第86話
思いのほか箏が楽しそうに準備をしている間にも、ヨハンはソギの体を貫く糸を切ろうとした。だが切れ目すら入らない。見た目はしなやかであり、裁縫の糸ほどの太さであるのに、強度は鋼鉄のように硬い。
「くそっ」
「無駄無駄。ソギとお兄さんを同時に軽く持ち上げられるくらいの強度だよ。取りたかったらゲームに勝ちなよ」
乱暴にナイフを戻しながらヨハンは舌打ちをする。
「ねぇ、ヨハン」
ソギの冷たい指先が頬を撫でた。
「ヨハンなら、必ず見つけられるよ。僕は、信じてる」
「ソギ……」
「イチャついてるとこ悪いけどさー、準備できたよ。捜す魔獣はミミットと同じ大きさ。形状は獣タイプ。見分けやすいように少し色変えてオレの好きな月色にしたよ。見つけたら触るだけでいいからねー。さぁ、始めようか」
箏が手を叩く。赤い花びらが一枚散った。
ヨハンは砂漠へと駆け出し、すぐに一匹目とおぼしき魔獣が見つかる。
「これか」
遺跡の隙間にちょこんと座る小さな魔獣は、石の置物のように動かない。箏に言われた通り指先で触れると閃光が走り、動き始めた魔獣がヨハンの肩に乗った。
「可愛い……ってこんなことしてる場合じゃねぇな」
それから砂漠をどれほど捜し回ったか。
四十二――
四十三――
四十四――……
ヨハンの後を、彼が見つけた小さな魔獣がついて回る。
「五十!! あと半分!」
不思議と足の疲れは感じない。
七十八――
七十九――
八十――
捜し始めてからだいぶ時間が経っている。ソギは無事だろうかと心が焦る。
遠い空が光っていた。優しい輝きだ。それを見ていたら、不思議と焦りが和らいだ。
「お、そうだ!」
箏の出したルールは、百の魔獣を捜し出して触れること、ただそれだけだ。
「手ぇ借りたらダメって言われてねぇしな、うん」
にやりと笑ったヨハンは、自分について歩く魔獣を集める。ソギならば、彼らにどう語りかけるだろうか。
「え~と――お前達も一緒にトモダチ捜さないか? 見つけたら教えてほしいんだ」
キュイっと甲高く魔獣が鳴き、散り散りにその場を離れていった。
「おぉ、ありがとうなー!」
心が通じるとは、こういうことか。嬉しいものだ。すぐに次までの道筋に魔獣が並び始める。
「九十九――百匹目は……」
魔獣が繋がる先はソギ。赤い花びらに横たわるソギの横に百匹目の魔獣が座っていた。
間に合ったのか、間に合わなかったのか。ヨハンは確認することなく最後の魔獣に触れた。その瞬間、見つけた全て魔獣がソギに吸い込まれるように消えていった。
眩しく光るソギの体が浮き上がる。風に煽られて花びらが舞った。
「…………」
こんな状況なのに美しい光景だと思ってしまう。やがて光と貫く糸を失ったソギが、ヨハンの腕に落ちてきた。肌は温かく、鼓動は確かだ。瞼に唇を当てると薄水色の瞳が見えた。
「ソギ……」
「ヨハンなら、やってくれるって……思ってたよ……。箏、僕の……言ったとおりだ」
「ちぇー、負けちゃった。お兄さん、脳みそ筋肉馬鹿ってわけじゃないんだ。ルールを掻い潜る姑息さは、さすがナシュマと双子だねー」
「筋肉馬鹿……まぁいい。約束だ、手ぇ貸せよ」
「ん~。そうだねぇ。人間がどこまでやれるのか見てみたいし」
箏が楽しそうに笑う。
だがそれは叶わなかった。風と共に現れた霙颯が、憮然たる様子で三人の前に立つ。
「そこまでにしておけ」
「何だよ、面白そうだったのにー」
「箏と人間二人は、オレについて来てもらう」
ヨハンはソギを護る為に抱きしめ、その場を動かなかった。何をされるか分かったものではない。悪いことが起こるのは決定的だ。確実に。
霙颯が腕を上げると、ヨハンたちの足元に緑色の魔法陣が浮かぶ。
「人間に肯定も否定もする権利はない」
「ねー霙颯。そっちの細っこいヒト、具合悪いから転送術耐えられないと思うよ」
「それがどうした」
「ふざけんな!」
「……ふざけるな?」
瞬時にヨハンの首を霙颯の白い手が絞め上げた。そして片腕で体が持ち上げられる。ソギと同等の体つきだ。人間では考えられぬ力である。
「ヨハン!!」
「オレは今、機嫌が悪い。言葉に気をつけろ。それと……言っておくが、オレは妖祁ほど人間に優しくはない」
「ぐっ……」
魔法陣が輝きを放ち、風がその身を攫ったかのようにヨハンたちの姿が消え、ただ一匹残された白いミミットが小さく鳴いた――。




