第90話
チリン――
チリン――
カズキに会う前の、寂しげな鈴の音。
――助けて。
遠くでカズキが身を丸めている。クラウドは走った。しかしその距離は走れども縮まらない。
――助けて。
やがてカズキの姿が闇に飲まれて消えてしまった。
「っっ!!」
心臓の高鳴りと共にクラウドは目を覚ます。体は、動かせば痛みを伴い、立ち上がれぬほどの痛手を負っていた。だが彼の、床に転がるカズキの姿を見て痛みなど吹き飛んだ。
傍に寄ろうとしたが、背後にいた鴟窺に阻まれる。
叉胤やソギたちも捕われ、驪竜や箏が周りを囲っていた。
「動くな」
「よい。守人だろうと、何もできぬ」
玉座にいる男が鴟窺を制す。
クラウドはカズキに駆け寄り抱き起こした。しかし、こちらを見ようともせずに拒絶をするだけで、何かを呟き続け、時折びくりと大きく体を痙攣させる。
「カズキ、カズキ!」
「無駄だ」
カズキの横に立つ男が冷静に言い放った。
「お前は?」
「医術部隊統制長、惟僞。召喚士の心は闇に囚われている」
「――この子に、何をした」
「心の奥にあった、忘れたい過去の傷を増幅しただけさ。思った以上に召喚士の過去は暗かったようだな」
「貴様……」
クラウドは拳を握り惟僞を睨む。
「ヒトの気持ちを、何だと思っているんだ!」
「気持ち? 人間への感情などないに等しい。それにお前達は霤碧様に命数を与えるだけの存在。もうすぐ命尽きる者を気にかけても仕方がなかろう」
「く……」
何を言っても無駄なのだ。奇声を発し暴れるカズキを力強く抱きしめる。ふとナシュマの姿が目に入り、彼の視線が天井に向けられていることに気づいた。
「ナシュマ……」
まだ諦めてはいけない。何の為にここまで来たのか。叉胤がこちらに目配せをし、玉座へ向けて片膝をついた。
「咫嘶様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか? 王都を覆う結界、あれは私がいた頃にはなかったものです。四天王の結界では足りぬほどのことがあったのですか?」
「なに、いつもの内紛よ。お前が起こした騒動に乗じて、玉座を狙う者がいたのだ。その時に都にも被害が出た故、安全策としてあの結界を張ったまで」
「いささか強力すぎる気がしますが」
「何が言いたい」
「いえ、我々の魔力とは違う異質なものと感じましたので」
「聖獣の力の欠片を使ったからな。もっとも人間に傷つけられるとは思ってもみなかったが。思わぬ力を発する、腐っても召喚士の守人か」
「召喚士の力がお前達の脅威なのは分かる。だが、カズキを解放してくれ。このままでは――」
元に戻る前に精神が壊れてしまう。
惟僞が首を横に振った。
「戻す方法はない。心の闇に堕ちたのは召喚士の意思だ。私がどうこうできるものではないさ」
「方法がない、だとっ?」
「守人のお前が一番分かっているのではないか? この小さな召喚士の傷の深さを。傷を癒してやることなく今まで来た守人の責任よ。助けてと、何度もお前の名を叫んでいたのに」
「くそっ……!」
クラウドは怒りを抑える為に息を大きく吐き、拳を強く握った。カズキの心の問題ならば、助ける方法は一つだけだ。そして彼の守人である自分だけにしかできないことだと思う。
耳元に唇を寄せて囁いた。睦言のように、甘く優しく。
「カズキ、お前が在る場所はそこにないよ。帰っておいで」
「ぅ……っ、ぁあー!!」
カズキが腕で瞳を覆った。それを退かせて両手で頬を押さえる。
「俺を見なさい」
「嫌だ嫌だ嫌だ!!」
「俺が傍にいる。心の闇に負けるんじゃない、カズキ!」
自分の心を分け与えることができればいいのに。困惑した紫色の瞳が、空を虚ろに見つめる。
窓の外に一羽の白い鳥が舞い、霙颯が咫嘶に耳打ちをした。
「――時間だ。鴟窺、まずは守人から始めろ」
咫嘶のその一言を合図に、クラウドは両腕を鴟窺に捕らえられ、支えを失ったカズキが無惨に転がる。
「ク……ド……」
「カズキ!」
「ふふふ……」
名を呼んでくれたと思ったが、カズキは肩をすぼめて小さく笑うだけだった。




