#02 bellona factivation
イクシル本社、地下三階の開発室。
椛に言われた通り、陰音はラボに足を運んでいた。その部屋にはホライズが閃光のごとく、煌々としている。これはホライズから発せられる無数の光で、半透明に輝いて見えるということは、現在進行形で可視化状態なのだろう。
そこにいる開発員は数十名に渡って働いているが、一際目立つのは低身長で不健康極まりない容貌の女性一人が確実に、悪い目立ち方をしている。その名も紛うことなく、天災なる天才の歪質者、と揶揄される椛に他ならない。ちなみに現役の女子高生であり、つまり陰音の年頃にはホライズを発表していたということになる。
そして気怠そうに陰音がラボに入室すると、椛は陽気な声で話し掛けて来くる。
「やあ早かったね、詰まるとこ今日は絞られなかったんだ。それとそこに置いてある飲料水は好きなの飲んでいいから」
椛は皮肉をサラリと吐き、と缶とペットボトル群の飲料へ促す。するとホロウィンドウから目を離し、陰音の方へ振り向くとコーヒーを片手に座椅子に就いた。
「いつも俺が絞られてる、みたいな言い方は止めてくれ。非常に不愉快だ」
黙って450mlペットボトルのコーヒーを一本拝借し、陰音は咽喉を潤す。
「とこっで、イン君はあの自動拳銃を持って来ているよね? 今出してくれないかな」
「やっぱりこの自動拳銃を送り付けてきたのはアンタだったのか、全くいい加減にしろよ。身勝手すぎるぞ、気付いているのか」
「失礼だなあ、イン君。私は頼まれて送り届けただけなのに」
陰音はやる気なく適当に返事をして自動拳銃を椛に渡す。
「頼まれた、だって? そんなこと頼むのなんて、白鴉くらいなものじゃないか。それと、も……しかして。そのことはまあ良い、それより本題に入れ。何か入用なのか?」
「――ん。ま、ちとね」
「その煮え切らない態度は何だ、嫌な予感しかしないぞ」
そう言うと陰音は深い溜息を吐き、苦い表情を顔に出す。それに首を僅かに左右へ振り、両肩を竦めて苦笑いをし、椛は座椅子を回転させてデスクの収納スペースに手を掛ける。
「いやそれは違う……快報の方だよ。こんな時くらい、何もかもネガティブな方に解釈らないでくれるかな、気が滅入って仕方ないよ。コッチは一日中外出なしなんてザラなんだから、せめて少しくらいポップな空気にすることに貢献してくれ給えよ――っと。ありゃ、向こうにあるのかな、アレ。ちと持って来るから待ってて」
そう言って椛は扉の眼前で立ち止まると、顔だけを陰音の方へ向ける。
「いや、やっぱりイン君もいた方が何かと手間が省けるし、すぐ済むから悪いけど来て」
その椛の言葉に準じて後に続き、陰音たちは隣接する試験室へ移動する。そこにはCTS検査などに使用される機器が設えられており、その中でも椛はモニター部に足を運び、やはり此処でもデスクの収納部を重点的に捜している。
その収納部の中に目的の物を見つけ、それを手にした椛が近寄ってくると、それを陰音の眼前まで差し出してくる。その手にしていた物とは、陰音の見間違えでなければホライザーなるものである。そして有栖陰音には扱えない物として、代表的なものだ。しかし眼前の椛に悪意は皆無だった。
「これはどうゆう意図や意味を孕んでいるんだ?」
「別に。如何やら嫌がらせか何かだと想っている様だけど、滅相も無い。誤謬、誤解、勘違いだよそれは。それに頼まれてたヤツの試作が出来たから純粋に呼んだだけ、まあ飽くまでも私の中の推論によって構成されたものだけど、君は聞くかい?」
適当に壁へ背を預けている陰音へ向かって、椛は冗談めかしく話し掛けてくる。
その言葉を陰音は冷静に吟味し、椛の説明を聞くことにして黙肯した。どうせ陰音が首を横に振ろうが縦に振ろうが、結果的には椛が語って聞かせていただろうことを考慮し、鑑みて吟味した上での判断なのだ。
「そもそも一般的に人間は電子パルス――いわゆる電気信号ってモノで命令を届けている。それは君だって知っていることだろう、もちろん私もその例から逸脱してはいない。当然だけどホライザーだってその人間の電子パルスを利用している。結論を言うと……」
「俺、何だかその話のオチが見えたぞ」
「奇遇だね、私もそうだと思った。結論を言うと、そもそも君は電子パルスで命令を伝達していなかったんだ。簡潔に締め括るとだね、君は電子パルスじゃなく、光子パルスの信号伝達をしていた訳だから、その電子を光子に置き換え……て、まあ他にも色々追加はしているけど概ねそんな感じにしたら、イン君にも扱える様になるだろうって推論さ」
そこで椛は一度息継ぎをし、コーヒーを流し込む。
「まあ実際に使えるかどうかは、これから判ることだけどね」
「電子信号で動いてない脳へ電子信号を送っても、動作しないのは当然ってことか。それだけならまだしも、脳への悪影響を懸念せざるを得ない。良くて体調不良、悪くて脳機能が低下して呼吸不全で死に至りかねない、笑えない冗談にも程がある」
「ごもっともなご指摘だね、まあでも君みたいな例外中の例外だけだケドネ。一般用の注意事項にも、その旨は私が追加しているよ。あと各メディアを通して警告もしているとこ」
「そりゃ良かった。今、この会社に傾かれたら、報酬が未払いになりそうだからな」
そう言うと陰音は終わりだ、という風に肩を竦ませて苦笑を浮かばせる。
すると椛はモニターの前にある椅子に腰を掛け、ホライザーを操作する。
「じゃあ一通り済んだことだし、イン君のホライザーをテストしようか」
「ああ、わかった。ガイダンスとかは要らない、もう殆ど扱い方は判ったから」
端的に対応すると陰音はアタッチメントを利用し、ホライザーを首の両側面に装着する。
まず初めに陰音はホライザーを起動し、システムスキャンを開始させる。
「いやはやそれは凄い、それも〝Fullæsthesia〟――全境感共覚とやらの能力なのかな」
「いいや、ホライザーの簡易な操作方法ならネットに幾らでも転がってる。それにフリスタジアは共感覚みたいなものだぞ、全然関係ないだろ」
「まー、それもそうだね。にしても本当にその能力は凄いね、現段階で羨ましいとはあまり思わないけど」
「そりゃどうも。ま、こんな能力を持っていても、良く思えることなんてほぼ無いからな」
適当に相槌を打って話していると拡張現実(AR)機能のスキャンが終了し、眼前にはポップされたARウィンドウに仮想現実(VR)モード開始の警告が表記されている。
「これからVRの方に移行させるから話しかけても無駄だぞ」
背を預けていた場所から離れ、陰音は床へ腰を就くと承諾(YES)ボタンをタッチする。
するとウィンドウの類は陰音の視界から自動的に閉じ、意識は数瞬のうちに仮想空間へと誘われ、初期ホームに立っていた。
初期アバターの陰音は現実の容姿が精確に反映している。本来はこれだけ精確に投映されないらしいのだが、その辺は椛の手回しによるものなのだろう。指を振ってメニューウィンドウを開くとVR機能のスキャンを奔らせ、メニューウィンドウからアイテム欄を確認する。
初期アイテムの他に衣服や装飾類は七つ程あり、椛の手が加えられているのだろう。
衣裳はギリーコートとVネックカットソー、プリーツスカートにラバーソールのショートエンジニアブーツで色は勿論、黒で統一されている。そして装飾品の蛍光腕輪の二つだ。
その初期衣裳から着替えると、それはもう忠実に現実の陰音が投映されていた。簡素なソファーへ腰を掛け、スキャンの完了ダイアログボックスが表示され、自動的に閉じられた後グアウトする。
「やあイン君、コンニチハ。記憶は正常に機能しているかな?」
「……ぁあ、全く嫌になる程に正常だね」
その椛の言葉に陰音は皮肉というスパイスで味付けして応じる。
それに対して椛は空々しく首を傾げるだけだった。
「試行運転も終わったし、今日はもう帰っていいよ」
「じゃあまた今度」
「またいつでも遊びに来なよ、歓迎するから」
「そうそう来たいと思える所じゃないな、ここは」
そう言うと陰音は笑みを浮かばせ、テスタメント室から退室していった。
それを後目で見届けて確かにそりゃそうか、と思って薄ら笑い、椛はラボへ戻った。
「椛先輩、何をそんなにニンマリしてんですか、気持ち悪いですよ」
後輩からそう指摘され、思っていたより顔に出ていたことを知り、椛は表情を引締めた。
陰音が家路に就いたのはそれから数分後のことだ、家に帰っている途中に知らない男性が横たわっている。最近騒がれている麻薬密売とかなのだろうかと思ったのも束の間、女性の悲鳴が聞こえて来て、それに応じるかのように周りの道行く人達も相応の悲鳴や反応を見せる。
野次馬は時が経つに連れて拡大していく、今のうちに現場の撮影をしておこう、何かに繋がるかも知れないと陰音は思い、駆け寄るとそこには女性の遺体(首から上がなくなっている)が歩道脇の手入れのされていない売家の敷地内に投げ棄てられていた。遺体には全裸の上にシーツが被せられていたらしい。すぐに遺体とその周辺を撮影し、その場を少しばかり離れ、携帯端末で撮影した高解像度のピクチャに眼を通す。
女性の死因は見ての通りだと思うが、まずはこんな通行人の多いところで棄てる意味がわからない、デメリットが多すぎる。
そしてどうやって殺害したかだが、それは刃物に拠る物だと推測される。それなりに刃渡りのある刃物でも首を切断するのは容易ではない。それは男性であろうと、女性ならば尚更同じことが言えよう。しかも遺体の首元には幾度も刃物で切れた痕がある、これは知人の犯行が高いだろう、部外者の線も消えたわけではないが。
そこまで思考すると一度辺りを見渡して不審人物がいないか探り、再び被害者に向き直る。
まあどうであれ、この事件にはアレが関与しているのは薄そうだ。今にして思えばただの物好きが自分の功績を見せ披かしたかっただけかも知れないし、と考え直す。
そして最初に悲鳴を上げた女性が通報してから少し、ようやくパトカーが到着し、数人の警官が調べ始める。警官の『この遺体の第一発見者は』とか『この遺体の身元は判明したか』などの言葉が飛び交う。
その光景を横目にしながら、陰音は自転車へ乗って再び家路に就いた。
有栖家の食卓は日替わりの当番制である。
今さしあたって何が言いたいのかというと、昼飯が無いということだ。今日は弟の大河が食卓の当番なのだ。さぼりやがったな、と陰音は思いながらも口には出さない、他にも洗濯物や家の掃除などはほぼ大河が一人で行っている。
とある事情で陰音と大河は、今二人暮しをしているので、食卓の当番のほとんどが陰音なのだが、大河が言うには「少しは調理しないと腕が鈍るから」とのことだったので別段、断る理由も無く今に至っている。本来ならば、弟の頑張りを見て「料理くらいお前がやらなくてもいいぞ、俺が全部するから」と言っても良さそうな所だろう。
今は午後一時が終わろうか、という頃だ。当然大河も今日の学校は午前中に済んでいるはずで、どんなに遅くてもこの時間に食事が出来ていないのはありえないのだが――どうしたことだろう、そんな異常事態が今発生しているではないか。焦ること無かれ、まだ遊びに行っているとかあるだろう、なんで真っ先に出てくるのが誘拐や殺害なんだ……おかしいだろ。
と、陰音がそう思い巡らせていたその時だ、玄関の扉が開き閉じられる。
玄関の方からは「あー、兄貴やっぱりもう帰って来てるや」と声が聞こえ、そこでようやく大河が帰ってきたことを把握した。ダイニングキッチンに大河の姿が見えると、陰音は賺さず「今までどこ行ってたんだ?」と大河に投げかける。
「え、買出しだけど、食材無かったし……」
「あっそ、それなら良いんだ。俺は部屋にいるから出来たら呼んでくれな」
エコバックを抱えた大河へ軽く手を振り、陰音は自室へ向かう。
自室の扉を開けて部屋を見ると、陰音はあまり物がないことに気付く。
そんなことは今まであまり気にしたことは無かったのだが、この部屋に――それよりも、この家にあまりいた記憶が無い。と言うのも陰音はずっと裏で動いていたし、帰るのも通過点にしかなっていなかったので留まったことがない。それに対して大河はずっとここいるので、私物はそれなりに有るだろう。
数少ない陰音の私物の中で守り刀があり、刀銘まで彫られている。これはまだ有栖家が名家の陰翳に生きていた頃の名残がいまだに残っているのだ。
今回の刀銘は〝双対番〟と〝初極終〟の二。双対番(〝刻玄〟と〝刻素〟の番になっている)に関して刀身は刻玄の方が長く、比較すると刻玄が一尺三寸、刻素は一尺一寸。初極終の方は双対番より刀身が多少肉厚く、長さは一尺四寸。どの守り刀も短刀としてはやや長く、寸延短刀だと言えるだろう。
大河が初極終、陰音は双対番の刻玄を所持しているので、陰音の部屋には双対番の片割れの刻玄がある。もう一つの双対番はどこを捜しても何故か見つかることはなかった(購入していない訳ではない)、本来ならば番なのだから一緒にあって然るべきはずなのだ。
何もかもが厭になってくる。こんな時は身体を動かした方が良いと聞くので、陰音は大広間へ向かうことにする。その道中に大河の許へ寄り「大広間にはこれから三時間は入ってくるなよ」と伝え、陰音は大広間へ行った。
大広間へ入室するとホライザーを操作して模擬戦用のアプリを起動させ、音声入力で設定を入力してゆき、システム音声が復誦を始める。
『システムオールグリーン、AR処理を開始します。尚、武具は思考で呼び出せますのでご安心くださいませ。感覚判定の増減はなし、難易度アブノーマルからアンノウン――ミッションステージLv4~6、ベローナ・ストーム三時間コース。開始まで三秒……』
相当に惨いミッション内容を聞き終え、陰音は瞼を閉じて開始を待ち、開始を報せる音響と共に瞼を開き標的を確認する。
どうやら標的は施錠銃使い(スナイパー)と拳銃使い(ガンナー)、西洋風剣士の三人。
剣士の得物はレイピアか、ならば……、と反射的に刻玄とCNT自動拳銃(FB-S2025)を自分の手許へ呼出し、腰のホルスターへ一旦しまい込み、今度は初極終を手許にジェネレートする。初極終は刻玄とは違い、刀身の横幅と厚さが少しばかりある。
無数の銃弾が目の前に飛び込んでくるが、まだ剣士は動く気配がない。左右の刀を巧みに操り陰音に向かってくる銃弾を弾き飛ばしたり返したり、ぶった切る。この動作を陰音は何事もないかのように平然とやってのけ、エネミーが機関拳銃のリロードをする間に前進する。
――――ここでようやく剣士が動いた。レイピアの柄を持って鞘から刀身を振り抜き、剣士は陰音の前に立ちはだかる。陰音は動じず、初極終を剣士との中間地点へ投擲して牽制し、それと同時に駆け出す。すると加速と共に身体を捻って遠心力を上乗せし、斜角に一閃を剣士へ斬払い、同時に陰音は自動拳銃をホルスターから引抜く。
その直後、剣士の「ブハッ!」と吐血音が途中聞こえて来るが今は悲鳴など完全に無視。ガンナーがリロードを終え、銃口を向けて来た直後に、陰音はサブマシンガンをオートガンで弾く。するとスナイパーが発砲した、施錠銃の五十五口径の弾丸が陰音の頬を掠める。
陰音はオートガンをしまいながらバックステップし、初極終を床から引抜く。そしてガンナーが素早く控えのオートガンをホルスターから抜出し、今度は控えオートガンとライフルの銃弾の弾幕が飛来してくる。
ガンナーはオートガンを撃ちながら後退し、サブマシンガンを拾って控えオートガンを素早くホルスターへしまい、今度はサブマシンガンの弾幕を張り巡らせる。その全ての銃弾を掻潜りながら、陰音はガンナーの方にエネミーを絞って接近する。
ガンナーの背後へ駆け回り、その勢いで心臓に突刺しそのまま斬捨てる。現時点でオーバーアクションと呼ばれるものはない。ここまでのことがあっという間で、スナイパーは立尽くしている様にも見受けられる。そのまま流れるスピードでスナイパーへ下段斬り上げをお見舞いすると、返り血が服や素肌に付着する。
踵を返して床に突刺さっている刻玄を引抜き、刀を交互に振り、血を振飛ばす。すると次に現れたのは、全員が剣士。総人数は四人ばかしで、さっきよりも簡単そうだと思い、陰音は少しばかり安堵する。
――――――――――――――。
およそ二時間四十分後、陰音はラストスパートに入っていた。
自分の姿を確認すると、そこには血――返り血、血飛沫、返り血、血飛沫のオンパレードで酷い容貌になっている。刀も血抜きが出来てない所は固まり始めている。……が、まだまだ使えそうだ。
最終バトルで約一万人弱の仮想兵を斬殺し、約一万人の仮想兵を射殺した。陰音にも多大のダメージが残っているが、残存エネミーも僅かだと思われる。一度に出現するエネミーは十人だが、残っているのはたった六人、この程度ならまだまだやれる。
全力で六人を瞬殺する――と、ここでクリア画面と共にボーナスステージへのお誘い。
「ここまで来たんだし……やってみるか」
軽い気持ちで陰音は二者択一し、YESのボタンをタッチする。するとどうしたことか、部屋の半分くらいのスペースを占拠する程の緋氷のドラゴンが顕現する。空想の産物が今ここに存在するのだ。これがただのデータに過ぎない、ということは判り切っている。
だがそれを踏まえて尚、これは本当に倒せるのか、と一抹の疑念を懐かずにはいられない。
「いや、データで存在する限り倒せる存在だと信じよう」
細氷のドラゴンブレスが襲いかかる。暖色なのに寒いというギャップが楽々と陰音の衣服を透し、悠々と身体にまで響く。冷たいや痛いなどを通り越し、これではもはや感覚が無くなってくる。ドラゴンのブレスは二分近くにまで及び、陰音の戦意は随分と削がれていた。
陰音は壁を跳躍し、ドラゴンの背中に飛び乗って両手に握っている刀を同時に上段へ振り上げ、思いっ切り振り下ろし、多少ゴツゴツした氷で出来ているドラゴンの背中を叩っ切る。するとドラゴンが尻尾を器用に使って陰音を弾き落とす。
――――と、次の瞬間。
振り下ろした陰音の刀は無惨に折れ粉々になった後、手元の柄と共に消失する。刀より堅い強固な皮膚、叩き切ったはずの所には数ミリの損傷も見て取れない。やはり完全氷結な氷のごとくドラゴンの皮膚は堅く、これでは全く勝てる気がしない。
初極終を再度ジェネレートさせ、陰音は特攻準備を済ませる。
ドラゴンの皮膚は全体的に分厚い氷で出来ており、攻撃を加えれば先程の二の舞になるだろう。かといって弱点となる部分も見当たらない、双眸までもが氷に蔽われているのだ。そんなことを検討していると、ドラゴンは口を大きく開け、口前にエネルギーが集束し始める。
すると陰音は一つだけ案を思いつき、ドラゴンへ向かって疾駆する。
エネルギーが臨界点を超え、発射直前の塊に弾丸を連続で放ち、誘爆させ、ドラゴンの視界を閉ざす。そしてドラゴンの悲啼が、脳内へと痛烈に響き渡る。陰音はドラゴンの開いてみえる口内を緒とし、ドラゴンの身体を捌き下ろしていく。
その後ドラゴンの身体は消失し、服や素肌に付着している血も何事もなかったかのように消える。するとすぐあとに効果音が鳴り響き、ボーナスミッション並びにベローナ・ストームクリアの文字が表示されたのち、VRの解除が始まる。
身体への疲労感は絶大だが、陰音は何とかまだ動けるみたいだ。
「やっと、終わった……」
陰音はホライザーの連結を解き、各インターフェイスの電源を切る。その直後、達成感と疲労感、そして眠気が押寄せ(フィードバック)してきた陰音は、その場にへたり込んで仰向けに寝転がる。
この手は黒ずんだ真っ赤な血で汚れている、それは仮想や拡張世界に限ってのことだけではない。殺した人間の血によって手や身体、心までも汚染され闇の一端に引摺り込まれる。汚れ切ったこの身体は光に戻れない暗闇。いま日射している場所にいられるのは、まだ機関には利用価値が残っているのだろう、と陰音は思う。
機関と言えば今回の依頼は電子ドラックによるものだから、機関が関与している可能性は充分にある訳だ。でもそれは至らぬ所でいらぬ思考を巡らせ、ただ時間の浪費をしているだけの現状では、関与しているのかどうかも判らないので、無意味な詮索はもう止そう。ただ、そうなった時の心構えだけはしておくか、と陰音は思い馳せる。
すると扉のノック音が微量ながら陰音の耳朶まで響いてきた。
「――――兄貴、入るよ。うわっ…………」
陰音の返事も待たず、大河は部屋へ入ると数瞬の間が室内に蔓延る。
その原因は陰音が制服姿(汗でびっしょり濡れている)で仰向けの妙に艶めかしい姿を、マジマジ魅せ付けられて大河が頬を赧、呆気に取られ思わず凝視してしまったからだ。どうしてくれようこの兄貴、と大河は思ったが、何事も無かった様に済ませる。
「早く兄貴は、風呂に入って着替えろよ」と冷静に言うことしか出来なかった。
「物音がしなくなったと思ったらこれだもんなぁ……全く何考えてんだか」
「良いだろべつに何でもよ。それとそれはここに置いといて、あとで取りに来るし」
「それはわかったけど、とにかく服脱いで洗濯機の中に入れてきて」
有栖家は制服の場合洗濯機と乾燥機が違うので、少しばかり手間が掛かるのだ。だがしかし悲観することばかりではない、その一つには皺取機能やらその他機能が満載なのだ、ちなみに製作者は椛であり、洗濯機も以下同文なので異様なまでに高性能なのだ。
洗面台・洗濯機・乾燥機がある脱衣所で制服を脱ぎ、乾燥機へ掛けると浴場へ入る。
眼前には防水加工などを施されているディスプレイが見受けられ、当然その横には浴槽がある。本来そのディスプレイにホライズを無線連結してシャワーなどを使用するのだが、故あって陰音には使用できなかったので、湯と水の残高などの表示とホライザーでのシャワー操作などをするだけだったものを、ディスプレイでも操作可能なようにしていたのだ。
シャワーのノズルを固定するストッパーの高い位置に固定して、お湯の勢いを強にしてお湯を噴出させ、ベトベトになった陰音の身体をシャワーの温水の雨が洗い流してくれる。洗剤を使って身体を全て洗い終え、タオルで全身の水滴を拭いて浴場を出る。
下着を着用してからドライヤーで髪の毛を乾かす。髪の毛を半分も乾かし切ってない所でドライヤーがブスン、という何とも言えない効果音を立てて動かなくなり、この時本気でドライエアーを風呂場に導入しよう、と陰音はしみじみ思った。何にしても今は考えるだけ無駄なので、仕方なく新たなタオルを取出し、髪の毛に乗せて拭きながら脱衣所を出る。
自室へ戻って服を着替えると、少しして大河が「兄貴、メシ出来たよ」と言うので台所へと行く。そして椅子に座ると野菜炒めと鶏豚牛丼、肉じゃがと炒飯を陰音の眼前に、大河が置いていく。
「大河、ちょっとこの量多すぎないか?」
「兄貴が昼に食べなかったのが悪い」
「――だからって、さすがに一気で食べるのはな……」
「問題ないよ、兄貴はハードワーカーだから。メタボリックになる心配はない、というよりもそれぐらい食べないと、窶れると思うけど?」
「あのな、大河。俺は肥りたい訳でも窶れたい訳でも、ましてやマッチョになりたい訳でもないんだ。今ぐらいで丁度良いんだ、わかるだろ、お前も剣術やってるなら。無駄な筋肉なら付けない方が良い」
そう言うと陰音はまず肉じゃがと野菜炒めを一口、その次に炒飯を四分の一くらい食べ、肉じゃがを一気に掻込むと、大河が置いていたコップのお茶を飲む。炒飯の残りを四分の一に減らし、肉たっぷりの丼を二口ほど咀嚼。野菜炒めも半分に近づいた頃には炒飯は無くなり、肉がたっぷりあった丼も残すところもう少しだ。フードファイターになった気分になるのは否めなかったが、それでも料理は全部体内へ詰め込んだ。
「ま、べつに食べないとも言ってないからな」
そう言うと陰音は力なく笑い、流し台へ食器を置いて水を溜めると台所から自室へ戻る。
その光景を大河は呆然と見ていることしか出来なくて、正気に戻って食事を済ますことに専念するのは陰音が見えなくなってからだった。
自室へ戻った陰音が最初にしたのは、食休みがてらにクリプトフォンからホライザーへミュージックフォルダなどを移動させる。ホロダイアログウィンドウに、メモリの残量と残り時間が表示される。するとタイミングを見計らったように、ディバイスの着信音が奏でられ、ホライズが新たなウィンドウを開く。
今回も例の通り秘匿回線だ。やれやれ仕方ない、と陰音は思うが、出ないわけにもいかないので、通話ボタンをタッチする。
『依頼の続報が入った、今すぐ本社へ来い。これからのことも決めたい』
「わかった、すぐ行く」
陰音は通話を閉じ、外へ出ると自転車に乗り、イクシル本社へと向かう。
今は春だというのに、夜間の外気はまだ少しだけ冬の肌寒さが残している。漆黒い長袖の外套を羽織っているだけ未だましというもの、これで羽織っていなかったら黒のTシャツだけでいた所だ。陰音は基本黒の配色を選んでおり、それは死者への手向けの念からだ。まあそれも椛や白鴉あたりが悪乗りをして、明るいものを贈られたので、何着か明るくポップな衣服も所持しているが、それを実際に着たのは片手よりも少ない。
言われるがままイクシルの本社へ来た陰音は、裏口エントランスホールから入り、受付を済ませる。そこで「社長は今ミーティングルームに居ますので、そちらまで来るようにとのことです」と受付嬢から事務的に告げられる。
ミーティングルームへ陰音が向かうと、そこにはホライズで生成された、巨大な可視化ホロウィンドウが展開され、その傍らには白鴉と何故か椛までいる。
「あ……遅いよう、イン君。君なら三分で来れるでしょ~」
「じゃあ早速だが始めるか。キハナ、まずは牧野智和の遺体を出してくれ」
「ほぉ~い――っ」
ホロウィンドウに表示されたのは、今日の帰りがけに見た女性の遺体だった。
陰音はなぜこの写真がここで出てくるのかが少し予想外だった、と言うことはこの事件の犯人は電子ドラックの使用者なのか、それならそれで合点はいくというものだ。
「イン、君はこの現場にいたはずだよね。そこに不審人物は居なかったか、男性でも女性でもどっちでも良い」
「いや、あの場所には不審な人物が居たようには見えなかったな……現場にいなかったとなると、人が騒いでいるのを楽しむ奴じゃないってことくらいだけど」
「僕のあくまで想像上でも、その反応が正常だね。それに想像通りなら殺した犯人は、何とも思ってないはずだろうし、それにここ数日で起こった行方不明者の子供も増えてるというデータもある。犯人は十中八九、電子ドラックの使用者だろう」
「それは早計過ぎるんじゃないか、白鴉。仮に犯人がドラッグワーカーだとしても――だ、物証が何もない上に確証もないだろう、俺は焦り過ぎだと思うぞ。まあでも無関係と言い切れる程、疑わしくない訳じゃないな。俺も俺なりに動いてはみるが、期待はしないでくれ」
「そうだな……僕も少々こじつけが過ぎたかも知れないね。イン君は引続きドラッグワーカーの捜索を頼む。だけど僕はこれから海外なんだよねー、残念なことに。この件から二・三日離れることになるけど、仕事の引継ぎはキハナに託してあるから、好きに動いてくれ。後はキハナに任せた」
白鴉は同い年だと思えないほどの言葉を言って、ミーティングルームから去っていった。
すると椛はホライズをシャットダウンし、陰音に向直ると微笑む。まるで腹黒い不健康な天使のようだ。天使とフォローを入れてみたけど、さすがの天使にも腹黒いのと不健康が重なるとフォローし切れなかったみたいだ。
「二、三日の不在ね。どうでも良いが奴は端から俺に事件を丸投げする気だったな、アレは」
「まあまあ。――と言うわけで後任されてしまったけど、私は何したら良いのかニャ?」
「何だ、説明してなかったのか白鴉は。まずはそうだな……現在使用されていない町があっただろ、そこに監視カメラの設置。それとこの地域へ出来るだけ広範囲に監視カメラを設置して隈なく包囲し、後は二十四時間態勢でのモニタリングだな」
「ふーん。わかった、手配しとくよ。たぶん数時間あれば出来るはず、だから設置完了するのは午後以降ってとこだね」
「じゃあ明日、俺は現場へ直行すれば良いわけか。でも一応は此処へ連絡入れるから、監視はよろしく頼むよ、天災さん」
「君は私を誰だと思っている、そんなことは朝飯前さ。とは言っても監視カメラを眺めるだけって拷問に近い仕打ちだよね――って、もうこんな時間か。もう今日はさ、ここへ泊まってきなよ、イン君。私のオフィスなら空いてるし、寝るところには困らないから、それにどうせ私はオフィスに戻らないし」
椛は有無を言わさず決めてしまい、地下二階の開発室に篭もってしまった。仕方なく陰音は同じ階にある、椛の個室オフィスへ行って仮眠用のベッドに寝転がり睡眠に落ちた。
翌朝、睡眠から目が覚めて最初に見たものがデジタルクロックだった。
現在の時刻を鮮明に刻んでいる、只今の時刻は午前五時四十分也。すると安堵の溜息を漏らすと毛布を除けて陰音はベッドから降り、電燈の点いてないオフィスから退室する。
そのまま開発室へ行くと、椛の姿は見当たらない。どこへ行ったのだろうか、と思いつつ奥まで進んでいくと、一人の遺体が発見された。死因は不健康な生活からなる過労死と言ったところだろうか、目に見えてカロリーが足りてないことが窺える。
「おいしっかりしろよ、今ここでパートナー不在なんてことになったら、今回の依頼は確実に破綻するぞ」
何度か身体を激しく揺すると椛の意識が戻ってきた。
「やあイン君じゃないか、そう言えばもうこんな時間……もう私はダメみたい。また何かあったら起こしてね、じゃあおやすみ~」
そう言って軽く手を振ると再び椛は深い眠りに落ちた。
おいおい、と思いながら陰音は床に寝ている椛を椅子へ座らせ、デスクに寝かせる。
「お疲れさん……さてと、帰るか」
陰音は開発室を出ると何時ものように裏口のエントランスホールから駐車場の脇の方へ向かい、自転車に乗って自宅までの帰路を辿る。気付けば太陽も昇り始めているが、さすがにまだ少し薄暗く電灯の灯りもまだちらほら点いていた。
帰宅すると陰音は朝飯と並行して弁当を作っていく、ここで活躍するのが日々の生活を担う冷凍食品の数々である。ハンバーグとコロッケをメインにして野菜を適量添え、白飯をおかずの隣りにある広大なスペース一杯に入れる。
分量にして肉類やコロッケは二、サラダは三、それ以外は全て白飯だ。小学校は給食というものが存在するので、弁当はいらないから楽だ。朝飯は和風テイストで味噌汁(朝餉)とご飯だけという質素だけど文句の出しようの無いメニューだ。
面倒なときにこれを朝昼夕したら、さすがに大河に怒られた。商品を朝餉・昼餉・夕餉に変えたのにも関わらずだ、まあ気持ちはわからなくも無いが。
「次は風呂だな、時間もあるし」
現在の時間は六時半ばで、出るまでには一時間ちょいもある。
陰音はシャワーでサーッと流すとタオルで身体を満遍なく拭き、タオルを洗濯機へ突っ込み、制服に身を包むと頭に掛けたタオルで髪を拭きながら乾かす。タオルを首に掛けて自室へ戻り教科書やノートをダウンロードしている学校指定の携帯端末をケースに入れ、クリプトフォンを制服のポケットに入れる。
タオルを手に取りまだ湿った髪の毛をタオルで拭き取ると、ケースを持って脱衣所へ行って洗濯機にタオルを放り込み、朝食を食べにダイニングへと向かう。
もうこの時にはさすがに大河も起きてきていて、朝食を食べていた。陰音は朝食を流し込むように食べると、流し台で食器や箸を軽く水洗いして洗浄機器へと入れて洗剤を加えるとスタートのボタンをタッチする。
「今日は余裕を持って出られそうだな、大河も早く仕度して学校に行けよ」
「兄貴には言われたくないね、その台詞」
大河は冷ややかな表情で言葉を陰音に浴びせ、テレビを眺めている。
弁当箱をケースにしまうと、陰音は拳を強く握り出来るだけ笑顔で大河に問う。
「それはどおゆうことだろうな、大河」
「そのままの意味だけど気にしないで、兄貴に勝てる人はいないから」
この冷徹さは誰に似たのだろうか、と陰音は思考を廻らせると両親しか思い当たらない。ただ両親と違うのは陰音を嫌っている訳ではないことだ。現在は七時四十分少々、陰音は大河より先に自転車に乗り学校へ向かった。
遅ればせながら夏希達三人が教室へ入ってくる。
到着が三人揃って授業に近かったこともあり、三人とも少しばかり息が上ずっていた。
『遅刻するかと思ったー』とか『ぎりぎりセーフ!』などと言いながら教室の中へ入ってくる。
それに対して陰音は惘れた微笑を三人へ送った。するとメール受信があり、クリプトフォンの液晶画面に栗坂夏希と表示される。メール本文にはここへ来て、と記入されており――リンクのURLが添えられているリンクを介すと、ホームページの〝カフェテリアス〟という掲示板へ辿り着いた。
【caféterious】
アリス【ここで良いのか?】
ナツキ【あってるよ。そう言えばさ、部活の内容考えてきた?】
アリス【俺は考える隙がなかったな、自分で言っといてなんだけど】
ミユ【そうなの? あたしは広報部とか良いと思うんだよね】
ヨル【ぁ、私は文系でさえあれば何でも……】
ナツキ【あれあれ、これは決めにくい図式みたくなってんね】
ナツキ【ちなみに私も駄弁れれば何でも良いから適当に捏ち上げようかな、とか考えてた】
ミユ【――――ちょっ! ちゃんと考えて来たんあたしだけかい!! (笑)】
アリス【じゃあ表向きは広報部で活動すれば駄弁りながら出来るし、問題解決だろ?】
ヨル【イン君の言う通りですかね……】
ナツキ【じゃ、そう進めようか、後で部活申請用紙に氏名の記入をヨロシクー】
ミユ【イン君冴っえてルゥ~((笑))】
アリス【……冷やかしは止めてくれ】
ミユ【べつに良いジャン、授業つまんないしー、ネ?】
アリス【いや、それは関係ない】
何て会話を陰音と夏希達は一時間目が終わるまで続けていた。
そこでわかったことはこのホームページが夏希の自作だったということくらいだ、いや別にそれはそれでどうでも良かったのだが。まあ収穫は下手な部活動に入らなくて良くなった、と言うことぐらいだろうか。
溜息交じりにクリプトフォンの電源を切り、陰音は少しの間ボーッとする。
次は体育の身体測定なので陰音たちは更衣室へ行き、割り当てられた体操服を着用しなければならない。更衣室から出てグラウンドへ向かうと白線の引かれているレーンなどがあり、レーンは五〇メートルの物から四〇〇メートルの物まで様々だ。外へ陰音が出た時には、もう大半の生徒達はレーン内側の中央部へ集まっていた。