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首切り

 リビングに下りると、私服に着替えた浦川先輩、ヨシさん、磯前くんがいた。静香と直子はまだ着替え中らしい。

「いやァ、こんないいとこにタダで泊めていただいちゃって申し訳ないですよね」私はふかふかのソファに腰を沈めながら言った。

「ほんとよね。静香ちゃんには感謝しなくちゃ」ヨシさんが優しそうな目を細める。

 壁にかかった時計を見ると、五時十分だった。部屋に戻ってから五分か。何だかんだでのんびりしてしまったなと思う。それでも静香や直子より早いのは私がお洒落に無頓着すぎるからか。

 それから一分ほどで静香がやってきた。

「ごめんなさい、のんびりしちゃって」と彼女は申し訳なさそうに頭を下げる。別に謝ることじゃないと思うけどな、と思うあたり私は静香より人間ができていないのかも。「ちょっと探しものしてて」

「探しもの?」私は訊いた。

「上にパーカーでも着ようと思って探してたんだけど、けっきょく見つかんなくて。思い出してみたら、昨日直子の部屋に行ったときに脱いで置きっぱなしにしちゃってたんだよね。まぁ、後で取りに行くよ」

 今気がついたけど、ここは防音がちゃんとしているみたいだ。自分の家のリビングだと階段の上り下りの音が聞こえてくるのに、ここでは聞こえてこない。そのことを静香に尋ねると、彼女は「防音だけはしっかりしてるらしいのよね」と笑った。

「いやいや最高っすよ旦那。こんな良いとこ使わせてもらっちゃって」と、私はゴマをすってみる。

「ほんと、沙耶って現金よね」静香は呆れたように笑んだ。みんなに目を向け、「……あ、寒いでしょう。今暖炉に火をつけますからね」

「暖炉?」

 私は部屋の隅を見た。

 確かに暖炉らしきものがある。そういえば屋根に煙突があった。

「凄いね、本物の暖炉があるんだ……しかも薪暖炉」

 静香は笑った。

「お父さんがそういうの好きでね。……えっと、昨日どこにマッチをしまったっけ」

「キッチンかダイニングの方で見かけた気がするわよ。探しに行きましょうか」とヨシさんが言う。

 と、私がぼけっと座っている間に二人でダイニングの方へ行ってしまった。いつの間にか磯前くんが暖炉の中に薪をくべている。しばらくすると、静香がマッチと新聞紙を持って戻ってきた。

 どこにあったんですかと磯前くんが尋ねると、静香は苦笑しながら「キッチンの棚に」と答えた。

 静香はがさがさと新聞紙を丸めると、暖炉の中に放り込んだ。手慣れた手つきでマッチを擦り、新聞紙に火を放つ。

「凄い。暖炉に火をつけるとこなんて初めて見た」私は感心して言った。

「本当はこんな適当なやり方じゃ窓がすすだらけになっちゃうんだけどね。まぁお父さんの貸し別荘だし」

「えっと、晩御飯は……」

 私が誰にともなしに呟くと、ヨシさんがこっちに顔を向けて、

「私が作るわよ。材料は用意していただいたし」

 この人ときたら女子力まで高いんだものなと、私は心の中で肩をすくめた。

「じゃあ、私も手伝いましょうか……」私は言った。流石に座っているだけでは居た堪れない。

「いいわよ、ゆっくりしてて」

 そう言って立ち上がろうとするヨシさんを、静香が引きとめた。

「まあ、まあ。ヨシさんもそうせかせか働かなくても……せめて直子が来るまではゆっくりしてましょうよ。直子が来たら、私と先輩と直子で一緒にやりましょう」

「私はのけものなわけ」私は抗議の声をあげた。

「だって、沙耶ちゃん、不器用すぎるんだもの」静香はにこにこと言った。

 失敬な! と声を荒げたいのは山々だったけど、悲しいことに否定できない。私がむすっとするとヨシさんがくすくす笑った。

「私と静香ちゃんと直子ちゃんがいれば十分ね。浦川くんが作るとおそば三昧になりそうだし」とヨシさんがいたずらっぽく笑む。

 浦川先輩は苦笑しながらリモコンでテレビの電源をつけた。

「電波、悪いみたいですね」磯前くんが言う。

 確かに、音声も映像も少し途切れ途切れになっている。

 もしかしたら吹雪になっているのかもしれないと思い、カーテンの隙間から外を見た。思った通り、外は見事に吹雪になっていた。生い茂る木々もお構いなしと言わんばかりに、雪が窓を叩いている。

 テレビは多少見辛かったものの、我慢できないほどでもない。どうやら映っているのは刑事ドラマのようだった。

「どうも陳腐な内容ですよね。過去に同じの何回も見たことあるような……」私は思ったままを言った。

「キツいこと言いますね、なかなか」磯前くんが言う。

 静香がふふっ、と笑った。

「同じのを何回も見たことあるってのは正しいよ。これ再放送みたいだから」

 えっ、と間抜けな声を出してテレビを見直す。言われた通りだった。これほんとに見たことあるドラマじゃないか。

 そのことを言うと、みんなはますます笑った。自分でもバカだと思う。

「ま、前々から気になってたんですけど……」恥ずかしいから話題を逸らすことにした。「こういう刑事ドラマでよく言う、『生活反応』って何なんでしょうね」

「……生活反応って?」ヨシさんが首をかしげる。「私、刑事ドラマはあまり見ないから、分からないわ」

「ほら、よく言うじゃないですか。現場に来た刑事さんが死体を指差して、『生活反応、ナシ!』って。聞いたことありません?」

「ああ……確かに、言うね」静香も頷く。

「生活反応がない、っていうのは……要するに、『死んでいる』ってことですよ」磯前くんが目を輝かせて言った。「生活反応っていうのは、簡単にいえば『生きているときにだけする反応』のことです。たとえば、死んだ人間の目に光をあてても瞳孔は変化しませんよね。光の量によって瞳孔が伸縮するのも『生活反応』の一種、ということです」

「成る程……じゃあ逆に生活反応があれば生きているってことね?」ヨシさんが納得したように言った。

「その通りです」と磯前くんが頷く。「生活反応の便利なところは死後も確認できるものがある、ということですね」

「どういうこと?」

 磯前くんは咳払いして、

「生きている間にした『反応』が、死体にも残っている場合がある、ということです。代表的なのが『痣』ですね。体を強くぶつけると痣ができるでしょう? あれは生きている間にしかできません。痣も『生活反応』のひとつというわけです。これと同じように、たいていの外傷は生活反応によって、それが生前にできたものか死後にできたものかが分かるんですよ」

「な、成る程……」

 軽い気持ちで振った話題だったのに、ずいぶん詳しい説明をもらってしまった。

「物知りだな」浦川先輩が感心したように言った。

「いやあ、ミステリとか読んだりするんですよ。それでついた知識なので、別段胸を張れたものじゃないんですが」磯前くんが照れたように笑う。それで詳しかったのか、と私は納得した。

「お、ミステリ好きなのか。話せるな」浦川先輩が嬉しそうに身をのりだした。「誰が好きなんだ?」

 ミステリ……話に入れそうもないな、と私は思った。SFなら好きなんだけど、ミステリは滅多に読まないのだ。ハインラインとヘンダースンが大好きです、なんて言える空気じゃない。

「んー、月並みですけどやっぱりカーですかね。あとはロースンとかフットレルも大好きで……浦川先輩は誰が好きなんです?」

 ロースンって何? コンビニ?

「そうだな、ブランドとかバークリーあたりが好きなんだが……ま、結局のところクイーンが一番好きかな、俺も月並みだけど」

「まあ、何だかんだで一番最初に手を出すのが有名どころですからね。その分影響も受けやすいといいますか……」

「そうなんだよな。確か俺が最初に読んだミステリが――」

 そこら辺で私は話に耳を傾けるのを止めた。

 ミステリおたく二人によるミステリ談義が本格的に始まってしまった。これだからマニアを二人以上同じ場所に置いておくのは危険なんだよねと思う。二人のミステリ好きを前から知っていたのであろうヨシさんにいたっては、話に入るのを早々に諦めてトイレに行ってしまった。

 私も、熱心に話しこむ二人を無視して暖炉に目を移した。あれのおかげで大分暖かくなってきている。ゆらゆらと踊る火を見るのは何となく楽しい。

 私は静香に話しかけた。

「綱木くんと守口くん、もうそろそろ来るかな」

「そうだね。夕方ごろって言ってたし」

「っていうか、二人とも大丈夫なの? インフルエンザなんじゃなかったっけ?」

「二人とも、一昨日から熱はひいてたみたいだよ。ただ、治って一日しか経ってないのにみんなと一緒にいたら感染(うつ)しちゃうかもしれない、っていうのと、無理してぶりかえしたら元も子もないからって昨日と今日の午前中は家で休んでたみたい」

「へえ、じゃあもう元気なんだ」

 だったら安心だ。いくら流行っていたとはいえ、こんなときにインフルエンザになる二人は気の毒だと思っていた。綱木くんも守口くんも両親共働きだからろくに看病もしてもらえなくてさぞや辛かったろう。元気になったのなら良かった。

「あっ、そうそう。私もここに来てから気がついたんだけど……」と静香が思い出したように言った。「脱衣場のドアの立て付けがどうも悪いみたいなんだよね。沙耶はまだ知らないでしょ」

「脱衣場ってお風呂の?」

「うん。困っちゃうよねえ、そんなだからお客が来ないんじゃないかしら」

 言えてるなと思い、私は笑った。でも脱衣場のドアの立て付けが悪いというのは少し不安かもしれない。

「立て付けが悪いって、どんな状態なの?」

「まあ、心配することはないよ。開けるのにコツが要るってだけ。詳しくは後で教えてあげるよ。知らなきゃ開けられないだろうしね」 

 しばらくしてヨシさんが戻ってきた。未だにミステリ話で盛り上がる二人を見て呆れた顔をしている。相変わらずミステリトークに花咲かせる二人を放置して、静香とヨシさんと世間話をしたりして、十分くらい経ったろうか。

 静香が時計を見ながら言った。

「あの……静香、遅すぎませんか?」

 私も時計に目をやった。五時半だった。乾燥室で解散したのはだいたい五時五分だったと思う。二十五分も経っているわけだ。確かに、いくらお洒落に気を遣いそうな直子とはいえ、時間がかかりすぎている。何も化粧するわけじゃあるまいし。

「ちょっと様子を見に行ってきます。疲れて眠っちゃったのかもしれませんし」静香がソファから腰をあげながら言った。


 しばらくして静香が戻ってきた。

 私は訊いた。

「おかえり。直子、なんだって?」

「それが……いくら呼んでも返事がないの……」

 返事がない?

 私がどういうことが尋ねる前に浦川先輩が口を開いていた。

「寝てるんじゃないのか」

 静香はかぶりを振った。

「眠っていたとしても、あんなに呼んで起きないはずないと思うんですけど……」

「部屋にいなかったってことは?」

「部屋には鍵がかかっていました。中に直子がいるのは間違いありません」

 私は唾を飲み込んだ。

 何かただごとでないものを感じる。

 それは他の四人も同じようだった。


 *


「北森! おーい、北森!」

 浦川先輩が、直子の部屋のドアを殴りつけるように叩きながら、大声で呼んだ。

「やっぱりおかしいですね、これだけ呼んで反応がないっていうのは……」

 私は言いながら、ドアの取っ手に手をかけた。

 開かない。

 やはり鍵がかかっている。

「外の窓から様子を見てみたらどうかしら……」ヨシさんがおろおろしながら言った。

 磯前くんがかぶりを振り、

「いくら周りに木しかないとはいえ、着替えるときはカーテンぐらいしめるでしょう。外から中の様子は窺えそうもないですよ」

 私は言った。

「そうだ。静香、マスターキー持ってるんでしょ。それでドアを開ければいいんじゃない?」

 旅行前に聞いた話によれば、静香は別荘の借り主としてマスターキーを持っているはずなのだ。

「あっ、そうか。ちょっと待ってね……」

 静香は自分の部屋に駆けていった。

 が、しばらくして手ぶらで戻ってきた。

「あれ? どうしたの」

「なかった……」青い顔で静香が答えた。

「ええっ?」

「今、思い出したんだけど……たぶん、直子の部屋の中に……」

 私は眉をひそめた。

「どうしてそんなところに?」

「マスターキー、パーカーのポケットに入れてたのよ。それで昨日……」

「ああ、成る程」私はため息をついた。「パーカーごと直子の部屋に忘れてきちゃったと」

「ごめん……」

 浦川先輩がもう二、三回ドアを叩いた。そのままドアを叩き砕くんじゃないかという勢いだ。しかし、それでも反応はない。

 重油のようにどろどろした沈黙が私たちを包んだ。

 やがて浦川先輩が決心したように言った。

「ぶち破ろう。一刻を争うような事態になっていないとも限らない。……もちろん、江藤がよければだが」

 私は静香の方を見た。

 彼女はまるで誰かがそう言い出してくれるのを待っていたかのように頷いた。

「よし。……磯前、手伝ってくれ。内開きのドアだから、そんなに難しくはないはずだ」

 と、浦川先輩と磯前くんとでドアに体当たりが始まった。どん、どん、とぶつかるたびに、激しくドアが震える。

 二度、三度……四度目でドアは破れた。

 浦川先輩と磯前くんが前のめりによろける。

 最初に感じたのは、錆びた鉄のような……血の臭いだ。

 そしてその先にある光景を見て、私は頭が真っ白になった。

 静香の狂ったような絶叫が背後から聞こえてくる。

 一瞬遅れて部屋の中を見た浦川先輩と磯前くんも絶句していた。

 ベッドの上で直子が、死体になっていた。

 ばんざいをするようなポーズで横たわったそれは、まだスキーウェアを着たままだ。ウェアは血にまみれていた。ベッドにも点々と血が散っている。

 袖からは手が、裾からはお洒落な靴下を履いた足がだらりと伸びていた。胸元には相変わらず、ウェア越しでもはっきり分かるほどの膨らみがあった。

 しかし本来は襟から伸びているはずの首は、真っ赤に潰れていた。胴体と頭が、完全に切り離されていた。

 目鼻立ちが整ったその顔は、紛うことなき直子だ。帽子やゴーグルは外していたので、それはすぐに分かった。しかし、額からは大量の血が流れ、その端正な顔を赤く染めている。表情は苦痛に歪み、生前の瑞々しさはどこにも残っていない。潰れた頸部けいぶからは血の染みが広がっていた。

 間違いなく死んでいる。直子が死んでいる。さっきまで動いて喋っていた私たちの友達が……死んでいる。

 風邪を引いたときのような悪寒が頭から爪先を駆け巡った。

 気がつけば私は、思いきり走った後のように全身で息をしている。

 胃が熱く、背筋が冷たく、私の全身は震えていた。

 ふいに肩に手が置かれる。

 心臓が潰れるかと思った。

 振り向くと、ヨシさんが心配そうに私を見ている。その顔を見てほんの僅かだが、平静を取り戻した。

「大丈夫?」

 そう言うヨシさんも震えていた。

「はい……すいません」

 見ると、静香が廊下に倒れていた。気を失ったらしい。

 私にはそれが酷く羨ましかった。

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