第67話
――一方、その頃の叉胤とナシュマは、二階の窓から景色を眺め、自然と体を寄せ合っていた。
木々の緑。空の青。揺らめく花は赤。
「気持ちいい。改めて人間の世界は綺麗だって思うよ。ソギはいいところに住んでるな」
「魔界にゃこんな景色ないのか?」
「まず太陽がないからね。明るいは明るいけど、こんな綺麗に景色が見えないんだよ」
「へ? 太陽がない?」
「うん、代わりに明るい月が三つあるんだ。夜に向けて月の数が減る」
「月が三つか、不思議な世界だな。想像つかねぇや。すまんな、向こうのこと、あまり聞くべきじゃねぇと思うんだけどよ」
叉胤は首を横に振る。
「ううん。クラウドさん達と旅をして気づいたから」
「何をだ?」
「今までは自分が魔族だってことがたまらなく嫌だった。でも、鴎伐様との戦いでオレは魔族としての本性を剥き出しにした。オレが魔族ということは変えられない事実で、きちんと受け止めなければ、この先戦い続けられないって思った。だから、自分のこと見られるようになって吹っ切れたって言うのかな。昔みたいに、心のどこかにあった嫌な気持ち、もうないんだ」
「そっか」
ナシュマが瞼に唇を落として抱きしめてくれた。
「そういや月で思い出したが……妖祁も変な呪いかけやがったよなー」
「ミミット」
「ん?」
「ナシュマの前の姿ね、あっちの世界でミミットって言われてる動物だよ。見た目可愛いからペットにしてる人多いんだ。紫って珍しいけど」
「何がしたかったんだ、アイツ。ま、一歩間違えたら叉胤が小動物になってたんだ。助けられてよかったぜー」
「いや、狙ったのはお前だよ、ナシュマ」
「うぉっ!」
振り向けば部屋には妖祁。気配すらしなかった。叉胤はいつでも応戦できるように一歩前へ進み出た。
「言ったろう? せっかくこちらの生き物にしてやったと」
「はぁ?」
「お前は人間、叉胤は魔族。生命という点では人間は虫けらに等しい」
「はっ、だから何だってんだ。そんなもん端から割り切っとるわ。寿命の長さが違うからこそ、一緒にいられる時間を大切にしてるんだ」
「うん」
ナシュマから差し出された手を握る。
正直なところは辛い。それでもナシュマが寿命に逆らって生き長らえたくはないと、はっきり言い切ったのだ。なんとも申し訳なさそうに、心の底から搾り出したような言葉に、従うしかないと思った。
「ほぉ、強い瞳だ。私の実験体に――」
「妖祁様、ご用件を」
叉胤は妖祁の言葉を遮る。これ以上ナシュマに手を出されたくはない。
「そうたぎるな叉胤。これが必要なのだろう?」
妖祁が翳した手に金色の杯が浮かんだ。太陽と月が象られた紋章。鴎伐が持ち去った召喚士一族の杯だった。
「鴎伐から話を聞いて預かったものだ。これには人工的だが『魂』を定義とした力が詰まっている。だが、足りないものが一つ……人間の魂の情報だ」
「!!」
まさに一瞬。
その時にはもう既に、妖祁の大鎌がナシュマを襲っていた。悔しいが反応すら出来なかった。
「……良い顔だ。さて、こうしたらお前達は更なる絶望と恐怖に喰らわれるか?」
切っ先がナシュマの喉元に当たり、少しだけ力が込められる。薄く切られた皮膚から血が流れ、そして鎌から杯へと落ちていった。
血を受け止めた杯が、一瞬白い光を放つ。
「ナシュマ、動かないでね」
「ああ……」
「ふふっ、なおも最愛の者を護ろうとするか。瞳はこんなにも怯えているというのに」
妖祁の指先が叉胤の瞼を滑った。汗が流れる。
「このまま苛むのもいい気分だが、そうもいかぬのが残念だ」
ナシュマの首から大鎌が離れ、叉胤はすぐに首の傷を治した。護れなかったのが悔しい。
「大丈夫? ごめん、動けなかった」
「ありがとな。……つーか、おい妖祁! 何のつもりだっ?」
「だから、人間が人間である為の魂の情報をもらったのだ」
妖祁が杯を両の手で撫でた。先程よりも強い白の光と、妖祁の手から放たれた黒の光とが混ざり合い、後に杯を覆いながら金色に吸い込まれていった。
「受け取れ。鴎伐との約束の品だ」
二人の前に差し出された金の杯。先程とは違い、杯自体が生命体のごとく力に溢れている。これならば番人の代わりになりそうだ。
「鴎伐から話は聞いた。魔族はデータがある故何とかなったが、人間の根本的な情報が圧倒的に不足していたのだ。届けついでにナシュマの血で情報を補完しようと思ってな。ふふっ、殺されるとでも思ったか?」
楽しそうに妖祁が笑う。叉胤は安堵の息を吐いた。
「殺気剥き出しで何言ってやがる。ビビったわ。で、その鴎伐はどうしたんだ」
「王の命令で鴎伐はこちらに戻ることになった。アイツでないと我が強い親衛隊はまとめられんからな。他意はない。叉胤が戻ったのだ、あいつがいなくても不便はなかろう」
「なるほどな。お前は何で協力してんだ?」
「それはナシュマ、お前に対する礼さ」
「は?」
ナシュマが不思議そうに首を傾げる。
「ふっ、銀の海での戦いの後は存分に楽しませてもらったぞ。この私が少々疲れを感じるほどに、あのように乱れる霙颯は初めてだった」
「あぁ、アレね」
「そう、アレだ」
「何したの?」
「いや、ちょっと気づけ用の薬草を使って……その後中和剤飲ませたんだが、その、なんだ。お前と同じくあの副作用の効果が、ちょーっと効き過ぎちまったみたいでな」
「えぇっ?」
気づけ薬と中和剤。その副作用は、過去に叉胤自身も一度だけ経験をしたことがあった。ナシュマが調剤している時に窓を開けてしまい、薬を吸い込んでしまったのだ。中和剤を飲んだものの、その後が酷かった。互いに幸運だったのは、愛しい者が傍にいたことか。
「あれは手を貸してやっても良いと思うほどの愉悦であった。お前は気に入っているぞ、ナシュマ」
「へーへー。そりゃあどうも」
「さて、これから先が見物だな」
「どういうことです?」
喉で笑った妖祁が右手を横へ翳して魔界との扉を作り出し、姿を消した。黒い渦が不規則に巡る。
「なんだろう?」
「ったく、言いたいだけ言っていなくなりやがって!」
傍らにいるナシュマがそっと叉胤に耳打ちをしてきた。
「急だけどよ、向こうの様子探ってくる。心配すんな、絶対お前のとこに戻ってくるから」
そして、止める間もなくナシュマが扉に飛び込み、全てが消え失せた。
反射的に伸ばした腕が虚しく空を切る。
「ナシュマ……?」
何が起きたのか状況把握ができない。残された杯を眺めて、叉胤はしばらくの間その場から動くことが出来なかった。




