第五十四話 悦楽
エイデン砦・防空壕跡――
瀕死のウィリアムを必死で救護するクラリッサ。何度も口移しで水を運ぶものの、消えそうなほどの呼吸をするだけで、彼は目を覚ます兆しはなかった。
涙が溢れ、嗚咽を漏らしながら、それでも必死で助けようとする。と、その時景虎が防空壕に入ってくる。
「く、クラリッサさん、おっさんを助ける算段はついた。今から外に出すぞ」
現れた景虎の姿に絶句するクラリッサ。景虎は身体中あちこち焼け焦げ、特に左手の火傷は酷いものだった。
「か、景虎様、そのお怪我は……」
「い、今はおっさんが先だ、まだ、死んでねーよな? 大丈夫だよな?」
景虎の言葉にクラリッサは小さく頷く。しかしいつ息絶えてもおかしくない状態に、正直どう反応していいのかわからないといった感じだった。しかし景虎は痛みを堪えながらもウィリアムの元にまで来ると、その身体を右手だけでゆっくりと持ち上げる。
ドラゴンの力を得ている為、大人を持ち上げる事自体はそれほどでもなかったが、火傷の怪我が擦れ、激痛が景虎を襲う。
「景虎様!」
「で、でぇじょうぶだ、早くしねぇと間に合わなくなっちまう」
痛みを堪えながらウィリアムを外に運ぶ景虎。クラリッサも景虎に続き防空壕から外に出た時、驚きのあまりその場に座り込んでしまう。目の前に巨大な赤いドラゴンがおり、鋭い眼で睨みつけていたからだ。声も出せないほどの恐怖に怯えるクラリッサ。一方景虎はドラゴンの前にウィリアムをゆっくりと置く。
「頼む、おっさんを助けてくれ!」
景虎の言葉に反応したレッドドラゴンは目を瞑り、その身体から優しい光を放ち始める。しばらくしてその光は収束し、ウィリアムの身体を包んでいく。魔法を少ししか見た事のない景虎でさえ、その光が凄まじい力を持った魔力の塊だというのがわかった。
光の中のウィリアムは動く事はなかったが、その身体が徐々に赤みを取り戻していくのが見て取れた。時間にして五分が経った頃、ドラゴンからの光は無くなった。
残されたウィリアムに近づく景虎は、ウィリアムに声をかける。
「おっさん、大丈夫か? おっさん!」
強く声をかける景虎にウィリアムはやはり反応しなかった。ドラゴンの力を借りても無理だったのかと思い始めたその時、ウィリアムの呻き声が聞こえる。それに真っ先に反応し駆け寄ったのはクラリッサだった。何度も何度も声をかけるクラリッサ、そしてその声に答えるように、ウィリアムの目が少しずつ開いていった。
「クラ……リッサ」
「ウィリアム様!」
ようやく目を覚ましたウィリアムに抱きつくクラリッサ、子供のように泣きじゃくるその姿には、いつもの凛々しく事務的なメイドの姿は無かった。景虎はその姿を確認すると力なく崩れていく。体中の火傷はやはりかなりの重傷で、景虎でさえ正気を保ち続ける事ができないほどだった。激痛に顔を歪ませ気を失いそうになった時、景虎にレッドドラゴンの治癒の光が浴びせられる。
「おお、サンキューな……」
『どうという事はない、しかし何故ここまでするのかわからんな』
「俺ぁ馬鹿なんだよ」
レッドドラゴンの治癒の魔法のおかげか、景虎につけられた火傷は少しずつではあるが回復していった。痛みも無くなっていき、意識もはっきりとしてくる景虎。そしてウィリアムの時と同じように光が消えると、火傷の痕のようなものはほとんど無くなっていた。
「すげぇなドラゴンの力ってぇのは、大怪我があっちゅう間に治っちまった」
『人間程度はどうという事はない、しかしお前が私につけた傷は治癒するのに時間がかかりそうだ。ほんとによくもやってくれたものだ』
「しょうがねぇだろ、翼なんとかしねぇとてめぇブンブン飛び回って話もできねぇんだしよ」
はたから見れば、人間とドラゴンが楽しげにしているという異常な光景だろう。だがすでに話をつけていた景虎は、レッドドラゴンと話を続けた。
「そういや糞ドラゴン突き刺してねーのに何で会話できんだ?」
『突き刺せと言ったのはあくまで話をつける為のものだ、私とて最初はお前と会話できたであろう』
「ああ、そういやそうだったな」
そういって景虎は、フライハイトとの出会いを懐かしむように思い出す。それを覗き込むように見るレッドドラゴンに、景虎は思い出したように指差し、威圧的に言い放つ。
「ああそうだてめぇ、もう人間襲うような事すんじゃねぇぞ!」
『同族を殺されるのが嫌なのか?』
「まぁそれもあるけどよ、てめぇそんなでけえし強えのによ、俺らみてぇなちっこいの苛めて楽しいのかよ?」
逆に問われた言葉にレッドドラゴンは黙ってしまう。それは人間を殺す事が楽しいかという素朴な質問に、どう返していいのかわからなかったからだ。今まではいたから殺す、暇だったから殺すというだけで、それ以上の事は考えていなかった。だが改めて楽しかったかと聞かれては、楽しいと素直に答える事ができなかったのだ。
唸るレッドドラゴンは考える。そして答えの見つからないまま景虎に言葉を返す。
『人間よ、我らはただ悦楽の為に生きている。人間を殺し食らうのもその為だ、それが無くなれば我らは楽しみの一つを失う』
「馬鹿かてめぇは! んなでっけぇガタイして長い事生きてて、やる事ねぇはねーよ! 楽しい事なんぞいくらでもあんだろうがよ!」
『例えば何だ?』
問うレッドドラゴンに景虎は少し考え、右手の人指し指を上に向ける。
「宇宙行って来るとかどーよ?」
『ウチュウ? とは何だ?』
「あ? 知んねーのかよ! かっ! ばっかじゃねぇのかよ!」
景虎の態度にムカついたレッドドラゴンだったが、それ以上に宇宙という言葉が気になり、景虎に急かす様に質問をする。
『ウチュウとは何だ、教えろ人間!』
「宇宙ってのは空の上にあるもんの事だ! ほれ、太陽やら月やら見えるじゃん? それがあるのが宇宙だ! そこにゃあ空気がなくて、行くのもかなり大変らしいぜ!」
『そのような所があったのか』
「おう、せっかく空飛べんだからてっぺん目指してみたらどうよ?」
あまりにも楽しげに話す景虎の言葉に、レッドドラゴンは言葉を失う。そしてふと上を見て見える太陽を凝視した。眩しく照らし続けるその場所を目指す。レッドドラゴンの心の中に、沸々と煮えたぎるような気持ちが沸き起こる。そう、この感情は。
『楽しい、だ』
「他にも楽しみなんぞいくらでもあるぞ、スピード極めるとかどうよ? 走り屋みてぇによ! フリートラントで殺した青いドラゴンはすっげー速かったけどよ、俺のいた世界じゃもっと速い乗り物とかあったぜ、あとは……」
レッドドラゴンは景虎の話をじっと聞いていた。その話の多くは景虎の元の世界の話ではあったが、どの話も今までに聞いた事もないようなもので、真剣に聞き入った。さらに景虎はそれを目指すようにと何度も伝え、レッドドラゴンもそれを成したらどれほど楽しいかと考えるようになっていた。
「どうよ、やる事なんぞいくらでもあんだろ?」
『そうだな、お前の話した事はどれも楽しそうだ』
「後はよ、俺のように他の奴、人間と話をしてみろよ、もっとおもしれぇ事教えてくれるかもしんねぇぞ、殺すんじゃなくてよ、ダチになってみろよ、人間とよ」
その言葉はドラゴンにとっては、初めてともいえる言葉だったかもしれない。今まで何気なく殺し食らっていたモノと仲良くしろなどと、だがレッドドラゴンは、未知なる事に興味がどんどん沸いていた。
『フライハイトがこの人間といるのがわかった気がするな』
『ああ面白いぞ、そして私はまだまだ楽しむつもりだ。グルートも斧になってみるか?』
『いや、私はまだやめておこう、この人間の示した事を色々とやってからでも、遅くはあるまいて』
笑い声こそしなかったものの、レッドドラゴンは楽しげな表情を見せた。クラリッサはウィリアムを看病しながらその光景を見ていたが、景虎のあまりの豪胆さにただただ呆れるばかりだった。
「んじゃ、俺は帰るわ。いいか赤いの、人間襲うんじゃねーぞ! もしそんな事やったら俺がぶち殺してやっからな」
『約束はできんな、だがまあ、百年二百年は我慢しといてやろう』
「まぁ死んだ後の事までは責任持てねーか、とりあえずヤンチャはすんなよな!」
自分の事を棚に上げ、何を言ってるのだろうかと呆れるフライハイトだった。
ふと見るとクラリッサがウィリアムを介抱しているものの、衰弱しきっている身体には食事や休息が必要だった。景虎は身体を重々しく動かし、レッドドラゴンに別れを言おうとした時、レッドドラゴンとフライハイトとの会話が聞こえてくる。
『時にフライハイト、貴様はフルヒトを知っているか?』
その言葉に景虎は動きを止める。そしてレッドドラゴンを凝視し、静かに、しかし怒りを込めた言葉を投げかける。
「おいコラてめぇ、今なんつった」
『どうした人間、感情が高ぶっているように見えるが』
「いいから答えろ! てめぇ今フルヒトっつっただろうが!」
激昂する景虎に一瞬怯むレッドドラゴンだったが、フライハイトが間に入ってその理由を説明する。
『グルート、私と景虎はフルヒトを知っている。そ奴はドラゴンを操り、景虎の近しい人間を多く傷つけ殺したのだ。景虎が怒るのは当然なのだよ』
『なるほどな、他のドラゴン共も奴に操られたのか』
「他の? って事はてめぇもあの野郎に操られたってぇのかよ」
『ああ、六年前にやられた』
景虎その言葉に愕然とした。フルヒトの事もあったが、レッドドラゴンが操られたという事、そしてそれが六年前だったという事。それはつまり、この国で起こった六年前の惨劇に、フルヒトが関わっていたという事に対してだった。
「あの野郎は、てめぇを操ってこの国の人らを殺しまくったってぇ事か?」
『そうだ、あの時私はフルヒトに意識を操られ、気付いた時にはただひたすら全てを破壊しつくしていた。しばらく人間を弄ぶ事ができないほどにな』
後半の言葉にムカつきはしたものの、人間を殺す事を楽しみにしてるようなドラゴンなら、それも仕方ないとも思えた。
『しかし知っているというのであればあえて警告をする必要もなさそうだな、それに斧となったフライハイトには無用の忠告だったか』
『そうだな、なによりフルヒトなる者は一ヶ月ほど前にこの景虎が殺した。もう現れる事もあるまい』
フライハイトの言葉に景虎も頷く。クローナハ共和国の首都デルフロスで、景虎はフルヒトを苦戦の末倒した。手ごたえのようなものはなかったが、確かに首を切断し、塵と変えた。だが、そんな景虎達にレッドドラゴンが思いもよらぬ言葉をかける。
『奴は死んでいないぞ』
「は?」
『奴は、十日ほど前に再びここに現れた』
レッドドラゴンの言葉に、景虎は驚くしかなった。
「お、おいこら待て!てめ今なんつった! あの糞野郎が生きてるっつったか!」
『ああ、そう言った』
「ふざけんなてめぇ! 俺は確かにあの野郎を殺したんだよ! 真っ二つにして首切って、あの銀髪野郎を確かに殺したんだよ!」
必死で訴える景虎に、レッドドラゴンは哀れむように景虎に言葉を返した。
『それは人の姿のフルヒトであろう? あれは傀儡だ。奴の本体はシルバードラゴン、それが奴の真の姿だ』
「シルバー……ドラゴン?」
『銀の身体を持つドラゴンだ。心を操る魔法を得意とし、同族のドラゴンさえも操る事ができる』
レッドドラゴンの言葉に景虎は思い浮かべる。フルヒトはイラつかせるような言動や行動で人を小馬鹿にしていた。思えばあれも人心を惑わす類のものではなかったかと。
だが今はそんな事を考えるよりも、レッドドラゴンの放った言葉の方が重要だった。
「あの野郎、ここに何しに来たんだ?」
『さてな、ドラゴンの姿で現れたので何しに来たと聞いたが、何も答えず、ただ人間を殺せと偉そうに言ってきおったわ。命じられずとも殺すと答えたがな』
「やっぱてめぇ殺してやろうか」
おそらくその後、レッドドラゴンは自分の言った通りこの砦を襲い、ウィリアムや彼の部下を殺戮したのだろう。この惨状を見た景虎は、今すぐにでもこのレッドドラゴンを殺してやりたいと思ったのだが、一応瀕死のウィリアムを助けてくれた事には間違いなく、今は我慢しフルヒトの事をさらに尋ねた。
「あの野郎は、今どこにいる? この近くにいんのかよ?」
『もうここいらにはおらぬ、確か、大陸の東で力を蓄えると言っておったな』
「東?」
もしフルヒトがここにいれば再び殺そうと考えた景虎だったが、いない事にただただ悔しがる。と同時に、フルヒトが東で力を蓄えると言った事が気になった。
景虎は文字は読めはしなかったが、地図のようなものは何度か見て覚えていた。今いるアインベック帝国の東に位置するのは――。
「ヴァイデン……」
景虎がこの世界に降り立った地であり、そして自分を受け入れてくれた場所であり、そして大切な仲間がいる場所だった。
『景虎、どうする』
「決まってんだろ、あの野郎が生きてるんだっつーんならまた殺すだけだ。また余計な事するかもしんねーしな」
景虎は決意する。再びフルヒトを殺す事を。




