第三話 黒髪の少女
――その黒髪の美しい少女は、ただ涙を流し震え怯える事しかできなかった――
少女の名前はカティア=リンディッヒ、ヴァイデン王国の端に位置するリンディッヒ領の領主の娘である。
リンディッヒ領は豊かな領地で作物の育ちも良く、領主リンディッヒ子爵の人望もあってか、商人の往来も多く商業の町としての側面も持ち始めていた。
しかし半年前からその様相は一変する。豊かな作物や人々を狙い、魔獣の大群が出現し始めたのだ。領主以下騎士も総動員して戦い一度は撃退したものの、被害は甚大でその後も度々現れる魔獣の脅威に晒された領民は、逃げるようにこの領地より去っていった。
本国や近隣の領地に援軍などを要請するも動きは鈍く、まともな兵の増員もままならないでいた為冒険者に魔獣退治の任務をさせたりしたが、根本からの問題解決からは程遠かった。そんな中カティアは自ら王都に援軍の要請をすべく旅立つ旨を告げる。多くの者は反対したものの、その決意は堅くリンディッヒ子爵も現状を鑑みそれを渋々了承する。
そして王都への途上で、魔獣の襲撃にあったのだった――。
「助けて、誰か助けて、誰か助けて……」
弱々しい声で必死に助けを求めるカティア、だがその声は誰にも届かず、彼女を護る最後の騎士も魔獣達によってとどめを刺される。じわりと近づく魔獣達、口とおぼしき場所からは唾液が垂れ続け悪臭が漂っていた。血で穢れた魔獣の腕が、カティアに触れようと迫る――。
「もう……、ダメッ……」
眼を瞑り覚悟を決めた次の瞬間、大きな打撃音と共に目の前にいた魔獣達の気配が消え失せる。ついで遠くの方から大きな激突音が響き渡るのを聞き届けると、カティアは恐る恐る眼を開ける。そこには今までいた黒い魔獣達はおらず、身長ほどもある赤い大きな斧を持った黒い服を着た少年が立っていた――。
「大丈夫か?」
はっと気づいた黒髪の少女カティアは自分の状況を確認すべく、虚ろな眼で周りを見回した。自分は今大きな木の下の草むらの上で寝ており、景虎が困った顔で自分を覗き込んでいるのが見て取れた。自分は何故寝ているのだろうか、ぼやけた思考でそう何度も頭の中で繰り返し、答えに辿り着くと慌てて起き上がる。
「す、すみませんっ!」
「いや、別にいいって、まああんな事があった後だしな、しゃーねーよ」
「すみません……」
深く頭を垂れるカティア、慣れない旅の途中に魔獣に襲われひたすら逃げた。護ってくれていた騎士達は皆殺され、自分ももうすぐという所で景虎に助けられ一命を取り留めた。その後景虎と共に一度自分の領地の城に戻る事になったのだが、向かう途中で気を失ったのだった。
「ほんとに、ご迷惑をおかけしてばかりで、何と謝ればよいのか……」
「だから別にいいって言ってんじゃねーか、しかしこの有様だとその何とか城ってのに着くのに、後どのくらいかかるかわかんねーな」
「あうう……」
あまりの情けなさにさらに凹むカティアは放置し景虎は考える。カティアが話すには、ここから歩いて一日ほどの距離に小さな村があるとの事。そこで馬を借りて向かえば城までは半日ほどで着くという話だったのだが、カティアのこの有様では村まで何日かかるかわからなかった。
「どうすりゃいいと思うよ?」
『ふむ、こういった事は初めてなものでな、しかし人間とは面白い、本当に面白い』
「面白がってんじゃねーよ!」
紅い斧となった元ドラゴンのフライハイトに相談するも、ドラゴンに人間のごく普通の苦しみなどわかろうはずもなく、それどころか興味津々で楽しんでいるので景虎はかなりウザく感じ始めていた。凹みまくってるカティアを見ながら考える景虎は、ふと大きさ的に人を乗せられそうな紅い斧を見てポンと手を叩く。
「ああそうか乗せりゃいいんじゃねーか! おいカティアちょっとこっち来い」
「え? は、はい、なんでしょうか?」
言われるまま身体をゆっくりと起こし景虎の元へと歩み寄ると、景虎はカティアを横に置いた斧に座るよう指図をする。何故そんな事をするのか意味がわからなかったが、これ以上迷惑をかけるのも悪いと思ってカティアは言われるがまま斧の上にゆっくりと座る。
「こ、これでよろしいのでしょうか?」
「よっしゃ、じゃあいくぞ!」
「えっ? きゃあっ!」
次の瞬間景虎はカティアごと斧を軽々持ち上げる。一瞬自分が何をされたかわからないカティアだったが、ようやく景虎のやろうとする事がわかると狼狽し景虎に話しかける。
「あ、あの景虎殿、もしかして私を担いで道を進まれるおつもりなのですか?」
「おう! この方が早いだろうし、お前も疲れる事はないだろ」
「そ、そんないけません! わ、私はその……、い、一応あまり太らないようにはしてはいますがその……、でも、やっぱり景虎殿がお疲れに……」
「心配すんなって、全然重くないからよ! んじゃこのまま行くからな!」
カティアは重くないという言葉に少しホッとしたものの、やはりこんな無茶な事はさせる訳にはいかないと再三申し出るものの、景虎は大丈夫大丈夫と明るい顔で答えるのみ。実際景虎は汗ひとつかかず、まるで棒っきれでも担いでるくらいの涼しい顔をして歩いていた。
景虎は元ドラゴンのフライハイトの力を分けて貰っているおかげで、感じる重さがかなり軽減されていた。
そこからの道のりは早いものだった。景虎は休む事無く村を目指し、一日はかかろうかという村まで半日ほどで辿り着く。すでに陽は落ち空には無数の星が綺麗に光り輝いていた。
元いた町では星空などちゃんと見た事もなかった景虎には、周りにネオンや家の明かりのようなものがなく、星をしっかりとみれるこの世界はとても興味深いものだった。
「あ、あの景虎殿、も、もうすぐ村ですし降ろしては頂けませんでしょうか」
「ん? 別にこのまま村まで連れてってやるけど?」
「そ、それはその…… は、恥ずかしいのです!」
暗闇の為カティアの顔をちゃんと見れなかったが、どうも頬を染め照れているのを必死で隠しているようだった。何が恥ずかしいのかがまったくわからない景虎ではあったが、ここまで来ればもう降ろしてもいいかと思いカティアを斧から降ろしてやる。
「で、では参りましょう!」
そう言うと足早に村へと歩み始めるカティア、顔を見せないようにしているのは何でだよとか思う景虎には、乙女の細かな心情などわかろうはずもなかった。
村に入るとカティアを見つけた村人が歓喜の表情で迎え入れる。カティアが魔獣に襲われたと聞き皆心配していたのだ。さらに村人から報告を受けたのか、近くにいたと思われる数人の騎士達がカティアの前で膝を折る。
「カティア様よくぞご無事で!」
「有難うございます、ですが多くの騎士の方々が私の為に命を失ってしまいました。申し訳ありません……」
その言葉に騎士達は大粒の涙を流し泣き始める。騎士達はカティアに一度城へ戻り、領主様にご報告をしたい旨を伝えるとそれを快く了承する。
言うが早いか騎士の一人はすぐに馬に乗り走り去っていき、残った騎士達はカティアをこの村で一番豪華そうな屋敷に連れて行こうとする。と、騎士達はやたら大きい斧を持った景虎が眼に入り、警戒し剣に手をやる。鋭い眼光で睨み付けていると、カティアがその間に割って入ってきた。
「景虎殿、どうか私とご一緒に」
「え? いや俺は別に……」
「何を言われるのです! 景虎殿は私の命をお救いくださった命の恩人ではございませんか! そのような大恩あるお方を無碍にする事などできません! さあこちらに!」
カティアはまるでどこぞの演劇かのような口調で景虎にお礼の言葉をかけると、周りの村人からはほーっと感嘆の声が上がる。騎士達もカティアがそう言うのであればと剣から手を離し二人に道を開ける。
『成る程な、景虎が怪しい者ではないというのを印象付ける為、あのような芝居じみた言葉をかけたのか、やるではないかあの娘』
「ああそういう事だったのか、俺ぁてっきり嬉しさのあまりテンション上がって
ハイになったかと思ったわ」
カティアが急に芝居じみた事をしたので怪訝に思っていた景虎ではあったが、フライハイトの説明でその理由がわかり、安堵して案内された村の屋敷へと入っていく。
それでも騎士達は景虎から警戒を解いた訳ではなく、度々疑念の眼を向けられるのだが、その度にカティアが間に入り事を収めていた為大事に至ることはなかった。その屋敷で一晩を過ごし、久々の食事と休養にありつけた景虎はとりあえずもう大丈夫だと思い、ここで別れようとする。しかしそんな景虎をカティアが引き止める。
「お待ちください! どうか! どうかリンディッヒ城までお越しください!
是非父に会って頂きたいのです! どうかっ!」
カティアに熱心に頼まれるも正直面倒臭いと思う景虎は、嫌な顔をして言葉に出さない抵抗を必死で示したのだが、カティアにはまったく通じず、結局折れて一緒に行く事になってしまう。
『負けたな』
「くっそあの女まったく動じやがらねえんでやんの」
歯軋りの音が聞こえるほど悔しがる景虎とは対照的に、カティアは時折景虎をチラリと見て、楽しそうに微笑んでいたのだった。
その後カティアと景虎、それに護衛の騎士三人は特にトラブルも無く半日ほどでリンディッヒ城に辿り着く。予めカティア生存の報を聞かされていたリンディッヒ城では、カティアの生還を城を上げて祝う準備がなされていた。
騎士や女中、さらに文官なども仕事を投げ出しカティアの無事を祝う中、奥から白髭を蓄えた初老の人物がゆっくりとカティアの元まで近づき、優しく抱擁する。
「よくぞ無事に戻ったカティア」
「はい、ご心配をおかけして申し訳ありませんお父様、ですが騎士達は……」
「わかっている、彼の者達の尊い犠牲のおかげで、お前がここに無事戻れたという事は聞き及んでいる。騎士達の家族には十分に恩に報いるつもりだ」
二人の言葉に周りにいた人々は涙を浮かべる。一方景虎はこの状況ならば抜け出す事も容易だと考え、忍び足で周りの人間に気づかれない様に城門の方へと向かった。しかし赤く大きな斧というのはとても目立つもので、すぐにその動きはカティアに見つかってしまう。
「景虎殿お待ちください! 景虎殿!」
カティアの言葉にそこにいる皆が一斉に景虎の方に目をやる。注目を一身に浴びた景虎はその場で一旦停止し、次の行動を必死に考えるも良策は何も出てこなかった。
「景虎殿どうか父に会ってください! きっと父も景虎殿を気に入ってくださいます!」
「いや、俺そういう面倒臭いのマジ苦手だから、ここでさよならさせてもらうわ」
「駄目ですっ!」
「何でだよ!」
普段は優雅で誰にも人当たりの良いカティアが他人と言い合ってる姿が珍しいのか、皆口を開けあんぐりとしてしまっていた。景虎は卑下されたり軽蔑されたりする眼には慣れてはいたが、このように奇異な眼で見られるのはどうにも居心地が悪かった。必死でカティアの手を振り払おうとするも、がっちり掴んで離さない手を中々振り切れなかった。するとそこに先程の初老の人物が近づき、景虎に声をかける。
「カティア、その御方はどなたかな?」
「この御方は私の命を助けてくださった出雲景虎殿です!」
「なんと! そのような御方がいるのなら何故最初に言わんのだ! 景虎殿と言ったか、娘を助けていただいたそうで何と礼を言えばよいのか」
「い、いや俺たまたまそこにいただけで、ほんと偶然なんで、っつーわけで俺はこの辺でさよならさせて……」
「おい何をしておる! さっさと宴席の準備をせぬか! カティアの帰還と、その命の恩人たる景虎殿を祝う宴を催すのだ!」
リンディッヒ子爵のその言葉に歓声が沸き立つと、周りは慌しく動き始める。 それを呆然と眺める景虎は最早逃げ道なしと観念した。
「ささ、城へ来られよ、是非その時の話を聞かせてはくれまいか」
「あ、いや、俺話とかすんのマジ苦手なんで簡便してください、って訳で……」
「それなら私がお話をいたしますわお父様!」
必死で逃げようとするもののカティアがその退路を悉く防いでいく。さらにその父親のリンディッヒ子爵も娘の生存がよほど嬉しかったのか、景虎をまるで国賓かのような扱いをした。景虎は人の話をまったく聞かないこの二人は、やっぱ親子だなと思わずにはいられなかった。
「おい、何とかしてくれ、このままじゃなし崩しでおもちゃにされちまう」
『そうは言うが、向こうはお前に感謝してくれているのだから、素直にその好意を受ければよいではないか』
「それが面倒臭いって言ってんだよ! マジ頼むわ、何かこうスパッとお前からも言ってくれよ」
『ああそう言えば言ってなかったが、私の言葉はお前にしか聞こえんぞ』
「役に立たねぇなオイ!」
フライハイトに助けを求めたものの、結論として役に立たないとわかった景虎、結局カティアとリンディッヒ子爵の言われるがままに好意を受ける事になる。
その夜は死んだ騎士達の黙祷をした後、カティアの無事な生還を祝うささやかな宴が催された。カティアは景虎が自分を救い、騎士達の埋葬まで手伝ってくれた事、そして自分を警護してくれた事などをそれは楽しくリンディッヒ子爵や騎士達に話していた。夜も更け、宴も終わると景虎は寝所に案内される。いわゆる客間という所で、内装はかなり豪華な造りだった。
「こんな所で寝ろってのかよ……」
『何か問題があるようには見えんが?』
「いや、そら問題はないし綺麗だし豪華だしだけどよ、俺ぁこんな所で寝れるような立派な人間じゃねーぞ」
その言葉にフライハイトは楽しげに笑う。
『何を気にしているかと思えば、お前はどうも人の好意というものを素直に受入れられないようだな』
「しゃーねーだろ、そんな風に生きてきたんだしよ。大体いきなりこんな訳わからん世界に放り出されて、てめーみたいなのに取り憑かれた挙句、きめぇ化け物と戦って変な女助けたりとか訳わかんねーよ」
『まぁ慣れるしかあるまいて』
「ちっ! 簡単に言いやがって、てめぇもそんな斧とかになって何とも思わねーのかよ」
『今の私はとても充実しているがな、ドラゴンの身体であった時には経験できぬ事を色々できそうではあるしな、何より人間というものを身近にいて知る事が出来るのが面白い! いやまったく面白い!』
「てめーは気楽でいいよな」
そう吐き捨てると景虎はベッドに倒れこむ。ふんわりとした高級そうなベッドに景虎は埋もれていく。優しく光る小さな蝋燭の炎だけがこの部屋を照らし出し、開け放たれた窓からは涼しい風が景虎の身体の火照りを癒してくれていた。
天井を見つめる景虎はこの現実離れした状況を改めて考える。何故自分は今こんな所にいるんだろうかと、そしてここはあまりにも自分に優しすぎる場所だと思っていた。こんな世界を望んでいなかったと言えば嘘になる。しかし景虎にとってはこんな世界は嘘の塊にしか思えなかった。
考えれば考えるほど景虎はこの平穏で満ち足りた空間に耐え切れなる。ふかふかのベッドでは中々寝付けず、試しにゴロンとベッドから降り、床の上で毛布にくるまって寝てみる。
「ああ、こっちのが落ち着くな」
いつもの自分に戻れた気がした。冷たく堅い床はこのまま寝れば風邪を引きかねないかもしれないのに、景虎はベッドに寝ていた時よりも心地良かった。
そしてやはりここは自分の居場所ではないなと思い、フライハイトに語りかける。
「おい糞ドラゴン」
『糞……、景虎よ、ちゃんと名前で呼んではもらえないものか』
「うっせぇよ、てめぇの名前は何か覚えづらいんだよ! それより俺は明日ここを出てくからな」
『ほお、理由を聞かせてもらいたいものだが』
「ここは何か居ずれぇ、それだけだ」
『……そうか、お前がそういうのであればそうなのであろうな、だが出て行くのであれば、せめて挨拶くらいはして出て行くのだぞ』
「わかってるよ、そのぐらいの礼儀は知ってるからよ」
そう言うと景虎はそのまま眠りにつくと、久々にぐっすりと熟睡したのだった。
翌朝、景虎を起こしに来たメイドが景虎が床に寝ているのを見つけ、ベッドに何か不手際があったのでしょうかと何度も謝罪し、少し騒動になったりした。
眼が覚めた景虎は身なりを整えると、置いていた紅い斧を持って部屋から出ていく、と、そこには景虎を迎えに来たカティアが立っていた。
カティアは朝食に誘うつもりで待っていたのだが、景虎が紅い斧を持っているのを見て恐る恐る尋ねてみる。
「あの、景虎殿どこかにおでかけですか? なんなら私がご案内いたしますが」
「ああいや、もうここ出ていこうかと思ってな、まぁ丁度良かったわ、お前に挨拶しようと……」
景虎が別れの言葉を言おうとする前に、カティアが足早に近づき景虎の開いている手を取ると、こぼれるような笑顔で景虎に語りかける。
「朝食が出来ておりますので食堂までいらしてください」
「あ、いや、だから俺は……」
「今日の朝食は私も作るのを手伝ったのですよ、私の卵料理はお父様にも好評なので、是非景虎様にも食べていただきたいのです」
「いや、だから……」
「是非!」
景虎の手を握りキラキラした綺麗な澄んだ目で見つめるカティア。その美しい眼差しから眼を離せない景虎は、かける言葉も出なくなっていき……降参する。
「わ、わかった、食うから」
「はい! ではこちらへいらして下さい! あ、そちらの斧はお部屋に置いていってくださいね!」
「あ、ああ……」
楽しげに走っていくカティアを呆然と見つめる景虎に、フライハイトが呆れた感じで声をかける。
『お前は意外と押しに弱いな』
マイペースでがんばります