第11話
杜の中は異世界だった。いや、生き物の腹の中という表現の方が近いか。耳を澄ませば、ドクリ、ドクリと何かの脈動が聞こえる。
「気味が悪いな」
「うん、それに動物達の気配がないんだ。代わりに他者を排除しようとする、悪意に満ちた思念が感じられるよ。これが杜からなのか、霧生からなのかは分からないけどね」
ライシュルトのおかげで、魔物に出会うことなく歩を進められている。だが彼の額からは、うっすらと汗が滲み出ていた。杜に入って既に三時間余り。疲れたなど口にも態度にも出さないが、そろそろ限界なのだろう。
陽が暮れてきた。急がなければ。
クラウドはカズキの杖を強く握り締めた。杖の水晶が白い光を放ち、常に一定の方向へ光が伸びる。持ち主であるカズキの居場所を指し示すように。クラウドたちもそれを信じて歩みを進めていた。
握る手に、カズキの体温にも似た温かさが伝わってくる。その温かみにカズキが無事だと思えたのは、杖のおかげかそれとも自分の感情からか。
突如辺りの霧が晴れた。円形に切り取られたような空間には、大きな石造りの神殿が建っている。屋根が崩れ落ちた神殿の中央には、石でできた四角錐が階段状に積み上げられた祭壇がある。
そして、その頂点の台座にカズキが寝かされていた。空を見上げれば橙に染まった太陽が空に飲み込まれそうだった。何とか間に合ったか。
「術解くぞ」
「ああ。ゆっくり休んでくれ……と言いたいところだが、そうも言えないらしいな」
クラウドは小さく息を吐く。カズキの横には霧生が立っていたのだ。
術を解くと霧生は少し驚いた顔を見せたが、すぐに口の端を上げて笑った。
「約束だ。カズキを返してもらおう」
「ご自由に」
そう言って彼はカズキの頬を指先で撫でる。
「起きろよ。クラウドがお前の為にやってきたぞ」
「…………」
風に吹かれた柳のようにカズキが起き上がり、覚束ない足取りでクラウドへと近づいた。
「クラウド……来て、くれたんだね」
「カズキ、護ってやれずにすまなかった」
抱きしめると甘い香りがする。カズキの細い右腕が首に絡みつき、引き寄せられた顔に唇が落ちる。
「っ、カズキっ」
焦るクラウドを尻目に唇が鼻筋を通り、クラウドの唇を塞いだ。
「どうし……!?」
突然腹部に起きた痛みにクラウドは顔を顰めた。
カズキの左手に、彼の掌に収まるほどの小さな短剣が握られ、刃先がまるで自分の腹に納まるべきもののように刺さっている。
「カズ、キ……」
腹部が熱い。刺されただけではなく、刃に毒が仕込んであったか。クラウドは霧生を睨んだが、抗うことができずに意識を手放した。
「クラウド!」
「クラウドさんっ!」
ソギがすぐに傷口の手当てをする。だがその表情は硬い。
「くくっ、大切な者の手で命を奪われる……自らは屈辱的で、端から見れば滑稽だ。だが十分に観賞し得る価値はある。良い見せ物となっただろう? カズキ、来い」
ゆっくりと視線を霧生に向けて、カズキが祭壇へ戻って行く。その瞳には生気がなく、操られているのは明らかだ。
「貴様!!」
「ライシュルトさん……」
ソギの声が震えていた。傷口を押さえる布は赤く染まり、闇に綺麗なほど映える。
「クソッ!」
ライシュルトはクラウドの傷口に手を当てた。治療術は不得手、そんなことは言っていられない。残りの魔力は高が知れているが、持てる魔力を放出して解毒と止血に努めた。
「……頼む」
しかし血は止まることを知らず、赤々と存在を主張していく。
「畜生! クラウド、こんなところでへばってんじゃねぇよ!」
魔力の放出過多で気が遠くなり、手元が霞む。自然に涙が零れた。
「お前が死んだら誰がカズキを護ってやるんだよ……」
「無駄だ。人間ごときの知力と魔力では、俺の毒は解毒できない」
「やってみなきゃ分からねぇだろっ!」
諦めたくはない。クラウドは旅の仲間で、大切な親友だ。色々な思いが心を駆け巡り、混乱と焦燥が脳を侵食していく。
背後に何者かの気配がしたが、もはや振り向くだけの余裕がライシュルトにはなかった。




