第89話
低く唸った驪竜がクラウドと共に闇に消えた。これが真実なのだと思わせるように、驪竜に崩された石壁だけが散っている。
「……クラウド……?」
クラウドがいなくなってしまった。目の前で。
「クラウドさんが目的だったのか。カズキ君の召喚を封じる為? それとも――」
「ボクが……」
あんなことを言ったからクラウドが傷ついたのだ。頭を抱える。自分の力に反応しているのか地鳴りが響く。
「カズキ!」
「ぅ……」
意思に反して力が流れ出る。止められない。
「助けて……助けて、クラウド……」
耳鳴りのような不快な高音が聞こえ、カズキは耳を塞いだ。
それから、どうなったのかは分からなかった。気づけば叉胤の姿もナシュマの姿も、そこにはない。暗闇だけが自分を包む。いつもならば、願えば傍にいてくれた。当たり前が幸福ということを実感する。
幸い杖はあった。聖獣に出口を探してもらおうと、カズキは召喚を試みた。
「え?」
しかし、応えるものはない。聖獣を喚び出すことができない。
「なんで……どうしてっ?」
何度やっても反応はなく、焦りと不安が心を埋めた。
「ぅわあああああーー!!」
ひとしきり叫び、何度も肩で息をする。硬く冷たい床と饐えたにおいに、昔閉じ込められた暗い地下室を思い出してしまった。
カツンカツン――と靴音が聞こえてきた。蝋燭の光が揺れる。
「クラウドっ? ……ッッ!!」
その姿を見てカズキは息を詰まらせる。光に浮き上がる姿は、昔と同じ、思い出したくはない男だった。あの時、いなくなったと思っていたのに。
「……いで……来ないで!」
動かない脚を引きずりながら逃げる。近づく手を払い退けた。
「クラウド! クラウド!! 助けて!!」
恐い。
恐い。
肩を掴まれる。
「ボクに触るなぁ!」
払うたびに伸びる手の数が増えた。たくさんの手が体を押さえ、耳に生暖かく不快な息がかかる。
気づけば大嫌いな同じ男がたくさんいた。
「イャだあッ!!」
銀色の煌めきに続くあの時と同じ痛み。痛くて、熱くて、気が遠退く。
「カズキ」
「カズキ」
「カズキ」
「名前はお前を縛るもの。名を与えた私を生涯忘れはしないだろう」
気色が悪い。耳元の声も、体を這う指も、この空気も、ぜんぶぜんぶ。
なくなってしまえ。
「カズキ」
男の手には細い鎖。
「言うことを聞かない悪い子は、繋いで閉じ込めよう」
「生きたければ逆らうな」
「お前の主人はダレだ?」
男が口々に言った。カズキは抵抗をやめて目を閉じる。涙が目尻から溢れた。なくなるのは自分。
もう、嫌だ。これが現実なのか夢なのか分からないが、苦しみから逃げる為には心を閉じてしまうのがいいと思った。
「いい子だ」
腕が、脚が、首が、鎖に搦め捕られる。
「容易いものだ」
男たちが煙のように消え、代わりに鴎伐に似た一人の魔族がカズキの横に佇んでいた。誰にでもあるであろう心の奥にある深い傷、それに触れられたカズキは、自らを護るように一点を見ながら体を小さく丸め、親指を唇に当てながら震えている。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
唇から微かに零れ落ちるのは謝罪の言葉。心の闇に許しを請うているのかもしれない。魔族がカズキを抱き上げる。
「君の心の闇は随分と深いようだな。しかし安心していい。その苦しみからは、死をもってすぐに解放される」
足元に魔法陣が浮き上がり、空間転送をした二人が行き着いた場所は、謁見室であった。
カズキの小さな体が部屋の中央に投げ出される。そこには、クラウドたちも捕われていた。誰もが満身創痍でぐったりと肩を落としている。
玉座の男が恐いほどに美しく笑った。




