第99話
そして次の日、霤碧は助かったが、彼らには明るい話題ばかりではなかった。空間転送術と記憶潜行の負荷で、ソギの意識が戻らないことがその理由だ。
「何でこうスッキリしないかなぁ」
「ヨハン、大丈夫か?」
昨日も眠れなかったのだろう。目の下にクマができている。
「ああ。ナルシスの時にも何とかなったんだ。目覚めてくれることを信じるさ。悪いが、俺はソギとここにいる。皆は最後の話し合いに行ってきてくれ」
「オレも残るよ。何かできるかもしれないから、ソギを診させてくれないか」
「分かった。頼むよ、叉胤」
迎えに来た案内人に従い、クラウドは、カズキとナシュマと共に謁見室の隣にある部屋へ入った。長いテーブルには、清潔感のある白いクロスが皺一つなく敷かれている。窓枠には金と銀の装飾を上品にあしらい、天井から下がる燭台の炎を受けて時折反射し煌めいた。
咫嘶と霙颯そして霤碧が席に着いており、クラウドたちに着席を促す。
「さて、まずは霤碧からだな」
「はい。話は父上や霙颯から聞きました。諸所様々な協力感謝します」
霤碧がこちらを真っすぐに見つめて頭を下げた。顔色は悪いが瞳の力は強い。
「もうお体はよろしいのですか?」
「おかげさまで。こうして歩けますし、あれから六年も経っているのが信じられないほどです」
「ねぇ、咫嘶。これで人間の命数必要なくなったよね?」
「――当面はな」
「当面?」
随分と曖昧な答えだ。
「それは、今後こういう事があると?」
「そう取っても構わぬ。ふふふっ……まぁしかし、少なくともお前達が生きている間には手出しはせぬよ」
咫嘶が初めて笑顔を見せた。際どい冗談だとも思ったが、その柔らかな笑顔から心に偽りはないのだろう。この先人間と魔族、少しでも蟠りがなくなればいいと願いたいものだ。
霙颯が立ち上がり、クラウドの前に書簡を置いた。
「口約束では信用がないからな。それを教会の長に渡せ。お前達の働きに酬い、向こう二百年は人間界へ干渉せぬことを約束しよう」
「納得できない魔族もいるんじゃないの?」
「それを鎮めるのが王たる私の役目だ。そこは安心しろ」
「ありがとうございます。確かに受け取りました」
書簡を両手で持ち上げて懐へと入れる。これで全てが終わったのだ。やり遂げたとクラウドは長い息を吐く。
「あの……クラウドと言いましたね。カズキと少し話をさせてくれませんか? 召喚士のこと、聖獣のこと、教えてほしいのです」
「ふーん。そうしたいなら話してあげてもいいよ。クラウド、行ってもいい?」
「移動は僕が手伝いましょう」
「クラウド以外に触られたくないんだけど……まぁいいか」
相変わらずの上から目線だが、年頃が近い故か霤碧に対しては警戒心が薄いように感じられる。二人はクラウドたちから離れたテーブルの角に移動して、何やら楽しげに話を始めた。
「クラウド、俺も咫嘶と話したいんだけどいいか? 人間界戻る前にどうしても話しておきたいことがあるんだ」
「分かった。それじゃ俺はソギの様子を見てくるよ。カズキを頼む」
「悪ぃな、勝手言って」
クラウドは一礼をして部屋を辞す。
ソギの許へ行く前に、渡り廊下の窓から外を見た。
「少し、待ってもらっても?」
案内人に頼み、足を止める。赤い空は、見慣れてしまえば美しい夕焼けのようで悪くはないと思う。
一定の距離を保っていた案内人がこちらに近づいてきた。そして、まさに瞬き一つ。男の手中に隠されていた短刀が、クラウドの肩に突き刺さった。
痛み、そして動揺。
「――くッッ」
終わったと少し気を抜いていた。クラウドは膝を着く。殺傷能力の低い短刀だ。命を取ろうとは思っていないと判断し、自ら引き抜いた短刀を男の足元へ投げた。
「く……何故、こんな……」
「あいつはこんな痛みではなかったはずだ。忘れているのか? お前が奪った命を」
男の目は悲しい。それが虚ろに、憎々しく揺れる。
「奪った――そうか、牙煌の……」
「尊敬すべき男だった。それをお前がっ! こんなことしてもアイツは喜ばない。でも俺は――何かしないとダメなんだ」
牙煌の命を奪い、この悲しみを作り出したのは自分。憎しみの連鎖は止めねばなるまい。
「すまない……」
「謝罪なんかいらねぇんだよ! 牙煌は帰ってこない!」
「そう、だな……ならば、俺を、憎んでくれ。俺は、それを受け止める。受け止めなければならない」
「くそっ! 何で、そんな納得してやがる。畜生……!」
やる瀬ない気持ちを吐き捨てるように男が呟いた。目線は地面を捕らえて動かない。
クラウドは部屋に戻って止血をし、血に濡れた服を隠す為にマントを羽織る。そしてその足で隣の部屋にいるソギの許へ向かった。
「ソギの様子は?」
「ああ。体調は戻したし、後は何かのきっかけで目覚めると思う。そんなに心配はいらなそうだよ」
「そうか、良かった」
クラウドは痛みを和らげる為、ソファーに腰を下ろす。
「そっちはどうだった?」
「しばらくは人間界への干渉をしないと約束してくれたよ」
「これで終わったか。そういやカズキと兄貴は?」
「二人とも霤碧や咫嘶に話があるそうだ」
「クラウドさん」
叉胤が肩を指差す。平常を装っていたつもりだったが、叉胤は感じ取ったようだ。
「肩、怪我してるよね。しかもついさっき? 血のニオイ新しいよ」
「へ? 大丈夫かっ? 誰にヤラれたっ」
「これは……牙煌の命を奪った俺の罪だ。傷痕を消さないでおきたい。止血はしたし大丈夫だよ。二人とも心配してくれてありがとう」
クラウドは肩に手を当てる。自己満足だとは思うが、傷痕で牙煌との時を忘れないようにしたいのだ。
「そうか牙煌の……あんま抱え込むなよ、クラウド。体傷だらけになっちまうぜ」
「ありがとう。それとカズキには黙っていてくれ。心配するだろうから」
「心配というよりキレるだろうな。ま、お前がそうしたいってなら言わねーよ」
「悪いな、ソギのことで大変なのに」
「気にすんな。兄貴とカズキが戻ったら帰ろうぜ、俺達の世界によ」
「そうだね。これで終わったんだ」
「ああ、全部な」
クラウドは笑う。明日には平穏が訪れると信じて。
赤い空には白い鳥が飛んでいた。




