第82話
扉から出た時、一番驚いていたのはピエールだった。いつも冷静な男が周りを気にせずに斎を抱きしめた。三十年もの間、扉に遮られていた想いの深さを、誰一人として分かる者はいない。
「ねぇクラウド」
全ての報告が済み、部屋でようやく一息ついた時にカズキはクラウドに問いかける。
「大丈夫?」
その問いの意味が分からなかったのか、クラウドが首を傾げた。ライシュルトのことで辛そうなのに。壊れそうな顔しているのに。
「ボクが水の神殿で言ったこと覚えてる?」
「覚えているよ。辛いことも話せば半分になる、だよな」
「うん、だから無理しないで。今ね、凄く辛そうな顔してるよ。扉の中でキスしてくれた時も、クラウド変だったし」
「あれは、その……」
珍しくクラウドが言い淀み、焦りを見せた。カズキは、ベッドから立ち上がったクラウドの袖を掴む。
「なぁに? 隠さずに言ってよー」
「――……んだ」
「え?」
「ライのこともある、けれど……あの時は、その、別なんだ。お前とのキスで……あんな状況だったのに俺は、カズキを」
「ふふっ、抱きたくなった?」
髪を掻きあげてクラウドを下から見つめた。我慢なんかしないで――堕ちてしまえばいい。
体を伸ばして枕元の蝋燭を吹き消す。月の光だけの部屋は、柔らかくそしてねっとりとした、欲望に抗えぬ空気に変わった。
「カズキ……」
「いいよ。ぜんぶ、忘れるくらい絡まり合おう? ボクが嫌なこと忘れさせてあげる」
薄い布地の服の胸元を開け、クラウドを引き寄せながら縺れるようにベッドへ倒れる。クラウドを撫で上げると、呻き声が漏れた。唇が寄せられ、耳朶を舌で擽られる。甘噛みをされると、もう耐えられなくなった。
「カズキ、悪いが手加減できそうにない」
その声にすら絶頂を感じてしまう。下腹部が濡れていくのが分かった。服を着ているのがもどかしい。体ぜんぶでクラウドを感じたい。
堕ちてしまえばいいと思ったのは、自分に向けての言葉?
「クラウド……」
その夜の営みは、昨夜よりも激しかった。互いに現を忘れようと、体と快楽を求める。衝動的な行為だったが二人は満足であり、長い時間身を絡ませ合った。
さすがに疲れて眠りに落ちたのは、空が明けて程なくしてからだ。いつも以上に熱い体がカズキを幸せな眠りへと誘った。
夢の中でも傍にいてくれるクラウド。世界は明るく、鳥が気持ち良さそうに空を舞う。鳥が降り立つのは、森にいるソギの肩。ソギが放った矢が虹を創り、それを見上げるヨハンが笑う。地平線が見える緑の草原、遠くにいる叉胤とナシュマが手を振った。二対の扉の前にいるのは、ライシュルト。
そして、あれは。
暗闇に身を丸める、自分と同じ年頃の見知らぬ少年。長く尖った耳は、魔族たる証だ。
銀色の髪が汗と共に白い首筋に流れ、何かを拒絶するように頭を振る。叫びは外に聞こえず、少年は身を護るように再び身を丸めた。
似たような状況を、自分は知っている。暗闇の中で誰にも届かない声は、肉体に与えられる苦痛よりも何倍も辛い。
涙が零れた。
「……?」
優しく目頭を滑る親指に目を開ければ、クラウドと視線がぶつかった。
「恐い夢でも見たかい?」
「夢、見たんだ。あの人は……」
「あの人?」
「たぶん、あれは霤碧じゃないかと思うんだ。あの人、今でも苦しんでる。たった独りで。暗いところにいて叫んでた。夢だけど、ただの夢じゃない気がするんだ」
「カズキ……そうか。全ての聖獣と契約をして、ピエール様の夢見に近い状態になったのかもしれないね」
「助けてあげたいよ、クラウド。霤碧を助ければ、魔族が人間の命数を欲しがる理由はなくなるよね?」
「そうだね。カズキが助けたいと決めたのなら、俺も手伝うよ。後でナシュマの様子を見に行って、これからのことを決めよう。ライのことも話さなければならないし」
「うん」
一夜明けて、クラウドの表情も落ち着いて見える。
「クラウド」
「ああ。もう、大丈夫」
そう言って強い瞳と本心から笑ったクラウドが、口づけてきた。




