二回目の思索
「やっぱり俺たちで犯人を突き止めましょう」
守口くんが、強く言った。その声には激しい怒りが帯びているように思えた。
「とてもじゃないですけど、今の状態じゃ安心して夜を明かせませんよ。二人も殺した犯人が、三人目に手をかけない保証なんてどこにもないですからね」
その言葉は、リビングに鈍く響いた。
全員が守口くんの意見に賛成する。
もちろん私も賛成だ。このまま明日まで何もせず待っているなんてことは出来そうにない。それに、磯前くんが殺されたということは、考える材料が増えたということだ。
「で、まず考えたんですけど……」守口くんが立ち上がりながら言った。「俺、死体を調べてきます。もう、現場の保存とか悠長なこと言ってられる状況でもないと思うし」
浦川先輩が腕組みした。
「構わないが……素人の俺たちが見て、何か分かるかな」
「調べないよりマシでしょう。それにね。俺、こう見えて刑事ドラマとかよく見るんですよ。検死のシーンとかあるでしょ。まあ、しょせんはドラマ知識なんで何も分からないかもしれませんけど……もう、このまま何もせずにはいられませんよ」
守口くんはそう言うと、拳を握りしめて力こぶを作った。
「そうだな……よし、俺も行こう。推理小説の知識が役に立たないとも限らないしな」
と、浦川先輩も立ち上がった。
二人はリビングを出て行く。
リビングに取り残された私たちを包み込む雰囲気は、いっそうぴりぴりした。
それはそうだろう。
磯前くんが殺されたばかりか、来ると信じていた警察さえ明日まで来ないというのだ。このまま私たちは皆殺しにされるのではないかという不安が、濃厚に漂っているのが分かった。率直に言えば怖かった。ここでじっとしているが怖くてたまらなかった。かと言って、ここで何か言う気にもなれずにいた。私が苦し紛れに発した言葉など、重い雰囲気に吸い込まれて消えてしまいそうだった。
磯前くんはどうやって殺されたのだろう。頭の下に血が広がっていたから、後ろから殴られたりしたのだろうか。それも二人が戻ってくれば分かることだ。
案外、ちょっとしたことで犯人が分かってしまうかもしれない。何しろ、もう二人まで絞り込めているのだから。静香かヨシさんか……どちらが犯人なのだろう。
十分ほどして、二人がリビングに戻ってきた。流石に二人とも疲れた顔をしている。死体が二つもある部屋で調査をしてきたのだから、げっそりもするだろうなと思った。
守口くんがため息をつきながら、どっかりとソファに腰をおろす。
ひとまず「お疲れ様」と声をかけた。
「偉そうなこと言っちゃった割には、大したことは分からなかったんですけどね。まあ、たかが知れてたと言われればそうなんですが……」と守口くんは言う。
「とりあえず、何が分かったか教えろよ」綱木くんが小さな身体を乗り出して言う。「大したことじゃなくても、犯人に繋がる情報はあるかもしれないだろ」
守口くんは少し言いよどんだ後、綱木くんとは対照的な大きい身体を反らせて咳払いした。
「……まず、磯前の死体ですけど……」守口くんは自分のうなじの上あたりを指さした。「磯前のここらへん――後頭部には、何かで強く殴られたような傷がありました。傷口を見るに、鉈で殴られたんだと思います」
成る程、と私は納得した。磯前くんの頭の下に血が滲んでいるのが見えたからそうじゃないかとは思っていたけど、やっぱりそうだったのか。
「じゃあ、磯前は後ろから鉈で殴られて死んだってわけか」綱木くんが訊く。
「いや……」守口くんはかぶりを振った。「死因は、どうやら窒息死みたいでした。死斑が広範囲に広がってましたし、色も明るかったんで。しかも、首んとこにはうっすらと手の痕がありました。つまり磯前は――」
守口くんは両手を前に出した。
「こう、手で絞め殺されたんですよ」
私は尋ねた。
「手で絞められたってことは、手の痕とかで犯人が特定できないの?」
「流石にそこまでハッキリとは残ってませんでしたからね。指紋とかも拭き取ってるでしょう」
「後頭部に傷があったけど、死因は窒息死、か……」綱木くんが顎に手をやりながら呟く。
守口くんが、その呟きに答えるように言った。
「きっと犯人は、まず磯前を後ろから鉈で殴りつけたんです。そこで磯前がどれぐらい大きなダメージを受けたのかは分かりません。脳震盪でも起こしてまともに動けなくなったか、あるいは完全に気を失ってしまったか……とにかくそれだけじゃ死ななかったんです。確実に殺す必要があった犯人は、磯前の首を絞めて完全に息の根を止めた。そういうことだと思います」
「ちょっと待ってよ」私は言った。「確実に殺すためって言うけど、犯人は、直子のときには首を切ったわけじゃない。どうして直子のときは首を切ったのに、今回は首を絞めたの? 『確実に殺す』っていう目的は一緒でしょ」
「犯人としても、首を切断するのは最終手段だったんじゃないかと思う」と答えてくれたのは浦川先輩だった。「いくら対策したって返り血を浴びる危険がゼロになるわけじゃないし、何より残酷すぎる。だから、犯人も出来ることなら首切りなんて避けたかったんだ。しかし手で絞め殺すのは、鉈で首を切断するのに比べて遥かに時間がかかるんだよ。鉈で首を撥ねるのは一瞬で済むけど、絞殺するのは十分から十五分かかるらしいからな。北森のときは『私服に着替えるため』という名目でみんなと別れている間に犯行を終える必要があった。十五分もかけていたら怪しまれないはずがない。だから犯人は、やむを得ず首を切断したんだ。それに引き換え今回は、警察が来るまでの間それぞれ部屋で休むことになっていただろ。犯人は、それなら十五分ぐらい平気だろうと考えたんだと思う」
それを聞くと、少しだけ安心した。二人も仲間を殺した犯人も、いちおう血が通っているのだなと思えた。
「磯前のことで分かったのはそれだけですか? たとえば死亡推定時刻とかはどうです」綱木くんが訊いた。
「ちゃんとした死亡推定時刻は分からない。ただ、さっき守口が言った通り、既に死斑が出ていた。確か、死斑は二十分ぐらい経たなきゃ出現しない。つまり、少なくとも磯前は二十分前には死んでいたんだ。俺たちがリビングに居たのは六時半までだから、磯前が死んだのは六時半から七時四十分までの間ってことになる」
「成る程。その他には?」綱木くんが訊いた。
「その他に分かったことといえば、そうだな。傷の位置的に、磯前を殴った犯人はそれほど背が高くない人物だと考えられるってことぐらいか。けど、まあ……」浦川先輩は、静香とヨシさんに目をやった。「二人ともその範疇だな。その他には外傷もなかったし……」
けっきょく犯人の手掛かりにはならないのか、と私はため息をついた。
じれったそうにしていた静香が「直子のことは何か分かったの?」と訊いた。
「いや、北森先輩に関してはほとんど何も」守口くんは頭を掻いた。「まあ、見た目通りだと思います。鉈で額を殴られて気絶もしくは死亡、その後に首を切断される……で間違いないでしょう」
私は訊いた。
「鉈で額を殴られたときに死んだのかどうかは分からなかったの?」
守口くんは面目なさげに、
「流石にそこまではよく分からなくて……。生活反応とかも、見ただけじゃ分からなかったし」
「生活反応って……ああ、外傷が生前のものか死後のものか分かっちゃうっていうやつね」
「ああ、よく知ってますね。そう、それです。俺も言葉の意味だけは知ってるんですけど、何をどう見たらそれが分かるかはさっぱりでして」
守口くんは苦虫を噛み潰したような顔でそう言った。
生活反応、か。直子が死んだのは鉈で殴られたときなのか、首を切断されたときなのか――ということは、そんなに重要なんだろうか。私にはどうでもいいことのように思えた。
浦川先輩はソファに腰かけながら言った。
「分からなかったことは仕方がないさ」
先輩は難しい顔で顎を撫でた。しばらくして言った。
「現場は北森の部屋で間違いないな」
私は尋ねた。
「他の場所で殺された磯前くんの死体が直子の部屋に運び込まれた、という可能性はないんですか」
「犯行には鉈が使用されたんだ。他の場所で殺したんだとすれば、犯人はわざわざ北森の部屋に鉈を取りに行ったことになる。それはちょっと不自然だろう」
「あっ、そうか……」
「だから現場はあそこに違いないと思うんだ。ただ……となると、そもそも磯前はどうしてそんなところに居たのかって話になるよな」
言われてみれば、どうしてだろう。
浦川先輩は続けた。
「俺は、磯前は何かを掴んだんじゃないかと思うんだ。それを確かめに北森の部屋に行ったらところを、証拠を隠滅しようとしていた犯人に殺されたんじゃないか」
「磯前が何かを掴んだ?」守口くんは目を剥いた。「いったい、何を……」
浦川先輩は肩をすくめた。
「それが分かれば真相は明らかになるんじゃないかと思ってるんだが……分からないな」
少しの沈黙があった。
磯前くんは何を掴んだのだろう。考えても分かりそうにない。
私は訊いた。
「みんな、浦川先輩に呼ばれるまで自分の部屋に一人で居たんですか?」
全員がゆっくりと顎を引く。
今回は誰にもアリバイがないということか。
「そういえば、守口」綱木くんが思い出したように言った。「お前の部屋、直子の部屋の隣だろ。何か物音は聞こえてこなかったのかよ」
守口くんはかぶりを振った。
「すいません俺、寝ちゃってて……特に何も聞いてないんですけど」
「まあ、仕方ないよ」静香がため息をついた。「防音はしっかりしてるから、ここ。起きてたとしてもちょっとやそっとの音は聞こえないと思うわ」
ちっ、と綱木くんは舌を打った。
磯前くんは直子の部屋で事件に関する何かを掴んだ。それを見た犯人は、鉈で磯前くんを背後から、鉈で殴りつけた。トドメを刺すために首を絞めて、殺害。聞いてみると、凄く単純だ。でも、単純なだけに推理の糸口が見つからない。足を捻挫している静香でも、このぐらいなら可能だろう。静香に出来ることがヨシさんに出来ないはずがなく、犯人を限定する手掛かりはないと言わざるを得ない。動機的に怪しいのはやっぱり静香だけど、何か決め手があるわけではない。
……いや、待てよ。
磯前くんが直子の部屋に居たのは、事件について調べるためだろう。じゃあ『犯人は』何故、直子の部屋に行ったのだろうか。考えてみたら、犯人には直子の部屋に行く必要がないのだ。犯人だって、警察が来るまで自室でじっとしているのが普通のはずだ。
犯人には、現場に戻らなければならない理由があったのだろうか?
たとえば、どうしても隠滅しなければならない証拠でもあったのかもしれない。そのために現場に戻ったんだ。そして、磯前くんはその証拠を掴んだんだ。だから口封じのために犯人は後ろから鉈で……。
私は肩を落とした。もしそうだとしら、その証拠は既に消されてしまったことになる。
何かの手掛かりには、なりそうもない。
「くそっ」守口くんが荒々しく壁を殴った。「けっきょくまた、手詰まりなのかよ。明日まで待たなきゃならないっていうのかよ」
静香の鋭い目線は、相変わらずヨシさんを捉えている。
そのヨシさんの目は、もうどこを見ているのかもよく分からない。
綱木くんは苛立たしげに貧乏ゆすりをしていた。やはりまだ体調が万全でないらしく、ときどきクシャミをしている。
浦川先輩は腕を組んだまま巌しい顔を崩さない。
「……明日の朝まで、こうしてようか」浦川先輩は言った。「そうすれば、少なくともこれ以上、誰かが死ぬことはない」
確かにそうだ。流石に全員が揃っている状況では、犯人は何も出来ないだろう。
「嫌ですよ。そんなの」と、静香が吐き捨てる。「このまま朝まで殺人犯と一緒の部屋だなんて、頭おかしくなりそう」
その目がヨシさんに向いているのは、もう見るまでもない。
「でも、バラバラになったらまた誰かが殺されるんじゃ」と、私は言った。
静香は大義そうに息を吐いた。
「みんな自分の部屋から出なければいいでしょ。しっかり鍵をかけてれば大丈夫だよ」
「だな。俺もそうしたいね」と、綱木くんも賛同する。
確かに、このままここで徹夜というのもきつい。こんな空気の中にいつまでも居たら、私も頭がどうにかなってしまいそうだ。
「じゃあ、そうするか」浦川先輩はさして不満気でもなさそうに言った。「ただ……」
「ただ?」私は訊いた。
「アレだけは何とかしておかないと、な」
そう言って、浦川先輩はリビングを出て行った。
しばらくして戻ってきた先輩の手にあったのは……マスターキーだった。
すっかり忘れていた。マスターキーは今、誰でも持ち出せる状態だったんだ。これではいくら鍵をかけても安心なんかできっこない。
「それ、どうするんですか」守口くんが訊いた。
浦川先輩は暖炉を顎で示す。
「燃やすんですか」今度は静香が訊いた。
ああ、と浦川先輩は答え、鍵を暖炉の中に投げ入れた。さらにその上から丸めた新聞紙を入れて、新たに薪を投入する。炎はよく燃えた。
浦川先輩は言った。
「よし。これで簡単には鍵に手を出せないし、よしんば火を消して鍵を取り出したとしても、熱で変形して使えなくなってるだろう」
私はほっと胸を撫で下ろした。
これで自分の部屋の鍵を開けられるのは、自分の鍵だけになったわけだ。安心して部屋で休める。
「じゃあ、あたしは部屋で休ませてもらいます。明日、警察が来たらまた」
そう言って、静香は捻挫した足を重そうに引きずりながら、リビングを出て行った。ヨシさんも、逃げるようにリビングを後にする。
容疑者である二人がいなくなると、何だか少しだけ空気の重さが和らいだような気がした。と同時に、押さえつけていた疲労が解き放たれて、全身が重くなった。
「俺らも……自分の部屋に戻ろうか」
浦川先輩がそう言った。
彼にそう言ってもらえると、何も考えなくてもいい許可を得たような気分になる。
私たちは、再び自室へ戻った。
明日まで何も起こらないことを信じて。




