第68話
この異変をいち早く感じ取ったのはヨハンだった。
馬を駆け、風が追う。先導する大きな鳥。ヨハンとソギの二人はソギの家へと向かっていた。
「気になる」
「双子って何か感じるんだね」
「ああ。ソギ悪いな、一緒に来させて」
「ううん、気にしないで。僕がヨハンについて行きたいと思ったんだ」
二人は祭を楽しんでいたが、ヨハンが感じたナシュマの変化と同時に、鷲が異変を報せてくれ、ソギの家に向かうことにしたのだ。叉胤のことも気にかかる。
「兄貴が妖祁に呪いをかけられた時以来の嫌な感じなんだ。背中がよ、なんか痺れる感じがするんだよな。嫌な予感、当たらなきゃいいけど」
気持ちだけが先行し、体がついていかない事がもどかしい。横を走っていたソギが、馬を寄せてくる。
「ヨハン、ナシュマさんはきっと無事だよ。先導してくれてる子や他の子も大丈夫って言ってるから」
「ありがとう。ま、兄貴は悪運強いからな」
森の入口に着くと鷲がソギの肩に止まり、何かを語りかけた。
「え……怯えて? うん、ありがとう。行ってみるよ」
用件を伝えた鷲が力強く鳴き、空高くに消えて行った。
「何だって?」
「この森の全て生き物が怯えて身を隠したそうだよ。僕の家から発生する何かにね」
二人は互いの手を握ってソギの家へ歩を進めた。そして、目にしたそれは――闇。小屋を囲うようにできた世を隔てる闇の結界。邪悪な魔力は感じられないが、明らかに来る者を拒んでいる。
「こりゃ生き物も逃げ出すわな」
「中の様子知りたいね」
ソギが指先で結界の境に触れると、彼を受け入れるがごとく闇が口を開けた。
「開いた……僕達は大丈夫みたいだ。叉胤の結界かな」
「可能性は高いな。行こうぜ」
扉を開けて足を踏み入れる。リビングに佇む一人の魔族が振り返った。
殺気。ヨハンの反応が一瞬早く、剣を抜いて攻撃を受け止める。硬化した爪が折れて床に刺さった。
「叉胤、落ち着け」
だが、肩で息をする叉胤がヨハンの剣を素手で掴む。魔族の姿になり、理性を失いかけているようだった。
「叉胤!」
「落ち着いて。大丈夫」
震える叉胤の手に触れて優しく囁いたソギが鎮静の効果がある香を焚く。
「大丈夫。大丈夫だから。僕達だよ」
「力収めろ。お前が辛そうなの見てらんねぇ」
「うぅ……」
ようやく叉胤が落ち着きを取り戻し、床に座り込んで頭を抱えた。
「――ごめん……オレ、何を……」
「気にすんな」
「叉胤、手の傷見せて」
ソギが叉胤の手に膏薬を塗る。切り傷の他にも酷い火傷が目立った。
「何があったんだ? 兄貴の姿も見当たらねぇし」
「ナシュマ……行ったんだ」
「へ? どこにだ?」
「妖祁様が来て、それを、追って、魔界に」
「は? 何だってっ?」
「扉、創ろうとしたけど……でも、オレには無理だった」
ヨハンは部屋を見渡す。壁や床に残る焦げ跡。ナシュマを助けようと何度も何度も試したのだろう。その度に弾かれ火傷を負おうと諦めずに。
思わず怒りが込み上げた。
「ッッ、馬鹿兄貴が」
「ナシュマ、絶対戻って来るって言ってた。でも不安なんだ」
嫌なことから逃れるように叉胤が饒舌に語り始める。
「向こうの世界は安全とは言い難い。玉座を狙う者も少なくないから、表面上は平和でも、水面下では騙し合いつけ入る隙を狙っている。そんな、世界だ。ましてやナシュマは人間。様子を探ることができる可能性なんかゼロに近い」
「叉胤クラスでも扉創れないなら、兄貴じゃ帰る術もないしな。ったく、後先考えないのもいい加減にしろってんだ」
「ナシュマさん向こうの様子を探りに行ったの?」
「ああ。妖祁様の去り間際に放った言葉が気がかりだったみたいだ。これからが見物だと」
そこまで言った叉胤が思い出したように立ち上がり、何かを探し始めた。そして机の近くに転がっていた布に包まれたそれを拾い上げる。
差し出された金の杯は、以前よりも輝きを増していた。
「叉胤、それ」
「例の杯だ。多分三十五代目の番人の代わりとなった杯と同じ効果は得られると思う。魔族とナシュマの人間としての魂の情報を封じ込めてあるから」
「これが……」
「斎さんの代わ――」
ソギが言いかけて口を噤む。頭の片隅にあったのはライシュルトの存在。ライシュルト自身から事情は聞いている。
「上手くどうにかならんのかね」
ヨハンは指先で杯の紋章を叩く。杯が何かを知らせるように、美しい音色を響かせた。




