発見した新種の精霊であるが、ドゥムジはそれと契約したいとは思わなかった。

 そもそもドゥムジにイナンナを押しつけたのはナンナル氏の曾祖母であるのに、一体何を分かれというのだろうか。

 企みを隠そうともしない大婆の意図は非常に読み易いが、いかにドゥムジが15歳とは言え、11歳のイナンナは青田買いに過ぎるだろう。これが同い年の娘なら、流石に危なかったかも知れないが。


 ちなみに南部遊牧民が正妻を迎える際には、花嫁の父親らへ贈る家畜の平均的な相場と言うものがある。

 例えば一般的な戦士の場合は、羊50頭ほどが相場となる。

 戦士が管理できる羊の群れは概ね300頭で、そのうち雌は9割の約270頭。

 1年前に生まれた雌羊100頭を出産対象から省くと、年間170頭が出産できる。そのうち100頭に子羊を産ませるとして、双子と赤子の死亡を差し引けば、1年間で約100頭の羊が誕生する。

 つまり一般的な戦士は、1年間に古い羊を100頭処分できる。正妻を迎える際に花嫁の父側へ贈る羊50頭というのは、戦士の年間消費量の約半分だ。


 花嫁の親戚の数や関係性、あるいは交渉で贈る羊の数が変わるので、これはあくまで相場でしかない。

 なぜ親戚が出てくるのか。

 それは血縁関係による互助組合へ加入する手数料のようなものだ。戦士同士、戦場で配慮して貰える相手が増える事に、どれだけの価値があるかは計り知れない。また、花嫁や生まれてくる子供の血縁の保証金も兼ねている。

 花嫁交渉の場では、新郎新婦の父親や男の親戚同士が「世話をしてきた者に支払わない気か」「花嫁を飢え死にさせる気か」などと駆け引きをして、新郎が支払う家畜の数に折り合いをつける。ただし親戚になるので、やり過ぎは禁物だ。

 妻を迎えることが早めに分かっていれば、潰す個体を減らしつつ、種付けする個体を増やす事で、事前に揃えておく事が出来る。

 その他にも羊を用意するのが難しい戦士たちの場合、息子と娘が居る戦士の家同士が、娘を交換し合うことで羊の支払いを実質0にするやり方もある。


 もちろん新郎の側だけが、一方的な義務を負うものでは無い。

 娘を妻に出す父親の側も、娘に教育を施す義務がある。羊の飼い方から乳の加工技術、牧草や毒草の種類と見分け方など、正妻として余所へ出しても恥ずかしくないようにきちんと躾けなければならない。

 娘を嫁に出す全権が父親にあるため、娘が父親に反抗していたり、器量が悪かったり、あるいは誰からも話が来ないような場合は、父親は責任を持って娘を正妻では無く側女として他家へ出す事もあり得る。

 この辺りは花嫁とその父親側に、努力義務と結果責任が伴う。


 そして魔導師家の出身者は、戦士よりも相場が高いはずだ。

 なにしろ母親の属性の一部を引き継げて、子供が魔導師の才能を得られる。

 族長家などは積極的に魔導師の血を取り入れ、魔法が使える戦士として並みの戦士からは隔絶した力を持っている。

 イナンナの各属性に関しては、それを引き上げたのがドゥムジ自身であるから、その教育分は差し引きされた額になるのであろうか。

 魔導師の場合、本家には羊では無くそれなりの力を持つ輝石を相応に支払うなどでも良いが、エリドゥ家は良家な上に親戚も族長家などであるので、やはりお高そうである。ドゥムジが族長に預けている財産では、とても足りないだろう。

 もちろんこれは、あくまで大婆の策略に素直に従った場合の話であるが。


「さて、出発するか」

「はい、師匠」


 イナンナに声を掛けて馬に乗せ、次いでその後ろからドゥムジが乗り込む。

 そして見送りの家族に手を振るイナンナを両手と身体で支えつつ、軽く馬の腹を蹴って進むように促した。


『追い風』『追尾』『回復』


 2人乗りの馬が先頭を走り、その後ろに食糧や寝袋を背負った二頭の馬が続く。計三頭の馬はガロシュ族の営地から北東へ向かって、草原を元気に駆け始めた。

 この馬たちと荷物は、ドゥムジがガロシュ族の営地で治癒活動を行った対価の一部だ。ガロシュ族からの持ち出しは弟子のイナンナを除けば一切無く、故にドゥムジがレバン大山で手に入れたものは、全てドゥムジ自身の物と帰す。


 疾走する馬たちの後躯を、緑の光が満遍なく押し続ける。

 馬体からは白い光が輝き、馬は発汗すら見せずに安定した走りを続ける。

 だがイナンナが尤も興味を引かれたのは、後ろを追ってくる二頭の馬が、目元から黒い輝きを放っている事だった。


「師匠、あれは何ですか。馬の目が黒く輝いています」

「イナンナは観察してみて、何だと思った?」

「闇精霊の魔法ですよね。光精霊の真逆で、生物に負荷を掛けて従わせているんですか?」

「そうだ。身体を動かす際には、脳が神経を介して命令を発している。と、主張する北民の医学者が居るらしい。だから少し思考を麻痺させて、闇魔法を使っている俺の魔力を目印に、俺に付いて来いという命令を混ぜたんだ」

「そんなことが出来るんですか?」


 イナンナが知っている闇魔法は毒・麻痺・呪いなどで、それらは自然界に存在する動植物が持つ毒や麻痺、あるいは瘴気の淀みを闇精霊がマナで再現すると言う事で理解が及ぶ。

 しかし馬に目印へ向かって付いて来させるようなものが自然界にあるとは、聞いたことが無かった。


「魔法を使う際のイメージは、相手の脳内へ麻薬を送り込む感じだ。麻薬は知っているな?」

「はい。触れたら駄目な植物です」

「ああ、それだ。その特性をマナの具現化で形にして、馬に嗅がせるイメージで、目印へ付いてくるのがとても気持ち良いように感じさせるんだ。元々群れを作ってリーダーに付き従う生き物だから、そんな本能も利用した」

「私には、ちょっと出来そうに無いです」

「そうか。精霊と契約すれば、簡単に出来るようになる。それに闇属性を上げるなんて一番簡単だから、焦らなくても良い」

「一番簡単なんですか?」

「もちろんだ。従順な家畜はあまり向かないから、害獣のヌーを捕まえた時にでも実践しよう」

「ううっ」


 闇属性を上げるのはとても簡単だ。

 一定以上の知能を持つ生物を捕らえ、傷付ける行為と治療とを交互に繰り返せば、生物が感じる死への恐怖や、逃れられない事への絶望が次第に分かってくる。

 もちろんそんなことをしていれば、魔導師自身も闇に飲まれて精神を病む。

 それを避けるには光属性を同程度上げるか、より上位の光魔導師にサポートに付いてもらう必要がある。

 もしも最終的な闇属性が光属性を格単位で上回っていたならば、大小の差はあれど、魔導師の精神は病んでいる。


 ドゥムジ自身は光属性が10で闇属性が11だ。

 北民への怨みが強くて僅かに偏りが出たが、先に闇だけを極端に上げたわけでも無いので、この程度は誤差の範囲内だ。

 しかし調整をせずに格単位の差が出ていたならば、自己抑制が限界を超える。

 南民の魔導師で大きく精神を病み、使い物にならないと判断されて子供を産ませる道具として使い潰された魔導師は少なからず居た。


「俺が責任を持って最後までちゃんと監督する」

「本当ですか?」

「1対1で慎重にやれば全く問題ない」


 レバン大山は、リガル大聖堂から100kmほど北東に進んだ地域に聳え立っている。

 辿り着くまでには草原と平原を駆け抜ける必要があるが、風精霊で周囲を索敵してもらい、他の部族民との遭遇を避けながら進んでいけば、すぐに山の麓まで到着する事が叶う。

 索敵後に闇精霊に先行して貰って携帯食料を奪うことも考えたが、ガロシュ族と隣り合う部族なので、襲った相手がガロシュ族だと発覚してしまいかねない事からそれは断念した。その代わりの馬三頭である。


 レバン大山の麓には多数の魔物が生息しており、麓の平原に暮らしている部族民は居ない。

 いくら駆逐しても魔物が山から下りてくるので、家畜を守り切れないからだ。


 そんなレバン大山は、500年後に大噴火を起こす。

 溶岩流は東の都市ニップルを丸ごと飲み込み、数十万人が死んだらしい。

 それが人竜戦争の勃発時期とほぼ重なったことから、千年後でも陰謀説が流れるくらいだ。

 陰謀だと言われる最大の理由は、竜人王が火・土・闇の3属性で上位精霊と契約しているからなのだが、よく考えれば西島で戦っていた当時の竜人王が、本島に居たはずもない。

 それに大火山の膨大なエネルギーは火の上位精霊1体だけで生み出せるとも思えず、結局は自然の力だったのだろう。

 なお千年後のレバン大山は、火のマナが使い尽くされて精霊契約には向かない地となっている。


(火属性のマナが溜まり続けているこの時代なら契約できるか。だが、必ず契約できるとは限らない。失敗のリスクは大きい)


 千年後であれば、適切な場に複雑に組まれた魔方陣が用意されており、魔導師の比較対象にも困らなかった事から、その場でどの程度の契約が出来るのか概ね分かった。

 しかしそれらを持たないドゥムジの場合は、自ら契約場所を探し、一人で魔方陣を作らなければならない。

 そして魔方陣を使って失敗した場合には、その属性値を丸ごと失って、今のイナンナ程度の火や水の魔法力すら持てなくなる。

 属性値がゼロになると、1に上がるまではいくら掛けてもゼロのままだ。マナを全く感じられなくなり、そこから身体の魔力成熟が終わるまでに小さな灯火が出せる程度に回復すれば御の字である。

 魔法陣は魔導師にとって己の人生を投じた賭け事に等しく、勝率が定かではない現状では、容易には掛け金を費やし難い話であった。


「師匠?」

「考え事をしていた。しかし時間が掛かりそうだな。道中に軽く勝負でもするか」

「勝負ですか?」

「そうだ。俺とイナンナで、交互に一つずつ毒草の名前を言い合うのはどうだ」

「師匠、どうして花じゃなくて毒草なんですか!」


 イナンナの主張は、10代の女子としては当然だろう。

 しかしドゥムジにも言い分があった。


「もちろん闇属性の知識上げだからだ。それに花なんて言い合ったら、男の俺が絶対に負けるだろ」


 建て前と本音を同時に伝える部分に、まだ辛うじて良心は残っている。


「毒草なんて言い合ったら、絶対に私が負けますよ」

「それなら俺が毒草で、イナンナが牧草ならどうだ?」


 牧草は家畜に食べさせても良い植物で、毒草は家畜に食べさせてはいけない植物だ。

 いずれも遊牧民には必須の知識だが、種類としては牧草の方が多い。

 しかし後世の体系化された知識を持つドゥムジは、狭い地域で暮らす魔導師家のイナンナよりも植物に通じているはずだと高を括った。


「分かりました。それでは、レンゲソウ」

「イヌスギナ」


 遊牧民を侮った男が敗北を知るのは、32種類目の毒草を言い終えた後である。

参考


イナンナが挙げた牧草 計33種類

<マメ科>18種類

レンゲソウ、エダウチクサネム、ピントイ、キマメ、セントロ

ファージービーン、スイートクローバ、グライシン、スタイロ

ガレガ、フジマメ、メドハギ、ギンネム、サイラトロ

アカツメクサ、シロツメクサ、シラゲクサフジ

<イネ科>15種類

コヌカグサ、ハルガヤ、カラスムギ、エンバク、パラグラス

オオヒゲシバ、ハトムギ、カモガヤ、シバムギ、テオシント

シラゲガヤ、オオクサキビ、クサヨシ、チモシー、ナカハグサ



ドゥムジが挙げた毒草 計32種類

<牛などに中毒例>21種類

イヌスギナ、ワラビ、ソテツ、ヨウシュヤマゴボウ、オトギリソウ

セイヨウアブラナ、アジサイ、ユズリハ、ドクウツギ、モロヘイヤ

ドクニンジン、キョウチクトウ、オナモミ、イヌサフラン、ケール

イチイ、ウマノアシガタ、ギシギシ、セイヨウカラシナ、キンコウカ

ヨウシュチョウセンアサガオ

<馬などに中毒例>5種類

トリカブト、クララ、ドクゼリ、ネジキ、ニセアカシア(樹皮部分)、

<羊・山羊などに中毒例>4種類

ハナヒリノキ、アセビ、レンゲツツジ、バイケイソウ

<ダメ、ゼッタイ>2種類

トウゴマ、センダン

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