第72話
少年から受けた傷もあり、ライシュルトたちが教会に辿り着いたのは朝方だった。くたびれた姿で正面から戻るわけにはいかず、少年を連れて人気がない教会の食材搬入口から中に入る。
自分と同じ背丈ほどの白壁についた、小さな靴跡をふと見つけ、ライシュルトは口の端を緩めた。
自分も孤児院にいた時に、冒険心からこの壁を乗り越えて脱走を試みたことがあるのだ。勿論、この足跡は自分のものでも、理由が同じかも分からないが、昔も今も変わらないのだと少し嬉しくなってしまった。
ライシュルトは息を吸って辺りを見渡した。白い壁。少しささくれ立った黒く塗られた木の扉。壁に沿って植えられた名も分からぬ赤い花々。
そして……何よりも好きな、その人の姿。
「団長」
「二人ともその傷……ピエール殿が結界の異変を感じて心配されていたが、悪い予感が的中してしまったな……」
「オレは大丈夫ですよ~。クラウドの方が深手です」
「何言ってるんだ、ライ。お前、自分の傷の具合見てから言えよ」
「そこまでにしろ。二人とも傷を負っていることには変わらん。その少年といい、聞きたいことは山ほどあるが、まずは治療が先だ。馬はそのままでいいから行くぞ」
「団長、ライは脇腹をやられてます。一人で歩くのは大変でしょうから一緒に来てやって下さい。俺はこの子を連れて先に行ってますから」
「クラウド……」
「ライ、無理だけはするなよ」
「うん、ありがとー」
二人に気を遣ったのだろうクラウドが、少年を馬から下ろしてその場を立ち去った。
「気が利くな、あいつは。さて、ライ……」
セディアが柔らかく雰囲気を変え、髪を優しく撫でてくる。
「私の前では強がらなくていい。傷が痛むのだろう?」
「……うわ~見破られてましたか~」
背中がむず痒くなるような気恥ずかしさを覚えて、ライシュルトは壁に寄りかかった。
「杖で貫かれました。止血はできましたが、痛みがまだ……」
「見せてみろ」
ライシュルトの血に塗れた服を捲くったセディアが、動きを止める。
痛みに思わず眉を寄せてしまった。
「――ライシュルト、すぐにピエール殿のところへ行くぞ」
思ってもみない反応に、ライシュルトは理解が追いつかなかった。抱き上げられ、下から見るセディアの表情がいつになく硬い。
「団長?」
だが名を呼べど返事はなく、ただ腕に力が込められる。
「ピエール、入るぞ」
数回扉を叩き、返事を聞く間もなくセディアが中へ入る。来訪を予想していたのか、ピエールがすぐにソファーへ促した。
「あなたが慌てるなど珍しいですねぇ。しかしまぁライシュルトのことなら別ですね」
「早く診てやってくれ」
「はい。ライシュルト、失礼しますよ」
曝された傷口を見て、ライシュルト自身も驚いてしまった。刺された傷口は黒く変色し、脈打つたびに目に見えて傷が波立つ。傷の奥底から、得体の知れない泡が出てくるのが気色悪かった。
「これは……」
「どうなんだ?」
「さて――貴賓宿舎に叉胤がいましたね。セディア、彼の力をお借りしたいので、ここへ呼んで来ていただけませんか?」
「ああ、分かった。ピエール頼む、ライの痛みを少しでも早く取ってやってくれ」
「私に任せなさい」
「ありがとう。すぐに戻る」
足早にセディアが部屋を出て行き、ライシュルトはピエールを見上げた。セディアのピエールに対する態度がどうしても気になったのだ。正直、自分の傷がどうでも良くなるほどに。
「ん? 二人きりだとあんなものですよ。同期のよしみですか」
「ああ、なるほど」
「しかし他に人がいる時は絶対に態度を変えませんから、アレは相当焦っていますねぇ。面白いものを見た、と言ったら不謹慎ですが、かなり珍しいですね」
傷口に手を翳しながらピエールが笑う。
掌からの白い光に傷が包まれ、痛みが少し和らいだ気がした。
「オレと会う前の団長ってどうだったんですか?」
「そうですね、も~う真面目な男でしたよ。まだ私が聖騎士だった頃ですね、仕事中斎に会いに行った時なんか、すっごく怒られちゃいました。仕事放って逢い引きなど何事かとね」
「それは……」
セディアが正しいだろう。
「んふふ~、ライシュルトが思ってる通りですよ。そして、私の相手が男ということを知っても、顔色一つ変えなかったのはセディアだけです。私にとって掛け替えのない友人ですよ。あの事件があって、あなたに出会って、セディアもいい意味で不真面目になりました。あなたが変えてくれたのですよ、ライシュルト」
褒められたことが素直に嬉しかった。彼の心に自分の居場所がある。それは、何よりも嬉しい事実だ。
「傷は必ず治します。じきにセディアも戻るでしょうから少しお休みなさい」
「はい……」
頭の芯が痺れるような快感を味わいながら、ライシュルトはやがて深い眠りについた――。




