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みみざる

リア充の中心で哀を叫ぶ(みみざる)

作者: みみざる

「あの、お客様……」

「あ、いや、その、ち、違うんですよ」

やばい。緊張で舌が回らない。

何か話さなければという焦りだけが膨らんで、肝心の内容を押し流していく。

脳内シミュレーションではあれだけ完璧に受け答えできていたのになぁ……。現実は情報量も懸案事項も多すぎて、俺のCPUの処理速度では追いつかないようだ。

えっと、何て言えばいいんだっけ……あ、そうだった。

「そう! ここで友人と待ち合わせをしているんですよ」

「はあ……」

――おい、何だよその目は。

友達ってアレでしょ。あんたの脳内にしか存在してないヤツでしょ――とでも言いたげな店員の視線にむっとしながらも、俺は込み上げてきた感情をぐっとこらえる。まあ、こらえるしかないんだが。ここで言い返せる奴は、そもそもこんな視線を向けられない。

訝しげな表情のまま、それでも店員は席まで案内してくれた。とりあえずは様子を見るようだ。この感じだと三十分ってとこだな。それ以上連れが現れなかったら追い出す算段だろう。

「ご注文はお連れ様が見えられてからで宜しいですね?」

明らかに歓迎していない様子で水だけ置いて、店員は厨房へ消えていった。

店内はやはりカップルだらけで、一人残された俺の居心地は最悪だ。爽やかなエアコンの冷気もここには届かないのか、俺の周りだけじめじめとした空気が流れている。何となく体が重い。体内に泥がたまっているような気分だった。

居心地の悪さを誤魔化そうと、俺は水を一口飲む。すっぱく感じたのは、ピッチャーに浮かんだレモンのせいだけではないだろう。

「うわっ。見ろよ、あれ。ボッチがいるぜ」

「怖いわぁ~。犯罪者じゃないよね?」

向かいの席にいたカップルが、俺に気づいてざわめいた。

うるせえよ、と心の中で毒づく。睨み返しそうになったが我慢した。こういうのは無視するに限る。ことを荒立ててしまうと、不利になるのはこっちだからな。泣く子と地頭とリア充様には逆立ちしたって勝てない。

――まったく、生きにくい世の中になったもんだ。

俺はもう一口水を含んだ。すっぱい。


♯♯♯


十数年前。国会にてある法律が可決された。

その名も『リア充特別法』。頭の悪そうな法名通り、リア充を特別扱いするというものだ。

主な内容は免税。例えばカップルで買い物をすると消費税が免除される。

それだけならまだよかった。現行の消費税十パーセントの差は大きいが、とはいえこれほどの惨状にはならなかっただろう。

世界をディストピアへと誘ったのは、資本主義という名の悪魔だった。

リア充特別法に目をつけた企業たちがリア充特需を狙い、一斉にリア充優遇サービスを開始したのである。


『カップルでご来店の方は減税価格より更に二十パーセントオフ!』

『リア充限定! お得なクーポン配信中!』

『男女ペアのお客様は入場料無料!』


――これらの企業努力は恋愛界にも大きな影響を及ぼし、同界隈に功利的恋愛という新たな概念を生んだ。

すなわち大して好きでない相手でも、金銭的優遇を受けられるのなら付き合ってもいいというムードが流れ始めたのだ。この風潮は純愛派の激しい攻撃に晒されながらも徐々に浸透し、やがて彼らをしのぐまでの勢力に成長した。

これによりカップルは激増した。ある恋愛研究家の統計によると、ここ数年で我が国のカップルの数は二倍近く増えたという。これほどの数値を記録したのは実に五十三年ぶりであり、また伸び率は戦後最高値だそうだ。

しかし、いくらカップルが生まれやすくなったとはいえ、皆がリア充になれるわけではない。

功利恋愛主義のおこぼれにすらあずかれなかった一部の者たちは、リア充優遇社会の下に差別や迫害を受け、苦しい生活を強いられた。リア充特別法は格差社会という名の本に、新たなページを加えてしまったのである。

とはいえ、しばらくは平穏な日々が続いた。

この格差社会の被差別民は、表だって文句を言うことはない。否、言うことができない。それができるのなら下層の生活をしていない。

リア充側もそれが分かっているから、差別の手を緩めることはなかった。彼らにとって下層民は、一方的に殴られてくれるサンドバックのようなものだったのだ。

そしてある日、サンドバックは爆発した。

日本人は我慢強い分、キレると想像を絶する行いに走る。アメリカンジョークにも『日本人には何をしてもいい。ただし、絶対に怒らせるな』というものがあるらしい。世界一の大国すらも恐れる怒りのパワー。それが今回、同じ民族に向けてバーストした。

我慢の限界の限界に達した下層民は、無差別にリア充を襲うテロリストへと変貌した。

テニスサークル襲撃。ファミレスへの放火。集団で行動するリア充に対抗するため、これらの凶行もまた集団で行われた。人は強大な敵に遭遇したとき団結する。皮肉なことに、彼らは協調性がなかったがために協調しなければならなくなったのだ。

一方で、このやり方に異を唱え、ボッチならボッチらしく最期までボッチを貫けというボッチ原理主義者が現れた。

彼ら原理主義者は一人でも簡単に作れ、ボタン一つで操れ、かつリア充を殲滅するに十分な火力を持つ武器――爆弾を使った。自爆テロである。多くの原理主義者が「リア充爆発しろ!」の掛け声とともに命を散らした。たまたまその場にいたカップルを巻き添えにして。

無論、リア充側も黙ってやられているわけではない。

即座に警察が動き、犯罪に手を染めた、あるいは染めようとした非リアたちを逮捕した。

また公安が過激な非リア系コミュニティを調査し、ブラックリストを制作。現在『おれら団』など十三の組織が登録され、常時動向を監視されている。

動いたのは国家権力だけではない。

リア充が大多数を占める社会もまた、ボッチへの迫害を強めた。

多くがテロリストと化してしまった今、ボッチは危険な存在として認識されている。ボッチを見たら犯罪者と思え――そんな空気が蔓延し、リア充たちによるボッチ狩りが行われるようになった。

企業も従来のリア充優遇政策に加え、『お一人様お断り』などのボッチ排斥運動を開始。これに気を悪くしたボッチたちは更なる凶行に走り……と、事態は悪化の一途をたどっている。

この状況下で一番迷惑を被っている存在は誰か。そんなの決まっている。

俺を含む穏健派のボッチだ。

一人でいるだけで社会からは犯罪者の嫌疑をかけられるわ、リア充狩りの標的にされるわ、もう散々だ。

その上過激派ボッチからは『リア充の圧政に立ち向かわない腰ぬけ』なんて後ろ指をさされたりするし。

――まったく、本当に生きにくい世の中になったもんだ。

周りは敵だらけ。家族すらも、ボッチの俺を腫れもののように扱う。

それでも何とか生きていられるのは――『生きられない』じゃなく『生きにくい』で済んでいるのは、きっとあいつらのお陰だろう。

――と、扉のベルが新たな客を知らせた。

「いらっしゃいませ。お客様はお一人様ですか?」

すかさず店員が応対する。俺の時とは違って否定されることを前提とした声音だ。

「いや、連れが先に来ているはずなんだけど」

店員の予想通り、彼はボッチでないことを告げた。

ちなみに彼がお一人様でないことは俺にも分かっていた。

それは彼のまとうオーラが明らかにリア充だからではなく――

「遅えよ、バカ」

――ヤツこそが俺が待っていた連れだからである。


♯♯♯


『ドゥヴァン=レクレ』とは武装探偵社の名だ。

過激化するボッチ犯罪に対抗するため、政府は審査をクリアした一部の企業に逮捕権を与えた。現在、認可を受けた民間の武装組織は全国に五十社ほどあるという。

こうした会社の社員はほとんどがリア充だが、稀に穏健派のボッチがスカウトされることもある。

目には目を、ボッチにはボッチを――同じボッチなら相手の行動を読みやすいし、例えばボッチたちが人質を取って立てこもり事件を起こした場合、交渉役はリア充よりもボッチの方がスムーズにいくのだ。

俺もそうした需要があって、ドゥヴァン=レクレで働いていた。

今日こんなリア充の巣窟に来ているのも仕事のため……ではなさそうだ。

「――で。なぜ待ち合わせがカフェなんだ?」

俺は目の前に座るイケメンに聞いた。言外に非難の意をこめて。仕事の話なら、探偵社のビルでよかったはずだ。

「え? そんなの決まってんじゃん」

だがヤツは悪びれることなく答える。

「俺がここのタルトを食べたいからだよ」

やれやれ、と俺はため息をついた。……まあ、どうせそんなことだろうと思ってはいたが。

このマイペースなイケメンはヒナセ。俺と同じドゥヴァン=レクレの社員だ。

もっとも俺との共通点はそれだけで、あとは真逆と言ってもいいほど違う。イケメンだし、リア充だし。あと頭もいいしな。

今日はジーパンに白シャツというラフな格好だが、飾り気のない服装な分素材のよさが引き立っていた。

一方の俺はスーツスタイル。真夏だというのにきっちりネクタイまで締めている。

ビジネスカジュアルが浸透したこのご時世にコレはない。店員さんが警戒するのも分かる。でも仕方ないじゃないか。よさそうな私服がなかったんだから。

「まあ、そんな顔しないで。何か奢るからさ」

脈絡もなくヒナセが言う。

どうやら俺の表情を読み違えたらしい。今のはただの自己嫌悪なんだが。

でもまあ、こいつのせいで気まずい思いをしたのも確かだ。ここは大人しく奢られておこう。

「じゃあ、遠慮なく」

「はいよ」

俺の同意を得ると、さっそくヒナセは店員を呼んだ。人好きのする笑顔を浮かべながら、テキパキと注文していく。

ヒナセのオーダーは白桃のタルトとアイスココアだった。甘党らしいチョイスだ。俺はさすがに真似できないので、飲み物はコーヒーにした。

「それで、何があった?」

注文の品が届くまでの間に、俺は本題に入る。

ヒナセは諜報を主な仕事としている社員だ。持ち前のコミュ力を生かして、方々から情報を集めてくる。そのヒナセから呼び出しがあったということは、テロリストどもに何か動きがあったということだろう。

「実は」

ヒナセは笑顔を強張らせて応じた。

「『おれら団』が動くようなんだ」

「何っ……」

面倒な名前が出て来た。

『おれら団』は、先ほどチラっと説明したとおり、公安がブラックリスト指定している国内最大級の過激派非リア系テロ組織だ。その構成員は百人を超えるという。

最大級の組織でも百人程度というところには同情を禁じ得ないが、それでも統制のとれた百人規模の集団というのは脅威。できれば関わりたくない相手である。

「今度この町で夏祭りがあるだろう? どうやらそこでテロを起こすようだ」

「……確かな情報なのか?」

無駄な質問だと思った。これまでヒナセが偽情報を持ってきたことはない。それでも聞かずにはいられなかった。

「間違いないよ。公安の友達から聞いたんだけど、傍受したみみざるのメールの中に、夏祭りでのテロを指示するものがあったらしい」

みみざるというのはおれら団のボスだ。本名は不明。構成員からそう呼ばれているので、俺たちも便宜上その呼び名を使っている。

「もちろん警察も動くみたいだけど、この町はわが社の管轄じゃん? テロリストが動くと聞いての傍観はないかなって」

俺は頷いた。あまり関わりたくない相手ではあるが、それでもこの町で騒ぐというなら話は別だ。

「社長の許可はとってある。通常業務に支障をきたさないなら何人でも使っていいってさ」

「そっか。……そういえば、社長はまだ放浪中なのか?」

「うん。今は比叡山だったかな。さっきラインに延暦寺の写真が貼られてた」

放浪癖のある社長のサワシマは、年に数日程度しか出社しない。あとの三百六十日は、世界中をぶらぶらと回りつつ、ラインで会社に指示を出していた。

「とりあえず俺たちは出るとして……あとはナカムラさんかな」

「ナカムラさん?」

聞いたことのない名だ。

「ああ、君はあったことがなかったね。ちょっと翳がある感じのきれいな女の子だよ」

女子と聞いて少し心が重くなる。俺のコミュ力で対応できるだろうか……。

でもまあ、野郎だけで夏祭りというのもアレだしな。

これも仕事だと割り切って、俺は心の曇りを振り払った。


♯♯♯


夏祭り当日。

俺は祭りの会場である町内の神社に来ていた。

服装は黒のジャージ。これはこれでどうなのかという気がしたが、テロリストと戦闘になる可能性を考えると動きやすい服の方がいい。まあ、スーツよりは浮かないはずだ。

待ち合わせ場所の鳥居に向かうと、同じく待ち合わせをしているのであろう一般客の中にヒナセの姿を見つけた。シンプルな紺の浴衣がよく似合っている。今日も憎たらしいほどのイケメンっぷりだ。

とすると、隣にいる白いワンピースの女がナカムラさんか。きれいだが、確かにどこか儚げな感じがする。風が吹けば飛ばされてしまいそうなほど細い体と病的なまでに白い肌が、より一層彼女を弱々しく見せていた。

「悪い、待たせたようだな」

「いや、こっちも今来たとこだよ」

遅れて合流した俺を、ヒナセはいつもと変わらない人好きのする笑顔で迎えた。

「さて、早速巡回に向かいたいところだけど……まずはお互いに紹介しないとだね」

ヒナセの言葉に、俺は一瞬体を震わせる。

自己紹介。それはコミュ障にとって難易度の高い試練である。

名前以外に、人に晒せる自分というものを俺は持っていない。趣味も、特技と呼べるようなものもなかった。休日に何をしているかなんてむしろ俺が聞きたい。いつも記憶にとどめるのも億劫なくらい下らないことで、俺は時間を浪費しているらしかった。

考えれば考えるほど、自分が空虚な人間だと思い知らされる。そりゃボッチにもなるよな、と自己紹介のたびに俺は自嘲していた。こんな人間と一緒にいて、楽しいはずがない。

幸い、今回俺が自分を貶めることはなかった。空気を読んだヒナセが間に入り、先に互いを紹介し合ってくれたのだ。

お陰で俺は「よろしくお願いします」の一言を言うだけで済んだ。まったく、どこまでも気の利くイケメンである。こいつには一生敵わないだろう。

対するナカムラさんもよろしくの一言で自己紹介を終えた。見た目通りのか細い声。こんな女の子がテロリスト相手に戦えるのかと、俺は少し不安になった。

――まあ、ヒナセが選んだ人材だし、大丈夫か。

自己紹介の肩代わりにも見て取れる通り、ヒナセは他人に無茶をさせようとはしない。ナカムラさんはともかく、ヒナセの采配は信じられる。

「よし、じゃあ巡回を始めようか」

ヒナセの号令に従って、俺たちは参道を歩き始めた。


♯♯♯


予想はしていたが、祭りは多くのリア充で賑わっていた。

どこを見てもカップル、カップル、カップル。

一人でいるのは屋台のおじさんくらいだが、彼だって家に帰れば妻子が待っているだろう。

……嫌な空気だ。

呼吸がつらい。いつぞやのカフェでの待ち時間より、ずっと体が重く感じられた。

そんな俺の少し先を、二人は悠然と歩いている。

ヒナセは当然として、意外なのはナカムラさんだ。弱々しい外見とは裏腹に、彼女の歩調は力強かった。物理的にはともかく、精神的には、俺なんかよりナカムラさんの方が何倍も強そうだ。

ふと、ヒナセが足を止めた。

「ごめん、電話が来たみたい」

俺たちに断わって浴衣の袂から震えるスマートフォンを取り出すと、ヒナセは誰かと話し始めた。俺とナカムラさんは黙って見守る。

言葉を重ねるごとに、ヒナセの表情は曇っていった。どうやら悪い知らせのようだ。

最後にお礼を言って電話を切ると、ヒナセは俺たちの方を向いて言った。

「悪い知らせだ」

やはりそうだったか。俺は顔をしかめる。

ヒナセによると、さっきの電話は公安の友達からで、この祭りには『おれら団』の他に複数の反社会的な武装勢力が紛れこんでいるとのことだった。非リア系のテロ組織だけでなく、ボッチ狩りを行うリア充チームもいるらしい。

とにかく対処すべき敵の数が多すぎて現状の戦力だけでは対処できないので、俺たちにも手伝って欲しいという救援要請だったそうだ。

「それで、これからのことだが――」

ヒナセは深刻な面持ちで続ける。

「三手に分かれようと思う。俺はボッチ狩りのチームに当たる。ナカムラさんは東の森に潜んだテロ組織を叩いてくれ」

ナカムラさんは軽くうなずくと、早くも踵を返して歩き始めた。

変わらず堂々と歩く彼女の背中は、少しも弱さを感じさせない。第一印象が誤りであったことに、俺は改めて気づかされた。

残った俺にヒナセの指示が飛ぶ。

「君は観音堂に向かってくれ。爆弾を持った原理主義者が立てこもっているらしい」

「説得役か。了解!」

俺も一度だけ力強く頷くと、観音堂に向かって走り出した。

嫌な空気は、いつのまにか晴れていた。


♯♯♯


公安のトモダくんが言っていた通りの場所に、彼らはいた。

「うっわ、マジうけるんですけど。キョドりすぎだし」

「ホント、ホント。やっべぇ、腹痛え」

いかにもな感じの柄の悪そうな男たちが、こちらもいかにもな感じの気弱そうな少年を指さして笑っている。

どうやら祭り慣れしていない少年を無理矢理つれてきて、彼がとりみだす様を愉しんでいるらしい。

彼らの手には金属バットや角材などの鈍器が握られていた。おそらく少年をからかうのに飽きたら、肉体的に痛めつけるつもりなのだろう。

ボッチを劣等種属だとする風潮が、リア充の間には流れていた。

ボッチは子孫を残さない。ゆえに生物種としての人間の繁栄に貢献しない。また、ボッチはコミュニケーション能力にも長けていない。すなわち社会の繁栄にも貢献しにくい。だから奴らには存在価値がない。

ボッチ狩りはそういった劣等種を間引くための当然の行いだと、決まってリア充チームの連中は言った。

連中が吐く正義とやらには吐き気を覚える。それは多分、ある種の自己嫌悪も含まれているのだろう。

少年をあざ笑う集団にかつての自分が重なって、俺は何ともしがたい衝動に襲われた。

――コロセ。

自分だけに語りかける声を聞いたような気がした。

もし俺が探偵社の人間でなければ、その囁きにしたがっていたかもしれない。全身を彼らの血で汚す自分の姿は容易に思い描くことができる。

俺を思い留まらせたのは、社長の顔だった。あの人に迷惑をかけることはできない。

――今頃何してんのかな、あの人は。

この時間なら、もうどこかの宿にいるだろう。とすると部屋でゲームかな。社長は放浪人であると同時に、廃人級のゲーマーなのだ。

次に浮かんできたのはとある友人の顔。俺にボッチの何たるかを教えてくれた人の顔。

彼は今頃観音堂でテロリストの相手をしているはずだ。

――なら、俺も頑張らなくちゃね。

深呼吸をして気持ちを落ち着けると、俺は目標に近づいた。

「あ? 何だお前」

俺に気づいた連中の一人が、警戒心を露わにして言った。

「うーん。何とも言い難いんだけど、とりあえずこれだけは間違いない」

俺は普段通りの笑顔を浮かべて返す。

「俺は君たちの敵だ」

予想以上に低い声が出て驚いた。――いけない、いけない。冷静になるんだ俺。

「敵? そうは見えないけどな」

「うん、うん。お兄さん、どう見てもリア充っしょ」

漏れ出た殺気には気づかなかったらしい。

連中は俺の容姿を確認して、少し警戒を解いたようだ。

「まあリア充であることは否定しないけど。でも、君たちの敵であることも否定しない」

――意図して明るくふるまうのがこんなにも難しかったとは。

以前あいつの言っていたことが、今なら少し分かる。もっとも、分かると言っても嫌な顔をされるだけだろうけど。

世界が少し広がった気がする。神経の昂りを感じながら俺は続けた。

「なぜなら、俺は本物のリア充だからだ。君たちのようなエセリア充とは違う」

「……あ?」

連中の表情が最初のそれに戻った。

なおも俺は彼らを挑発する。

「君たちは自分の弱さから目を背けたいだけだろう? ボッチを蔑むことで、自分が高尚な生き物になったと勘違いしたいだけだろう? そんなのはリア充とは言わない」

ようやく連中も、俺の意図に気づいたようだ。

――だから最初から言っているだろう。俺は君たちの敵だと。

彼らの武器を握りしめる力が強まっていくのを見ながら、俺は宣戦布告の文言を告げる。

「貴様らはただのクズだ。来いよ。本物のリア充を見せてやる」


♯♯♯


森の中の人影をあたしは捕えた。

全部で三人。武装は爆弾のようだ。

一歩一歩踏みしめながら、あたしは彼らに近づく。

思った通り、すぐ彼らに見つかった。暗い森の中、白のワンピースを着た私を見逃すはずがない。

「……誰だ?」

 警戒よりも恐怖を含んだ声音。

 その言葉を無視して私は言った。

「ねえ、あなたはあたしを愛してくれる?」

突発的な問いかけに、彼らは虚を突かれたようだ。

全員があたしを見つめたままぽかんと固まっている。

――そりゃ、いきなりじゃ驚くわよね。

あたしはもう一度チャンスを与えることにした。

「あなたはあたしを愛してくれる? あたし何でもするわ。あなたが望むとおりになるわ。あなたが他のひとを好きになるならそれでもいい。たまにでいいの。たまに思い出したときでいいから、あたしにも好きだって言ってくれる?」

言い終わると、あたりを静寂が支配した。

誰も口を開こうとしない。異質なものを見るまなざしだけが、豪雨のような激しさであたしに降り注いだ。もう何度も繰り返した光景だ。

――この静けさを破るのは、いつだってあたし。

「あ……あははははははははっ!」

笑い声とともに、あたしの世界が崩れていく。

 隠し持っていた包丁で手前にいた男を切りつけながら、あたしは叫ぶ。

「やっぱりそうじゃない! 愛する勇気なんてないんじゃない! そのくせ一人が嫌だなんて笑わせるわ!」

男たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

あたしは追いかけながら、なおも叫ぶ。

「あたしの愛は重いですって? 愛って重いものでしょう? 軽い気持ちで人を愛せるというの?」

前を走っていた一人が倒れる。最初に切りつけた男。

彼は震える血まみれの手で爆弾のスイッチを握りしめながら、言う。

「く、来るな! 来たらスイッチを押すぞ!」

一歩一歩踏みしめながら、あたしは近づく。

「お、おい! 俺は本気だぞ!」

「あたしだって本気よ?」

男の体がびくっと震える。

「あたしね、あたしを思ってくれる人となら死んだっていいの。あなたはどう? あたしと一緒に死んでくれる?」

「あ……ああ……」

一瞬肯定かと思ったが、ただのうめき声だったようだ。

その声を最後に、男は気を失った。

股間を濡らしながら無様に転がる彼の姿を見て、あたしは世界を取り戻す。

その瞬間、視界が滲んだ。

慰めてくれる者など誰もいないことを知っていながら、あたしは泣き声を上げた。


♯♯♯


観音堂のまわりは大騒ぎだった。

キープ・アウトの黄色いテープにそって、野次馬がびっちりと並んでいる。

警官が離れるよう促しているが、効果は薄いようだ。

そもそも警官の数が少ない。テープの四隅を守る人員を除いて、動けるのはわずか三人だ。おそらく他の人たちは『おれら団』の対処に追われているのだろう。

「す、すみません……」

野次馬の群れをかき分けながら、何とか俺はテープをくぐった。

「ちょっと! 困ります!」

俺を見咎めた警官が駆けつけてくる。

「いえ、その……え、援軍です」

自らのコミュ力のなさを呪った。もっと言い方はあっただろうに……。

幸いにも警察の方々は俺のたたずまいとこの一言で察してくれた。比率は多分前者の方が大きいと思われる。

「あ、交渉役の方ですか。よろしくお願いします」

促されるがまま、俺は観音堂に近づいた。

観音堂は年季の入った木製の建物で、少し体重をかけただけで階段は音を立てる。

「誰だっ?」

すかさず、中から反応があった。

「あ、あの、あなたとお話に来ました」

言っていて恥ずかしくなった。何を言っているんだ、俺は。

救いがあるとすれば、野次馬のざわめきや祭りの喧騒のお陰で、この声が彼らに届かないということだ。警官たちも万一のことを警戒してか、随分と離れたところに陣取っていた。

「……話すことなんかねぇよ」

しばらくして、立てこもり男の声が聞こえた。

否定的な言葉だが、言い方に棘はない。さっきのどもりで俺が同族だと分かり、男は幾分か警戒を解いたようだった。

「そんなこと言わずに、話しましょうよ」

俺は続ける。

「あなただって話したいことがあるんでしょう?」

また少しの間をおいてから声が聞こえた。

「……そんなことねぇよ」

「ありますよ」

「ねぇよ」

今度は素早い反応。男がこちらのペースにのってきた証だ。

「じゃあ、なぜ立てこもったりしたんです?」

俺は説得を次の段階に進めた。

「さっさとスイッチを押して、リア充もろとも爆死すればよかったじゃないですか」

再び沈黙。今度は長い沈黙だった。

辛抱強く待つと、やがて男は言った。

「……死ぬのが嫌になったんだ」

自嘲じみた調子で彼は続ける。

「おかしな話だよな。生きていても仕方ないってのに」

なぜだか、男が今どんな表情をしているのか俺には分かった。顔も知らない相手の、表情だけが伝わってきたのだ。

同時に、新たな感情が芽生えた。

同情のようで、同情のように見下ろしてはいない。それでいて真っ直ぐ相手に届いている。

初めて感じた名前も分からない心に乗せて、俺は言葉を発した。

「あなたは多分、命を賭けるものを間違ったんですよ」

 漠然とした問いかけだったのに、ピンポイントで届いた感触がある。

 その証拠に、ほどなくして声が返ってきた。

「だったら、俺は何のために生きればよかったんだ?」

「さあ……それは分かりません」

「じゃあ、あんたは何に命を賭けてんだ?」

「それは……」

答えながら、俺は昔のことを思い出していた。

前にも同じ質問をしてきた奴がいた。

――あいつは今頃派手に暴れているんだろうな。

普段は穏やかなのに、荒事となると途端に戦闘狂と化す友人の顔を浮かべながら、俺は言った。

「俺は、自分に命を賭けています」

相手が絶句するのが分かった。

予想していたことなので、構わず続ける。

「俺は誰かのために生きられるほど強い人間じゃないんです。強がることすらできないやつなんです」

改めて自分に言い聞かせるため、俺は力強く言った。

「だから、そんな弱い自分を一生かけて強くしていきたいんです」

答える声はなかった。

代わりに、ゆっくりと観音堂の扉が開く。

短い階段を一段一段降りながら男は言った。

「俺も、あんたみたいに強くなりたいよ」

自分が強いとは思えなかったが、その言葉がまた俺を強くしたような気がした。


♯♯♯


結果として、何事もなく祭りは終わった。

ヒナセはリア充グループメンバーを全員病院送りにしたらしい。やりすぎじゃないかという声もあったが、十分手加減した方だということを俺は知っている。

ナカムラさんも無事テロリストを撃退したらしい。三人中二人は逃したみたいだけど、あの小柄な彼女が武装した男一人を拘束したのだ。十分賞賛に値しよう。一つ気になったのは、帰りに見かけた彼女が目を腫らしていたこと。何か悲しいことでもあったんだろうか。

俺も結果的に犯人を説得できたということで、その場にいた警察官からはいたく感謝された。

今日も何とかこの町は平和である。


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