第三十六話 帝国
帰省前まで少しだけ
――アインベック帝国――
大陸の西側に位置する国家、近隣諸国との戦争で版図を広げてはいたが、六年前に各国と休戦協定を結んでからは戦争らしい戦争は行われてはいない。
地勢的に厳しい環境にあり、さらに長きの戦争によって民が度々困窮していたが、休戦後は復興に力を入れ、徐々にではあるがその状況は改善しつつある。
――帝都グリムゼール――
アインベック帝国の首都、中央に配された城は重厚な作りで、ドラゴンの攻撃さえも跳ね返すとまで言われている。
数十年前までトライア大陸西側の小国の一つでしかなかった時、この街は度々戦場となり多くの死傷者を出していたが、国力の上昇などで急速に発展した今は大国の首都として万全の防備を備え、トライア大陸西側一の街となっていた。
度重なる紛争で疲弊しきっていた帝国ではあったが、ある理由によってここ数年は戦争をする事もなく、平穏な日々を過ごす事となっていた。
この国は戦争によって武功を立てた者が騎士階級に取り立てられる事があり、貴族階級の多くが戦争で武功を立てた者達だった。だがその中にあって、国家から英雄とも呼ばれるほどの武功を上げ、異例ともいえるスピード出世をして伸し上った異質な人物がいた。
「では、ウィリアム将軍お気をつけて!」
「おう、お前らも気をつけて帰れよ! マーチスは奥さんにちゃんと結婚祝いのプレゼントを買っていくんだぞ!」
「は、はいっ!」
黒い甲冑を着込んだ騎士が将軍と呼んだこの人物、年は五十代、白髪混じりのブロンド髪の割腹の良い人物だった。
豪快そうな相貌からまさに軍人という感じの男性、このアインベック帝国においては軍の中にあっても上位の発言権を持つほどの人物だった。
その姿を見て建物の中から白衣を着た人物が慌てて出迎えに来る。
「しょ、将軍! ご連絡頂ければお出迎え致しましたのに!」
「んな面倒臭い事せんでいいわ、お前らはお前らの仕事をきちんとやっとれ」
ウィリアムがやって来たのは帝都グリムゼールの軍病院、ここは帝都の中でも最新の医療設備と医療魔法師を備える場所だった。
本来軍関係者や上位貴族などしか治療が受けらない場所なのだが、ウィリアムが是非にという理由で一人の少年が治療を受けていた。
「あの少年の容態はどんなものだ?」
「はい、それが何と言いましょうか……」
「ん? もしかして死んだのか?」
「い、いえその逆です! 運ばれた時は助かるのも無理かと思うほどの重傷だったはずなのですが、治療を続けていくうちにみるみる回復していって、今はもう僅かなかすり傷程度という状態なのですよ」
医師とおぼしき人物からその話を聞いたウィリアムは驚きを隠せなかった。
確かに自分が発見した時のその少年の様子は瀕死というほどで、その後なんとかこの帝都に戻り急ぎ治療をさせたのだが、誰もがその少年は助からないものと思っていたからだ。
「将軍、あの少年は何者なのですか?」
「さあな、とりあえず少年の所に行かせてもらうぞ」
言うとウィリアムは少年が治療されている部屋へと向かう。
部屋の前には警備の者が一人いたが、ウィリアムの姿を見ると慌てて敬礼し、静かに病室の扉を開ける。
六畳ほどの病室に、一つだけ置かれている白く大きいベッドに少年は寝ており、その横でベテランの看護師らしき女性がその少年の世話をしていた。
「あ、将軍!」
「少年の様子はどうだ?」
ウィリアムが入ってきたのに気付いた看護師が、慌てて敬礼しようとするのを制して少年の様子を尋ねるウィリアム。
「は、はい、びっくりするくらいの回復力でもう怪我はほとんど治ってはいますが、まだ意識の方は……」
「そうか、まぁまだ若いしそのうちすぐ目覚めるだろうて、もし気付いたらすぐわしに連絡を……」
と、言いかけたまさにその時、今まで動かなかった少年の身体がピクリと動く。それに気付いた医師は驚き、すぐさま少年に駆け寄る。
「まさか、もう意識を……」
信じられないといった表情で、医師が少年を診ようとしたその瞬間。
「……ここ、……どこ、だ?」
少年が目を開け、言葉を話したのだ。
数日前までは確かに助かる事が不可能なほどの怪我をしていて、生きてるのかさえわからなかった少年の回復力に驚く医師と看護師、だがウィリアムだけは笑みを浮かべ、少年の所に歩み寄ると気さくに話しかける。
「おう少年、もう身体は大丈夫か? まだ痛い所とかはあるか?」
「あ? あー、なんか身体ダルいな、あと、何か腹減った……」
少年から出た言葉に大笑いするウィリアム、一方の医師と看護師は未だ信じられないと言った風に呆然と立ち尽くしていた。
「おい、早く食い物を持ってきてやれ」
「し、しかしあの重傷から回復したばかりですぐ食事というのは……」
「構わんから持ってこい! わしが許可する、なぁに大丈夫だ、こいつはもう回復しとる、飯も普通に食えるだろうて」
そこまで言われると医師たちも聞かざるをえず、すぐさま身体に優しそうなスープや果物といったものを用意してくる。
少年はそれを瞬く間に平らげ、おかわりを要求する厚かましさだった。
結局三人分はあろうかという食事を瞬く間に平らげた少年、その後ウィリアムは医師と看護師を下がらせ少年と二人きりになるようにする。
少年の寝ているベッドの横に椅子を置き、そこにどっかりと座ったウィリアムは少年に静かに話しかける。
「少年、身体の調子はどうだ?」
「ん? まぁまだダルいけど、飯食ったらだいぶマシになったわ、というかここどこっすかね?」
「ここはグリムゼールの軍病院だ」
「ぐ、ぐりむぜ? どこだって?」
「グリムゼールだ、アインベック帝国の首都のな」
ウィリアムの発した言葉にその少年はキョトンとした顔をする、どうやらこの場所の事がわからないようだった。
「え? ちょ、ちょっと待ってくれ、俺さっきまでデルフロスに居たはずなんだが、ぐ、ぐりむ何とかとか、何とか帝国とかってどこの事よ?」
「デルフロス? それはクローナハ共和国の首都のか?」
「あ、ああ、俺そこで糞フルヒトを殺して、それから……、やべぇ、その先の事何も覚えてねぇぞ」
混乱する少年にウィリアムは置いてあったコップに水を注ぎ、それを少年に渡す。渡された少年はをそれを慌てて一気に飲み干し、必死で気分を落ち着かせる為に何度も深呼吸をする。
「落ち着いたか少年?」
「あ、ああすまねえ、ちっと整理がつかなくてよ、俺ぁ確かにデルフロスにいたのは間違いねえんだが、ここってクローナハじゃねーんだよな?」
「ああ、大陸の反対側と言ってもいい、距離にすれば数千キロは離れてるだろうな」
その言葉に少年が唖然とする。
「ちょ、冗談だろ、何でそんな離れた所にいんだよ俺、訳わかんねぇよ……」
「少年、お前はこのグリムゼールから二十キロほど離れた平原に倒れておったのだが、覚えてはいないのか?」
「お、覚えてねーよ! な、何で俺そんな所に……、また誰かに拉致られて捨てられたんかよ」
さらに混乱する少年に、ウィリアムは顎に手をやり、何かを考えながらさらに言葉を続ける。
「ふむ、理由はわからんが、お前は何らかの力でデルフロスから、このアインベックの平原にまで飛ばされてきたという事なのだな?」
「と、飛ばされたって、何だよそれ? おっさん何か知ってんのかよ!」
「わしが知るものかよ、だがこの世界ではそういった不思議な事が多々あるのだろうとは思っておる、何が起こってももうあまり驚かなくなってきとるわ」
豪快に笑うウィリアムとは対照的に、少年は先ほどのウィリアムの言葉に何かを思うようだった、そして怪訝な目を向け話しかける。
「なぁ、あんた何者なんだよ?」
「人にモノを尋ねる時はまず自分から自己紹介するものだ、違うか少年」
言われた少年は顔を歪め、頭を掻いてから自己紹介を始める。
「俺の名前は出雲景虎十五歳、生まれも育ちも日本だ」
「イズモカゲトラ、ニホン……」
「いや、まあ日本っつってもわかんねーかもしんねーけどよ、嘘は言ってねぇからよ、まぁ信じてもらえるかわかんねーが俺ぁこの世界の……」
「やはり少年は日本人だったのか」
言ったウィリアムの言葉に少年が驚いたような表情を見せる。
そしてゴクリと息を飲み、ウィリアムに恐る恐るといった感じで聞き返してくる。
「お、おっさん、今なんつった!」
「少年は日本人だったのかと言ったのだがな、まぁ少年の着ていた学生服を見てそうではないかとは思ってはいたのだが、当たったようだな」
「おっさん! あんた何者なんだよ!」
少年はベッドから勢いよく飛び出し、ウィリアムの眼前にまで顔を近づける。
「落ち着け少年、まずは順に説明していこうではないか、まぁ座れ」
ウィリアムに諭され景虎と名乗った少年はゆっくりとベッドに座る。
だがその顔はまだ驚きの表情のままだった、ウィリアムはゴホンと一回咳をするとゆっくりと話し出す。
「わしの名前はウィリアム=クラウゼン、元アメリカ海兵隊の曹長だった者だ」
言った言葉に景虎と呼ばれた少年は再び驚きの表情を見せる。
「あ、アメリカって! あ、あんたアメリカ人なのか!」
「ああ、元は、と言うべきかの」
「あ、あんたもこの変な世界に来たってぇのか!」
「ああ、わしがきたのは三十年も昔だがな」
「三十年前だあ?!」
驚く景虎にウィリアムはガハハと大笑いをして、話を続ける。
「景虎、と言ったか? お前はいつこっちの世界に来たんだ?」
「え、えっと、半年前くらい……かな、あんま詳しくは覚えてねーけど」
「ほお、最近なのだな」
「ちょ、ちょちょ待て、ちょっと整理させてくれ!」
「まぁ驚くのも無理はないかもしれんな、ほれ水を飲め」
再び水を勢い良く飲む景虎だったが、その手は震え、水がコップからぼたぼたと零れ落ちていた。
「ぶはっ! い、いやすまねえ、まさか俺と同じようなのがいるとは思わなかったもんでよ、ああ、びっくりしたあ!」
「がははは! わしも驚いておるわ、まさかこの年になって元の世界の人間と出会う事になるとは思わなんだわ! 長生きはするもんだな!」
大声をあげて笑うウィリアムに、景虎もようやく落ち着きを取り戻し始めた。
「さて、まぁ話す事は色々とあるが、とりあえずまずは確認だけはしておこう、景虎と言ったな、お前の他に元の世界から来た者はいるか?」
「え? いや、俺も気付いた時にゃこっちにいたんだよ、他に誰か来たかどうかは知らねーが、俺は一人でこの世界に来たっぽい」
「そうか、なら捜索のような事は不要だな、もし他に仲間がいるようなら保護しようとは思っておったのだが」
そう言うとウィリアムは景虎のコップを取り、水を入れて喉を潤す。
そしてじっと見つめている景虎に向かい話を続ける。
「景虎、よければお前がこの世界に来てからの事を話してはくれんか?」
「あ? 何でよ?」
「興味がある、というのもあるが、お前はこの世界をどう見ているかというのを聞いておきたくてな、どうだ?」
「まぁ、別にたいしたもんでもねーけど、ってか話すんの苦手なんだよ俺ぁよ」
「構わん、景虎の好きなように話してみてくれ」
最初は難色を示していた景虎だったが、ウィリアムの真面目な顔を見て、すこしずつ話をしていく。
この世界にやってきてドラゴンに出会った事、そしてヴァイデン王国、クローナハ共和国で体験してきた事などをたどたどしく話をした。
それをじっくり聞いていたウィリアムは景虎を見つめ。
「中々凄い経験をしてきたようだな、景虎」
「ああ、この年で言うのもなんだがよ、一生分生きた気分だわ」
「確かにな……」
そう言うとウィリアムは景虎をじっと見つめながら何かを考える、しばらく何かを考えた後、少し緊張気味に景虎に話しかける。
「それで景虎、お前はこの後どうする気だ?」
「この後?」
「ああ、この後の事だ、何かアテはあるのか?」
問われた景虎は一瞬迷い、言葉を失う、クローナハで目的であった銀髪のフルヒトを殺す事には成功した、最後に言った言葉は気にはなったが、とにもかくにも倒す事には成功したのだ。
だが景虎はその後の事は考えていなかった、そして考え続け言葉に詰まる。
そんな景虎にウィリアムが緊張気味に言葉をかける。
「か、景虎、提案があるのだがよいか?」
「ん? 何だよ改まって、提案て何だよ? 言ってみてくれ」
「うむ、そのーだな、ごほん!……」
ベッドの上であぐらをかいて、真剣な顔でウィリアムの言葉を待つ景虎、一方のウィリアムは何やら恥かしそうに何度も空咳をしていた。
そして、ようやくにして景虎に向き合うと、真面目な顔で言い放つ。
「か、景虎お前……、わしの息子にならんか?」
「…………は?」
問われた景虎の目が点になった。
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