第20話
運び込まれたソギの首には二つの噛み痕がついていた。何があったのかと問い質す間もなく、先ほどの男が部屋に現れる。
「旅の者、ようこそ我がナルシスへ。お初にお目にかかる。私はこの町の領主ワン・アイだ」
高くもなく低くもない凡庸な声であったが、聞く者全ての耳を奪ってしまうのはさすが領主たる器か。
「あなたが……これはどういうことか説明していただきたい」
「主に捧げる為彼を頂戴したまで。実に丁度良い時期に町へ来てくれた。これで町の者を犠牲にせぬと済む」
「お前、何言って……」
「町の者を供物として差し出すのは、領主として心苦しくてな」
「教会からの使者もあんたの仕業か?」
「ご明察だ。……では逃げようなどと考えぬようにな。二日後、その身を貰い受けにくる」
ワン・アイは慇懃に一礼をすると部屋を出て行った。
すぐにソギを寝かせ傷の状態を見る。それは、生き物が潜んでいるのではないかと思うほど赤黒く蠢き、身体を侵食していた。
近くの町の教会にソギの身を保護してもらおうとも考えたが、叉胤の話では、この手の傷には呪術的な施しがされていて、町から出ることはできないそうだ。
そして何も手立てが見つからないまま夜が明けた。誰も眠った者はない。他人にあまり興味を持たぬカズキですら、外を眺めて一言も発さなかったほどだ。
翌朝にはソギの身を護るヨハン以外の者が、僅かな手懸かりを求め町へと繰り出した。
ヨハンは、汗に濡れたソギの体を拭き、水を含ませ、傷口を冷やす。
「頑張れ」
だが陽が暮れる頃、俄かにソギの体が冷え始める。手を重ねて摩ったが到底追いつくはずもなく、ヨハンはベッドに潜り込むと、ソギの体を自らの体で包み込んだ。後ろから回した両手は彼の心臓の上に置く。
死から護るように。
「お前を失いたくはないんだ……皆もそう思ってる」
ザーニアで動物に囲まれるソギの姿を見て一目惚れをした。みすみす殺されてしまっては自分で自分を許せない。そう思ったのは、実際に会ったソギの優しさに惚れ直していたからだ。
しかし人の想いとは、儚く散り行くものである。彼の想いも、彼らの想いもまた虚しく、ソギは眠るように仮死状態となりその息吹も止まってしまった。
皆が自分の無力さを痛感して頭を抱えるなか、ヨハンがソギを抱き上げ部屋の扉に手をかけた。
「ヨハン?」
「領主の館へ行く」
「はあ!?」
短く言ったヨハンの胸倉を掴んだライシュルトが、怒りで手を震わせる。
「お前……自分で何を言ってるか分かってるのか!?」
「……ああ」
「分かってねぇだろ! ソギを差し出す気かよ!」
だがヨハンは何も答えず、誰の制止に耳を傾けることもなく宿を出た。
ソギを介抱しつつ考えていたのだ。さして良い案も浮かばぬならば、領主から直接聞き出そうと。そしてソギを連れて行くのは危険であるが、おそらく彼がいなければ、領主は姿を現さないというのがヨハンの見解だ。
宿を出て目を閉じた。
「行こうか」
ナルシスは海へと注ぐ大きな川を境に、北と南とに町が分断されている。南には町人が住み、北の高台には町を見下ろすように領主の館が建てられていた。
川を渡り北側の大地に足を踏み入れた時、辺りを取り巻く大気が変化する。自然ではない冷たい風が吹きすさび、来る者を拒んだ。ヨハンは構わず進んで館の前で足を止めた。
ソギを地面に下ろし、取っ手に手をかけて重厚な扉を引こうとした瞬間、背後から現れた腕によって扉を押さえつけられる。
振り向けば、息を切らせたライシュルトが立っていた。その後ろにはクラウドたちもいる。
「あのなー、ソギを助けようと思ってるならそう言えよ! ナシュマがみーみー騒がなかったら、お前を恨んじまうところだったぜ!」
「……すまない」
「ヨハン、戦いになったらどうする気だったの?」
「この貸しはいつか返してもらうからな、行くぞヨハン!」
館へと足を踏み入れ、最初に目に飛び込んできたのは、赤と青を基調としたステンドグラスだった。朝陽に照らされた光で部屋が満たされている。美しい、が、どこか不気味にも思えた。
正面には、身の丈三倍はあろうかというほどの、大きな石造りの階段。そして、その踊り場にワン・アイが立っていた。闇に溶けるように、静かに。
「クククッ、待っておったぞ。わざわざ出向いてもらえるとは恐悦至極だ」
「お前の主とやらのところまで俺達が連れていく」
「ふむ……」
ワン・アイが目を細めて人差し指を向けてくる。
「一人」
「?」
「二人、三人……」
「何だ?」
「四人……五人……主の許へご案内だ」
そう言った瞬間、クラウドたちの足元が黒い口を開けた。抗うこともできぬまま、彼らの身は闇へと飲み込まれていった。




