第八話 協力
リンディッヒ領を出て二ヶ月、景虎は何故か変な女に決闘を挑まれていた――
リンディッヒの街で冒険者ギルドに登録し、景虎は晴れて冒険者となったのだが、こういった事に慣れてない景虎は悉く仕事を失敗する。仲間と仕事をこなせばいいのだが、元来一匹狼気質な景虎はそういった事が苦手で一人で全てをこなそうとして失敗した。
しかし元ドラゴンで今は紅い斧に変じたフライハイトの助言もあり、徐々にではあるが稼げるようになる。そして数日前、立ち寄った村で大熊に困っているので退治してほしいという依頼も難なくこなす。
仕事を終えた景虎は冒険者ギルドに戻り仕事成功の報告と、前々から頼んでいたフルヒトの捜査結果を知る為、ギルドの出張所のあるビッペンの街へと向かう。
喉が渇いたので近くにあった泉に立ち寄ると、フライハイトが人の気配があると言ってくる。真夜中のこんな森の中で人などいるのかと疑問に思った景虎だったが、行って見ると確かに人がいた。
「あ、ほんと人いたわ、まさかこんな時間にこんな所で誰かに会うとは思わなかったぜ」
暗くて容姿かはわからなかったが、とりあえず「よっ!」という感じで挨拶をしてみるも、気に障ったのかその人物は茂みの中へと消えていく。
これ以上余計な事をして面倒臭い事になるのも嫌だった景虎は、水を確保した後馬を繋いでる場所まで戻る。そして旅をつづけようとした時、それは起こった――。
先ほど会った人物が、景虎に向かってきたのだ。
「ん? あれ、おめーさっきの?」
問う景虎に、その人物は声を張り上げ叫ぶ。
「勝負!」
鋭い剣が振るわれるがその剣は空を切る。剣を振るった人物クリスタは確実に捕らえたはずの目標がいなくなった事に困惑する。
「オイコラ何の真似だ嗚呼? チョーシこいってとやっちまうぞコラ!」
景虎は元いた場所から五十メートルほど離れた場所にいた。これは元ドラゴンのフライハイトの力で、景虎が斧を持っていれば、短い距離ならば瞬間移動させられる事ができるのだった。
景虎が最初の攻撃をかわし、瞬時に五十メートルも離れた場所に移動した事にクリスタは笑みを浮かべ、剣を握りなおし闘気のようなものを放出する。さらに彼女の持っている焔剣フランメから紅く光る炎が生み出される。この剣はいわゆる魔剣と言われる物で、炎の魔力が込められており、使い手の力量次第でその炎を自在に操れるというものだった。
「さっきは避けられたけどこの剣は避けられる?」
「殺る気満々かよてめぇ、ったく俺ぁこの世界じゃ別に人から狙われるような事はしてねーはずだぞコラ! そもそもてめー何なんだ?」
「倒されたら教えてあげるわ!」
「俺が倒れるの前提かよ! ちっ、しゃーねぇなあ」
そう言うと景虎は紅い斧を構える、長さは景虎ほどあり刃は一メートルはある片刃のその斧を片手で軽々と構える。幸い焔剣の炎のおかげで近辺が明るく照らされ、各々の居場所と姿を双方が確認する。
「オイコラてめぇ謝んなら今のうちだぞ、オラァ女だからって喧嘩売ってくる奴には容赦しねーぞ!」
「そうでなくっちゃ!」
直後に動くクリスタ、五十メートルという距離を瞬時に詰め、間合いに入ると焔剣を景虎に向かって叩きつける。
「殺った!」
焔剣フランメの炎はどんなものでも焼き尽くす、例え盾で受けたとしても炎でその盾ごと焼き尽くし、剣で相手を断ち切る事ができるのだ。今回もいつも通り、そういつも通り全てを焼き尽くし切断する……はずだった。
だが受けられた斧は無傷だった、炎は全てかき消され、圧倒すべきだった剣圧にも相手はビクともしなかった。クリスタは二度三度と剣を振るう、しかし結果は全て先ほどと同じ。
「くっ!」
どうやっても相手にダメージを与えられない事に焦るクリスタ、間合いをさらに詰め、景虎の懐の中へと入り剣を繰り出す。
「炎が効かないのなら剣速で圧倒するだけよ!」
見る限りかなり重そうな紅い斧は、振るにしても速度は出せずかわすのも容易、ならばその隙を突いて致命傷を与えられれば勝てる、そう考えつくのも当然だった、だが――。
「かっ飛べこんボケェ!」
次の瞬間クリスタの眼から景虎が消える。そして気付けば木に叩きつけられていた。何が起こったのかがわからなかったクリスタ、何か重いもので殴られた気がしたが、いつそれが成されたのからわからなかった。消え行く意識の中で、眼の前にいたのは紅い斧を振り切った景虎の姿。
クリスタの完敗だった――。
ヴィルヘルミナが着いた時にはすでに勝敗は決した後だった。
彼女の眼には信じられないものが映る、戦乙女とまで呼ばれた妹のクリスタが、大きく欠損している木の下に倒れていたのだ。恐らく、目の前にいる少年に吹き飛ばされたのだと冷静に分析する。
「あんたもこいつの仲間か?」
「私の妹ですわ」
「そうか、けど悪い事をしたなんて思っちゃいねーからな、こいつがいきなり襲ってきて俺を殺そうとしやがったんだし」
「わかっていますわ、この子は考える事が苦手で思い立ったら行動しちゃう子ですもの、だからいつかこういう事になってしまうんではないかって思ってはいたのだけど案外早く起こってしまいましたわね」
ヴィルヘルミナのその言葉に景虎は少し拍子抜けした感じだった。さっきは悪い事してないと言ったが、実は今は結構やりすぎたかなと後悔していた。
「で、あんたはどうすんだ? 妹こんなにされたんだし俺殺すか?」
「え、何故? 私別に貴方に恨みとか何もありませんわよ、まぁクリスタがここまで酷い目にあった事には少し思う所もありますけれど……、まあ自業自得でしょうし」
「そうか、ならその倒れている奴の手当てをしてもいいか? ここまでやっといて言うのもあれだけどよ、後遺症が残ったり死んだりされたら後味悪いんでな」
「あら優しいですわね。けど大丈夫でしてよ、その子そんなにヤワではありませんしそれに……、そういった治療が得意な子がもうすぐここに来ますから」
そう言った直後、一頭の馬が暗闇の中からこちらに向かってくるのがわかった。
「ね、姉様、やっと追いつきましたよ~」
乗っていたのは二人の妹のシャルロッテだった。
シャルロッテはクリスタが倒れている事に驚き、オロオロとしてしまうものの、ヴィルヘルミナの一喝で正気を取り戻すとクリスタの治療を始める。
「治癒魔法」
シャルロッテの手から放たれた優しく白い光りがクリスタを包み込む。
景虎はこの世界には魔法というものの存在がある事は知っており、何度か見た事があったが、これだけ強い魔力のようなものを感じたのは初めてだった。効果がどのくらいあるかはわからなかったが、気を失っていたクリスタの顔色がみるみる良くなっていった。
「魔法すげー」
その光景に素直に関心する景虎だった。
クリスタはすぐに意識を取り戻した。開いた目の前にいたのは姉のヴィルヘルミナと妹のシャルロッテ、そして黒い服を着た見知らぬ少年、いや、先程自分を叩きのめした少年だった。起き上がろうとしたクリスタだったが、体中が軋み激痛に顔をゆがめる。
「ほーんと無様よねぇ」
「お、お姉さま無理をしてはいけませんよ、治癒魔法をしたとはいえまだまだ治ってはいないのですから」
姉の言葉に落ち込むクリスタを必死でフォローするシャルロッテ。そんな仲睦まじい様子を見ながら、景虎はクリスタの前まで行き、まるで可愛そうな子を見るような目で。
「てめー馬鹿だろ」
とどめを刺す。
「じゃあ俺は行くわ、とりあえずそいつにちゃんと言い聞かせとけや、二度と唐突に一般人を殺そうとするような行為をすんじゃねえぞってよ」
「ま、待て! まだ勝負はついて……」
「ああ? どう見てもてめーの完敗だろうが! ほんとてめー馬鹿だな」
「くっ……」
悔しさに顔を歪ませるクリスタをニヤニヤ見つめる姉のヴィルヘルミナと、唖然として見つめるシャルロッテ。特にシャルロッテにはこの光景はあまりにも信じられないものだった。傍若無人唯我独尊戦闘狂の姉を完膚なきまで叩きのめし、上から目線で小馬鹿に出来る人物など今までいなかったからだ。
景虎を観察したシャルロッテはこの人物が紅い斧を持っている事に気づき、件のアースドラゴンを倒した人物なのではないかと分析、そして恐る恐るその事を聞いてみる。
「あ、あの、貴方はもしやアースドラゴンを倒したお方でしょうか?」
「あ? またその話か、面倒くせー、好きに言ってろ」
「ま、真面目に答えては頂けませんでしょうか! ど、どうかお願いです!」
これでもかというくらい頭を下げて頼むシャルロッテ、それを見て景虎は大きな溜息を吐くと、頭をポリポリを掻き答える。
「ああ俺だよ、これでいいか?」
その言葉に三人の姫は各々の反応を示す、次女ヴィルヘルミナは興味津々に、三女のクリスタは闘志を燃え上がらせ、四女のシャルロッテは尊敬の眼差しで景虎を見つめた。何か嫌な予感を感じた景虎はすぐにその場を去ろうとするも、三人が各々の言葉で引き止める。
「ねえ貴方、私の部下になりません? 待遇は保障いたしますわよ!」
「勝負! 勝負! 勝負!」
「ど、どうかお願いします! お姉様方のお守りをしてはいただけませんでしょうかあ!」
「全部やらねーよ! こっちはてめーらみてぇに暇じゃねえんだよ!」
三人の姫の願いを一蹴した景虎は文句を言いながら馬に跨り、その場から立ち去ろうとする。だが後ろでさらに引き止めようとする三人の姫、中でもシャルロッテは一番必死だった。
「お願いします! え、えと、今私達は護衛が少なくて困ってて、なので腕の立つ人がいると助かるんです!」
「てめーら十分ツエーじゃねぇか、それに人なら街でいくらでも雇えんだろ」
「ただの人間では駄目なんですよ! ほんとにお願いします!」
涙ぐみ怖いくらいに懇願するシャルロッテに、さすがの景虎も心が揺れ動いてくる。しかしどう考えても護衛などまったく必要のないこの三人、何故そこまで頼むのだろうという疑問の方が強かった。どうしたものかと考えてると、頭の中にフライハイトの声が響いてくる。
『景虎何故三人の願いを聞き届けない、見る限りどこぞの高貴な家の出の者かもしれんぞ、それにどうもこの三人はワケありのようだし面白そうだと思わんか』
「思わねーよ! てめー最近面白そうだと思ったら何でもかんでも俺にやらせようと思ってんだろ、こっちはあの糞忌々しい銀髪クソ野郎を探さなきゃいけねーんだぞ!」
『うむう、しかしだな景虎、闇雲に探しても一人では限界もあろう、そろそろ誰かに頼るのもよいのではないか?』
「こいつらに何かできるとも思えんけどな」
『わからんぞ、案外何かの役に立つかもしれん』
その言葉に三人を見ると相変わらず景虎の方を見ていた。役に立つかはこの質問に答えられれば判断しようと思い、景虎は聞いてみる。
「なあお前ら、フルヒトっていう銀髪クソ野郎の事知らねーか?」
景虎から急に出たその名前に三人はしばし考える。しかし全員が知らなさそうな感じだったので、景虎は溜息を吐いてその場を後にしようとした。するとシャルロッテが景虎に声をかける。
「あ、あの! 貴方はそのフルヒトという人物をさがしているのですか!」
「おう、最悪最低のクソ野郎だ、そいつを殺すのが俺の目的の一つだ」
「で、では私がその人物を探す捜査に協力させていただきます! ですので貴方にはその報酬として私達の護衛をしていただくという事で如何でしょうか!」
「なんか世間知らずのお嬢様っぽいおめーらにんな事できんのかよ?」
疑問を感じた景虎に答えたのはシャルロッテではなく、ヴィルヘルミナだった。
「あら、私達はこう見えてもヴァイデンの姫ですのよ、人一人の捜査など朝飯前ですわ」
「姫だあ??」
唐突な告白に素っ頓狂な声を上げてしまう景虎。しかしフライハイトもこの三人は高貴な出だと言い、魔剣などといった一般人にはとても手に出来ないようなものを持っているのを見ると、本当に姫なのかもしれないと考える。
「護衛って言ったがどこまでだ? 言っとくが俺ぁ長い間拘束とかされんの苦手だかんな」
その言葉にぱあっと明るくなるシャルロッテ。
「と、とりあえず王都までよろしくお願いします! ここからでしたら二週間ほどでしょうか! その間だけでもよろしくお願いします!」
「二週間ねえ、まぁいいか、あと銀髪クソ野郎ちゃんと探してくれんならお前らの護衛やってやるよ」
「は、はい! もちろんです!い、いいですよねお姉様!」
満面の笑みで答えるシャルロッテに二人の姉は頷き返す。ヴィルヘルミナは面白そうであれば何でもいいのだろう。この辺はドラゴンのフライハイトと同じだった。そしてクリスタは景虎が近くにいる事でリベンジできれば理由など何でも良かった。そしてシャルロッテは王都への帰還ができるという理由、問題児の二人の姉をなんとかしてくれるであろう人物の確保という、まさに一石二鳥の提案だった。
「んじゃ挨拶しとくか、俺の名前は出雲景虎だ、よろしく頼むわ」
「私はヴィルヘルミナ=リュトヴッツ、ヴァイデンの第二王女よ、よろしくお願いいたしますわ景虎」
「クリスタ=リュトヴィッツよ!」
「シャルロッテ=リュトヴィッツ、ヴァイデンの第四王女です、色々ご迷惑をおかけするかもしれませんがどうかよろしくお願いいたします」
それぞれ挨拶をかわし、王都への旅が決まるとそこからの行動は早く、先ほどの村に残した騎士達と合流するとひとまずビッペンの街へと向かう事となる。
その間シャルロッテは景虎の話を聞いていた。
「つまりそのフルヒトという人物がアースドラゴンを操ってリンディッヒを攻撃したという事ですか、俄かには信じられませんが……」
「けど多分事実に違ぇねぇ、あのクソ野郎得体が知れなかったしな」
「わかりました、ひとまずビッペンの街に着きましたら人相書きと報奨金付きの情報提供を募ってみましょう、すぐに情報は得られないかもしれませんが早めに国中の警備へ行き渡るよう取り計らっておきます」
「マジか! お前凄いな! いやほんと助かるわ!」
今まで手がかりなどまったく掴めなかった事が、嘘のようにトントン拍子に進んでいく事に景虎は素直に喜ぶ。一方のシャルロッテも今までわからなかったアースドラゴンの話や、怪しげな人物の話が聞けて満足だった。これでもし国に何かあった時対策が出来るからだ。だが何より一番嬉しかったのは――。
「景虎! 私といつ再戦してくれるの!」
「ああ? てめーとの再戦は王都についてからって約束だろ、それ以外ならやんねーって決めたろうが」
「そんな事はもう忘れたわ!」
「だったら今すぐ再登録しやがれ!」
一喝する景虎に押し黙るクリスタ。あの問題児のクリスタを叱責し、大人しくさせる事ができる人物を手に入れた事に喜びを隠せないでいた。
ちなみにこの「王都での再戦」というのはシャルロッテが景虎に提案をしたもの、こうすればクリスタも迂闊には戦ってこないだろうし、王都までは少なくとも大人しくしているだろうという考えだった。景虎自身も煩わしい事に一々付き合う必要は無いという事で賛同、さらにもう一人の問題児のヴィルヘルミナも。
「うふふふふ」
景虎とクリスタのやりとりを微笑ましく見ていた。基本ヴィルヘルミナは楽しい事が大好きで、満足できればそれでいいのだ。今まではクリスタと共に行動するのが一番面白かった為、皆の意見を無視して行動していたのだが、クリスタが景虎に絡んでいるのがよほど面白いのだろう、それを眺めて、時にはちょっかいをかけていじっているおかげで暴走するような事はしなかった。
「ああ……、神よ感謝致します」
シャルロッテは涙を流し、神に感謝の言葉を捧げていた。
順調に王都への旅は続くと思われたが、その平和は三日目にして早くも破られる事となる。
「カゲトラ、ワ、ワタシトレンシューヲシナサイ!」
立ち寄った村で食事をしていた時、クリスタが明らかな棒読みでそう言ってきたのだ。どや顔するクリスタはしてやったりという感じ、一方の景虎は飯をほおばりがらクリスタを見ていた。一番狼狽していたのはシャルロッテだった。
まさか姉がそういう手でくるとは思わなかったからだ。王都までは”再戦”はしない、だが”練習”ならばアリと考えたのだろう。いやまて、と思うシャルロッテ。あのクリスタにそんな知恵があるはずがないと実の姉を冷静に分析する。そしてヴィルヘルミナが楽しそうにワインを飲みながら、クリスタと景虎を見ているの確認する。
「やられた……」
あの姉は楽しければ何でもいいのだ。せっかく順調に旅を続けられたのにこんな事でまたいつものように好き勝手されたら、もう収集がつかなくなってしまう。そう懸念したシャルロッテはクリスタにやめるよう説得しようとしたその時――。
「いいぜ、ちょい待ってろ、飯はちゃんと残さず喰わねーとな」
そう言うと食事を続ける景虎に、満面の笑みを浮かべるクリスタ。そんな景虎が意外だったシャルロッテ。またいつものように叱咤してくれるものと思っていたからだ。景虎自身も面倒な事は嫌いと言ってたはずなのにどうしてと。それからしばらくして食事を終わらせた景虎が外に出ると、クリスタが準備万端で待っていた。
「ん? ここでやんのか?」
「そうよ! さあ!」
「んじゃ得物なしでな」
その言葉にクリスタは一瞬意味がわからなかったが、景虎は屈伸などして準備運動をしている。
「よっしゃ、んじゃやっか」
「ま、待って! 何故武器を使っちゃ駄目なのよ!」
「あ? 馬鹿かてめえ、こんな所でばっこんばっこんしたら迷惑だろうが」
「そんなの気にしないわ!」
「俺が気にすんだよ! いいから得物置け! それでも使うってんなら相手してやんねーぞ」
その言葉にクリスタは不満そうではあったが、景虎を叩きのめせるのなら武器なしでもいいやと焔剣フランメを護衛の騎士に預ける。ヴィルヘルミナとシャルロッテも出てきて見学する中、二人は相対し、そして戦いを始める。
初手のパンチがお互いの拳に当たり鈍い音が鳴り響く、さらに攻撃をし続けるクリスタの拳を景虎はかわし続ける。クリスタ自身武器を使わない格闘戦にもそれなりに自信はあった、中々そういう機会はなかったとはいえ、負けた事は一度もなかったからだ。だが今相手にしている景虎にはまったく通じなかった。
「くっ!」
何度も繰り出す拳は空を切り続ける、たまに当てても完璧にガードされた腕でダメージはほとんど無いだろう。焦るクリスタにいまだ涼しい顔をした景虎が一瞬の間合いに入り込み、クリスタの右腕を素早く掴む。
「ちっと痛ぇかもしんねーけど耐えろよ」
「え?」
クリスタの目の前の景色が一回転する。景虎の放った一本背負いは綺麗に決まり、クリスタは地面に叩きつけられる。思いきり背中から落ちたクリスタはうめき声を上げ、さらにその顔に景虎の拳が近づきコツンと軽く当てられる。
「俺の勝ちな」
呆然とするクリスタに景虎は勝ちを宣言する。
寝たままのクリスタを置いたまま、景虎は観客となっていた護衛の騎士に甕に水を入れるように頼む。しばらくして持ってきた甕を受け取ると、景虎は入っている水をクリスタの顔にかける。
その水でようやく我に返ったクリスタは、周りを見回し自分がまた負けたののだと認識すると、眼から熱いものがこみ上げてくる。
「泣いてんじゃねーよ、てめーは十分強いんだからよ」
「…でも負けたわ、二度も……」
「俺は今ちっとインチキしてるようなもんなんだよ、だからまともに戦ったらおめーのが強いかもしんねー、まぁそれでも負ける気ねーけどな、だからよ……」
再び水をクリスタの顔にかける。
「泣くな」
涙で無様な姿を見せないように気遣ってくれている景虎に、負けた事以上の感情で涙があふれ出てきてしまうクリスタ。立ち上がろうとする景虎の手を掴み、まっすぐ見つめるクリスタ。
「また……、練習してくれる?」
「おう、いつでも相手してやんよ」
そう発した景虎の笑顔にクリスタの頬が染まる、それを見られるまいと顔を隠し走り去っていくクリスタ。試合が終わった事で見物していた者達も続々と去っていった。その中で残っていたシャルロッテが景虎の所まで来て、何故こんな事をしたのかを問う。
「何故クリスタ姉さんと戦ったのですか? 景虎さんは王都までは戦わないと言ってたと思うのですが」
「別に戦いってほどじゃねーだろ、あいつも言ってたがただの練習だ、その程度なら問題ないだろ」
「ですが」
「それにあのままじゃいずれ爆発してたろうしな、だからガス抜きしてやったんだよ」
「ガス抜き?」
「俺もまぁ喧嘩馬鹿だからあいつの事がなんかよくわかんだよ、初めて負けた時の悔しさとかな、今の俺はインチキしてるみたいなんでまともに戦ってやれねーけど、それでもまああいつがやりたいって言うならまたやってやるからよ、お前もそーゆーの気にするのなしにしとけ」
そう言った景虎がとても優しい顔をしていたのを、シャルロッテは見逃さなかった。姉よりも強く、武力で姉を押さえつけてくれる役割を望んで護衛を頼んだシャルロッテだったが、景虎を見てるとそれだけではなく、精神的にも姉を支えてくれる気がした。
景虎が食事をしていた場所に戻ろうとすると、ヴィルヘルミナがワインの入った杯を渡してくる。
「だから俺ぁ酒飲めねーってのに」
「あらそうですの、勿体無い」
そういうと自らそのワインに口をつけるヴィルヘルミナに、景虎は呆れ顔で。
「あいつにあんま余計な事吹き込むんじゃねーよ」
「余計な事でもないでしたでしょう、おかげでクリスタも元気になったみたいですし」
「ったく、まぁほどほどにしとけよ」
そういって中に入ろうとした景虎の後ろから。
「ありがとう」
そんな言葉が聞こえてきた気がした。
旅の仲間get