第五十二話 捜索
鼻腔に甘く甘美な香りを感じながら、景虎は眠りから目覚めた。
身体に感じる暖かな温もりが心地良く、再び眠りにつこうと少しだけ身体を動かしてみる、すると自分の身体の自由がきかなくなっている事に気付いた。
寝起きでまだ身体が上手く動かないのだと思いながら、ゆっくりと手を動かすと、その手に柔らかな感触が伝わってくる。
(何だ?)
疑問に思いながらソレを何度か揉んでみる、手の平でしっかり掴まれたソレの柔らかな感触が心地良く、景虎はつい何度もそれを揉み続けた。と、ふと誰かが景虎に向け話しかける声が聞こえる。
その声が聞き覚えのある声だったので、景虎はそこでようやく、ゆっくりと目を開いていく。すると景虎のすぐ目の前に、誰かの服のようなものが見えた。
黒いその服は上質の布で出来た代物で、頬に当たるボタンが少しくすぐったかった。
ソレがまだ何か良くわからなかった景虎は、身体を起こそうとすると、そこでようやく自分が誰かに抱かれているのだと気付く。
「んが?」
「起きられましたか、景虎様?」
優しさが込められた静かな声が、景虎の耳に聞こえてくる。
その声の主を探すべく景虎が頭を動かすと、真上に端正な顔立ちの美女がいた。
すぐにはその人物が誰かがわからなかったのも、仕方がないのかもしれない、その人物はいつも眼鏡をかけていたのだから。
「あんた、誰よ?」
「クラリッサです、景虎様」
尋ねてすぐに帰って来た名前に、ようやく自分の置かれている状況に気付く景虎。
そして自分が今どういう状況にあるのかがわかってくると、段々と眠気から冷め、はっきりと意識が戻ってくる。
景虎は今、毛布の上からクラリッサに抱かれているような状態で、顔はその豊満な胸に埋もれていた。さらにその左手はクラリッサの乳房をしっかりと握りしめてており、その柔らかい感触に手が完全に固まってしまっていた。
それに気付き、景虎の顔が一気に赤く染まり、汗がダラダラと流れ出す。
「……えと、あー」
「おはようございます、景虎様」
そんな状態にも関わらず、クラリッサはいつものように、事務的に挨拶を交わした。
荒れ果てた廃村で、黒い甲冑を着込んだ女性が食事の支度をしていた。その向こうでは同じく防寒着を着込んだ景虎が、ただただ項垂れヘコんでいた。
「景虎様、お食事が出来ました」
「あ、あー、どもっす……」
返事はしたものの、目が泳いでる景虎はクラリッサの顔をまともに見る事ができず、スープの入ったカップを受け取ると、ぎこちなく食べ始める。
「味はどうでしょうか?」
「あ、美味いっす」
返す言葉にはいつもの元気がなく、俯きながら静かにスープを飲み続けていた。
食事が終わり、荷物を纏めて馬の準備をしている時、景虎はようやくにしてクラリッサに対し、謝罪の言葉を告げた。
「ども、すんませんっした!」
「何を謝られるているのですか?」
「い、いやほら朝、あんな事しちゃったんで……」
「先程説明したではありませんか、あれは私からした事ですと」
昨日景虎とクラリッサは、寒さを凌ぐ為に密着する感じで眠りについたのだが、先に景虎が眠った後、クラリッサが景虎を抱くような形で眠りについたのだと。それは寒さを凌ぐ為だと説明されたのだが、景虎はそれでも申し訳ないと思い。
「あ、いや、とにかくすんませんっした!」
何度も謝ると景虎は自分の馬の元に駆け寄り、慌しく旅の準備をし始める。
そんな様子を見つめるクラリッサは、珍しく楽しげに笑ったのだった。
景虎とクラリッサは荒野を進む。目指すは北の砦エイデン。
二人がその地に向う理由は、景虎の義父でもあるウィリアムを探す為。五日前にウィリアムの行方不明が告げられ、二人はすぐさまこの地にやってきたのだ。
「あの森を抜けて少し進めば、エイデンの砦が見える筈です」
「おお、はえーっすね! もちっとかかるかと思ってたんっすけど」
実際に景虎は一週間はかかるものだと思っていた。ここまで早くこれたのは、クラリッサの綿密な計算と、経験によるものなのは間違いなかった。
馬を走らせ目的地へと向う二人、時間にして三十分は森を進んで、ようやく開けた場所が見え始めたが、森を抜けて目に映ったのは、全てが焼き尽くされた大地だった。
「酷ぇな、こりゃあ……」
荒れ果てた大地には草一本生えておらず、焼き焦げた人間や馬の死体が、未だ無数放置されていた。おそらくウィリアムと共に出兵した兵士達なのだろう。ドラゴンを恐れ、誰も死体の処理や回収などをしてないせいで、野鳥やケモノに食い荒らされ、酷い状態となっているものがほとんどだった。
「今は埋めたりとかしてる時間ねーし、気分悪ぃけどしゃーねぇな。クラリッサさん、何とか砦ってのはどこに……」
景虎が尋ねようと振り向くと、そこには呆然とその地を見つめ続け、動けなくなったクラリッサがいた。
「クラリッサさん?」
「ウィリアム様……」
クラリッサから漏れた声には、ウィリアムの生存が絶望的だという想いが込められていた。無理もない、この惨状で人が生存できていると誰が思えるだろうか。だが景虎はそれでもウィリアムが生きている事を信じ、クラリッサに向け強めに、挑発するような言葉を投げかけた。
「クラリッサさん、あんたはもう帰っていいっすよ」
「え?」
「おっさんが死んだと思ってんなら、とっとと帰れって言ってんすよ。俺ぁまだ諦めちゃいないっすけどね、おっさんの事」
冷たく言い放った景虎の目には、クラリッサにどうするかと聞いていた。今できる事は何なのか? 自分はここまで何をしに来たのか? 自問するクラリッサは手を握り締め、景虎を鋭く見つめ返した。
「とにかく、まずはエイデン砦へ向いましょう。きっと、何か手掛かりが残っているはずです」
「辛かったら無理しなくていーんすよ? こっからなら俺一人で……」
「景虎様も無事に連れ帰るのも、仕事ですので!」
強めに答えたクラリッサの顔は、いつもの事務的な顔に戻っていた。それを確認した景虎は、小さく笑い、クラリッサと共にエイデン砦へと向う。
かすかに残る道のようなものに沿って、馬を走らす景虎とクラリッサ。その間景虎はフライハイトに、ドラゴンやウィリアムの気配を探させてはいたのだが、一切反応しないとの返事しか返って来なかった。クラリッサには、まだ諦めてはいないと啖呵を切ったものの、徐々に焦りのようなものを感じ始めてくる景虎。
「もうすぐ、エイデン砦です」
クラリッサの声に頭を振る景虎、とにかく今は、ウィリアムが生きている事を信じようと自分に言い聞かせ、馬の速度を上げる。だが次の瞬間、その目に映ったものに、さすがの景虎も言葉を失ってしまった。
おそらくここがエイデン砦であろう場所に辿り着いた時、そこには砦と呼ばれるようなものどころか、建物と呼ばれるようなものさえなかった。あるのは炎で焼き尽くされた瓦礫のみ、人どころか、生物といえるものすら存在していないような場所だった。
エイデン砦跡で馬を降りた景虎とクラリッサ、周りを見回し、必死で何かを探そうとするも、目に映るのは瓦礫と黒焦げになった、元は人間であろうものだけだった。
呆然と立ちつくす景虎の後ろで、何か音がし、振り向くとクラリッサが崩れ落ちていた。
「ウィリアム様……、ウィリアム様……」
ウィリアムの名を呼ぶクラリッサは、今にも壊れそうなほど弱々しかった。何と言って声をかければいいのかもわからず、景虎自身もこの砦の惨状を見てしまうと、さすがにウィリアムの生存を諦めるしかないと思っていた。だがその時――。
『景虎、一人だが、まだ生きている人間の気配を感じる』
「マジか!」
急に大声を叫ぶ景虎、周りを見渡し人がいるかを探す、だがやはり焼け焦げた瓦礫しかなく、生きた人の姿など見える筈はなかった。
「おい糞ドラゴン、どこにいる! 早く言え!」
『落ち着け景虎、地表にはおらぬ、気配は地下から感じる』
「地下だあ?」
一瞬フライハイトが冗談でも言ってるのかと思った景虎だったが、その意味するものが地下室の事だというのに気付くまで、そう時間はかからなかった。そして景虎は崩れ落ちているクラリッサに向け、大声でその事を話す。
「クラリッサさん! 地下に生きいてる人間がいるらしいぜ!」
「地下?……」
「ああ、きっとおっさんだ! だから気ぃしっかり持って待っててくれ! すぐ助け出してやっからよ!」
言うと景虎は、フライハイトの気配が感じるという場所へ向う。そこはやはり瓦礫しかない場所だった。車ほどの巨大な瓦礫もあり、もし他の誰かが見つけたとしても、それをどかすのに多くの時間を取られた事だろう。しかし景虎はその瓦礫に向けて斧を力いっぱい振るう、するとその巨大な瓦礫は瞬く間に破砕される。
その後は人力でせっせせっせと瓦礫をどかしていく、何十キロもあろうかという瓦礫も軽々とどかしていき、時間にして十分ほどで、景虎は地下へと続く階段のようなものを見つける。
「よっしゃあったぜ!」
「景虎様……、こ、これはもしや防空壕ですか」
「え? いや知らんけど?」
景虎の行動をじっとみつめていたクラリッサが、地下への階段について語る。問われた景虎はこれが何かはわからなかったが、今はとにかく瓦礫をどける事だけに全力を傾けていた。そして、大き目の瓦礫をどかした時、地下の部屋のようなものが姿を現した。
「クラリッサさん明かりくれ!」
「え! あ、は、はい!」
戸惑っていたクラリッサは、景虎の言われるがまま松明に火を付け景虎に渡す。それを受け取った景虎は、ゆっくりと地下へと進んでいく。と、誰かが寝ているのに気付いた。
毛布のようなものに包まれたその人物の顔を、松明でゆっくりと照らしていくと、景虎は笑みを見せ、ゆっくりとその人物の名を呼んだ。
「ウィリアムのおっさん、助けに来たぜ」
そこにいたのは紛れもなくウィリアム=クラウゼンその人だった。しかし見るからに憔悴しきっていたその人物は、返事を返さず、生きているのかさえ怪しかった。
景虎がその人物に近づこうとするより先に、走ってきたクラリッサがウィリアムにかけより声をかける。
「ウィリアム様! ウィリアム様! しっかりしてください! ウィリアム様!」
泣き叫ぶようにウィリアムの名を叫び続けるクラリッサ、しかしウィリアムはその言葉に反応する事はなかった。涙を溢れさせ悲しむクラリッサだったが、すぐさま持ってきた水筒の蓋を開け、入っている水を飲むとそのまま寝ているウィリアムに口付けし、口移しに水を飲ませていく。二度三度と、水を飲ませ続け声をかけ続けるクラリッサ。
その姿に一瞬呆然と立ちつくしていた景虎だったが、すぐさま紅い斧をウィリアムの傍に置く。
「糞ドラゴン、おっさんに治癒魔法使ってくれ!」
『了解だ、だが、もう間に合わんかもしれんぞ』
「いいからやれ!」
その直後、紅い斧から暖かい治癒の魔法が放たれる。暗く湿った地下室に光が灯され、ようやくこの場所がギリギリの状態だった事を知る。部屋の半分は崩落しており、もし運が悪ければ部屋に隙間のようなものさえなかったかもしれなかった。
「こんだけ奇跡みたいな事が起こり続けてんだからよ、こんな所でくたばんじゃねえぞおっさん! ヒルダさんやイリスさんも待ってんだからよ!」
強く話しかける景虎、しかしウィリアムはまだ気付く気配がなかった。クラリッサはさらに水を含み、必死でウィリアムの口へ運んでいた。景虎自身ができる事は声をかけ続ける事だけだった。
『景虎、この人間はもう……』
「いいからてめぇは治癒魔法使ってりゃいいんだよ! このおっさんがくたばる訳ねーだろうが! こんなもんでくたばる訳ねーだろうがよ!」
フライハイトの言葉に耳を傾ける事もなく、景虎はなおもウィリアムに声をかけ続けていた。ヒルダの時も何度も声をかけ続けて気付かせることができた。きっとまた同じ事が起こると信じて、景虎は喉が涸れるまで声をかけ続けた。
クラリッサも何度も水を口に含んではウィリアムに飲ませ続け、フライハイトも治癒の魔法をかけ続けた。
しかし、ウィリアムが目を覚ます事はなかった――。




