#06 fairs judgemention
コンビニの駐車場に真穗の他に四人のシフタが行動を共にしていた。
その一人に本日真穗のパートナーである蓮岡結凜。今はシフタ一人を気怠そうに軽く雑扱っているようだ。フード付のシックなパーカーから鶸萌黄の髪とクールな相貌が覗く。
そして残りのシフタ達は高梁澪緒、宗兼真匠と宗兼燈架の三人。真匠と燈架、こちらの二人は結凜と良く絡んでいる、同じ双子同士だから絡み易いのかも知れない。まあ正確に言うならば、結凜の方は双子だった、と過去形にすべきなのだろうが。
その隣で真穗と同じくレジ袋を持っている澪緒は、片手に紙パックの紅茶にストローを挿し込み、そのまま幾らか飲んで渇いた咽喉を潤すと双子たちの方へ視線を向かわせた。
シフタ達が抱えている症状の斟酌値は陰性核(アクト0)から超毀者(アクト3)の四段階で構成されている。
まず陰性核(アクト0)というのは欠陥が生じて何も異常が検知されなかった素体、次の狂毀者(アクト1)は能力制御に乏しく毀れやすい素体のことを指し示す。それから過毀者(アクト2)は過負荷時でも(多少の個人差は診受けられるが)意識を維持しており、生存率は狂毀者(アクト1)より比較するまでもなく高い。
そして最後はその頂点――鬼祕神の体現者となる超毀者(アクト3)は、過負荷や越流濤を保持している(越流濤も使用を誤れば人体への過負荷を伴うが、現状そんな事態にはなることはまずない)ので過毀者(アクト2)より自滅率は低い、故に超毀者(アクト3)は〝taneli〟と呼称されている。この中で真穗と澪緒の二人は過毀者(アクト2)で、結凜それから真匠と燈架の三人が狂毀者(アクト1)だ。
現在の時刻は午後二時半ばで午後三時頃には招集が掛かっている為、あまり時間がない。
そろそろ警察に報せる時期がくるのだろう、それは飽くまでも布石の一つ、彼らに捕まる気など毛頭ない。そうすれば否応なく警察も動かざるを得なくなるはずだ。日本の警察は優秀で有能な為、凡そ奇特な人間が奇抜で嘘真な内容を事後的に載せていたとしても、警察が稼働するには足りないだろう。まあ連続失踪事件やら通り魔事件やらに関して動くことはあるとしても、それが犯人の記事だと誰が言えようか。そんなものは誰にも言えるはずがない、それが匿名性のあるネットという、ある意味で現実と隔絶された広大な一つの社会なのだから。
しかしまあ犯行者である確証となるその情報は、午前中に更新したヒメアリングの記事で既に公開しているので、そこから動き出して辿り着くことも時間の問題ではあるだろうが。
「これでようやくスタートライン、立ったってさー。これからが難しいし、厳しいよ。まったくもう……何で主はこう、人遣いが荒いんだ」
「――――大変そうだね……子守」
「これを解ってくれるのは真穗と美黎だけだよ、希汐なんて自由奔放だし、悩みナサソー」
苦笑を浮かべ、若干ながら羨ましそうにする澪緒。
ただ子守とは言っても、本当に子守と呼べる者は美黎だけだろう。真穗と澪緒の二人も子守と言えば子守だが、そのパートナーである結凜と宗兼姉妹は中学生で、小学生の雛備をパートナーに持つ美黎とでは、子守度での心象で幾分劣って見えてしまうのは致し方ない。
「まあまだ私らの場合は良い方じゃん? 中学生だし多少放っておけるし。でも美黎のとこなんて、小学生で頭のネジが飛んでっからねえ」
「確かに。でも私の場合は少し違う、結凜のこと頼んだりしてるし」
「あー、それもそうか。でもいいなー、単独行動できるなんて」
「それより、もう行かないと召集の時間に間に合わない」
真穗からそう進言され、澪緒が時刻を確認すると召集時刻まで残り十七分を切っている。
このコンビニから根城にしている廃墟ビルディングまでは徒歩で十五、六分くらい掛かるので、もう行かなければならない。すると紙パックの紅茶を一気に飲み干して、澪緒は空になった紙パックをゴミ箱へ投函しながら、結凜や宗兼姉妹へ声を掛けてコンビニを後にした。
× * ×
そしてその時、ある者は出会いを果たしていた。
一方は今にも倒れそうなほど不健康に見える十代後半の女性。もう一方は老いを感じ始める三十代前半の男性。この一見すると歪な組み合わせには意外か意外でないか、はさて措いて共通点が存在する。元々それは同胞であるからして、仕方ないのかも知れないが。
現在その者達は、白を基調とした静謐な〝Science of Philosophy〟の研究施設の一角に幾つか設けられてある応接室の裡、その一室で相対している。間取りは可もなく不可もなく、といった感じなのはお偉方が訪問してくる際に窮屈さを感じさせない造りにしている為だ。それにしても結局、白単一の濃淡を程よく使い分けた流線型グラデーションを採用している内装のデザイン性は欠いており、ごく一般的な研究施設とそう変わり映えするものではない。
そう、元SoPの研究員である遠野椛、それから現役SoPの福武恭志だ。
「初めまして、で良いのかな? 遠野博士。私の方は君のことを良く存じているけれど」
「そうですね……こういった形で顔合わせしたのは初めてです、福武博士。それで申し訳ないのですが、さっそく本題の方へ入らせてもらいたいのです」
恭志が快諾すると、椛は続けて言葉を告ぐ。
「福武博士、二年ほど前に実験をされておられましたよね、そのことについてです」
「――二年前か、となると何處から漏れたのかは知らないが、あの実験に纏わることなのだろうな。まあ答えられる範囲では応えよう、だが恐らく君の欲しているような知りたい情報は聞けないと思うがね。それを僕へ訊ねに来るくらいだから、もう既に君は概要を多少なりとも知ってしまっているのだろう?」
「ええ。ハイメウル投与人体実験とは、恐らくホライズを形作るシステムの一部、或いはそれに準ずる何かを基盤とした装置を用いて予めプログラムしておいたデータを投与し――その結果、通常人間の常時働いているはずである身体のリミッターを破壊し、被験者を意図的にゾーン状態へ誘発させて人間の持つ資質を開放し、身体能力の向上を図り異邦犯へ対抗しうる存在を構築する計画」
そこまで矢継ぎ早に椛は告げると一息吐き、向かいに側に座っている恭志を見やる。
「――と、私は推測していますが、どうですか?」
すると恭志は少し目を丸くし、感歎を漏らしながら椛を眺めている。
「そこまで知っていて、僕に何を訊こうというのかな、君は」
先程の推測が何處まで事実であるのか、恭志にはぐらかされてしまったが、それも恭志の立場からすれば仕方のないことだろう。
「私が知りたいのはどうして凍結されているにも拘らず、今になってその極秘データを奪取されているのか、ということです。凍結は二〇二三年一一月、それから盗まれたのは二〇二五年四月――つまり、今月。その間のタイムラグは約一年半もあることになります。失礼ですがこの件で恨み辛みなど抱く人物に、福武博士は心当たりがお有りではないですか?」
「そんなことを今言われても困るね、そんなことは誰だって思っているだろうさ。でも強いて挙げるならば、やはり彼であるべきなのだろうな、」
「彼……と言いますと?」
「彼の名は庵谷昶仁、その件には企画段階から参加していた。勿論、私も企画段階から携わっていたが、結果的にいえば私が実験の陣頭指揮を執り、彼は陣頭指揮を執れなかった。それでも彼の計画には私の個人的な意見としては、興味をそそるものであったことに口惜しさを感じないでは無かったのだけれどね」
薄弱な笑みを浮かべ、恭志は続けざまにこう口にした。
「まあでも彼が今回の件に関与はしてないだろうけど。実験凍結前にはもう興味をなくしていたみたいだしね。問題視するなら企画会議で私と庵谷を除いた、約五名の研究者と三人の采配者の方だな。私が連絡先を知っているのはそのうちの三人だけだが、君に教えておこう」
その恭志から手渡された紙には、ハイメウル投与人体実験の関係者である三名、鷺原朱雅と本位田圓和、それに伊加縒緻の連絡先が記されている。
「……鷺原朱雅、本位田圓和、伊加縒緻。有難う御座います、今度お礼に粗品でもお贈りしますよ。希望があれば仰ってください、出来る限りはお応えしましょう」
その渡された紙をしまい、椅子から腰を上げて椛は辞令的、儀礼的に恭志へ頭を下げる。
それに対して恭志は少し表情を緩めた笑みを見せ、椛に続いて立ち上がって口を開く。
「いえいえ。貴女が元SoPの人間であるにせよ、私共のお粗末さ加減を晒して大変お恥ずかしい限りですので、気にしなくて結構ですよ」
「私も、この件に関して立ち入らないといけない研究者としての意地もあります。この件は国のお偉方が絡んでいるのでしょうから滅多なことは控えますが、この計画の基盤には私の所有する特権が、おそらく幾つも侵害されていますからね。その制裁を加えねばなりませんし、一概にSoPだけの問題とは言わせないです」
出入口の扉まで歩いてその扉へ手を掛け、思い出したように椛は恭志の方へ振り向く。
「それから最後に忠告を一つ。そこへ至る道程がどうであれ、もし貴男が今以上に闇へ堕ちてしまっても、誰も貴男を救わないでしょう。貴男と向かい合う人間は等しく闇を駆けている魔物達です、その一端に触れた貴男には解ると思いますが。私に其処までの力量は持ち合わせがないのでくれぐれも注意してください。殊更に福武博士の研究は闇への流用、直結がしやすい分野なのですから」
そう言い残すと椛は研究施設を後にし、まずはもらった連絡先の裡、鷺原朱雅から当たることにした。
× * ×
ボロボロに鄙びた廃墟ビルディング、その屋内に拵えた会議室。
そこには九人の少女らが勢揃いしており、それから成人女性、綱沢裄遙の姿がある。
時刻は午後三時を回り、ギリギリで招集へ間に合った四人組の少女が床へ腰掛けたことを裄遙が見届けると先立って口を開いた。
「ヨシ、皆揃ったようで何より。これからは代理人の宰務に代わって私、綱沢が直々に陣頭指揮を執る。では、これより説明会を始めるとしよう」
衣服の染みが目立つ清潔感とは無縁な白衣を纏っている。
その白衣のポケットから比較的小規模な記憶媒体を取り出した裄遙は、自分のホライザーの接続端子へと挿し込み、この場にいる少女達とホライザーを無線で連結させておく。
引き続けてホライザーのウィンドウを操作し、記憶媒体を選択すると唯一〝systemasis〟だけが表示されている。それを開き進めて多岐に及ぶ項目の中からリストレット(仮)のファイルデータを展開させた。
そこには右脇へ黒装束を撮影したスナイプ写真、その左脇に不備だらけの個人情報や備考など集積された複数個のデータは、少女達の眼前にあるウィンドウへも映し出されてゆく。
「――コ、これは……」
「本計画のために選別した仮標的達だ。まず君らに見せている人物、彼は裏で〝吸血狼狐〟なんて呼ばれ畏怖されている異邦人。約五年前に発生した残闕窃盗事件――まあ一般的にはレムナント事件といった方が通りは良いかも知れないな。それ以後より、日本国内での目撃証言は完全に途絶えてしまっている」
「それでは計画の最終段階の必須項目である実戦での抑止制圧の実践はどうするんです? 相手が出てこないのでは話になりませんよ」
少女の中の一人、紘が当然の指摘を述べた。
それに対して裄遙はさして気に障った様子もなく、応えの言葉を続ける。
「ああ、それについては心配いらない、昨年から彼の目撃証言が出てきた。その動向も、もう既に掴めているし、この件に関与させているから大丈夫。私が懸念していることは無暗に君らが彼に狩られないかが不安要素としてある、ということくらいだな」
「そう言われてしまうと、此方としては釈然とはしないんですが。でも彼は本当に異邦人なのですか? これだけの情報では根拠として薄弱だと思いますが。――まあでもなるほど、これで監視カメラの理由に合点がいきましたよ」
「彼は間違いなく身体能力的には異邦人さ。肉眼では捉えられないが、目に見えて特徴的なのは、その速度と身の熟し。事実、彼は結果的にターゲットとなった者を余すことなく、須らく狩っている。君ら単体での能力では彼の足元に及ぶかどうか、と言ったとこだろう。その件もあり、君らを集団行動させていた面もある。彼との戦闘では連携攻撃は必須条件だからな」
「……そうですか」
「まあ納得いただけたのなら何より。こう話して聞かせるだけだと、説得力が足りないだろうから、後ほどハイスピードカメラが捉えた約五分間の動画映像を渡すよ」
片脇に拳を当て、もう片側の掌を紘へ向けながら裄遙は言葉を口にする。
その言葉を受けて紘は少しだけ表情を弛緩させ、一先ずは押し黙った。
「――ちょっと良いですか……綱沢さん」
今度そう切り出したのは、美黎という少女だ。
快く裄遙は首肯し、今度は腕を美黎の方へ伸ばして掌を向けた。
すると美黎は口内の唾を少し飲み込み、握り拳を一瞬だけ強めて逡巡しながら発言する。
「私と雛備……恐らく、この少年とさっき交戦しました。けれど別段、異質さを感じることはありませんでしたよ。強いて異質なところを挙げるとするならば、何を隠しているのか判らない服装へ一般的な警戒を払うくらいですし。意表を突いて制圧することは出来てましたが、その後も私達を追うのかと思えば、呆気なく見逃して引き下がりましたよ?」
「……そうか。だとしたらそれはただの様子見だな。彼は確実性を得るために君らを敢えて見逃したんだ、下手すると次で君らは詰んでしまうだろう。それに猶のこと厄介なのは彼女、テンリがこのシステマシス計画の舞台へ加わって来そうな点だ」
「え、でもあの娘は監禁されているはずじゃ……?」
「三〇分ほど前、彼女に脱獄されたと連絡が届いてね。しかも監視カメラには協力者の姿も映っていたらしいし、全く……困ったものだ。とは言っても協力者の有無に関わらず、彼女は脱獄を成功させていただろうがね」
不適に口角を上げて嗤い、裄遙は少女達を見渡した後、招集会議の話を続ける。
「いざとなれば非常に惜しいことだし、あまり気も進まないのだが、彼女を破壊し破棄してしまえば済むことだ。今後の方針としては、真庭紘と栢野希汐は従来通り、後方支援を続行。次に難波美黎、乙倉雛備、高梁澪緒に宗兼真匠、燈架の二組は囮役だ。リストアップした異邦犯を遊撃しながら、吸血狼狐――以後、コードネームをヴァンプFと改め、その対象者への接触を試みる。それから日笠真穗と蓮岡結凜の二人は別命がある迄この場で待機、以上だ」
そう告げるとホライザーを操作し、裄遙は記憶媒体をポートから引き抜く。
そして新たに取り出した記憶媒体を紘へ手渡し、のそのそとした足取りでゆっくりと闊歩しながら、裄遙はボロボロに鄙びた廃ビルを後にした。
× * ×
本日の授業課程も全て終え、放課後。
早退した有栖陰音から約二時間半――完全下校になる二時間程前である現在は、部活へ向かう者達と帰途に就く者達とが行き交う。まだ入学して二日目ということもあり、どこへ入部するかを決め倦ねているのか、部活動へと赴く者の数は少ない。
栗坂夏希、行藤心侑、高梁夜宵の三人は校門を潜ると眼前に見える信号機まで直進、国道を横断し、そこから左折した先の鷂雛欒という趣のある喫茶店へ足を運んでいた。
「早退なんてどうしたんだろう、イン君」
「そうだよね、昼食中に何か調べものしてたみたいだったけど。でも心侑ちゃん、今はこっちの課題に集中してね」
「あぁ……それ隣にいたクラスの話を調べてたんじゃない? たしか〝オニヒメガミ〟とか如何たら斯うたら言ってたわね。心侑、それからそこAとウの組み合わせは間違いよ」
理科の問題集をやっつけ仕事でしている心侑へ夏希は、それとなく注意点を指差しながら打診してドリンクバーにある梅レモントニックをストローで啜り、対する心侑は唸ると指を視線で追る。その隣で夜宵は慎ましくドリンクを口へ運び、夏希の発した言葉を胸中で反芻させながら記憶を遡り、辿々しく声を躓かせる。
「……オ、ニヒメ、ガミ――?」
「そ、オニヒメガミ。でもま、どんな経緯でどんな雰囲気かは調べないと何ともだけど、つまるとこただの粋狂な与太話なんでしょうけどね」
嘆息交じりに夏希が微笑むと、課題に向かう心侑が顔を上げ、思い出した様に口を開く。
「ああ、それだったらウチんとこのクラスの男子諸君も多分そんなこと言ってたなぁ、えっ……と、何だっけ何て言ってたっけか〜、そのサイト。確か、何とかリング? とかって言ってたような気がしないでもないけど。――あと他には何かの動画があるっぽいよ」
「ま、この件はあとに。今は課題を終わらせることです」
「だからって、とほほ顔されても何もしないからね」
言うだけ心侑に言って、手を休めていた夏希と夜宵の二人も残り少ない課題を片す。
二人からのバッシングを受け、心侑は薄く涙目になりながら課題を消化してゆく。
× * ×
国道沿いにある挌技施設、そこには一人の異邦人の姿があった。
現在、その挌技施設では格闘技の予選大会が催されている。主催者は国が働き掛けをしているものではなく市営の大会なので、規模的には小規模なものであるといえるだろう。だが、もう既に結果発表も終え、賞状やトロフィーの授与を行っていた。
彼女は裏仕事専門の仲介人、大饗釟環。
頭髪は太陽光の紫外線で傷んだ様な、銅毛を方まで垂らしているが、その頭髪には欠片も傷んだ形跡は見られない。含量が毛髪や表皮を傷めない素材のものを使用されている染料を頭髪へ塗っているからだ。服装は上部にキャミソールと薄手のシフォンジャケットを羽織り、下部には非対称な丈のクロップドパンツとトレンカにセパレートパンプスのハイヒールだ。
結果も分かったことだし事務所に戻るか、などと釟環が考え始めていた時のことである。
彼、あるいは彼女(よりは、同じ彼であっても〝彼〟と呼ぶ方が適切なのか)から連絡が来ていた。正直、先程まで暇潰ししていた釟環の心地よい気分が概ね台無しになっている。
その通話着信のコールを保留にした後に着信拒否ボタンをタップしてやろうか、とも釟環は考えたが面倒臭くなってきたので、ここは大人しく大人な対応で通話ボタンをタップして通話を始めた。
「よう、珍しいじゃないか、お前が儂に電話を掛けて来るなんてよぉ」
『これから会えないか? 人材錬磨』
この女性よりの中性的な声で、そう告げてきたのは有栖陰音、という人物だ。
やや怪訝な面持ちと声音で釟環は応え、板金状の赤金で造られたバングルへ掌を掛ける。
「無理だな、まだ少し仕事が残ってやがるし。――で、何だ。急用でもあるのか? 人材斡旋なら良心的な価格で取引してやんよ。どんな奴が欲しいかこのお姉さんに言ってみな」
『良心的な価格、ねぇ……怪しいもんだけどな、それ。で、その中で俺はどの辺なんだ?』
「そりゃ安くはないけど高くも無いってとこだろな。まあ冗談はさて措き、落ち合う場所はどこにすんだ、事務所にでも来んのか?」
『――――そうだな、その方が何かと便利か。準備もあるだろう、今から四〇分後ぐらいか』
諦念の滲んだ得心を渋々だが相手に伝え、釟環は通話を閉じて帰路へ就いた。