スキー同好会
スキー場の更衣室で装備を整えた私は、昨シーズン以来のゲレンデに足を踏み入れていた。
スキーブーツで雪の上を歩く感触。一面の銀世界。次々と滑り降りてくるスキーヤーにスノーボーダーたち。ちらちらと舞い落ちる粉雪。そうそう、これですよこれこれ。このゲレンデの雰囲気が全身に染み渡るともう、一刻も早く滑りたいと足が疼いてくるのだ。
私ははやる気持ちを抑え付け、合流場所のレストランを探すことに専念する。と、浦川先輩がリフトの脇にちょこんと建っているレストランを指差した。お世辞にも綺麗とは言い難いどころかボロっちい印象さえ与えている外観の、こじんまりした建物だ。いかにもゲレンデにある店といった感じ。
「あれだな、多分」
「みたいですね」
板をかついでレストランに近付くと、窓から静香が手を振っているのが見えた。私も手を振りながら、店の前にスキーとストックを突き刺す。
レストランのドアを押し、カウベルの音が店内に響くと、窓際の席に座っていた四人の仲間たちがこっちへ顔を向けた。
「待たせたな」
席の前まで歩いていくと、浦川先輩が四人にそう言った。
「いやあ、浦川先輩が来てくれるのを待ってましたよ。男一人だと肩身狭くて」
と、笑ったのは磯前誠くんだ。身長こそ平均よりも若干低いものの、一年生にして同好会屈指のハンサムフェイスの持ち主で、性格も紳士的。雪焼けで浅黒い肌に白い歯が目立つのなんの。昨日は一日中ハーレム状態だったに違いないと、私はこっそり思った。
「お昼はもう済ませてきたんだっけ?」ヨシさんが訊いた。
「新幹線で不味い駅弁食ってきたよ」浦川先輩が応えた。
「流石は板前の息子。厳しいのね」
そう言いながらそっと笑った。彼女は三好ありさ先輩である。奥ゆかしく控えめな、浦川先輩と同じ三年生だ。本人は自慢しないけど、学年トップの成績を修めている上に、スキーも私たちの中では一番上手だ。そして誰にでも優しい。完璧人間すぎて、顔も性格も頭も大して良くない私なんかはいつも恐れ入っている。あだ名は『ヨシさん』。
そう、初日から来ている四人のメンバーは、貸別荘の借り主である静香、ハンサム一年生の磯前くん、成績優秀なヨシさん、そしてもう一人が――
「じゃあ、さっそくだけど滑りにいきましょう。待ちくたびれたわ」
と、むっつりと言った北森直子である。
直子は同好会でも随一の美人だと私は思う。お世辞抜きだ。みんなもそう思っているに違いない。目鼻立ちがすっと整った顔立ちもそうなのだが、何といってもスタイルがいい。何せスキーウェアの上からでもはっきりと分かる程の巨乳である。身長も女子にしては高い。要するにモデル体型なのだ。いったい何人の男どもを騙してきたのだろうか。身長の割に脚の短いのが悩みだとぼやいているが、私に言わせてもらえばそのルックスでそれ以上を望むのは贅沢というものである。
と、そんな妬み嫉みは措いておいて、私は言った。
「うん、行こう。私も早く滑りたくてうずうずしてたとこ」
*
挨拶もそこそこに、というのはまさにこのことである。
合流してから二分も経っていないというのに、もう私たち六人はリフトの乗車口に来ていた。ほんとにスキー馬鹿が集まってるなと思う。
一回目こそ肩慣らしにと初級者コースを滑ったが、それからというものの調子にのってずんずん上の方に登っていった。当然、中級者コースや上級者コースもばんばん滑ることになる。山頂に近付くほどアイスバーンなっていき、足腰を使うようになっていく。十一月ごろから週末を利用して旅行しまくっていた他の連中と違い、今シーズン初滑りの私としてはなかなかにハードだ。でも、それ以上に楽しさがある。半年もスキーをしてないと禁断症状が現れるもの。
そんなこんなで滑り続けて二時間近くが経っていた。時刻は三時。いつの間にか、かなり雪が強まっていた。もっともそんなことを気にする私たちじゃないのだけれど。
私たちは山頂へ向かうゴンドラに乗っていた。結局山頂まで登ることになったのである。
窓を見ると、景色が見える。高い、という感想が口から出た。下のほうのリフトがどんどん小さくなっていく。
ゴンドラが到着し、乗り場から外に出ると、そこはすっかり別世界だった。下では雪が降っていたのに、ここでは見事に晴れ渡っている。雲より上に来たということだろう。山頂には、冷たく突き刺すような、澄みきった空気が漂っていた。
「やあ、これはいい景色ですね。実は僕、ゲレンデで山頂まで来たのは初めてなんですよ」磯前くんが清々しそうに伸びをした。
「いいもんだろ」と、浦川先輩が嬉しそうに笑んだ。
「素晴らしいですね。ただ、山頂付近って難しそうなコースが多いのが心配で……」
「磯前くんならもう平気でしょ。こないだまでに比べると見違えたわよ。凄く上達してる。飲み込みがはやいわ」ヨシさんが優しく言った。
磯前くんは同好会に入るまでスキーの経験はほとんどなかったようで、一ヶ月ほど前までは辛うじてボーゲンができる程度のレベルだった……らしい。考えてみれば磯前くんとゲレンデで一緒に滑るのはこれが初めてだ。今の磯前くんの滑りぶりを見る限りでは、とても一ヶ月前まで初級者だったとは思えない。ヨシさんの言う通り飲み込みがはやいのだろう。ああ、羨ましい。
「磯前くんは膝の使い方がまだぎこちないけど、コース取りが上手なのよね」直子も感心したように言い、私の方へ顔を向けた。「で、あんたは逆。フォームは綺麗だけど、コース取りがてんでなっちゃいない。だから無駄な体力使うのよ」
「んーなこと言ったって、板が勝手にいっちゃうんだもの」私は肩をすくめた。
「なに初心者みたいなこと言ってんのよ、もう」静香が愉快そうに笑う。
「カッコつけて滑ることしか考えてないとそうなるのよ。磯前くんを見習った方がいいわね」
そう言って直子は笑った。言わせておけば、この巨乳め。
「せっかくだからここで記念撮影でもしましょうか」直子がウェアのポケットからデジカメを取り出した。
「まだ来てない二人に悪くない?」私は言った。
「ああ、光輝と守口くん?」直子は意地悪く笑った。「二人とも今日の夕方、別荘に来るんでしょ? 見せびらかして羨ましがらせるのも面白そう」
意地悪なやっちゃな、と私は笑った。
光輝――というのは、二年生の綱木光輝くんのことである。中学生、いや下手をすれば小学生にさえ間違えられるのではないかと思うぐらい、小柄で童顔な人だ。直子とは反対に、一五七センチしかない身長の割に座高が低く、腕や脚が長いのが自慢だって言っていたっけ。皮肉屋で冷笑的な面もあるけれど、身長がない分は筋肉で男らしくなってやるさと言いながら毎日筋トレに励む姿は何だかんだで微笑ましい。おかげで、技術はともかく運動能力は同好会随一である。
ちなみに、綱木くん、静香、直子の三人は幼馴染だそうで、小学校に入るより前からの付き合いだそうだ。傍から見ていてもあの三人は気の置けない仲といった感じで、羨ましくなったりする。
守口信一くんはひとつ下の一年生。その割に同好会内で一番身長が高く、彫りの深い顔立ちもあってか見た目だけで言えば一年生にはとうてい見えない。……のだけど、外見とは対照的に子どもっぽい性格をしていて、ギャップが面白い後輩である。やたら人懐っこいので、一時期は「こいつ私に惚れてるんじゃないだろうな」と思ったことさえある。正直今でもちょっと思っている。
その二人に見せびらかす用ということで景色をバックに六人で写真を撮ることになった。ハイ、チーズとお決まりの掛け声でピースマークを作る。デジカメに表示された画像を見せてもらうと、本当によく撮れていた。これはなかなか羨ましがるかもしれない。何せ、私だったら絶対に羨ましがる。
と、撮り終わるが早いか、私たちは早速滑りだした。景色も見るときは見るけど、基本的には花より団子な集団なのである。
流石に山頂付近のコースとなると、滑りにくいところもたくさんあった。斜面は急だしやたら狭いし……でも、苦戦していたのは私ばかり。直子やヨシさんなんかはすいすいと軽やかに滑り降りていく。不安がっていた磯前くんさえもが余裕綽々の様子。毎週のように滑りまくってただけあるな……と私は歯軋りする。ただ、山頂付近ともなると雪質が素晴らしく、滑るのはいたく楽しかった。たとえ雪が降っていたってへっちゃらではあるけど、やっぱり天気は良い方が清々しい。
下の方まで滑り降りてきたとき、もう時刻は四時半だった。相変わらず雪がかなり強い。そういえば、天気予報で午後から雪が強い降ると言っていたっけ。ナイターの分までリフト券代は出なかったので、今日のスキーはそろそろおしまいだ。私たち貸別荘へ向かうことにした。
「で、別荘ってのはどこにあるの?」板からスキーブーツを外しながら、私はみんなに訊いた。
「あ……その前に、沙耶と浦川先輩は自分の荷物を持ってきてくれませんか?」
そう言ったのは静香だ。
私はびっくりして聞き返した。
「どうして?」
「別荘まで、ここから滑って行くから」
「えっ、もしかしてゲレンデの中にあるわけ?」
「そうなのよ。夏場は人気があるんだけど、冬場はリフトから離れてるせいで不人気なんだってさ。ふもとならバスも通ってるけど、流石にゲレンデの中じゃねえ」
「成る程……」
私は少しげんなりしつつ、浦川先輩とコインロッカーに預けてきた旅行用の荷物を取りに走った。
旅行前に静香が『鞄はリュックみたいに背負えるタイプのものにして』と言っていた理由が分かった。荷物を背負いながら、スキーで滑って別荘まで行くことになるからだ。
荷物を背負って元の場所に戻ってくると、もう四時四十分だ。
「こっちだったわよね」
と、直子が指差したのはリフトの裏にひっそり存在している道だった。道というほどのものでもない。木立の中に、木々のない空間が細く通っているだけだ。……あんなところを通って行くのか。
というわけで、スケーティングでせっせと滑り続けること二十分ほど。細いし曲がりくねっているし、辺りはどんどん暗くなっていった。雪で視界が悪く、私と浦川先輩にいたっては重たい荷物まで背負っている。いい加減いやになってきたところ、ようやく道が開けて、それらしい建物が見えてきた。
二階建てでロッジ風の建物が、森に囲まれるようにして建っている。屋根の方を見てみると煙突のようなものがあった。
建物から少し離れたところには、物置らしき小屋が見える。旅行前に静香から聞いた話によれば、あそこには斧や鉈、ソリや除雪用具などが保管されているらしい。鍵は壊れていて施錠できないそうだが、きょうび斧だの鉈だのを盗む人なんていないだろうなと私は思った。
正直、ここに来るまでのスケーティングが一番しんどい。しかし、これでタダなのだ。いかに不便といえども、タダには変えられない。静香には本当に感謝しなければ。
私は板を外した。この瞬間の妙な充実感は、スキーをやらない人には理解できないだろう。
静香がウェアのポケットから鍵を取り出して開錠すると、私たちはわらわら玄関へ入って行った。中に全員入ったのを確認した静香が、玄関の鍵を閉める。
玄関のすぐ左脇に小さなドアがあり、そこを通ると乾燥室になっていた。床も壁もコンクリートで固められた、ストーブ以外ほとんど何もない殺風景な部屋だ。私たちは板とストック、ゴーグルや帽子などの小物を乾燥室に置き、いったん各々の部屋で着替えを済ませてからリビングに集まることにした。ゲレンデから帰ったら着替えて集合……というのは、スキー同好会では恒例の流れだ。何だか妙に懐かしい。スキー旅行は久々といってもせいぜい九ヶ月ぶりぐらいなのに。
一階には洋間が二部屋。二階には六部屋だ。直子は一階の階段脇にある部屋で、それ以外のメンバーの部屋は全て二階にある。この部屋割りは旅行前に決めておいた通りだ。といっても、部屋の内装や大きさはどこも変わらないそうだけど。(間取り図参照)
私と浦川先輩は静香から部屋の鍵を受け取った。
五人で階段を上がり、じゃあまた後でと言って部屋へ入る。
ふうと息を吐き、部屋を見渡してみた。
部屋にはベッドとナイトテーブルにエアコン、小さな座卓とクローゼットがあるぐらいだ。床に敷かれたラグカーペットが冷たさを緩和してくれている。入り口から見て奥には大きなサッシ窓があった。周りは木々ばかりだから別に大した景色が拝めるわけでもないのだけど、それでも大きな窓がある部屋というのは開放的で良い気分がする。
あまりゆっくりしてみんなを待たせるわけにはいかないので、着替えることにした。