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第二の悲劇

 重苦しい風の音と、雪が窓を叩く音が、部屋の中を満たしている。

 部屋に戻ってきたものの、特にすることなんかなかった。

 こうしてベッドに横たわっていると、全身がずぶずぶと疲労の海に沈んでいく。なら眠ってしまおうかとも思ったけど、目が冴えてしまって叶わなかった。かと言って、起きて何かをする気力はない。 

 ことの異様さばかりに気を取られていたが、こうして一呼吸ついてみると、押し寄せてくるのは虚無感だった。

 直子はもういない。私たちとスキーをして、笑い合った彼女は、もう永遠に戻ってこないのだ。

 不思議と涙は出てこなかった。悲しみは頭の中を溢れんばかりに駆け巡っているいるものの、それ以上に虚無感があった。ただ何かが無いという感覚。胸に穴が空くというのは、こんな状態のことを言うんだろうなと、ぼんやり思う。

 ため息ばかりがこぼれ落ちていた。

 誰のせいでこんな思いをするはめになった? そいつはどうして直子を殺した? どうやって殺した?

 そんな疑問が、頭の中をぐるぐる回る。けっきょく、事件のことを必死に考えている自分がいる。


 みんなで出来る限り考えて、とうとう二人まで容疑者を限定した。

 静香と、ヨシさんの二人だ。

 綱木くんが言ったように、どちらが犯人であるとも考えたくはない。けれど、どちらかは直子を殺している。殺したばかりじゃなく、鉈で首を切断している。それも密室で。

 ……密室殺人。

 犯人はどうやってそんなことを成し得たのだろう。

 一番簡単そうな答えが、浦川先輩の言った『犯人は部屋から出ないで隠れていた』というものだ。しかし、浦川先輩と磯前くんが部屋の中を捜しても、犯人は見つからなかった。じゃあ、どうやって犯人は密室状況を作ったのか。その方法に関しては見当もつかない。どんなに頭を絞っても、分からない。

 そういえば、直子の部屋の前に転がっていたスノーダンプは、けっきょく何だったのだろう……。

 それも分からない。

 何も分かることなんてない。

 動機の面で考えれば――怪しいのは、静香の方だ。

 直子と静香は幼馴染で仲もたいそう良かったけれど、それだけ深い関係にあるということは、それだけ致命的な溝が生まれやすいということでもある。

 それに静香は、二ヶ月ほど前まで綱木くんと付き合っていたのだ。幼馴染同士のカップルで、傍から見ても、それは仲の良いお似合いの二人だった。周りで見ていた私たちも、「このまま結婚するんだろうな」と何の疑いもなく信じていた。それぐらい円満な関係に見えていたのだ。

 それだけに、二人が別れたという話を聞いたときは甚だしく驚いた。どちらがフったのかはよく分からない。別れた理由も教えてはくれなかった。

 それでも綱木くんと静香は、恋人同士でなくなったからといって気まずなっているようには見えなかった。恋愛関係ではなくなっても、気のおけない友人同士として、お互いをよく知る幼馴染として、仲良くしているように見えた。もちろん直子も一緒だ。あの三人は、今でも仲良しトリオなのかと思っていた……今日までは。

 直子が殺され、しかもそれが静香の犯行かもしれないとなると、やはりあれこれ穿ってしまう。

 表面上は仲良くしていても、静香の心の中は既に黒い闇に侵されていたのではないか。

 静香と綱木くんが別れたのは……ことによると、直子のせいだったのではないか。本当に穿った想像だとは思うけれど、たとえば直子が綱木くんを『寝取った』がために静香は彼と別れることになったのではないだろうか。綱木くんは、静香を捨てて直子を選んだのではないだろうか。仲良しトリオに見えたのは上辺だけで、本当は、綱木くんをめぐって静香と直子が憎しみ合っていたのではないのか。

 ……いや、馬鹿馬鹿しい。

 飛躍しすぎだ。

 私は、くだらない妄執を頭から追い払った。固く目を閉じる。動機なんて考えても仕方がないのだ。警察の人が解決してくれた後で、犯人に直接訊けばいい。だから、もう考えるのはよそう。眠ろう。意識があると、どうしても事件のことを考える。だから眠ろう。意識を手放そう。考えるな。何も考えるな。何も考えずに眠れ。

 私は、頭の中で何度も唱え続けていた。

 目が覚めたら何もかもが上手くいって、解決している。

 そう信じて、今は何も考えるな。

 眠ろう。


 *


 どんどん、と部屋のドアを叩く音が響いた。

 私は跳ね起きた。

 けっきょく、目をつむって悶々としていただけで一睡も出来はしなかった。

「そろそろ警察が来る頃だから、リビングに集まっておこう。たぶん全員が事情聴取を受けることになるからな」

 という浦川先輩の声が、ドアの外から聞こえてきた。

 時計を見ると、もう八時三分前だ。

 とうとう警察が来る。……助かったのだ。

 私はドアを開けた。

「疲れはとれたか」

 浦川先輩が訊いてくる。

 実際のところ疲労感は残ったままだったけど、私は頷いた。

「ならよかった。……俺は他の奴らを呼んでおくから、古坂は先にリビングへ行っててくれ」

 私はわかりました、と返事をして、階段を下りた。

 無理やりにでも目を閉じて横になっていたからか、頭の中が幾分すっきりしたような気がする。

 リビングへ行くと、ヨシさんが暖炉に薪を入れていた。しばらくして、守口くん、綱木くん、と入ってくる。

 三人とも、顔色は良いとは言いがたかった。けれど、その目には期待に似た何かが揺れているような気がした。待ちかねた警察が来るからだろう。この不可解で不愉快な状況を、一刻も早く抜け出したいと思っているのはみんな同じらしい。

 静香が足を引きずりながら入ってきた。何となく腫れぼったい目をしているのは、やはり泣いていたからか。

 少しすると、浦川先輩が一人でやってきた。

「あれ? 磯前はこっち来てないのか?」

 浦川先輩が怪訝そうな顔をした。

「来てないわよ」とヨシさんが答える。

 浦川先輩は顔をしかめた。

「おかしいな……ノックしても返事がなかったから既にこっちに来てるのかと思ったのに」

「トイレか、そうでなければお風呂にでも入っているとか……?」私は言った。

「探してみましょうか」

 と、ヨシさんが立ち上がって、リビングを出て行った。私も後に続く。

 私は、脱衣場のドアに手をかけた。が、開かない。押しても引いてもドアは開かなかった。

「ああ、それ。開けるのにコツがいるのよ」

 ヨシさんは言いながら、ドアの取ってを持って、下にぐっと体重をかけた。そのまま手前に引くと、ドアは開いた。成る程、静香が言っていたコツとはこういうことだったのかと納得する。

 しかし、脱衣場にも浴室にも、磯前くんはいなかった。トイレと乾燥室も探してみたが、結果は同じだ。

 諦めてリビングに戻ると、浦川先輩が「いたか?」と訊いてきた。私はかぶりを振る。

「俺はキッチンとダイニングを探してみたんだが、いなかったよ」

 おかしい。

 磯前くんは一体どこにいるというのだ。

 時計を見た。もう八時を過ぎている。警察が来てもおかしくない時刻だ。磯前くんはどこで何をやっているのだろう。

 他のみんなに磯前くんがどこにいるか尋ねてみたものの、有益な答えは返ってこなかった。

「いや……まだ一箇所だけ、探してない場所があるわ」ヨシさんが眉間にシワを寄せながら言った。「今、北森さんの部屋には鍵はかかってないから、誰でも入れるわよね。そこで何かしてるのかも……」

 私たちは弾かれたように立ち上がった。

 先ほどの話し合いで意欲的だった彼なら、現場を調査して手掛かりを探しているという可能性もある。それで磯前くんが犯人を突き止めてくれたらどんなにいいかと思った。

 私たちは連れ立って、直子の部屋の前までやってきた。

 正直、あの惨状を再び目にするのは気が引ける。それはみんなも同じだろう。けれど、磯前くんがここで何をしているのか気になるというのも、みんな同じに違いないのだ。

 浦川先輩が意を決したように、ノブに手をかけた。もちろん鍵などかかっているはずもなく、あっさりとドアは開く。

 その先に広がっていた光景を見て、私は再び総毛立つこととなった。

 これは、何の悪夢だろう。

 カーペットの上だった。

 磯前くんが、仰向けに横たわっていた。昼寝をしているわけではないのは一目で分かる。

 いつまでも閉じない、生気の失せた目。苦痛に歪んだ口。だらりとはみ出した舌。

 それが磯前くんなのは間違いないが、やはり生き生きとした彼の面影は消し飛んでいた。

 よく見ると、彼の頭の下には赤黒いものが見えた。これは……たぶん、血だ。血がカーペットに滲んでいるのだ。

 くらくらしてきた。吐き気もしてきた。

「磯前!」

 叫びながら磯前くんに駆け寄ったのは、守口くんだった。必死に磯前くんの肩を揺さぶり、何度も声をかけている。守口くんは磯前くんの手首を持った。脈を取るようだ。

 守口くんは悔しそうに歯を噛み締め、戦慄わなないた。

「……もう、ダメです。とっくに死んでます」

 彼は、絞り出すようにそう言った。

 頭が痛くなってくる。どうして直子や磯前くんが死ななくてはいけないんだろう。

 私はいつの間にか拳を強く握りしめていた。

 そして凄まじい怒りが自分の中で渦巻いていることに気がつく。

 仲間を二人も殺されたことが悔しかったのだ。

 その怒りが、私を震えさせていた。


 私たちはリビングへ戻った。

 深海の底にいるのではないかと思うぐらいに、暗く重い空気が漂っていた。

 時刻は既に八時を過ぎている。

 早く警察が来て欲しい。一秒でも早く着いて欲しい。殺人犯を捕まえて欲しい。もう来てもおかしくない時刻だ。そう思うと、やたらゆっくり時間は流れる。

 ……と、ふいにバイブの振動音がその場に響いた。

「あ……私の携帯だ」ヨシさんが言った。

 携帯電話に着信があったようだ。

 ヨシさんは電話に出た。

 誰と、何を話しているのかは分からない。

 しばらくして、ヨシさんの顔が青ざめていくのが分かった。

「そんな……困ります! 人が二人も死んでいるんですよ! …………ええ、そうです。またやられたんです。ですから早く来てもらわないと困るんですっ」

 ヨシさんが声を荒らげていた。

 どうしようもなく嫌な予感がする。胃がきりきり痛んだ。

 少しして、ヨシさんが沈みきった顔で携帯を閉じた。

「誰からだった」

 浦川先輩が訊いた。何となく見当がつく。

 案の定、警察の人だとヨシさんは答えた。

 そして、泣きそうな顔で言った。

「ちょっとした雪崩があったみたいで……道が雪で塞がっちゃって、到着するのは少なくとも明日の昼過ぎだろうって」

 その場にいる全員が息を呑んだ。

 目の前がくらくなっていく。

 二人も仲間を殺した殺人犯がここに居るというのに、警察にも来てもらえないだなんて。

 全身から冷たい汗が吹き出すのが分かる。

 頭の中はぐちゃぐちゃだった。

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