第36話
髪を梳いていたクラウドの指が一瞬止まる。
「ん?」
「どうしたの?」
「ナシュマがいた気がしたのだが、気のせいか? そういえば一昨日から姿を見せないから、叉胤が心配していてな。カズキは知っているかい?」
「ナシュマ? ……あ!」
そういえば牙煌に吹き飛ばされて以来見かけない。
「ボクに付いて来てたんだけど……山においてきぼりだぁ。牙煌との戦いとかでゴタゴタしてたから」
「自力で山を下りて来たのかもしれないな。行ってみよう」
「うん」
二人はナシュマらしきものが消えた岩場へ向かうと、岩場の陰から細い声が聞こえる。やはりナシュマがいるようだ。
「み?」
クラウドたちの存在に気づいたナシュマが、二人に向かって突進してくる。
物凄い速度で飛んで来たナシュマは止まれず、カズキにぶつかって、地面に転がった。彼の体は泥や切り傷に汚れ、枯れ枝にでもぶつけたのか羽に小さな穴が開いている。
「ナシュマ、置いてっちゃってごめん! って、傷だらけ。どうしたのっ?」
「みぎ~」
再び飛んだナシュマが岩陰に消えた。ふて腐れたのとかとも思ったが、何か大きな物を咥えてくる。持ち上げられないナシュマは、力尽きて何度も地面に転がるも、諦めることなく少しずつ大きなものを引きずってきた。
二人はそれが人だと解るまで相当な時間を要した。
幻を見たのかと思った。いるはずのない人だ。
「サキチカ……」
「嘘……」
クラウドがすぐにサキチカの脈を取った。トクン、トクン――と確かな脈動が指に伝わってくる。頬に触れれば温もり。
「生きてるの?」
「ああ。カズキ、急いで防人の人を呼んでこよう」
「サキチカが生きてる……」
カズキは頭を振った。狐に摘まれたようだ。確かに崩れたその手も、牙煌の高熱によって焼かれた皮膚も、嘘のように治っている。
嬉しいような、腹立たしいような複雑な心境だ。
「カズキはサキチカを頼むよ。ナシュマもな」
「うん」
「み」
クラウドの背中を見送り、カズキは腕を伸ばしてサキチカの肩に触れる。雨が降って濡れているのに、服の上から触っているのに、肌の温かさが掌に感じられた。山で背負われていた時と同じ温かさだ。そのまま手を滑らせてサキチカの手を握る。崩れたはずの指を撫でて、小さく息を吐いた。
安心したら涙が出てきた。
「み」
「……あ!」
サキチカが小さく身じろぎ、うっすらと目を開ける。カズキは手の甲でぐしぐしと涙を拭うと笑顔を見せた。
「サキチカ、大丈夫?」
「カズキ……? 俺は、何故……」
「よく分かんないけど、助かったんだよ。サキチカは生きてるんだよ」
「生きて、いる?」
「うん。ナシュマが見つけてくれたみたい。サキチカはいい人だから、サキチカの山の神様が助けてくれたのかもしれないね」
「ああ、お前か……ありがとう」
「み」
程なくしてクラウドが防人を伴って戻ってくる。
「サキチカ様!」
「どうやら死の世界には嫌われているらしい。皆には心配をかけた」
「我々は良いのです。一番悲しんでいらっしゃる方がまだ城にいらっしゃいますよ」
「そうだな……一発くらい殴られるだろうなぁ」
サキチカが苦笑しながら頭を掻いた。
「ねぇ、サキチカ。ミツチカってそんな人なのっ?」
「うむ。怒らせるとホントに怖いぞ。喧嘩をすると俺が謝るまで引かんしな。ま、兄としてはそこが可愛いのだが」
「サキチカはミツチカが大好きなんだね」
「たった一人の肉親だからな。カズキの家族はどうしてるのだ? 世界を救うといえども、その歳で旅とは心配されただろう」
「あのね……ボクに親も兄弟もいないよ。顔だって覚えてないんだ」
「すまん」
カズキは首を振ってクラウドに抱き上げてもらう。
「ううん。肉親はいないけど、今はクラウドがいるもん。あと叉胤とかソギとかヨハンとかナシュマとか。ライシュルトも入れてあげてもいいか。その中でクラウドは特別に大好きな人だよ」
「カズキ、ありがとう」
「さぁ皆様、こんなところで話し込まれては風邪を召されます」
「そうだな」
城へ向かい、クラウドとカズキはサキチカの私室へ通された。障子を開け、クラウドが部屋へ踏み込んだところで、待っていたミツチカに扇子で頭を殴られる。
「あ……」
「ミツチカ、お前……」
「す、すまぬ! サキチカかと思った故……。いや、そもそもサキチカが悪いのだ。何故生きているっ? 心配をかけよって……どれだけ心配し、どれだけ悲しんだか分かっておるのか! だが、おかえり、だ」
「ただいま、ミツチカ」
「ふん……叉胤、サキチカを診てやってくれるか。それとクラウド達もそのままでは体が冷える。案内させる故、我が城の湯殿でゆっくりと温まるが良い」
ミツチカの好意で案内された湯殿は広く快適だ。大きな石に囲われた湯の上には、小さく黄色いものが十個ほど浮いている。
湯に浸かったカズキは掌に乗せて匂いを嗅いだ。
「あ、いい匂い。なんだろコレ」
「これは柚子と言うものらしい。ユーライの特産物の一つだね」
「へー。体も心も温まる感じだね」
隣に座るクラウドの肩に頬を乗せる。クラウドもカズキの肩に腕を回し、温めるように撫でてきた。
「クラウドもあったかい……」
「カズキが温かいなら、気が済むまでこうしているよ」
「うん。……ねぇ、クラウド」
「ん?」
「こうして二人きりになるのは初めてだね。堂々とクラウドにくっつけるし、ドキドキする」
「俺は安心するな」
「安心?」
「ああ」
いつになく真面目な表情と、真っすぐに見つめてくる瞳から目が離せない。
「カズキ。正直、カズキを他人に見せたくないんだ。それほど俺はカズキが愛しい。今までお前の過去を考えて言えなかったが……」
クラウドの指がカズキの頤を上げ、いつもより低い声が耳を纏う。
「――お前が欲しい」
「…………」
体が熱くなった。それが何なのか、過去の自分が身をもって知っている。カズキは息を吸い込み、そして小さく頷いた。




