願うことはただひとつ
初投稿になります。
自然豊かなとある国に、賢王と呼ばれる立派な王がいました。その国王のおかげで国には争いもなく民は幸せに暮らしていました。
国王には王妃と二人の王子がいました。美しい妻と賢く立派な息子たちに囲まれ、国王も幸せでした。
ある日、国王が病によって倒れてしまいました。名医と呼ばれる医者を国中から集め診察してもらいましたが、原因不明の病に効果はなく、治る見込みがありません。
国のだれもが国王の回復を神に祈りましたが、容態は悪化していくばかりでした。
騎士の一人が国王の病気を治すべく調べていると、ある古い書物に気になる話が載っていました。本の傷みはひどく、ほとんど読めませんでしたが、最後の一文はかろうじて読むことができます。
『願いを叶えた――、北の森――銀の髪――魔女――に逢――』
騎士は急いで大臣たちに報告しましたが誰も信じてはくれません。何故なら銀の髪の人間を見た者はいませんし、その本は誰が書いたのかもわからないのです。
それでも騎士はその魔女に会いたくなり、一人で北の森に向かいました。道のりは長く険しいものでしたが、それでも騎士は歩き続けました。
城を出て一か月、騎士はようやく森に着きました。
暗く寒い森を進んでいくと、森の中心の少し開けたところに小さな木造の小屋が建っていました。しかし人の住んでいる気配はありません。古びた扉をノックすると、中から若い女性の声で返事がありました。昂ぶる鼓動を抑え、騎士は自分の名前を名乗ります。
しばらくして、扉がゆっくりと開きました。現れたのは、月のような銀の髪に、泉のような青い瞳を持つ色白の美しい女性でした。
騎士は初めて見る魔女の髪の色に驚きましたが、何故か懐かしい感じがしていました。
女性は騎士の顔を見ると驚いた表情を浮かべました。
「何かご用でしょうか」
見惚れていた騎士はその鈴のような声で我に返りました。
「貴女が『北の森の魔女』様でいらっしゃいますか」
銀髪の女性は懐かしそうに微笑みます。
「そう呼ばれることもございました」
「早速で申し訳ないが、話しを聞いて頂きたい」
騎士は国王の病状、国中の者が回復を祈っていること、国王がどれほど立派な人間かを精一杯伝えました。
しかし魔女は首を横に振りました。
「死は必ず訪れるもの、抗えぬものです。私にはどうすることも出来ません」
騎士は自分の荷物の中からあの古い本を取り出しました。
「この本に、貴女に逢えば願いが叶うと――」
魔女は悲しそうに騎士を見上げます。
「自分の望みすら叶えられない私には、人の願いを叶えられるような力はありません」
「魔術でも薬でも、何かありませんか? どうか、あの御方を助けてください」
「病で亡くなるのも殺されるのも運命。運命は変えてはいけない。無理に捻じ曲げると――」
「それでも、どうか」
必死に頭を下げる騎士をそのままに、魔女は家の中へ戻ってしまいました。
騎士は途方にくれました。
踵を返そうとした矢先、魔女は再び現れました。手には赤い色の液体が入った小瓶を持っています。
「まだ国王の命の灯が残っているのなら、これを飲めば回復しましょう」
そう言って小瓶を騎士に差し出しました。
騎士は喜び、その小瓶を受け取ろうとすると、魔女が小瓶を持ちあげます。
不思議そうな表情の騎士を、魔女は真っ直ぐ見つめました。
「これを差し上げる代わりに、私のお願いも聞いてください」
騎士は驚きながらも大きく頷きました。
「私を殺してください」
魔女は人形のように無表情でした。自分を見つめている瞳が、自分に向けられていないように感じました。
「私は年も取らないし自分では死ぬことも出来ません。殺されても死なないのです。だけど貴方の手にかかればもしかして――」
魔女ははっと表情を元に戻しました。
「ごめんなさい。今の言葉は忘れてください」
そんな事をすれば、《《また》》貴方に罪を背負わせてしまいますものね、と魔女は寂しそうに微笑みました。
騎士は小瓶を大事にしまうと魔女に何度もお礼を言いました。
魔女は硬い表情のまま言いました。
「国王に、誤った選択をせぬようにとお伝えください」
騎士は不思議に思いながらもしっかり頷き身を翻しましたが、すぐに足を止め振り返りました。
「以前にもお会いしたことがありますか?」
魔女は視線を落として微笑みます。
「私は長らくこの森から出てはおりません。きっと気のせいでしょう」
騎士は自分の名を名乗りました。
「よろしければ貴女のお名前もお教えくださいませんか」
魔女は戸惑いながらも、しばらく口にしていなかった自分の名前を声にしました。
騎士は「また会いに来ます」と嬉しそうに微笑み去っていきました。
魔女は「どうか貴方は死なないで」と悲しそうに彼の後ろ姿を見送りました。
騎士の持ち帰った小瓶のおかげで、国王は奇跡的に回復しました。
国中が喜びに沸きました。これでまた皆が幸せになる、誰もがそう思っていました。
たった一人、あの魔女を除いて。
しばらくして、王妃が国王暗殺未遂の疑いで投獄されてしまいました。投獄に反対した王子たちは留学という名目で遠い国に連れていかれました。
命令したのは国王でした。不自然な自分の病気を疑った国王は、ある大臣の甘言に唆されてしまい誰も信用できなくなっていました。
疑いをかけられた王妃は悲しみのあまり獄中で自ら命を絶ってしまいました。
悲報を聞いた兄王子は留学先で病気に罹り、王妃の後を追うように死んでしまいました。
弟王子は留学先から戻ると兄王子の形見の剣で国王に斬りかかりました。明るく無邪気だった弟王子は無表情で、一言も言葉を発することはありませんでした。
あの騎士は自ら盾となり国王を守りました。しかしその国王も弟王子も、そして自分も、今は血の海に沈んでいます。
遠のく意識の中、銀色の髪が視界に入りました。あの魔女がどこからともなくやってきました。騎士は嬉しくて魔女の名を呼ぼうと口を開きましたが、出るのは声ではなく血ばかりでした。
魔女は騎士の傍に膝を突きます。騎士の命は今にも消えてしまいそうでした。
「――また同じ」
魔女は騎士の顔にかかる血濡れた茶色の髪を、優しく手で撫でました。
「貴方は必ず私の元へやってきて、そして命を落とす」
独り言のように呟く魔女の、澄んだ泉のような瞳からは涙がはらはらと零れ落ちます。
「国王毒殺の嫌疑で死罪になったことも」
王妃に頼まれて魔女の元に薬を取りに来ただけの誠実な近衛騎士は、魔女に疑いがかからぬよう、犯人に仕立てられても最後まで口を閉ざしていました。
「襲われて亡くなったことも――」
傷を負って森に彷徨いこんだ優しい旅人は、魔女を探す不逞の輩に嘘を突き通しました。
「その前もその前も! どうすれば私は貴方を救えるの!」
死を間近にしたせいか魔女の悲痛な叫び声に、騎士は全てを思い出しました。
今の自分ではなかった頃、彼女と将来を誓い合った仲だったこと。
彼女の髪が本当は美しい金色だったこと。
彼女が魔女と称されるほどの薬師だったこと。
不治の病で死の床に臥す彼女を、魔術師だった自分が禁術で不老不死にしてしまったこと。
後悔と縋るような気持ちで、本を記したこと。
そして、運命を捻じ曲げたせいで自分たちは永遠に一緒にはいられないことも悟りました。
騎士は泣き崩れる彼女の微かに震える膝にそっと手を置きました。
涙で溢れる瞳が騎士を見つめます。苦しそうに歪む彼女の顔に、騎士の胸が痛みました。自分のせいで彼女を苦しめていると知った騎士はこの想いを何とかして伝えたいと口を動かします。
魔女が顔を近づけると、騎士の周りからは血の臭いが消え、柔らかな草の匂いで満たされていきます。
「す――ま――ない」
こんな運命にしてしまったのは自分のせいなのに、彼女は精一杯微笑み首を横に振り続けています。
同じ時を過ごすことができなくとも、会えば必ず死が待っていようとも、彼女の永遠の孤独を少しでも癒せるのならそれでいい。
願うことはただひとつ。
また君に逢いたい。
魔女は昔のように愛おしげに微笑んでくれる彼を見て胸が張りさけそうでした。
例え孤独の海に沈もうとも、心が壊れてしまっても、重い罰を受け続ける彼を永遠の苦しみから解放できるのならそれでいい。
願うことはただひとつ。
貴方を助けたい。
「待っ――て、て」
また逢いに行く。
そう言って騎士はそれきり動かなくなりました。
「待っています。ずっと」
今度こそ貴方を救う。
魔女はいつまでも彼の傍に寄り添っていました。