第45話
皆は夜明けと共に銀の海へ出発する。
海面が磨き抜かれた鏡のように美しく、月明かりに照らされて銀色に輝く。雪が舞えば右も左も天も地も全てが真の銀色だ。それが、銀の海たる所以だ。一行は、その美しさに息を飲む。
カズキは海面に降り、興味津々に海を覗き込んだ。銀色に光る海面はカズキの姿を遜色なく映し出す。
「すごーい! あれ? 吹き出物ができてる……ライシュルトのせいだっ」
「いきなりオレのせいっっ?」
「うん」
いつものやり取りに皆は微笑んだ。ヨハンも笑いながら海の上に降り立ち、掌で海面を二、三度擦った。
「おっ、人間の体温ごときじゃ溶けねぇな」
「施術がなされてるってことか。水の聖獣の意思なのか、魔族の仕業かね。しっかし海底に神殿がある、ねぇ。風の長も簡単に言ってくれたよな」
ライシュルトは目の前に広がる銀の海を眺めた。果てが見えない、この広大な海の中から神殿を探し出すのは、少し骨になりそうだ。
カズキは杖の水晶を海面に当てた。じんわりと冷たい空気が体の中に入ってくる。だがその源は霞かかっているように掴めない。
「ボクにも詳しい場所分からないなぁ。あ、そういえば何で叉胤って地の聖獣の場所知ってたの?」
「うん……」
叉胤が言い澱む。
「あのね、殲滅戦の時、迷いの杜付近がオレの担当だったんだ。召喚士の神殿、壊したのもオレだから……」
「ねぇ、叉胤」
カズキは申し訳なさそうに俯く叉胤に笑いながら言った。
「あのさ、召喚士滅ぼしたとか気にしなくていいからね。ボク一族とかって、はっきり言って興味ないし」
「オイオイ」
「だってずっと一人ぼっちだったし、何の実感もないんだもん。一族がいたっていう昔より、クラウドがいてくれる今の方が大切だよ。それにまあ、皆もいるし。だから、気にしちゃダメだよ」
「ありがとう、カズキ君」
二人のやり取りを微笑みながら見ていた、ヨハンの表情が固まった。
「ヨハン、どうした?」
「いや、なんか――」
突如ヨハンが氷に包まれる。それは、本人すら何が起きたのか分からないほどの一瞬の出来事だった。
数瞬の後、状況を把握したヨハンが剣で氷を割ろうとしたが、見えない力に弾かれ衝撃で気を失ってしまう。
「ツバキと同じ術……くそっ、鴎伐達か!」
ライシュルトは気配から相手の位置を掴もうとした。
「うわっっ!」
気配なく今度はカズキの下半身が氷に飲み込まれた。ヨハンとは違い、じわじわと這うように氷が体を蝕んでいく。
カズキは眉を寄せた。脚の感覚は元よりないが、不快だ。
「何コレっ!」
空にも地上にも、姿はおろか気配もない。
残りは。
「下か!」
自分の姿の更に下、氷の中でゆらゆらと移動する黒い物体。それが足元へと近づいてきた。
「……! ……海から離れろ!」
そう叫んだ叉胤に反応したライシュルトは、カズキを連れて海を離れる。彼が立っていた場所に氷の柱が出来たのは、それからすぐのことだった。
「大丈夫か、カズキ」
「大丈夫じゃないよ! 何なの、コレ!」
カズキが右手で氷に触れると、炎の痣が熱を放って氷を溶かした。
「聖獣の力には敵わないみたいだね」
「ヨハンも……っと、どうやらすぐには無理なようだな」
ヨハンの傍らには東雲が立っている。静かに、音もなく。気配もなく。
東雲が氷に手を翳す。
「!」
ヨハンの足元から水が溢れ、瞬時に氷の中を埋め尽くしてしまった。都合悪く意識を取り戻し、苦痛に顔を歪めたヨハンが水の中でもがく。
刹那、ソギは背筋がぞわりとしたのを感じ取った。感情を考える前に体が動いていた。
炎を乗せた矢を氷に向けて引き放つ。だが氷に到達する前に、右手を差し出した東雲に破壊されてしまった。
限界に来たヨハンがその動きを止める。再びソギの背中に戦慄が走った。
今度は、唐突に理解をする。ヨハンを、一人の男として好いているということに。一番辛い時に、彼は常に傍にいてくれた。船の上で好きだと言ってくれた。
皆も剣を構えるが、その前にソギは立ちはだかった。
「手を出さないで」
静かな声でソギは言い、一本の白い矢を手に取った。仄かに銀色に光る矢羽に唇を当てる。
そして、弓を構えた。
引き絞り、矢を放つ。
矢は銀色の光を放ちながら氷に深く突き刺さり、消えた。割れはしなかったものの、ひびが入って水が抜け出る。ヨハンは、ぐったりと座り込んだまま微動だにしない。
「ナルシスではヨハンさんが僕を助けてくれたよね。だから、今度は僕が助けるよ」
ソギはヨハンの傍に歩み寄り、氷を抱き包む。氷から渦巻いた風がソギを襲った。腕から頬から赤い体液が滴り、銀の髪が散る。
だが、そんなことは気にならなかった。目の前にヨハンがいる。伝えなければならないことがある。胸の奥にあるあたたかな感情を。
氷へ口づけた。
「待たせてごめんね」
もう一度口づける。
「僕は、ヨハンが好きだよ」
すると氷が音もなく砕け散った。ソギは、崩れゆくヨハンの体を優しく抱きとめる。
「カズキ、ヨハンの服を乾かせるか? 体が冷えたままになるのはまずい」
「うん」
「カズキ君、お願い」
熱風でヨハンの服は乾いた。乾いた服は温かであるのに、触れた頬は冷たいまま。
ソギは、自分の体温を分け与えるように唇を重ねて息を吹き込む。持っていた短剣で服を切り開き、心臓の上に手を当てて圧迫をした。
何度も。何度も。
それからどれだけの時間が経ったかは分からない。動かす腕も、唇も、感覚がなくなっていた。
「ソギ……」
「僕は、諦めないよ」
そして、もう一度息を吹き込んだ時だった。ヨハンが小さく身じろぎ、咽ながら肩を掴んでくる。
「ぅっっ、ソギ?」
「心配かけやがって!」
「良かった……」
叉胤がヨハンの傍らに屈み、胸に手を置いた。白い光がヨハンを包む。
「体が楽に……」
「ソギが蘇生してくれたから体調を戻せたんだよ。ソギ、あとは任せて」
「うん。ありがとう、叉胤……」
「そうか、ソギが助けてくれたんだな。ありがとう」
ソギはヨハンを抱き包んだ。首筋に当たる吐息が温かい。大切な人が傍にいてくれるのは、こんなにも嬉しいことだと知った。
二人の視線が絡み合い、意識をしないほど自然に唇が触れ合う。
「ソギは温かいな……」
「ヨハンが温まるまで僕はこうしているよ」
ヨハンの手がソギの頬を撫でてきた。
大きな手。温かい手。大好きなヨハンの手を握り締めて目を閉じる。
そんな二人を東雲はただ眺めていた。




