第三十五話 弱者の戦い
目の前に赤い色が広がっていく――。
フルヒトの作り出した光の剣に貫かれたステラの身体はゆっくりと、宙を舞っていた。
差し伸べても届かなかった景虎の手は空を切り、自身の無力さを再び呪う景虎は必死で声をかける。
「ステラ!」
空しく響く景虎の声、ようやくにして辿り着いたステラの身体は、血で赤く染まったものだった。
景虎の脳裏に浮かぶのはフリートラントでの悪夢、誰からも愛されたディアーナの死、あの時と同じ事がまた起こってしまうのかと恐怖する。
「ぁ……」
「!」
かすかに聞こえたステラの声、未だ命が奪われていない事に少しだけ安堵する景虎、見れば貫かれた場所は右肩寄り、ディアーナの時の様に拘束されていなかった分、心臓を貫かれるのを免れる事ができたのだろう。
しかしそれでも出血は酷く、このままではいずれ死ぬのは間違いなかった。
「誰か、誰か助けてくれよ! 誰かステラを助けてくれよ!」
必死に叫ぶ景虎だったが、返答する者は誰もいなかった。
フルヒトの放った光の塊によって吹き飛ばされ、多くは命を落とし、マリカとシモンも大怪我をして気を失っているままだった。
景虎の目に涙が溢れる、ステラを抱きしめ、必死で助かるように祈る事しか出来ない自分の無力さに悔しさが募る。
そんな時、景虎の頭に響く声、フライハイトが話しかけてくる。
『景虎、私がやってみよう』
「! できんのか、ステラを助けられんのか!」
『わからん、治癒は苦手ではあるが、だがフリートラントの時の人間とは違い、このエルフの傷は治せる可能性は僅かではある、やれるだけの事はしてみよう』
「頼む、助けてやってくれ! 頼む!」
『だがその間私はお前を助けてはやれない、それでもいいのか』
「ステラが助かりゃあ何でもいい! 頼む、助けてやってくれ!」
『わかった、私をエルフの傍に』
景虎は言われた通り紅い斧をステラの身体に置く、すると斧から治癒魔法の優しい光が放出され、ステラの身体を包んでいく。
それを見守る景虎の背後から、興味津々と言った言葉がかけられる。
「へぇ~、その斧そんな事ができるんだ、不思議~」
その言葉に景虎が反応する、立ち上がると憤怒の表情で声の人物フルヒトを睨む、そして拳を握り締め怒気を込めた言葉をなげかける。
「フルヒト、てめぇはぜってぇ死なす!」
「やれるの?」
返事をした瞬間動き出す景虎、武器は無く拳だけでの戦いではあったが、景虎は全力でフルヒトを殺しにかかる。
「うらああああああ!」
「よっと」
景虎の攻撃を嘲笑うかのように軽やかにかわすフルヒト、いつもの景虎ならばすぐさま体勢を整え攻撃を続けるのだが、今の景虎には判断力と呼ばれるものは存在していなかった。
フルヒトへの怒りだけが存在し、ただ殺したいという想いだけで埋め尽くされていた。
「殺す殺す殺す! てめぇだけは絶対に殺す!」
ただがむしゃらに拳を繰り出し、必死でフルヒトの影を追う。
一方のフルヒトはまるで鬼ごっこをしてるかのように楽しみながら逃げ、景虎の放つ拳をかわしていく。
「どうしたの? 全然当たらないよ?」
「黙れぇぇ!」
一際大きく振るった拳が再び空を切り、景虎はバランスを崩してそのまま倒れてしまう。
荒い呼吸、シードラゴンと戦ったばかりというのもあったろうが、景虎の体力は疲弊しきっていた。
両足に力が入らなくなっていく、何度も振るった拳は震え、意識も朦朧とし始めていた。
景虎は情けなさに涙が溢れてくる、ようやくにして見つけた仇敵に対し自分は殺すどころか傷一つつける事ができない。
「こんなんじゃ死んでった奴等に笑われちまうわな、生きてる奴等にもか」
手を握り締め、再びよろめく身体で立ち上がる景虎、目の前には余裕綽々といった風なフルヒトがいつもの憎たらしい笑みで見つめていた。
その時景虎は元の世界での喧嘩を思い出す、いつも相手は自分の事を見下していた、数を頼りに喧嘩をふっかけてきてはいつも自分をボロボロにしていた。
しかし、負けた事はなかった――。
景虎は思い出す、自分の喧嘩の流儀というものを、どんなに不利な状況でも勝ってきた自分流というものを。
そして次の瞬間、景虎の頭の中がすっと冷静になった。
よろめく身体でまっすぐフルヒトを見つめ、そして景虎は声をかける。
「おい、フルヒト……」
「ん? 何?」
「てめぇ、何かくせぇな……」
「ん?」
「ああくせぇ、てめぇ犬のクソの匂いがするわ、蠅集ってるようなやつのよー」
その言葉にフルヒトの笑みが一瞬止まる、景虎を見つめているその目は相変わらず冷たいものではあったが、表情は確かに変化してるのが見て取れた。
それを見た景虎は笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「てめぇクソ喰ってんじゃね? その腹ん中クソ詰まってんだろ? そういやてめぇの髪の毛銀色だったな、もしかしててめぇ銀蠅か?」
「…………」
「何だマジ銀蠅かよ、クソ喰ってっからんな臭ぇ匂いすんだな、ああくせぇ」
「……よ」
「あ? 聞こえねーぞ、ちゃんと声出して喋れよ銀蠅フルヒトくぅん」
「黙れよ」
フルヒトの顔から笑顔が消える、その目には今まで見た事もないような憤怒の表情が現れていた。
「しゃべんなよ、臭ぇ匂いがここまで届いてくんだよ、この銀バエ……」
「黙れって言ってんだろ!」
初めて怒気を含ませた声を出したフルヒト、杖を持つ手は強く握られ、どれほど怒っているかが見て取れた。
「黙れよ黙れよ黙れよ! 僕を侮辱するな!」
「まぁまぁ銀蠅フルヒト君落ち着こうや、後で美味そうなクソでも見つけてやっからよ」
「それ以上喋るなら殺すよ!」
フルヒトから初めて出た殺意の言葉、だが景虎はその言葉を待っていた。
精神攻撃は基本、元の世界で常に相手を挑発して冷静さを失わせるような事をしていた景虎の戦い方、こっちの世界に来て忘れていた、自分が生き残る為に使ってきた戦い方だ。
自分の領分に引き込んで戦う、たとえ汚いと罵られ様が、蔑まれようが、地べたに這いずろうが負けて全てを失うよりははるかにマシだと思っていた。
相手が正攻法で戦おうがそんなものは関係ない、とにかく相手を倒せばいいのだから、そう、勝つ為ならば何でもするのが弱者の戦い方だ。
これが俺の戦い方だ――。
「ああもうやめるわ銀蠅フルヒト君、あ! 悪ぃ悪ぃ、何かもう口癖になっちまったわ」
「……死ねよ」
小さく言葉を発したフルヒトは杖を振るう、作り出される光の剣、大切な人達を傷つけたものと同じものだ。
だが景虎はそれに恐怖も怒りを感じなかった。
「しょっぺえな、何だよそれ、結局てめぇのやる事ってそれしかないのな。ああつまんねーつまんねー、ほんとてめぇはクソだけ喰っとけよ銀蠅クンよぉ」
「死ねよおお!」
次の瞬間放たれた光の剣はよけた景虎の右腕をかすって地面に突き刺さる。
怒りのせいか、それとも景虎の威圧のせいか、狙いが逸れていた。
景虎の右腕から血が流れ激痛が襲う、だが景虎は笑みを浮かべると小馬鹿にしたようにフルヒトに言い放つ。
「この、ヘタクソ!」
「殺す、絶対殺す! 絶対殺すからな!」
フルヒトが再び光の剣を作ろうと杖を大きく振るったその瞬間を、景虎は見逃さなかった。
今出せる最速でフルヒトの元に駆け出す、距離は二十メートルほどだったが、景虎は最短距離で詰め、そして不意を突かれて驚くフルヒトの顔面に思いっきり拳を叩き付けた。
「があっ!」
吹き飛ぶフルヒト、油断があったのだろう、人間には自分に触れる事さえできないという油断。
だが景虎が一度フリートラントでフルヒトを殴っていた事を冷静に覚えていれば、この一撃はかわせたかもしれなかった。
だが景虎の挑発によって冷静さを失っていたフルヒトには効果抜群だった。
倒れるフルヒトに追い討ちをかけようとする景虎、だが続く拳はフルヒトには届かなかった。
杖を振るったフルヒトは瞬時に空に飛び、十メートルの高さにまで移動していたからだ。
追い討ちをかける事ができず悔しがる景虎、一方のフルヒトも顔面を殴られた痛みに苦悶の表情をみせていた。
「また……、やってくれたよね、ほんと何なんだよお前」
「てめーに教える事なんざ何もねぇよ銀蠅野郎、ぶんぶん飛びやがってほんとクソみてぇな奴だなてめぇは」
景虎の悪態にフルヒトは再び笑みを取り戻す、どうやら自分が景虎の挑発にひっかかったというのがわかったようだった。
「やられたよー、ほんとセコい手使うよね人間って」
「てめーに比べりゃどうって事ねえよクソ銀蠅」
「くくっ、ほんと必死で笑っちゃうよ、いいよ、もうここで終わりにしてあげるよ、もうお前の顔見たくないし」
言うとフルヒトは杖を振るい、再び光の塊のようなものを作り始める。
景虎は焦る、おそらくその光の塊は爆弾のようなものであろうと、避けるのはできるかもしれない、だが未だ生き残っているであろうマリカとシモン、そし治療中のステラが今度こそ消し飛ばされてしまうかもしれなかったからだ。
(考えろ、もう一度だ! どうすりゃあれを止めれるか考えろ!)
必死で考える景虎だったが、ジャンプで届くような位置にはいないフルヒトをどうすればいいのかわからなかった。
汗が滴り落ちる、空には光の塊が少しずつ大きくなっていく。
絶望的状況、だが景虎は諦めない、必死で何かできる事はないかと考え続けていたその時、頭にフライハイトの声が響く。
『景虎、エルフの傷の手当が終わった、少なくとももう出血はすまい』
「マジか!」
『だが生きれるかはエルフ次第だ、衰弱しきった今のままではどうなるか』
「大丈夫だ、あいつはしぶてぇからな、ほんとありがとうな!」
笑みを浮かべる景虎、後はフルヒトを倒すだけだった。
真上には楽しげに景虎を見下すフルヒト、恐らくやるならチャンスは一度だけだろう。
「糞ドラゴン、俺が合図したら俺の頭の中で考えた場所に瞬間移動できっか?」
『ああ、景虎の思考は認識できている』
「よし、なら一気にあの糞野郎を殺すぞ、いいな」
『了解だ』
確認と同時に走り出す景虎、それを逃がすまいとするフルヒトは卑下するように景虎を罵倒する。
「あははは、お前の方が虫みたいだよ、こそこそ動いちゃってさあ!」
「蠅に言われたかねぇよ!」
背中に殺意を受けながらも景虎は強気で反撃する、しかしさすがにもう挑発には乗らないフルヒト、満面の笑みを浮かべ、作り出した光の塊を景虎に向け放とうとしたその瞬間。
景虎はステラのいる場所に辿り着くと紅い斧を握りしめ、フルヒトに聞こえないように頭の中でフライハイトに命令する。
「フルヒトの所に俺を飛ばせぇ!」
『了解だ!』
瞬間、景虎の姿が消え、今まさに光の塊を投げようとしていたフルヒトの背後に現れる。
「!」
「くたばれ、このクソ銀髪!」
不意を突かれたフルヒトは逃げる事はできなかった。
景虎が力いっぱい振り下ろした紅い斧はフルヒトの肩に突き刺さり、そのままその身体を真っ二つにする。
「あが! お、お前なん……」
「しゃべんなボケがあ!」
二度目に振るわれた斧はフルヒトの首を切断する、おそらく普通の人間であったなら血のようなものが噴出たかもしれない、だがフルヒトの身体からは血は出なかった、さらに切断した身体には中身が無かった。
そう、まるで人形のような身体だった。
「あーあ、やられちゃった、ほんと君何なんだよ」
「てめぇこそ一体何なんだよ」
問う景虎にフルヒトは答えなかった。
そして、フルヒトの身体はまるで砂のように細かな粒子のようになって消えていく。
「今回は君の……、景虎って言ったっけ? 君の勝ちでいいよ」
「今回だあ? てめえはここで死ぬんだよ!」
景虎が再び斧を振るおうとした次の瞬間、光の塊がうねりを上げる。
「!」
「じゃあね、生きていたらまた遊ぼうね、景虎」
言うと最後まで残っていた首の部分も消えるフルヒト。
そして、残された光の塊が爆発する。
景虎に爆発の衝撃が襲いくる――――。
『くっ! せめて景虎だけでも!』
フライハイトは爆発に巻き込まれる寸前に瞬間移動の魔法を発動させる。
直後、大きな爆発が巻き起こる。
唯一それを見る事ができていた元海賊のファイサルは、何が起こったのかわからなかった。
ただそれを呆然と眺めるしかなかった――。
「何が……、起こったんや……」
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――とある平原――
荒れ果てたその平原は度々戦場になるような場所だった。
作物も育たないようなその場所には住む人もおらず、ただただ荒れるがままだった。
今その場所に、仰々しい馬車と共に黒い甲冑を来た騎士達が視察の為に訪れていた。
その中の一人の騎士が、平原に倒れている少年を見つける。
「将軍! 誰か倒れています!」
「こんな所にか? どこかの被災民か何かか?」
「かもしれません、ですがまあもう死んでるかもしれませんし一々構う事もないのではないでしょうか」
「そうもいくまい、生きているなら助けんとな」
言うと将軍と呼ばれたその人物は馬車から降り、その倒れていると言う少年の元へと歩み寄る。
警護の騎士達は将軍と呼ばれた人物の人柄のようなものを知っていたので、またかという感じでその後を着いて行く。
そして、その倒れている人物を見た将軍と呼ばれた人物の顔色が変わる。
触れて生きているのを確認すると騎士達にすぐさま命じる。
「すぐにこいつを馬車に運べ」
「は、はい!」
声色を上げた将軍に驚く騎士達は、すぐさまその倒れている少年を抱き起こすと馬車へと運んでいく。
「将軍、見た所この少年はかなりの重傷のようです、手当てをしても助かるかはどうか……」
「ならとっとと帝都に戻るぞ! 急げ!」
「は、はいっ!」
言うと将軍と呼ばれた人物は馬車に乗り、すぐさま帝都と呼ばれる場所へ戻るように御者に命じる。
馬車は走り出し、騎士達もそれに続くように馬を走らせる――。
海の章完です。




