第三十九話 学院
クラウゼン邸――
「景虎様、景虎様、御主人様がお待ちになっておりますので、ご起床頂けませんでしょうか?」
景虎が眠い目を擦りながら重い瞼を開いていくと、そこには眼鏡をかけたメイドさんが立っていた。
景虎はまだ起ききってない頭でこの状況を考え、ようやくにして自分がクラウゼン家の養子(仮)になった事を思い出す。
「んあー、あーおはよーさんです」
「おはようございます景虎様、お食事の御用意も出来ておりますので、御支度をさせていただきます」
言うと眼鏡メイドさんは掛け布団に手をかけ、景虎を起こし始める。
しばらく成すがままだった景虎だったが、ようやくにして目が覚め、眼鏡メイドさんが自分の服に手をかけ着替えさせようとしているのに気付き。
「おうっと! じ、自分でやれますからっ!」
「そうですか、ではお早めに御支度をお願いいたします。御主人様が食堂でお待ちしておりますので」
「りょ、了解っす!」
言うと眼鏡メイドさんはペコリと丁寧なお辞儀をして、静かに扉を閉めて部屋を出て行く。残された景虎は頭を掻き、なんとも言えない気恥ずかしさを感じていた。
支度、と言ってもいつもの学生服に着替えただけの景虎は、まだ慣れない屋敷の中を歩き、食堂へと辿り着く。
食堂の扉を開くとそこには二十人は座れそうな大きなテーブルがあり、この家の主人のウィリアムとその妻ヒルダ、そして義妹のイリスが談笑していた。
「おお景虎やっと来たか! ささっ、ここに座れ!」
「景虎君、疲れは取れたかしら?」
「…………」
ウィリアムとヒルダは笑顔で景虎を迎え入れてくれたが、義妹のイリスは声をかける事もなく、無言でお茶を飲んでいた。
どうにも居心地が悪かったが、景虎は言われるがまま席に着き食事を始める。
食事中ウィリアムとヒルダは気さくに景虎に話しかけていたが、イリスは結局一度も会話をする事無く食事を終わらせ、静かに席を立つと。
「お父様お母様、では行って参ります」
あからさまに景虎を避けた挨拶をして、不機嫌なまま部屋を出て行く。
それを苦々しく見つめていた景虎は溜息をつくと、持っていたカップのお茶を飲み干してウィリアム達に語りかける。
「やっぱ俺この家の雰囲気悪くしてねーっすかね? 何だったらどっか離れとか納屋で暮らしてもいいっすけど」
「何、イリスはまだ慣れておらんだけだ、すぐに気さくに話しかけるだろうて!」
「景虎君は何も心配しなくてもいいんですよ」
意に介せずという二人に、景虎はこれはこれでどうしたものかと悩む。
無くなった元ドラゴンのフライハイトを探す為という事で、流れのようなもので養子(仮)になったものの少し後悔していた。
景虎のその様子に気付いたのか、ヒルダがウィリアムに目配せをする。
「おおそうだそうだ、景虎、これをお前に渡しておこう」
「ん? 服? 白のブレザーっすか、なんすかコレ?」
「それは景虎君の為に用意した、グリムゼール学院の制服よ」
言われた景虎は一瞬固まってしまう、一方のウィリアムとヒルダはニコニコと微笑み景虎の反応を楽しんでいるようだった。
景虎は嫌な予感がしたのでゆっくりその服から手を離し、ごちそうさまと手を合わせ、ゆっくりとその場を立ち去ろうとするがウィリアムがきっぱり言い放つ。
「すでに入学の手続きはすませてあるから、今日から景虎はグリムゼール学院に行くのだぞ!」
「何でだよ!」
ヒルダがいたものの、さすがにこれには強く抗議せねばと大声で返答する。
「俺がいつ学校なんぞに行くなんて言ったんだよ!」
「何を言っておる、わしの子となったからには精一杯の教育を施してやるつもりだぞ、心配するな、必要なものならもう全て揃えてある」
「いらねーよ! って俺にゃあやる事あんだから学校なんぞ行ってられねーっての! とにかく学校なんぞ行かねぇからな俺は!」
「どうしても? 景虎君?」
「ぐっ……」
ヒルダの悲しそうな顔に怯む景虎、ウィリアムは正直どうでも良かったが、ヒルダはおそらく病弱で、何かの拍子に容態を悪化させてはといけないという想いが景虎にはあった。
だが景虎には相棒でもある元ドラゴンの、フライハイトが変じた紅い斧を探すという何よりも優先すべき目的があった。
だから学校に行ってる暇などなく、この話を了承する訳にはいかないときっぱり否定の意思を示そうとする……も。
「ごほっ、ごほっ、か、景虎君、どうしても駄目……かしら?」
「行きゃあいいんでしょが! 行きゃあ!」
咳き込んで苦しそうなヒルダを見てしまっては、逆らう事などできなかった。
直後にウィリアムと楽しげに手を合わせるヒルダを見て、芝居だったと勘繰るものの、それをヒルダに追求できるほど景虎は鬼畜ではなかった。
そうなるとペースは完全に向こうのものとなり、制服を着て見せて欲しいという願いにも断る事ができず素直に着替える景虎、そしてそれを見た二人は。
「おお、やはり似合うな景虎!」
「ええ、とても凛々しいわ」
もうどうにでもしてくれと観念している景虎には、二人の褒めちぎる言葉をただただ聞くしかなかった。
「とてもお似合いですよ」
「どーもです」
横にいた眼鏡メイドさんも社交辞令のように褒めてはくれるものの、景虎は力なく答えるしかなかった。
ちなみにこの眼鏡メイドさんは、クラリッサという名前だと後で聞いた。
用意された鞄には何冊かの本と筆記用具のようなものが入っていた。
その後ヒルダとクラリッサに見送られた景虎は、ウィリアムと共に馬車に乗るとグリムゼール学院へと向かう、馬車の中でようやく一息ついた景虎はウィリアムに忠告のような事を言い放つ。
「言っとくが俺ぁ問題児だかんな、学校なんぞすぐ問題起こして退学だぞ。あんたの立場とか悪くなってもしんねーからな」
「がはは! それがどうした! 男ならそのくらいの元気がある方がええわい!
問題? そんなもんわしの力でいくらでももみ消してくれるわ!」
「どこの悪徳政治家だ! てめーんな事して恥かしいとは思わねーのかよ!」
「がははは! やはり景虎は良い子だのう! ちゃんとわしを心配してくれとるわ! まあとにかく行ってみろ、何があるかわからんからな」
何かもう何を言ってビクともしないウィリアムに、さすがに真面目に抗議するのが馬鹿らしくなった景虎は、結局学院に着くまでずっと不機嫌なままだった。
その後馬車は十分ほど走り、大きな校舎の立ち並ぶグリムゼール学院へと到着する。この学院はアインベック帝国にあって、唯一国が運営する学院だった。
生徒数は約千五百人、小等部までは一年生から六年生、中等部は七年生から十二年生という風に分かれていた。
七年生から九年生は日本で言うところの中学生、十年生から十二年生は高校生といった感じだ。
各学年A組からD組の四つの組に分かれており、各組三十二人前後の生徒で構成されている。
昔は貴族階級の子供が多く、傍若無人に振舞う生徒も多かったが、学院理事にウィリアムが就任してそういったものが改革された。
「おっさんここの偉いさんなんかよ!」
「おう、やたら貴族風吹かす馬鹿息子共がおったんでそいつら全部叩きだしてやったわ! ここではわしが正義だ! だから安心して通え景虎!」
よくもそんな事をやって暗殺されなかったものだと感心する景虎、よほど上手くやったのか逆にそれ以上の汚い事をやったのか、聞いたものか迷っている間に景虎は学院長室に連れて行かれる。
学院長室にいた教師らしき人物に挨拶を済ますと、その教師は景虎を連れて教室へと向った。
その後ろで手を振っているウィリアムがいたが、景虎はあえて無視をした。
景虎は九年生のD組に入る事になった。
教室の前に着いた景虎は、先生に紹介された後扉を開け入っていく。
クラス中の全ての目が注目する中、景虎はしょーがないといった感じで。
「あー、今は景虎=クラウゼンっちゅーもんだ、まぁよろしく頼むわ」
そっけなく挨拶をした景虎に教室は一瞬静まり返る、しかしクラウゼンという名前に反応した生徒の一人が手を挙げ質問をする。
「あ、あの景虎君はウィリアム様のご親戚か何かなのですか?」
「あー、まぁそんなもんだ」
その返事に教室中が沸き返る。ウィリアムという名はこの国ではやはりかなりのものだというのを改めて思い知らされる景虎。
自分の前では豪快なただの馬鹿なおっさんにしか見えないのだが、瞬く間に将軍にまで上り詰めた事や、英雄などと呼ばれているというのが嘘偽りではないと関心する景虎だった。その後他の生徒からも質問攻めをされたのだが、段々面倒臭くなった景虎。
「うっせーぞてめぇら、泣かすぞゴラ!」
不機嫌そうに発したその言葉に皆黙ってしまう。ガンくれて威嚇しながら一番後ろの席についた景虎、一方景虎の周りの生徒達は完全に怯えきって少しだけ椅子の距離を開けていた。
変な空気になってしまったが、教師は咳を一回した後授業を始める。
授業はこの国の歴史のようなものではあったのだが、景虎にはちんぷんかんぷんで五分もしないうちに欠伸が出てしまう。
鞄に入っていた本を無造作に取り出し中を見てみるも、この世界の文字なのかまったく理解できなかった。
「どーせいっちゅーねん」
溜息をついて窓の外を見る景虎、空は青く、寝転んだりすれば気持ち良さげな気候だなと感じていた。
そして、改めてフライハイトの事を考える。あの紅い斧はどこにあるのか、そして自分は何故こんな所にいるのかなど、聞きたい事や言いたい事は沢山あった。
早く探しに行きたいと思う反面、クラウゼン家の人達に迷惑をかける事をするのもまずいなと考える、特にヒルダを悲しませるのには心が痛んだ。
「ほんと勘弁してほしいぜ……、あんな風にされちゃあこっちは何もできねーじゃねぇか」
溜息をつく景虎に、横に座っている人物から小声で声をかけられる。
「あ、あのクラウゼンさん……」
「景虎でいいよ、そっちの名前は馴染んでねーんだよ」
「あ、じゃ、じゃあ景虎さん」
「さんもいらねーよ、で? お前はどこの何様よ?」
「あ、ぼ、僕はディルク=バックハウス、よ、よろしくね」
少し怯えながらも挨拶をしてきたのはディルクと名乗る少年だった。
おでこが広く、丸っこい眼鏡をかけたその少年はいかにも勉強が出来そうな風貌だった。
「あ、あの、何か困った事があれば言って下さい、こ、これでも僕はこのクラスの学級委員長ですから!」
「あー、とりあえず何もわからん、俺こっちの字読めんのよ」
「え? こ、こっちのって?」
「ああ何でもねーよ、とにかく俺ぁ馬鹿なんよ、何で字とかまったくわかんねー、まあそういうこった」
説明が面倒臭そうだったので景虎は元の世界の事などは話さず、ただ馬鹿で字が読めないという事実だけを伝える。
さすがにそれにはどうしたものかと困ったディルクだったが、すぐに鞄から何も書かれていない紙を取り出し、何やら書き始めると説明をする。
「えと、これが最初の単語、で、これが……」
どうやらこの世界の基礎的な言葉を書いて教えてくれているようだった。
「い、いやそういうのいいから、おめーも授業あんだろ? 俺の事はほっといて自分の勉強してろよ」
「そういう訳にはいかないよ、せっかくクラスメイトになったんだし」
目をキラキラさせながら話を続けるディルクに呆れる景虎、しかし親切心でやってくれているので止めるでもなく、好きにさせる事にした。
こうして、景虎の異世界での学園生活が始まった――。
今年はこれで終了です
色々勉強になりました
それでは皆様良いお年を




