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思索

 私たちは綱木くんに事件の説明をした。現場を見せた方が手っ取り早いとも思ったが、それはあまりにも酷だ。綱木くんも「それだけは勘弁して欲しい」と、弱々しくかぶりを振った。

 玄関のドアを開けたときには笑っていた綱木くんが、ほんの数分で随分やつれたような感じだ。ただ、顔色が悪いのは病み上がりだから、という理由もあるかもしれない。ときどきクシャミをしている。

「ところで」陰鬱な空気を切り裂くように守口くんが言った。「警察へ通報はしたんですか?」

「ああ、それならついさっきしたわよ。ここでも電波は届くみたいね」ヨシさんが応える。

「じゃ、安心ですね。あとは全部警察に任せましょう」

「でも……」ヨシさんは暗い顔をした。「到着するのには二時間近くかかるって言ってたわ。こんな場所に、それもこんな天気の中じゃ仕方ないとは思うけど……」

「二時間も……」

 私は愕然とした。

 そんなにかかるのか……。

「通報したのが六時だったから……到着は八時になりそうね」

 私たちは肩を落とした。

 これから二時間もどうすればいいのだろうという不安が、おりのように溜まっていく。壁にかかった時計の秒針が淡々と音を刻んでいた。

「誰よ……」ふいに静香の冷たく鋭利な声がリビングに響いた。「誰よ、直子を殺したのは……」

 沈黙があった。

 時間が流れるのがやたらと遅い。

 しばらくして、磯前くんが口を開いた。

「じゃあ……さっきの話の続きをしましょうか。案外、真相が明らかになるかもしれませんし」

「おい、磯前……」守口くんが、綱木くんと静香の方をちらちら見ながら言った。「何も無理に事件の話なんかしなくてもいいんじゃないか? 二時間かかるとはいえ警察がちゃんと来るんだぜ。警察に任せとけばいいだろう、なあ」

 先ほどは半ば流れに任せたまま事件の話をしていた私たちだったが、確かに警察が来るというのなら無理に考える必要なんてない……ような気もする。守口くんの言葉も一理あるかもしれない。

「事件の話をしないなら何の話をするんだ?」磯前くんはまなじりを決した。「北森先輩が殺られたことはひとまず忘れて、楽しいスキー旅行ムードに戻ろうと?」

「そうは言ってないだろ……」守口くんは頭を掻いた。

「どう取り繕ったって事件のことは頭から離れないだろ。悶々としているよりは話し合って真相に近付いた方が建設的だ。それに、警察が来たときのために僕らの見解をある程度は洗練させておく必要がある。もし僕たちだけで真相を明らかに出来れば警察が来るまでの二時間だって、少しは安心して過ごせるだろうしね」

 彼はそう言ってから異論がないかどうか確かめるように私たちを見回した。

 異を唱える人はいない。

 そうだ。

 私も気になっている。

 直子にあんなことをした人間が、誰なのか。

 犯人が同好会の仲間であるなら尚更、私は知りたかった。

 何よりこのまま何もしないなんて耐えきれない。

 ヨシさんが沈痛な面持ちで言った。

「……でも、どうせ不審者とかがやったんじゃないの? だったら、私たちがいくら考えても分からないと思うわ」

「それはどうでしょうか」

 その言葉に空気がひやりとした。

 この中に犯人がいる……そんなことは出来れば考えたくないに決まっている。私だってそう思っていた。でも……

「どうしてそう思ったのか、根拠を聞かせてくれよ」浦川先輩が尋ねてくる。

 私は答えた。

「外部の人間が犯人だった場合、犯人は外から別荘に侵入して、直子を殺したということになります。外から侵入――といったら、考えられる可能性は二つ。『玄関から侵入した』か『窓から侵入した』か、です。

 まず『玄関から侵入した』という可能性ですが……静香は私たちとこの別荘に入った後、玄関の鍵を閉めていましたね。私が守口くんを出迎えたときも、鍵は閉まったままでした。つまり犯人は、玄関からは入ってくることが出来ず、玄関から出ることもなかったわけです。なので『玄関から』の線はありません。

 では、『窓から侵入した』という可能性はどうかと言うと、これもあり得ないんです。何故かは言うまでもありませんね。窓の鍵がしまっていたからです。この別荘自体もまた、密室だったんですよ。外部の人間には、入ることさえ不可能だったわけです」

 磯前くんが異を唱えた。

「しかし。犯人が何かのトリックで密室を脱出したのは間違いないんですよ。それが『窓から』でない保証はどこにもありません。そして、『脱出』することが可能だったのなら『侵入』することも可能だったのだと考えることもできてしまう。鍵がかかっていたからといって外部犯説を捨ててしまうのは早計では?」

 もっともな指摘だ。私は彼に目で頷いて、続けた。

「もし仮に、犯人が『窓から』脱出したとしましょう。そうしたら当然、犯人は逃げますよね。そして、逃げれば足跡がつくはず。しかし、犯人が逃げた跡はなかったんですよ。守口くんも一緒に調べてくれたんで、嘘じゃないことは彼が保証してくれます。ただ、窓の前にはスノーダンプが転がっていて、その下の雪は乱されていました。スノーダンプで足跡を消したと考えることもできますけど、そうなると犯人は窓の前に()()足跡を残したことになります。犯人が何のつもりでそんなことをしたのかは見当もつきませんけど、少なくとも逃げたわけではありません。あそこから他の場所に跡を残さず逃げるなんてことは、空でも飛ばない限り不可能ですからね。犯人が窓から『逃げて』いない以上、外部犯である可能性は否定されてしまいます。

 犯人は別荘内に居た人間――つまり、私たちの中にいる。そう言わざるを得ません」

「成る程。玄関の鍵が閉まっていて、窓から逃げたような足跡が無かった、ですか。犯人が密室状況である現場を脱出した事実は揺るぎないものではありますが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。外部の人間にとって北森先輩の部屋は、言うなれば『二重の密室』だったわけですね。外部犯の可能性は、完全に除外してしまって構わないでしょう」磯前くんが納得したように頷いた。「……そうなると。事件が起こった後にここを訪ねた綱木先輩と守口の二人も、同じように容疑者から除外できますね」

「そうだな、俺もそれでいいと思う」浦川先輩も同じように頷く。

 守口くんと綱木くんは心底ほっとした様子を見せた。

 私は言った。

「それと、もう一つ。私と浦川先輩も、容疑者から外せると思います」

「本当ですか」守口くんが目を剥いた。どうやら一緒に調べていて気がつかなかったらしい。

「それは楽しみだな。どういう理屈で俺と古坂がシロだと言えるんだ?」浦川先輩が言った。

「簡単な話です。犯行に物置の鉈が使用されていたということは、当たり前ですけど、犯人は物置から鉈を持ち出していたということですよね。それで、守口くんと外を調べたときに物置の方も見に行ったんですが――物置の周りにも、足跡の類は残っていませんでした。私たちがここへ来たときの足跡やシュプールはまだあったのにも関わらずです。ということは、物置から鉈が持ち出されたのは、私たちがここへ来るよりも前ということになります。したがって、今日ここへ来るまでのアリバイが確立している私と浦川先輩は、犯人ではあり得ないのです」

「理にかなってますね。浦川先輩も古坂先輩も容疑者から除外してしまって構わないでしょう」

 磯前くんが、祈るように組んだ指をぼんやり眺めながら言った。容疑者が限定されていくことで彼が犯人である可能性も高まっているというのに、酷く落ち着いた様子だ。

「残った容疑者は、僕、ヨシさん、江藤先輩……の三人ですね」

 私は唇を湿した。いつの間にか口の中がからからに乾いている。

 ヨシさんは辛そうに顔をしかめていた。静香は依然として死人のように俯いている。そして憎らしい程に落ち着き払った磯前くん。この三人の中に犯人が……直子を殺した人がいるというのか。

 少しの沈黙の後、磯前くんが口を開いた。

「……北森先輩が殺害されたのは、僕たちがそれぞれの部屋へ着替えに行ったときと見て間違いないでしょう。全員のアリバイがなくなるのもそのときだけです。全員がめいめいの部屋に入った後、急いで私服に着替えてから、あらかじめ持ちだしておいた鉈を持って北森先輩の部屋に向かい、鉈で北森先輩を殴りつける。首を切断して、何食わぬ顔でここへ顔を出す……というのが、犯人のとった行動だと思います。まあ、ざっと二、三分もあれば可能なんじゃないでしょうか。着替えなんて急げば三十秒かからないでしょうし」

 そうに違いないと私も思った。それに、犯人はあらかじめスキー用のインナーの下に私服を着ていたのかもしれない。そうすればウェアとインナーを脱ぐだけで私服に着替えたように見える。十秒もかからないだろう。二、三分どころか一分もあれば犯行は可能なんじゃないかと思った。

 磯前くんは続けた。

「犯人が北森先輩の首を切断した理由は、おそらく『短時間で確実に息の根を止めるため』でしょう。鉈で殴りつけただけでは生死の判別がつきにくい。かと言ってそこまで時間もかけられない。首さえ切断すれば絶対に死ぬはずだと、犯人は考えたに違いありません」

「返り血はどうなる?」浦川先輩が訊いた。「首を撥ねるとなると、そうとう血が吹き出すはずだ。犯人が返り血を浴びるのは避けられないと思うが……血まみれの服なんかは見つかってないよな」

「犯人は首を切断するときに北森先輩のウェアを着ていたんですよ。犯人は北森先輩を殴って気絶させた後――このとき絶命している可能性もありますが――北森先輩が着ていたウェアを自分が着たんです。もちろん返り血を防ぐためにね。首を切断した後、再び北森先輩にウェアを着せた。それで返り血は防げます。そこまで踏まえても二、三分あれば犯行は可能だったと思いますね」

 成る程、と思わされた。

 磯前くんの推理には筋が通っている。犯人がわざわざ首を切った理由が分かったも返り血を防ぐ方法も、納得のいく答えだ。

「ちょっと待ってくれ」言ったのは綱木くんだ。「直子は着替えのために部屋へ戻ったんだよな。着替え中の人間が、そう簡単に部屋へ入れてくれるとは思えない。それでも犯人が同性だった場合はまだ納得がいくけど、いくらなんでも男は部屋に入れないだろう。そう考えると、磯前は容疑者から外せるんじゃないか?」

 磯前くんは首を横に振った。

「そんなのは何とでも出来ると思いますよ。たとえば、あらかじめ北森先輩に『二人だけで話したいことがあるから部屋で着替えずに待っていてくれ』とでも言っておけばいい。多少は不審がられるかもしれませんが、まさか殺されるとは夢にも思わないでしょう」

 やはり、いたく冷静だ。彼は自分に疑いが向けられていて何とも思わないのだろうか。それとも、他に何か無実を証明する何かでもあるだろうか。……あるのかもしれない。彼の堂々とした態度を見てそう思った。

「ああ、そうか」浦川先輩が思い出したように言った。「俺が私服に着替えて廊下に出たら、磯前もちょうど部屋から出てきたところだったんだよな。で、一緒にここへ下りてきたんだ」

 磯前くんは肩をすくめた。

「そういうことです。犯人は犯行後、北森先輩の部屋から直接ここへ来たんですから、僕も犯人ではあり得ません」

「ちょっと待って」私は異を唱えた。「磯前くんは『犯人は自室で着替えを済ませてから直子を殺してここに来た』と言ったけど『直子を殺してから自室へ戻って着替えを済ませ、ここに来た』という可能性だってあるんじゃないの。もしそうなら磯前くんはまだ容疑者から外せないでしょ」

「いや、それはないだろう」反論したのは浦川先輩だった。「二階から一階の北森の部屋まで来て、犯行を終えたらまた二階に戻るなんて二度手間だ。二階に戻っているところを誰かに見られでもすれば怪しまれる危険もある。お前も磯前が自分の部屋に入って行くところは見ただろう」

 言われてみれば確かにそうだ。

「はあ……じゃあ、磯前くんも容疑者から除外ですか」

 やっぱり、無実を証明するカードは持っていたわけだ。

 犯人は外部の人間ではなく、守口くんと綱木くんもシロ、私と浦川先輩もシロ、そして磯前くんもシロ。ということは……。

 より空気が冷たくなるのを感じた。

 ヨシさんと静香の表情が明らかに変わっている。

 それはそうだろう。

 もう残った容疑者は二人しかいない。犯人でない方は、残った相手が犯人であると分かってしまったわけだ。

「……先輩が殺したんですか」

 静香が、硬く抑揚のない声でそう言った。

 ヨシさんは今にも泣きそうな顔をしている。

「違うわ」先輩はかぶりを振った。「違う……私じゃない」

「そんなはずないでしょう。とぼけないでくださいよ」

 今まで見たこともないような鋭い目で、静香はヨシさんをねめつけていた。

「おい、静香……」声を上げたのは綱木くんだった。「よせよ、そうと決まったわけでもないのに」

「もう決まったようなものじゃない。自分が犯人じゃないってことは自分が一番よく分かってるよ。それとも光輝は、直子を殺した犯人が憎くないの?」

「そうは言ってない。ただ、容疑者はまだ『二人』いるんだぞ」

「まさか光輝、私を疑ってるの? 私が直子を殺すだなんて、本気で思ってるわけ?」

 綱木くんが、その童顔を忌々しげに歪めて舌を打った。

「俺だって疑いたくねーよ。お前も、もちろんヨシさんもだ。静香にしてもヨシさんにしても、直子を殺していないと信じたいと思っている。けど、どっちかは殺している。条件は同じなんだよ。要するに、自分だけ特別だと思うなって話だ」

 綱木くんの大きな目には、研ぎ澄まされたような気迫があった。普段はどこかしら斜に構えた彼からは、滅多に感じないものがあった。

 彼もまた、直子が殺されたことに憤っているのだろう。綱木くんと静香と直子は、幼馴染なのだから。その幼馴染も疑わなければならない心境がどんなものかと思うと、胸が痛んだ。

「考えましょう」磯前くんが言った。「二人まで絞り込めたんです。最後までいけるかもしれない」

 静香は、ふんと鼻をならすと黙り込んだ。

 ヨシさんは真っ青な顔で俯いている。

「ヨシさんはいつここに?」私は訊いた。

「五時……九分ごろだったかな」と浦川先輩が答えてくれた。「で、江藤が来たのが五時十一分ぐらいか。みんなが部屋に入ったのが五時五分のことだから、単純計算で三好が四分、江藤が六分、犯行に使えたわけだな」

「どちらとも犯行は可能ですね」磯前くんは腕を組む。

「やっぱりまだ納得いかないな」守口くんが首をひねった。「本当に四分や六分で犯行が可能なんですかね。みんなスルーしてますけど、現場は密室だったんでしょ。密室の状況を作るのにもけっこう時間がかかりそうなもんですけど……」

「あの密室がどうやって生まれたのか分からないことには何とも言えないな、それは」浦川先輩も首をかしげた。

「密室を作るのはもっと後だったのかもしれませんしね」磯前くんが言う。

「と言うと?」

「ヨシさんは一度お手洗いに行くと言ってリビングを出ています。江藤先輩も、北森先輩の様子を見に行くと言ってリビングを出ています。現場を密室状況にしたのはそのときだったのかもしれません」

「と、言ってもな……」浦川先輩が頭の上で手を組んで伸びをした。「三好にも江藤にもチャンスがあったんならやはり条件は同じ。容疑者を絞り出す手がかりにはなりそうもない」

 それもそうだ。しかし、それ以外に考える材料なんてない。密室の謎も皆目分からないままだ。

 何か、ないのだろうか。あと一歩で、犯人まで辿り着くのに……。

 その場に沈黙が舞い降りた。ときどき綱木くんがクシャミする音がやたら大きく聞こえる。それ以外には、秒針の音だけが重く響いていた。

 どのくらい時間が経っただろうか。

 静香が口を開いた。

「……やっぱり警察に任せるしかないわ。どっちにしろ、警察が来たら全部わかるのよ」

 彼女は言いながら、ヨシさんを睨んでいた。

 誰も何も言えずにいた。静香の言葉は、私たちの胸に突き刺さっていた。

 静香がゆらりと立ち上がった。その肌は雪のように白く、目には生気がこもっていない。

「私、部屋で休んでます」

 静香は消え入りそうな声で言った。

 彼女は捻挫した足を引きずりながら、のそのそとリビングを出て行った。こう言っては何だけど、その姿は幽霊を思わせる。

 その瞬間、みんなを繋ぎとめていた何かがふっつりと切れてしまったような感覚がした。

 ヨシさんが深く息をつきながら「私も……」とソファから腰を上げる。それが合図であったかのように、他のみんなもゆっくり立ち上がった。時計を見ると、六時半。警察が来るまであと一時間半だ。

「ま、あと一時間半の辛抱だ。警察が来れば全部なんとかなるだろうさ」

 浦川先輩がみんなを元気づけるように言った。

 そうだ。警察が一時間半もすればやって来るのだ。私たちが知恵を絞っても分からなかったことも、警察の人が調べたら全て分かるに決まっている。

 疲れきった表情で、ヨシさんがリビングを後にした。それに付いていくように磯前くんや浦川先輩もリビングを出て行く。私も、何となくそれに続いた。ヨシさんだけじゃない。みんな、疲れきっているんだ。警察が来たらばたばたするのだろうし、体を休めよう。

 何もかも解決するはずだ。警察さえ来てくれれば。

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