プロローグ
目を開けると、あまりの白さに目が眩んだ。
車窓からの眺めは、いつの間にか一面真っ白の雪景色に変わっていた。
「お。起きたな」
通路側の席に座っていた浦川先輩が、私に目を向けて軽く笑んだ。
「ふあい」しょぼつく目をこすりながら、私は寝ぼけた声を出す。「今、どこらへんですか」
「あと一駅で越後湯沢ってとこだな。ちょうどいいタイミングで目を覚ましたよ」
私はゆるゆると首をまわした。変な体勢で眠り込んだからか首が痛い。
「東京から新幹線で新潟まで来れるなんて、いい時代に生まれましたよね」私は目を細めながら、流れ去る景色を眺めた。「もうすっかり雪国だなぁ。久々ですよ、私」
「ああ。三好の言ってた通り、雪に関しては心配なさそうだな」
「ヨシさんといい浦川先輩といい、三年生なのに冬休みにこんなことしてていいんですか」
「俺は家を継ぐし、三好は推薦決まってるし」
「羨ましいなァ、進路が決まってる人たちは。私も来年から三年生か……」
浦川先輩は笑った。
「ま、そう腐るなよ。これから楽しいスキー旅行なんだしな」
私も笑った。何せ、内心かなりうきうきしていた。
私と浦川先輩は、スキー場へと向かっているのである。
何週間か前までのことを思うと夢みたいだ。
憂鬱な日々を過ごしていた私に救いの神が舞い降りたのは、そろそろ二学期も残り少なくなってきて、冬休みを目の前にした浮かれムードが校内に立ち込めてきた、そんな時分だった。
私、古坂沙耶はスキー同好会に所属している。
スキー同好会といっても、そこまで真剣にスキーに打ち込むようなところではない。ただスキーをするのが好きという人間が集まる場所であり、それ以上の意識はないといっていいだろう。コーチなんてもちろんいやしないし、そもそもうちの高校にはスキー同好会とは別にスキー部なるものがちゃんとあるのだ。真剣にやりたい人はそっちにいくのである。
週に三日活動日があるが、大したことをするわけではない。バランスボールやスクワットをやって体を鍛えるときもあれば、集まってダベって終わりというときもある。そもそも自由参加だから、来る義務があるわけではない。来る義務がないのだから、大した活動もしないのだ。
自由参加なのには理由がある。アルバイトをしなければならないからだ。同好会に部費は出ない。シーズンになってゲレンデに繰り出そうにもお金がないのではお話にならないので、各自で資金を稼いでおけということなのだ。
そしてスキー場が営業を開始するような時期になったら、アルバイトで貯めたお金で思う存分スキー旅行しまくろうぜ! ……というのが、スキー同好会のメインになっている活動なのである。どちらかといえばスキーが好きな人の旅行サークルと言った方がしっくりくるのではないかと思う人もいるだろう。私もそう思う。
スキー場も早いところだと、十一月くらいにはオープンしている。で、今は十二月だ。
当然、スキー同好会のみんなは待ってましたとばかりに週末という週末を使ってスキー旅行を楽しんでいる。……そう、私以外のみんなは。
どうして私はスキー旅行に行っていないかというと、お金がないからである。お金がなければ当然、スキー旅行には行けない。それが私を憂鬱にさせている理由だった。
私とてアルバイトをしていなかったわけではない。むしろかなり頑張ったほうだと思う。だからお金は貯まっていた。
シーズンが近くなったその日、私はスキー用具を一新しようと思い銀行からお金を下ろしたのだ。どうせこれから毎週のように旅行で使うのだからと、調子にのって全額下ろしたのがいけなかった。でも、その帰り道に引ったくりに遭うなんて、いったい誰が想像できようか! おかげで半年の苦労は全て水の泡。慌ててバイトを増やしたところで、間に合うような時期ではなかった。
部室に来ても、仏頂面なのは私だけだ。他のみんなはいそいそと旅行の計画を立てている。なんて惨めなのだろう。何で私がこんな目に遭わなければならないのだろう。
というわけで、私は失意のどん底にあった。
その私を救ってくれたのが、スキー同好会の部員、江藤静香である。
静香は、子犬を思わせるつぶらな瞳が可愛い女子で、私の同級生だ。スレンダーという言葉は彼女のためにあるのではないかと思わせるぐらい細身な体躯はまったくもって羨ましい限り。気立ての良い性格なので元々良い印象しかなかったけど、今回の件でますます好感度が上がった。
というのは、彼女の父親の貸別荘をタダで使わせてくれるというのだ。なんでも立地がイマイチで、夏場はそれなりに人気があるが冬になると借り手がつかないのだとか。さらに幸運なことに、静香の父親はリフト券までサービスしてくれるという。
宿代とリフト券代が浮けば流石の私でもスキー旅行に行くことが出来る。こんなオイシイ話に乗らない手はなく、それは他のみんなも同じのようだった。
かくして静香の貸別荘、三泊四日のスキーツアーが催されたのである。いやはや、もう静香には足を向けて寝られない。
ただ一つ残念なのは、初日から行けないことだ。大慌てでバイトを増やしたせいもあり、その日にシフトが入ってしまった。さらには、そういうときに限ってシフトを代わってくれる人もいなかったりする。そんなものバックレてしまえばいいじゃないのと囁く自分もいるのだけど、妙なところで生真面目な私は(自分で言うのもアレだけど、そうなのである)結局サボる気になれず、二日目に朝イチで出発することになった。残念。
といっても、同じような境遇の人は少なからずいるものだ。
それが浦川剛という先輩で、彼も私と同じように初日からは行けないらしいのだ。たぶん家の手伝いがあるのだろう。
浦川先輩はしっかり者のスキー同好会部長だ。がっしりついた筋肉、張りのあるバリトンは、いかにも頼りになりそうな印象を醸し出している。実際その通りで、彼は私たちにとってとても頼りになる先輩だ。糸のように細い眼から温厚そうに思われるが、これまた本当に温厚なお人である。家はそば屋で、私も何回か食べに行ったことがある。先輩もゆくゆくは跡を継ぐのだとか。
浦川先輩も私と同じく二日目からは参加できるようで、私たちは一緒に出発することになった。二日目の昼に、ゲレンデのレストランで初日からの人と合流することになっている。
その他、一年の守口信一くんと二年の綱木光輝くんの二人はインフルエンザが完治していないため途中参加とのこと。
普段の旅行もそうだけど、何だかんだで途中参加って人は多い。私も何度か経験があるし、それでも充分に楽しめた。そんなわけで、私は浮かれきっていたのである。
私は窓の外を見た。
新幹線は越後湯沢駅に入ろうとしていた。