第五十六話 奴隷
流通貨幣と大体の貨幣価値
銅貨一枚 大体100円
銀貨一枚 大体3000円
金貨一枚 大体90000円
パン一個 大体銅貨一枚
宿一泊食事付き 大体銀貨一枚
一般人の月給 大体金貨一枚
――ヴィルスム教国――
アインベック帝国とヴァイデン王国の間に位置する国であり、地理的に東西の貿易や情報の交流が盛んで、各地から様々な人間や人種が流入してくる国の一つでもあった。
しかし一神教の教えを忠実に守るこの国では、神こそが絶対という教えの下で国造りが成されていた。
王はおらず、その代わりに教皇が国の頂点に立ち、教会がその絶大な力をもって民達を治める形をとっていた。民達も一神教を信仰し、教会を守護する神聖騎士団によって治安が保たれている。
しかし人種に対してそれほど偏見のなかったクローナハ共和国とは違い、この国では人間以外の人種を大きく差別する傾向があった。さらに奴隷売買などといった事も普通に行われていた。
この国に今、アインベックを旅立った出雲景虎が入国していた。
――時間は景虎が旅立つ前日に遡る――
景虎がヴァイデンへ向かう為にどうすればいいのかをメイドであり、様々な事に精通しているクラリッサにアドバイスを貰っていた。
「まず、この帝都から馬で隣国のヴィルスム教国に入ってください。そしてヴィルスムの港町のヴィスマルから出ている船に乗り、ヴァイデンへ入るのが一番の近道となるでしょう」
「アインベックからヴァイデンには直接行けないんすか?」
景虎の素朴な疑問にクラリッサはいつものように眼鏡を上げ、事務的に答える。
「アインベックとヴァイデンには国交がございません。元々アインベックは海のない国で、版図を広げるにあたってようやく港のある場所を手に入れたくらいです。交易はおろか国としても数年前に一度だけ外交交渉の為の船が出たきりです」
「めんどくせーなー、けどまあしゃーねぇか。でもってその何とかって隣の国でどうやって船乗りゃいいんですかね?」
「基本的にはそう難しい事はありませんよ、まずヴィスマルで教会を探してください、そしてそこで寄付をするとその町での身分証のようなものを貰えますから、それを提示して乗船料を普通に払えば問題なく乗船する事ができるでしょう」
「寄付?」
寄付という言葉に景虎はクラリッサにその意味を問うた。
「ヴィルスムは宗教国家なのです。神の教えを第一として考えているので教会などが絶大な力を持っております。神の教えに反するような事には容赦はありません、ですが逆に神を信奉する者に対しては危害を加えるような事はしてこないでしょう」
「あー、何かそーゆーの元の世界でもあったな」
「ですので寄付をし、教会などに逆らいさえせねば、ヴィルスム教国内では旅の安全は保障されると思います」
クラリッサからの指示に従い、景虎はヴィスマルの港町に到着していた。街は中規模の大きさで港町特有の潮の匂いと、船員や商人らしき人々が行きかい活気のある街だった。
「えーっと、教会教会っと、どこにあんだよ……」
『景虎、教会というのは大体街の中央に位置するものだ。とりあえず街の中央に出てみればいいのではないか?』
「おー、さすが便利アイテム、役に立つぜ」
景虎はフライハイトの言葉に従い街の中央へと向う。そして広場のような場所に出た時、一際大きな建物を見つける。その建物には丸い円の中にドラゴンのような生物の入った絵が金色で描かれていた。クラリッサからそれが一神教の紋章だと教えられていた景虎は、そこが教会だと理解した。
景虎はその教会に入ると神父のような人物に、クラリッサから教えられた額の寄付をする。すると神父は景虎にお守りのようなものを手渡した。
「これがこの街での身分証みたいなやつか、とりあえずこれで怪しまれずに済むな」
『中々面白い仕組みだな、私もドラゴンの姿の時には人間が供物を毎日のように運んできたものだったな』
「てめぇがど悪党だったからだろ!」
フライハイトと話をしながら港へと向う景虎、とその時、何やら賑わっている場所を見つける。何事かと近づいて景虎が見たものは――。
「はいはい、じゃあ次はこいつだ! まだ若いが中々働きそうな奴だろ! 今なら金貨十五枚だ! さあさあ買った買った!」
人間が売られている光景だった。その人間達は皆傷つき憔悴しきった顔をしており、両手両足には重そうな鉄の枷を付けられていた。
クラリッサからこの地では奴隷売買が普通に行われてると聞かされてはいたが、それを直に見た景虎はその光景に愕然としてしまう。そして手を強く握り締める。
『景虎』
「わかってんよ、別に問題起こすつもりはねぇよ、けどクソッ、胸糞悪いわ!」
景虎自身この世界が自分のいた世界とは違うものとはわかってはいた。クローナハでも仲間だったステラ達が奴隷商人によって海賊に売られたりしたのも経験したし、他の国でも奴隷が働くのは普通の所もいくつかあると聞いていた。
ヴァイデンやアインベックにしても働き手として奴隷を買ったり、倒した敵国の兵や民を働かす事もあるというのも聞かされていた。
「とっとと行くか、クソッ」
込み上げる怒りを押し殺しながらその場所を離れようとした景虎だったが、直後の光景に足が止まってしまった。
「最後はこいつだ! まだガキだが、でかくなりゃ何倍も働くぞ!」
「おいおい、そいつぁドワーフのガキじゃねぇか、大きくなんのかよ!」
客の掛け声に下卑た笑い声が上がる。
黒っぽい肌に人間よりも少し大きく丸みを帯びた耳、ドワーフと呼ばれる種族の特徴を持った子供だった。とはいえドワーフは元々背が小さく人間よりも長寿で、成年となっても見た目が子供っぽいままという事もあった。
しかしボロボロの服を着せられた八歳くらいの子供は、どう見ても幼い子供だった。
両手両足には先ほどの奴隷達と同じ重そうな鉄の枷を付けられ、その顔は恐怖に怯えて今にも泣き出しそうだった。それを見る見物客達は加虐心に煽られ、益々馬鹿にしたような罵声を奴隷商人とドワーフの子供に浴びせる。
奴隷商人も最初は営業スマイルで擁護していたものの、段々腹が立ってきたのかドワーフの子供に対し手に持っていた鞭を浴びせた。
「てめぇがもっと媚びた顔してりゃこんな思いしなかったんだよ! この糞が!」
奴隷商人はその子供を何度も鞭で叩きつける。最初はそれに耐え、言葉を出す事もしなかったドワーフの子供だったが、鞭を叩く回数が五回目になった時、怯えるように、小さな声で許しの言葉をしぼりだした。
「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ!」
奴隷商人が六度目の鞭を振るおうとした時、その鞭を素早く掴まれる。
奴隷商人や見物客はあまりにも素早い動きの為に反応する事を忘れるほどだった。その鞭を手にとったのは黒い学生服を着た少年出雲景虎、怒りを隠そうとしない景虎は奴隷商人を鋭い目で睨んだ。
「もういいだろうが、その辺にしとけやコラ」
言うと手に力を入れ、持っていた鞭を握り潰した。あまりの事に驚く奴隷商人は腰を抜かし、見物人達もただただ声を失った。しかしすぐに奴隷商人の警護らしき男達が景虎を包囲し、景虎に剣を向ける。
「おいコラガキ、てめぇ何のつもりだ、俺達はちゃんと教会の許可を取って仕事してる商人だぞ! もし面倒起こすってんなら教会にしょっぴくからな!」
その言葉に呆然としていた見物客や奴隷商人達もようやく我を取り戻し、景虎に対して罵声を浴びせる。見物客としてはせっかくの見世物を台無しにされたというのを怒っているのだろう。さらに奴隷商人としても商売を邪魔されたのだから怒るのも当然だった。
景虎自身ここにいる全員を叩きのめしたい衝動にかられてはいたが、騒動を起こす事はすべきではないというのも認識していた。
しかし、だからといってこのドワーフの子供を放っておく事もできなかった。
「おいコラおっさん」
「な! 何だ小僧!」
「こいつぁ俺が買う、いくらだよ」
景虎の言葉に一瞬理解できなかった奴隷商人達、だがそれがこのドワーフを買うという事だと理解すると急に態度が大きくなる。
「ほお、こいつを買いたいっていうのか」
「おう」
「金はあるのか小僧? こいつは結構高いぜぇ」
「いいからとっとと言え、いくらなんだよ」
睨みつける景虎に怯んではいるものの、奴隷商人もこういった事は慣れているのか、わざとらしく計算のようなものをし始める。
奴隷商人は心の中で景虎を絶望の淵に叩き落そうと思っていた。自分を怯えさせた報いを味あわせようと。そしてニヤリと下卑た笑みでドワーフの子供の値段を言った。
「金貨で三十枚だ!」
その言葉に見物人は呆れ果てた。あまりにも法外すぎる値段だったからだ。
屈強な青年クラスの働き手の奴隷でも金貨二十枚、一般人の年収の倍ほどが相場だというのに、まともに働けもしない子供などはせいぜい金貨三枚が良い所だった。
だが奴隷商人が提示した金額はその十倍、完全に足元を見た値段だった。
どう考えても景虎ほどの少年には払えない額であり、奴隷商人も景虎が苦々しい顔で去って行くと思っていた。だが景虎は奴隷商人を睨みつけ、再度確認の意味を込めて問うた。
「金貨三十枚、間違いねぇな、二度は聞かねぇぞ」
「お、おお、お前みたいなガキにそんな大金払える訳……」
「ほれ」
言うと景虎は懐から金貨三十枚をあっさりと奴隷商人に渡した。それに驚いたのは見物人と奴隷商人だった。こんな子供がこれほどの大金を持っているとは思わなかったからだ。
ちなみにこの金はウィリアムが景虎に旅費にと渡したものだった。多くは必要ないと断る景虎に、珍しく頑として持たせようとしたウィリアムに持たされた金だった。
その額は金貨五百枚、リンディッヒの領主から貰った額と同じで、そこの騎士ケインによれば半年は遊べるほどの金だった。
「奴隷買う為に使ったなんて言ったら、きっと親父に怒鳴られるだろうな」
心の中でウィリアムに謝りながらも、景虎は怯える目で見ているドワーフの子供に手を伸ばす。一瞬拒否の姿勢を示し、景虎を避けるようにした子供だったが、景虎がその手を取ると次第に落ち着きを取り戻していく。
「大丈夫か?」
「…………ハイ」
返事をした子供に笑みを返した景虎は、その子供をお姫様抱っこでゆっくりを持ち上げる。驚く子供に優しく笑みを見せ、景虎はそこから立ち去ろうとした。
「お、おい待て、ち、違う! そいつは本当は金貨五十……」
奴隷商人が金を吊り上げ呼び止めようとするも、景虎がドラゴンをも殺しそうなほどの眼力で奴隷商人を射竦める。
「値段確認はしたはずだぞコラ? これ以上俺を怒らすんなら潰すぞ糞が!」
尋常ではないほどの威圧感にさすがに奴隷商人は引くしかなかった、見物人や警護に助けを求めようとするも、確かに値段確認をした以上、この取引に何の問題もなく、奴隷商人は諦めるしかなかった。
景虎に抱かれたドワーフの子供はまだ何が起こったかわからないという表情をしていたが、ようやくにして自分が誰かに買われたのだと認識した。
そして景虎に向かい。
「ゴ、ゴシュジンサマ……」
「あ? 御主人様?」
子供の言葉につい睨んで怯えさせてしまう景虎、恐らく奴隷商人から買われたらその人物をそう言う様に叩き込まれていたのだろう。怯えるドワーフの子供を地面にゆっくりと降ろす景虎。
「とりあえず、まずはその手と足についてるの外そうな」
言うと景虎は子供の手と足についている鉄の枷を破壊する。本来なら鍵がないと開けられないものなのだが、ドラゴンの力を得ている景虎にしてみれば、この程度の鉄の枷を外す事などどうという事もなかった。
「大丈夫か? どっか痛ぇ所はあるか?」
「……ダイジョブ……デス」
優しく話しかける景虎にようやく安心感のようなものを感じる子供、それを見て景虎も安心したのか、優しく頭を撫でてやる。
「とりあえず、お前はどっかの施設に預けてやっから、安心しろ」
その言葉の意味をドワーフの子供は一瞬理解できなかったようだった。だが子供は何かを感じ取ったらしく、震える手で景虎の服をしっかりと掴んだ。
そして目に涙を溜め、言葉にならない声で何かを必死で伝えるような仕草で景虎を見つめた。
「お、おい、何だよ、どうしたんだよ!」
『恐らく景虎に捨てられると思ったのではないか?』
「は、はぁ? いや違うってばよ、俺ぁお前をどっかに預けて……」
「ウ……アァ……」
必死で誤解を解こうとする景虎だったが、子供は大粒の涙を流し、嗚咽を漏らして必死で景虎の服を掴んで離さなかった。今までどんな強敵にも怯むような事をしなかった景虎だったが、さすがにこのドワーフの子供の反応にはどうすればいいのかわからず、ただただ慌てふためくばかりだった。
『景虎落ち着け、とりあえず置いていかないと言ってやれ』
「お、おう? 何かよくわからんが、あー、お前を置いていったりしねぇから」
その言葉にようやくドワーフの子供は泣くのをやめ涙を拭う。手は景虎の服をしっかりと握ったままではあったが、とりあえず泣き喚いたりしない事に安堵の溜息を吐く景虎だった。
その後一旦人のいない所に子供を連れて行く景虎、泣き出したりしたら面倒な事になると思っての事だった。そして人のいない路地裏に来た景虎は、改めて子供に向かい話しかける。
「あー、とりあえず、お前家とかわかるか?」
景虎の言葉に首を横に振る子供、その後も肉親や知り合いについて尋ねるも同じく首を横に振るだけだった。わかっていた事とはいえ、どこか遠い所で拉致られたりしてここまで連れてこられたのだろう、その場所もわからないでは打つ手がなかった。
やはり施設のような所に預けようと思うも、先程のように悲しい顔で泣かれるのだけは避けたい所だった。
「はぁ、まぁとりあえず考えるのは後にするか、俺の名前は出雲景虎だ。お前の名前は何て言うんだ?」
少しぎこちない笑顔で景虎は自己紹介し、子供の名前をまず聞き出そうとした。
ただ、それだけだった――。
「ナマエ……」
しかし、次にその子供が発した言葉に景虎は動きを止めた。
「ワタシノナマエハ……、フルヒト、デス」
新章です
よろしくお願いします
週2~4本くらいの不定期投稿ペース予定です




