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密室

 直子が何者かに殺された。

 それはもう、疑う余地のない事実だった。

 直子の首と胴体は切り離されている。ベッドに横たわっている。

 部屋の中央には血に濡れた鉈が転がっていた。あの鉈で直子の首が叩き切られたのだろう。鉈は物置のものかもしれない。

 ふいに浦川先輩が息を呑んだ。

「おい、あれ……」

 浦川先輩が指差したのは、座卓だった。

「あそこにあるのって鍵じゃないか……?」

 私は座卓付近に視線を走らせる。

 ……あった。部屋の鍵らしきものが座卓の下に光っていた。

 先輩はそこに歩いていき、指紋がつかないように鍵を拾い上げた。見ると、その鍵には確かにこの部屋の番号が刻まれている。

 私は部屋を見渡した。静香の話によれば彼女のパーカーがあるはずだ。

 やがてベッドの脇に目が留まった。私は血の臭いが立ち込めた部屋に足を踏み入れ、そこに落ちていたパーカーを拾い上げた。

「先輩、これ……」

 私は浦川先輩にパーカーを見せた。

 彼が頷くのを確認して、パーカーのポケットに手を入れる。静香の言う通り、『マスター』と刻まれた鍵が入っていた。

 それを見た先輩は弾かれたように窓のそばに歩み寄った。私はパーカーとマスターキーを元の状態に戻すと、先輩の後を追う。

 彼はカーテンを少しめくり、クレセント錠の部分を見た。鍵がしまっている。

 扉を開けることのできる鍵が二つとも部屋の中にあり、窓の鍵もしまっていた。ということはつまり……

「この部屋は密室だった、ということですか……」

 浦川先輩は頷き、言った。

「そうだ。……ということは、犯人はまだこの部屋に潜んでいる可能性が高いってことだ。犯人がまだここから出ていないのなら、この状況にも納得がいく」

 私は絶句した。

 犯人がまだここに……というのは、考えもしないことだった。直子の首を切断した殺人鬼が息を潜めていると思うと震えが止まらなくなる。

「古坂。お前は部屋から出てろ。俺と磯前で部屋の中を一通り探してみる。いいな、磯前」

「ええ、任せてください」

 言われた通り、私は部屋から離れた。


 ……と。

 突然別荘の中を電子音が響いた。

 ピンポーン、という呼び出し音だ。

 驚きのあまり、私は声をあげそうになった。

「綱木くんか守口くんよ……」ヨシさんが呟いた。「きっと、どっちかが到着したんだわ」

 すっかり忘れていた。

「私が出てきます。ヨシさんは静香をリビングまで運んであげてもらえませんか」

 ヨシさんは了解してくれた。私は玄関へ向かう。

 閉まっている鍵を開けてドアを開くと、そこには背の高い後輩――守口くんが立っていた。

「あっ、古坂先輩。どうも、遅くなりまして……」彼は照れたように笑った。

「ああ……守口くん。待ってたよ、インフルエンザはもう大丈夫なの?」

 何となく事件のことを切り出す気になれず、普通に出迎えてしまった。

「はい、もうすっかり」彼は胸を反らした。「……どうしたんすか? 浮かない顔してますね」

 私は守口くんを玄関に招き入れ、ドアを閉めてから言った。

「その……直子が、殺されたの」

「ええっ。いやいや先輩、ふざけ抜きでお願いしますよ」体中についた雪をはらい落としながら、彼は笑った。

「本当のことだよ」

「えっ……」

 守口くんは言葉を失ったようだ。

 こちらが真剣なのを感じて、事情を察したらしい。

 私は直子の件を守口くんに説明した。


「そんなことが……」守口くんは眉間にシワを寄せていた。

「うん。今、浦川先輩と磯前くんが部屋の中で犯人を捜してる」

「見つかりますかね、犯人」

「密室だったわけだからね。まだ犯人は部屋の中にいると見るのが論理的だろうけど……」私は腕を組んだ。どうも納得いかなかった。「普通は殺人なんてやらかしたらいつまでも部屋の中にいないよね。私なら、さっさと現場から逃げたいと思うのに……」

 守口くんは大きく頷いた。

「確かに、そりゃそうですよね。俺でもそうします」

「……ねえ、守口くん」私は言った。気になっていることがあった。「ちょっと外を調べてみない?」

「えっ、何をですか」守口くんはきょとんとしている。

「犯人の足跡。もしかしたら残ってるかもしれない」

「犯人が外から来たとすると……ですか」

 私は頷いた。

「いいですよ。俺は構いません」

「ありがとう、助かるよ」

 私だって、何も考えていないわけじゃない。拙いかもしれないが、頭の中にささやかな推理があった。そのために確かめたいことがある。

「あっ、でもその前に……」守口くんは言い辛そうに頬を掻いた。「トイレに行かせてもらっていいですか?」

 私は思わず苦笑した。

「もう、我慢してるなら早くそう言ってよ」

 すいません、と守口くんはそそくさとトイレに駆け込んだ。私はその間に自室へスキーウェアを取りに戻る。このまま何も羽織らずに外に出るのはいくらなんでもきつい。ウェアを羽織ると、乾燥室に手袋と帽子を取りに行った。生乾きだったけど、ないよりはマシだ。ちょうど守口くんがトイレから出てきたので、私たちは連れ立って外へ出た。

 玄関のドアを開けると、凍てつくような風が吹き込んでくる。ポーチから出ると、横殴りの雪に激しく全身を打たれた。寒いという感覚を通り越して、痛い。この吹雪では足跡なんてすぐに消えそうな気もする。

 玄関に向かって、比較的新しそうな足跡が残っていた。

「これは守口くんの足跡だよね?」

「そうです」守口くんは頷いた。

 私たちと同じく、途中まではスケーティングで来たのだろう。そのシュプールが残っている。

 私は言った。

「この吹雪だと足跡ってどのぐらいの時間消えずに残ってるんだろうね。犯行から、長くて四十分は経ってると思うんだけど」

「俺、雪国に住んでたことあるから大体わかります。いくらなんでも四十分ぐらいじゃ消えないですよ。経験則ですけど、こういうところについた足跡は強い雪が降ってたとしても、消えるのに二時間近くはかかりますね」

 それなら安心だ。探してみる価値はある。

 玄関周辺には守口くんの足跡の他に、輪郭が分かりにくくなっているものの、私たちの足跡も六人分あった。もっと先を見渡すと、スケーティングで滑ってきた際のシュプールも残っているのが分かる。私たちがここへ来たのも四十分ほど前だから、四十分では足跡もシュプールも消えないというのは間違いなさそうだ。

 守口くんは言った。

「足跡、人数分しかないですね。犯人はここを通らなかったってことでしょうか……あっ、もしかしたら犯人は先輩たちの足跡の上をなぞるように歩いたのかも」

「いや、犯人がここを通ってないことは分かってるんだ。私たちが別荘に入ったとき玄関の鍵はちゃんと閉めたし、事実さっきも鍵はしまってた。犯人が外部の人間だったとして、玄関からは出入りが出来なかったはず」

「じゃあ、どうして調べに来たんですか」

「窓だよ。もしかすると、犯人は窓から入ってきて、窓から逃げたのかもしれないじゃない。窓の近くに足跡が残っているかもしれないでしょ」

「でも、窓にも鍵はかかってたんでしょう? 窓の近くにも足跡は残っていないんじゃないですかね……」

「まあね。でも、直子は密室で殺されたんだよ。犯人が密室から脱出したのは、『部屋のドアから』なのか『窓から』なのかをはっきりさせようと思ったわけ」

「成る程……それもそうですね。じゃあ、窓の近くに足跡が残ってないか調べに来たんですか」

「うん。……あ、ついでだけど、物置も調べておきたいな。悪いけど、付き合ってくれる?」

 守口くんは大きく頷いた。

 私は左手に小さく見える物置を指差しながら言った。

「直子の部屋に落ちてた鉈があの物置から持ち出されたものなら……あの物置の周りに、犯人の足跡があるかもしれない」

「そういうことですか……」

 守口くんは納得したように呟くと、物置に向かって歩く私についてきてくれた。

 猛吹雪の中、ひたすら地面に目を向けて歩き回るのは正直きつい。吹雪のせいで視界も酷く悪かった。だが、それでも分かる。物置の周りには足跡もなければシュプールもない。

 せっかくなので、物置の中にも入ってみた。

 鍵の壊れた引き戸は、もちろん簡単に開く。

 中に足を踏み入れると、饐えたような埃の臭いが鼻をついた。薄暗く、ほとんど見えない。天井からぶらさがっていた電球を点けると、ようやく中がまともに見えるようになった。

 周りを見回す。

 旅行前に静香から聞いた通り、ジョンバー、スノープッシャーなどの除雪用具や、斧、ソリなどが乱雑に押し込まれている。近くに川でもあるのだろうか、釣具に網も置いてあった。

 どこを探しても鉈は見つからない。

 やはり現場に落ちていた鉈は、ここから持ち出されていたのだ。

 玄関前まで戻ってくると、守口くんが言った。

「ええと、それで現場の窓付近に足跡がないか調べるんでしたよね」

「うん。ごめんね、長々とつき合わせちゃって」

「気にしないでください。お安いご用ですよ」言いながら、守口くんがどんと胸を叩いた。

 私たちは、木々が生い茂る別荘の周りを歩き回った。

 これだけ樹木が群生している場所なら雪も多少は緩和されると思ったけど、甘かった。横殴りの雪が次々と吹き込んでくる上に、木に積もった雪がたまに落ちてくる。それでも、その程度で足跡は消えないはずだ。この辺りは雪が深く積もっているらしく、歩くたびに足が雪の中にずぶずぶと沈んだ。

「今のところ足跡はないね……あっ」

 直子の部屋の前あたりに何やら赤くて大きいものが落ちていた。近付いてみると、それはスノーダンプだった。物置にあった除雪用具の一つだろう。大きい角型のシャベルにパイプの持ち手がついたような形で、女性でもダンプのように雪が運べることから、ママさんダンプとも呼ばれている道具だ。

「どうしてこれがこんなところに……」私は首をひねった。

「昨日誰かが使って出しっぱなしにした……とか」守口くんが言った。

 それはあり得ないだろう。だとしたら雪に埋もれているはずだ。

「っていうか。そんなことよりも、先輩」守口くんは言いながら目を見開いた。「ここ。見てくださいよ」

 守口くんが指差した先は、スノーダンプが置かれていた雪面だった。

 スノーダンプの方に気を取られて気がつかなかったけど、そこの部分は明らかに他とは違っていた。はっきり分かるほどに、雪が乱されていたのだ。

「これは……どういうこと?」

「犯人がここで何かしたんでしょうか……」

「雪が乱れてはいるけど、足跡とかは残ってないよね。……いや、もしかしたら。このスノーダンプで消したのかもしれない」

「でも、何だってここにだけ足跡が残るんですか。ここ以外はキレイに何の跡も残ってないってのに」

 一歩外に出たら足跡が残ることに気がついて、慌てて消したという線は――流石にないか。

 とにかく、ここでずっと悶々としているわけにはいかない。私たちは先に進むことにした。

 それから一通り別荘の周りを調べてみたものの、どこにも足跡やシュプールは残っていない。

 私たちは別荘の中に戻ってきた。

 全身が凍えるように寒い。

「ごめんね、病みあがりなのにこんなことさせちゃって」

 守口くんはぶんぶん首を振った。

「いやいや、ぜんぜん構いませんよ。先輩のお役に立てたんなら嬉しいです」

「ありがとう……リビングに行こうか。今ごろみんな集まってると思うし……」

 リビングには、浦川先輩と磯前くんも戻ってきていた。だが、犯人を捕まえられたわけではなさそうだ。

 静香は意識を取り戻したらしく、青白い顔でソファに座っていた。隣にはヨシさんもいる。……と、私は静香の右足首に包帯が巻かれているのに気がついた。

「それ、どうしたの?」

 私が包帯の巻かれた足首を指差すと、顔面蒼白として喋る気力も失せているであろう静香の代わりに、ヨシさんが応えてくれた。

「倒れたときに捻ったみたいでね……捻挫してるようだったから、さっき私が手当てしたの」

「ああ……そうなんですか」

 私は納得して、ソファに腰掛けた。

 時計を見ると、六時五分だった。

 守口くんと他のみんなは申し訳程度に挨拶をしたものの、話題はすぐに事件の方へ移っていく。

 私はさっき気になったことを尋ねた。

「直子の部屋の前あたりにスノーダンプが落ちてたんですけど、心当たりありませんか?」

「ああ、それは物置にあったやつね」ヨシさんが応えてくれた。「昨日の夜、物置の中を静香ちゃんに見せてもらったのよ」

「ちなみに、現場にあった鉈も物置にしまってあったもので間違いないですよ」磯前くんが言った。「あれと同じものが物置にありましたからね。犯人はあの物置から鉈を持ち出して犯行にあたったんでしょう」

「どっちも、持ち出したことはないんですか?」私は尋ねた。

「ううん、なかったわね。昨日も物置の中を見せてもらったってだけで、何も出していないし……」

 鉈は犯人が持ち出したのだろうけど、スノーダンプはいったい何の目的で持ち出されたのだろう……私は首を傾げる。

 少しの沈黙があった。

「俺と磯前は」浦川先輩が沈痛な面持ちで切り出した。「北森の部屋で隠れられそうな場所を一通り探してみたんだ。ドアの陰やクローゼットの中、ベッドの下にカーテンの裏なんかをな。……床板をはがした痕とかも無し、秘密の抜け穴も見つからず……誰も隠れてはいなかった。一応、別荘内の他の場所も一通り探してみたんだが、それも無駄だった」

 私はため息をついた。

 これで外部犯という可能性は完全に否定されたことになるのだ。

「じゃあ、犯人はどうやって密室を作り上げたのかしら……」ヨシさんが唸る。

 確かに、それが分からない。部屋の中に誰も隠れていなかった以上、犯人は何らかの方法で密室を脱出したことになる。あるいは部屋の外から鍵をかけたのか。それとも部屋の外から直子を殺したのか。どれも絵空事めいた、あり得ないことのように思える。

 再び、ピンポーンという電子音が響いた。

「綱木が来たみたいだな」守口くんが言った。

 私たちは綱木くんを出迎えに、玄関へ向かう。

 ドアを開けると、そこにはやはり綱木くんがいた。小柄で童顔の彼は雪だらけだ。吹雪は相当強いらしい。

「やあ、どうも」

 快活に言いながら、全身の雪を落とす。その量は、守口くんのときよりも更に多かった。リュックもスキーウェアも雪まみれでぐしょぐしょだ。

「どうしたんですか、みんなしてシケた顔しちゃって」

 綱木くんはきょとんとしている。

 それはそうだろう。自分がいない間に仲間が惨殺されているとは思うまい。

 私は気が重くなった。

 直子が死んだことはもちろん私も悲しいけど、それを綱木くんが知ったらどんな気ちになるだろうか。綱木くんと同じく幼馴染だった静香は気絶してしまうほどのショックを受けていた。静香は今も真っ青な顔色をしている。

 その場にいる綱木くん以外の全員が、誰かが"それ"を言い出すのを待っていた。

「そういえば、直子のやつだけいませんね。どうしたんですか?」

 全身の雪を落としながら綱木くんが言った。直子の死を知っている身からすれば、酷く能天気な声に聞こえた。

「……殺されたのよ」

 低くか細い声が綱木くんの問いに答えた。

 その声の主は、静香だった。

 綱木くんは何を言っているのか分からないといった顔をしている。

「おい冗談だろ?」

 彼は乾いた笑顔を顔に貼り付けながら言った。

 それに応える人は誰もいなかった。死にそうな顔をしている静香を見て、綱木くんはみるみる真顔になっていく。

「ひとまず上がって着替えてきたらどうですか。詳しい説明はリビングでしましょう」

 磯前くんが、わざと抑揚を殺したような口調で言った。

 私たちは重い足取りでリビングへ戻った。

守口が「こういうところについた足跡は強い雪が降ってたとしても、消えるのに二時間近くはかかります」という発言をしていますが、実際に足跡がどれぐらいで消えるのか私には分かりません。

が、一先ずこの作品の中では「足跡が消えるのに二時間近くかかる」ということでお願いします。

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